存在
「ヴィット達、大丈夫やろか?」
呟いたチィコは眉毛を下げる。
「マリーが付いてる……大丈夫よ」
母親みたいな口調で、そっとリンジーがチィコの頭を撫ぜた。
「そやな……」
コクンと頷くチィコの背中が、リンジーにはとても小さく見えた。
「それより、バンスハルはすぐそこだよ」
リンジーは見えない敵の影を恐れていた。マリーがいないだけで、どうしてこんなに心細いのだろうと、ココロの片隅では人事みたいに分析している自分もいた。
夕闇は静かに隊列を包み、皆の光を音も無く吸収し始める。ちょっと前のゲルンハルトから通信は、このまま進むと言って来た。
「何でやろ、あんまし眠くないねん」
普通ならそろそろ欠伸の出そうなチィコが、前方を凝視する。チィコの中でも不安は確実に増加し、その意味に気付かなくても身体は反応していた。
「明日の今頃……何してるかな?」
ふいにリンジーは独り言みたいに囁く。
「えっ? 何か言うた?」
ポカンとしたチィコが振り返ると、何事も無かった様にリンジーは言う。
「夜中……いえ、明け方かもね」
「……うちは、夜も朝も苦手なんやけどなぁ」
その一言で、急に眠くなったチィコは情けない顔をした。リンジーは夜の闇に攻撃を予感していた、そっと触れた夜間照準器に力を込めて。そしてチィコに聞えない様に、そっと呟く。
(マリー……早く……)
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「どうした?」
「何でもない」
操縦席のハンスが笑みを浮かべ、ゲルンハルトを見る。明らかに様子が違うが、触れ方が分からない。平静を装いゲルンハルトは呟いた。
「今、来られたら厄介だな」
イワンは夜間照準眼鏡に顔を埋めたまま呟く。少し目を擦り、ハンスは大きく背伸びをした。
「受け身の戦闘は消耗するな」
ヨハンも肩をポキポキ鳴らし、大きく息を吐いた。
「仕掛ける方が有利なのは、今に始まったことじゃないぜ」
照準眼鏡から顔を外し、イワンも肩を解す。
「考え方だ。仕掛けて来ると分かっているなら、相手の出方次第で作戦を立てられる」
「安心した、指揮官は違うね」
凛としたゲルンハルトの声に、イワンはニヤリと笑う。
「そうだな、味方の連中は賞金稼ぎだ。奴らも色々な修羅場を潜ってきてる、下手な軍隊よりも頼りになるぜ」
ハンスもネガティブな思考を、ゲルンハルトの声でポジティブに向けられた。
「何時もの仕事と変わらない、我々は最善を尽くすのみだ」
「了解!」
呟いたゲルンハルト、イワン達は元気よく返事した。
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「バンスハル、もうすぐですね」
ミューラーは前方を見詰めたまま、後ろ手を組んだ。
「行軍のスピードが落ちるな」
軽く目を閉じガランダルは呟く、デァ・ケーニッヒスは砂に履帯を空転させる。
「砂丘の起伏が激しくなります、この辺りが一番危険ですね」
人事みたいに話すミューラーだったが、砂丘の地形はその顔を険しくさせた。天然の塹壕は無数にあり、攻めるのに最適、守るのに堅固と待ち伏せ出来る敵の有利性は確実だった。
「飛んで火に入るってやつか……」
口元で笑うガランダルに、ミューラーはまた付け加える。
「後方の軍も距離を詰めてます」
「軍の奴らは攻撃してはこないさ、待つだけだ。追い詰め、漁夫の利を狙っている。指揮官のガンツはそう言う奴だ」
銀狐と言われるガンツ中佐なら、ミューラーも知っていた。彼の戦術は戦闘を極限までにシュミレートし、ボードゲームの様に的確に作戦を遂行するのだ。
「後ろは気にしなくていいって事ですか?」
「そうだな」
ゲルンハルトは頷いたが、今度はその顔に笑顔が消えていた。
「我々は辿り着けるんでしょうか?」
クルトの真剣な言葉に、他の乗員もガランダルの顔色を一斉に見た。
「行くんだ」
力強いガランダルの言葉に、クルトも俯いたままだが小さく頷く。
「そう、でしたね」
遠くを見詰める様にガランダルは視線を上げる、ただ自分でも意識してないのに表情は硬いままだった。それはガランダルの考える戦いに、足りないモノがあったからかもしれない。
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「暗くなったね。前照燈、点けないのか?」
暗い前方に目を凝らしたヴィットが呟く。
「ワタシ、見えてるよ」
「何か先が見えないのって、なんか不安なんだよな」
平然と言うマリーの言葉に、苦笑いしたヴィットがまた呟く。すると、パッと前照燈が点いて前方を明るく照らした。
「見えた?」
「うん」
昼間の様に照らし出された道に、ヴィットは少し違和感を覚える。前方を照らす光と闇の境界が、見えないモノへの不安を掻き立てる。
「どうしたの?」
優しい声がヴィットを包む。
「見え過ぎるってのも、何か変な感じ」
「どうする? ライト」
「やっぱ消そうか、敵に見つかるかもしれないし」
「仰せのままに」
明かりが消えると闇に包まれると思ったヴィットだったが、薄い緑の輪郭で景色はモニターに映し出された。
「何? これ」
「赤外線暗視……結構電気食うのよ。燃料節約中だけどね」
「マリー……」
「ヴィットの不安、少しでも除きたいの」
マリーの言葉に、ヴィットは自然と笑顔になる。礼の言葉なんて言わなくても、その笑顔はマリーに届いていた。でもそんな和やかな雰囲気は長くは続かなかった、マリーの索敵機能にアラームが鳴る。
「前方約二千メートル、敵戦車」
「数は?」
「全部で……七輌かな、二輌は左右に少し離れてるみたい」
完璧じゃない索敵機能でマリーは敵の様子を探り、ゆっくりとスピードを落とす。
「一本道か……左前方の山の稜線に回避すれば時間のロス……右は枯れ木のオンパレード……進めないか」
ヴィットは顎に左手を添え、モニターを凝視する。
「左に行くなら一輌を相手にすればいいけど、道成りなら五対一ね。噴射剤は勿体ないし、時間も無いし」
考えてる様なマリーの声だったが、深刻には聞こえなかった。
「あんまし緊迫してないみたいだね、何か手があるの?」
ふと息を漏らし、ヴィットは呟く。緊張しているのは自分だけ、と言う思いはマリーへの信頼と安心感へ繋がる。
「あるよ、作戦は二十三通り」
明るいマリーの声。
「それじゃあ、お薦めのやつを一つ」
ヴィットは溜息を付く、それは穏やかな気持ちとリンクした。
「オッケ。待ち伏せでじっと動かないから、あの手で行こう」
自信のありそうなマリーの声は、ヴィットに信頼感を強くさせる。
「それじゃあ、どうぞ」
「行くよ!」
マリーは航空爆雷を発射する、車体後部のハッチが開き弾頭は夜空に舞う。花火の様に軌道の頂点で弾頭は破裂し、散弾の雨を降らせる。対航空機用爆弾の一種だが、地上の戦車にもかなり有効だった。
各弾頭は小さく威力は無いはずだが、高空からの落下の加速度は戦車の上部装甲を貫通出来ないまでも、かなりのダメージを与えた。勿論、貫通しない事を前提で、マリーは使用していたが……。
数えきれない程の爆発の中を、マリーは全速で駆け抜ける。
「頭の上で、教会の鐘をブッ叩かれた様なもんだな……」
ヴィットは戦車内の惨状をを想像し、敵の乗員に同情した。
「中は凄い事になってるでしょうね」
マリーは人事みたいに言う。
「航空爆雷にしては地面に着弾してから爆発してたな」
普通の疑問をヴィットは呟く。
「時限信管だから簡単に細工出来たよ、こんなに上手く行くとは思わなかったけど」
「いつの間に……でも、兵器って使い方次第なんだなぁ」
呆れた様にヴィットは呟く。殺傷の為の道具も、使い方と工夫次第で致命傷を与えない柔らかい兵器に変わるのだ。
「人も物もね……さぁ、急ぐよ」
マリーはまたスピードを上げた。
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「予想はしてましたが」
前方を見渡したミューラーは大きな溜息を付く。月明かりが砂漠に照り返し、雪程じゃないがかなり明るく、敵戦車の装甲は鈍い光を微かに反射していた。
「予想以上だよ、しかしココを突破出来ればバンスハルだ」
顔は笑っている様に見えたが、ガランダルの声は低く沈んだ。
「どうするんですか?」
震える声はクルトの気持ちを簡単に表す。
「各車輌に通達。重戦車及び駆逐戦車は距離を保ちつつ展開、敵の稜線射撃に注意せよ。軽戦車及び、装甲の薄い車輌はデア・ケーニッヒスの履帯の跡に続け」
立ちあがったゲルンハルトは、落ち着いた声で指示を出した。
「怖いです……このまま行けるのか」
恐れや恐怖が、クルツを頭の上から重厚に支配する。
「私も怖いよ」
想定外の言葉が、ガランダルの口から洩れる。
「私もですよ」
見つめていた前方から視線をクルトに向けたガランダルが簡単に言い、横からミューラーも素直に同調する。
「そうなんですか? でも、私はまだ怖いモノがあります……死にたくないって言うのが」
「同じだ、私も死にたくない」
ガランダルはクルトの震える言葉に、少し笑って直ぐに答えた。
「軍人である前に人ですから。私も妻や息子を残して死ねません」
ゆっくりとクルトの肩を抱いたミューラーも、穏やかに言った。
「……はい」
クルトの返事には、気持ちの浮上が含まれていた。希望を捨てる事の出来ない自身の崩れそうなココロを何が支えているか? ガランダル達だけでなくクルー全員が思い浮かべていた。”マリー”と呼ばれる、最強戦車の事を……。
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「そんだけ……」
ガランダルの指示が各車両に告げられる。眉を下げたチィコが、ウルウルの瞳で砲手席のリンジーに情けない顔を向ける。指示は簡単、各個撃破でデァ・ケーニッヒスを護衛せよだった。
「前の掩体壕見て、数えきれないよ」
リンジーは笑顔を向けたが、無理して笑ってるのはチィコにでも分かった。
「ほんまやね」
振り向いたチィコは、精一杯の笑顔えをリンジーに向けた。
「チィコ……」
リンジーはその笑顔を不思議な感じで見ると、話しを続けた。
「あいつら、何なんだろうね?……」
「そうやな……ごっつ儲かるって話しやし、メチャメチャ本気やで」
考えてる様に眉を顰める深刻な顔なチィコの顔は、忘れそうになっていた本当の笑顔をリンジーに思い出させた。
「私だってお金は欲しいけど、今までの戦いで何人の人が死んだのかしら」
「いっぱいやな……でもな、もっと多くの人が死ぬんや……このままやったら」
目を伏せたチィコの睫毛は、微かに震えていた。
「何か……怖いね」
確かにお金の為に同胞を殺す人は怖いが、更に恐ろしい現実がリンジーを襲う。目に見えない程のバクテリア、それ自体は直接人間に害をもたらすことは無くても、巡り巡って生物全体を破滅へと導く。
そして彼らも人間と同じ生物なのだ。ふと疑問が過る、彼らの意志は二酸化炭素を捕食する事だけなのだろうか? と。
本当は、環境破壊を繰り返す人間に生命を代表して復讐したいのではないのだろうか?。背筋を寒さが過る、彼等にはインタレストという観念は無い。慈悲や五常という言葉は存在しない、本能以外の思考や意思は無い。
寒さを越え恐怖がリンジーに押し寄せる、阻止するのは自分達だというプレッシャーが更に巨大な暗雲となり全身を覆う。
逃げ出したいという衝動の前にリンジーの体と心は金縛りに合う、そして何故かヴィットの笑顔が脳裏に浮かんだ。
「もうすぐマリーとヴィトが来るで、それまでの辛抱や」
チィコの言葉が、凍結しそうなリンジーを救う。その事はリンジーも考えていた、改めて言われるとリンジーの中に考えが浮かぶ。それはきっと誰もが思う事、助けて欲しいと願う大いなる力――それは神に近い存在。
リンジーの口から自然と言葉が零れた。
「マリーの事……考えるだけで、不思議だな……大丈夫って思える」
「マリーは天使なんや」
チィコの脳裏には大空を飛ぶマリーの背中に、白い翼が確かに見えた。その光景はリンジーにも、僅かに霞んで重なった。そして闇の中でも確かに見えた……希望と言う光が、そしてその彼方の小さな影も霞ん見えた。
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「なぁ……」
「どうした?」
初めて見る曖昧な顔で問い掛けるイワンに、ゲルンハルトが不思議そうに聞く。
「俺達、どうなるなかな?」
それは弱音だった。どんな困難も笑っていたイワンの口から洩れた事に、ゲルンハルトは衝撃を覚えた。
「らしくないな」
笑ったつもりでも、ゲルンハルトの声は凍りかかった水の様に閊える。
「あいつら、どこまで追ってくるのかな?」
前方の暗闇にでも無数に見える敵に、イワンは気の抜けた視線を流す。
「手に入れるまでさ……何か気付いたな。俺達、黒い悪魔なんて言われて来たけどさ、本当の悪魔の前じゃやっぱ、ただの人だな。さっきから怖くて震えてる」
ハンスはハンドルを握ったまま、独り言みたいに呟く。ゲルンハルトも正直に自分に問い掛けると、答えは簡単だった……怖い、と。
「何だハンスもか、俺も怖い」
久し振りに笑った感覚に包まれながら、イワンは顔をほころばせる。
「気が合うな、俺もだ」
ヨハンの言葉にゲルンハルトも頷いた。さっきの凛とした言葉を簡単に否定して。だが、声に出す事で内側から崩れそうになっていたココロが、ゆっくりと何かに支えられた感覚だった。
「自律思考戦闘システムさ……」
ハンスはふいに呟いた。
「んっ?」
ゲルンハルトが振り向く。
「違うよな……何か」
またハンスは呟く。
「そうだな」
笑みを漏らしたゲルンハルトも呟く。
「神様にでも縋りたい気分だ」
「俺もだ、なんかこう自分がちっぽけな人間に感じる」
イワンのボヤキにハンスも頷く。
「皆、同じ考えなのかもな。それくらい追い込まれてってことだ」
ゲルンハルトは、俯き加減の顔を上げた。
「頼られる対象は大変だな、皆の命と希望を一身に背負ってさ」
聞いたことのないゲルンハルトの穏やかな声に、ヨハンが笑って相槌を打つ。
「さっきマリーの事考えてたら、背中に翼が見えたよ。白くて奇麗な……」
ぼんやりと空を見上げ、ハンスが呟く。
「何か分かるな」
冷やかすと思っていたイワンも空を見上げ、ヨハンも大きく頷く。
「……俺にも見えるよ」
目を閉じたゲルンハルトの瞼の裏のマリーにも、確かに白い翼が見えた。同時に視界は煌く光に包まれた。その光は圧倒的強よさなんかじゃない、限りない優しさだとゲルンハルトはぼんやり思った。
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「どうしたんじゃ?」
「なぁに考え事じゃ」
ハルダウンしたマチルダの操縦席から、らしくない顔のオットーに少し笑いながらキシュルナーが聞いた。
「なんじゃそうか」
横で聞いていたベルガーも何時になく神妙な顔をした。長年の付き合いは言葉にしなくても分かる、その考え事が赤い戦車だと。それは皆が同じ方向で、同じ感覚である事も。
「いい月夜じゃな」
呟いたポールマンに、全員が静かに頷く。
「お前さんも何か考え事かの? TD」
操縦席のハッチから顔を出し、隣にハルダウンし考え事をする様に空を見上げるTDにオットーが声を掛ける。
「まぁね」
TDも別の意味でマリーを思っていた、構造解析出来たら死んでもいいと夜空に涙を浮かべながら。
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「奴等、結構抵抗しましたね、寄せ集めにしては」
後方の指揮戦闘車の中で副官らしき鋭い目の男が呟く、軍服は来ているが国籍不明の変わった軍服だった。
「我々も似たようなモノだ、金で雇われている」
指揮官らしき小柄の男は髭だらけの頬を触り、展開した味方の布陣を確認しながら言う。何故が副官と違う形の軍服に、少佐の階級章だけが不自然に光る。他の搭乗員もバラバラの服装で、如何にも外人部隊という様相だった。
「しかし、ケンタウロス。想像以上の性能でした」
副官は戦闘記録に目を通す。
「実戦でのテストなんて、そう出来ないからな。しかし……」
指揮官は最後の言葉を濁す。晴れない思考の片隅に後方の軍の動きもあったが、他の要因も霧みたいに目前を霞める。
「あの戦車、何なんでしょうか?」
言葉の後を副官が続ける。他人に言われ、やっと要因と向きあう事が出来るのは、本当は目を逸らしたいと願う自分の心理を肯定出来る。
「我々は、生物兵器の奪取を命令され、最新最強の兵器も投入した……戦車が襲撃機を撃墜するのはあるとして、実際に戦艦を大破させられるのか? 出会ってしまったのかも知れないな……最も恐ろしいモノに」
指揮官の背中に悪寒が走る、微かな震えを伴い。
「確かに戦闘能力は桁外れですが、奴は人員殺傷はしないんです……変ですが、怖さを感じません。むしろ他の……」
副官は言葉を濁すと言うより、失う。
「むしろ何だね?」
問う指揮官の目は鋭く光った。
「味方になってる彼等にしてみれば……」
言葉の続かない副官は額の汗を拭った。
「はっきり言いたまえ」
襟を正した指揮官が更に鋭い視線を向ける。
「暖かさ……みたいなモノを感じます。何故か分かりませんが」
少し俯き、言葉を選ぶ様にゆっくりと副官は呟く。黙って聞いていた指揮官も、そっと目を閉じて同じ様に穏やかに呟いた……ちゃんとした言葉にせずに。
「あれは……何なんだろうな」
副官も傍にいた他の兵士も、同じ考えが胸に浮かんだ。人々の脳裏には砂漠を疾走する、赤い戦車の轟音が響き渡る。だが束の間、指揮官は顔を上げ声を元に戻すと立ち上がって全軍に命令を出した。
「さて、仕事を始めるか。右翼、最前線の車輌から前へ、敵の左翼を突く。少しづつで構わん、兵力を削げ。数を減らせて一気に殲滅戦に持ち込む。残りの車輌は敵の展開を阻止しつつ、十字砲火を浴びせろ。最後にもう一度繰り返す、前と同じだ。デア・ケーニッヒスには手を出すな」




