祖父
「お呼びでしょうか?」
部屋に入って来た壮年の男は穏やかそうな風貌だったが、左目付近にある縫い傷が歴戦の勇士を物語るには十分だった。
「ブルダ大佐、折り入って頼みがある」
豪華な椅子に深く腰かけたロマノヴィは穏やかそうな老人で、顔中の白い髭と優しそうな眼だったが、その声には凛とした張りがあった。
「何なりと」
ブルダは深々と頭を下げた。
「戦車隊を出して欲しい……タチアナからの要請じゃ」
「了解しました……一つ、お聞きして宜しいでしょうか?」
ブルダの目が鋭い光を放つが、ロマノヴィは穏やかに見返した。
「何だね?」
「噂に聞く赤い戦車に乗っておられるとか?」
更にブルダの目が光った。だが、ロマノヴィは穏やかな笑みを崩さなかった。
「私も信じてはいなかったが、タチアナが見たそうじゃ」
「流石はエリザベータ様の忘れ形見、あの超兵器が手に入れば我が社の未来は安泰ですな」
口元を綻ばせるブルダに対し、ロマノヴィは一瞬笑った様にも見えたが、真剣な顔で付け加えた。
「それから、これは厳命じゃ……敵戦車への攻撃は履帯やエンジンに限定、決して人員を殺傷してはならぬ」
「これは異なことを、戦いに於いて相手に情けを掛けろと仰るのですか?」
少し声を荒げるブルダに向かい、ロマノヴィは小さく溜息を付いた。
「そうしなければ……あの子は、ヴィットは、私の元には来てくれないのだ」
「……そうですか……難しいご注文ですが、我が精鋭部隊なら可能です。お任せ下さい」
心から承諾したかは分からないが、それ以上は何も言わずブルダは頭を下げた。そんな様子を見ながら、ロマノヴィは感動した様に言葉を紡いだ。
「あのタチアナが……気が強くて我がままで……優しさなど、何処かに忘れて来た様な娘が……泣きながら、私に頼んで来たのじゃ……後継者になる事だけを支えに、今まで全てを犠牲にして来た娘じゃ……それも皆、私の不徳……しかも、今回は新たな後継者候補になるであろうヴィットを迎えに行くと言う、辛い仕事を任せてしまったのじゃ……」
黙って聞いていたブルダは暫くの沈黙の後、穏やかに声を掛けた。
「御曹司は、どう言う方なのでしょうね?」
「タチアナは言った……自分の目で確かめて欲しいと……」
遠く窓の外に視線を向け、ロマノヴィも穏やかに呟いた。
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「隊長、全機補給を終えました。何時でも出撃出来ます」
まだ三十代後半くらいだろうか、無精髭だが精悍な顔つきの男は報告に頷くとニヤリとしながら呟いた。
「流石リーデル大佐だ、上がれたのは半分だったな……」
「強襲揚陸の艦長は、ハイデマン大佐だと聞いています」
まだ若そうだが、大きな体の副長は深刻な顔をした。童顔だが、如何にも戦闘機乗りらしい鋭い目をしていた。
「ああ、大戦中はジープ空母で、正規空母二隻を沈めた戦略家だ」
「それに、潜水艦の艦長は、あのヴォルクガングです」
「しかも戦車隊にはエルレンの黒い悪魔……まさに敵は英雄のオンパレードだな」
「ですが、こちらにも英雄はいます……200機撃墜のベアー少佐」
副長に言われ、ベアーは謙遜することなく呟いた。
「250機だ……」
「はい、そうでした……それと、例の機体、調達出来たのは二機だけでした」
「仕方ないな。消耗部品と運用の事を考えると、そのくらいがいいのかもな」
ニヤリと笑った副長の報告に、ベアーも薄笑みを浮かべた。
「その代わり、オルカン空対空ロケット榴弾の装備を確認しました。弾頭は対戦車用のパンツァーブリッツIIです」
また副官はニヤリと笑い、ベアーも満足そうに頷いた。
「何せ相手は空飛ぶ戦車だ。たった520 gのヘキソゲン炸薬弾頭など、4発爆撃機なら一撃で撃墜出来ても、戦車には通用しないからな」
「所で、私は二番機には乗れないんですよね?」
「当然だ、貴様は戦闘機隊四十数機の指揮をしてもらう。相手はロケット推進だ、こちらもジェットで同等に戦える」
残念そうに顔を曇らす副長に向かい、ベアーは豪快に笑った。
「そうですね最新型のジェット戦闘機、Mu262シュヴァルベの威力を見せつけてやりましょう」
副長も轟音と飛行機雲を引いて大空を飛ぶ、最新鋭戦闘機の姿を脳裏で思い浮かべた。
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「何で、こっそり地上から行かないんだ?」
空から敵戦車隊に近付くマリーに、ヴィットは首を捻った。
「奇襲攻撃は、相手が慌てて怪我するかもしれないし……堂々と行った方が……」
「確かにそうだね」
何だか嬉しくて、ヴィットは笑顔になった。
「でも、飛ぶのに慣れたんだね、ヴィット」
普通に答えるヴィットに、マリーの声も嬉しそうだった。
「そんな訳、ないぁだろ~」
本当は今にも吐きそうなヴィットの顔は、既に青を通り越し白くなっていた。
「じゃ、そろそろ降りるね」
少し予定より早いが、マリーは山裾に着陸した。そのまま、索敵しながらヴィットに休息を与える。
「ふぃ~まいった~慣れるなんて無理ぃ~」
言葉とは裏腹に、ヴィットは笑顔だった。
「大丈夫? 回復した?」
「うん、飛行には慣れないけど、回復は早くなったみたい」
心配そうなマリーの声、ヴィットは元気に明るく言った。
「じゃ、行っていい?」
「行こう、マリー」
ヴィットの元気な返事と共に、マリーは発進した。マリーは登山道の様な小道を、物凄い速度で走る。当然、ヴィットが操縦しているが、崖やギャップ、路面の悪い場所などは事前に的確にナビしていた。
そのおかげで、ヴィットは操縦に集中出来た。
「この丘を越えれば……」
マリーは丘を越えた瞬間、最大望遠で敵の様子を見て言葉を失った。
「どうしたんだ?」
「敵戦車……殆どが装甲の薄い自走砲……他も巡航戦車……脚は速いけど、装甲は薄い」
マリーは、少し声のトーンを落として言った。
「どうする?」
「そうね、自走砲は履帯を狙えば装甲の薄い転輪のスレーム部分まで壊れそう」
「なら、直接砲身を狙うしかないね」
ヴィットの明るい声は、マリーを勇気付ける。
「そうだね」
「巡航戦車は、正面や後ろから履帯を狙おう」
更にヴィットは笑顔で言って、マリーも思わず吹き出す。
「簡単に言わないでよ」
「最強戦車なんだろ?」
「そうね、ワタシは最強戦車だもん。そんなの朝飯前だよ」
ヴィットの軽口が、更にマリーの勇気と元気を増大させた。
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「やはり来ましたね」
「ああ、奴らが勝つ為には奇襲しかない」
戦車隊の待機場所付近の森の中に身を隠し、ラヴィネンコは怪しく笑った。当然、味方にも存在を隠し、独自の作戦を遂行していた。
「仕掛けますか?」
「まだだ……狙うのは、奴らが攻撃に入ってからだ。奴らが勝利を確信した時、最大の隙が生まれる」
ラヴィネンコは鋭い視線のまま、口元だけで笑った。
「味方は捨て駒、いえ、囮ですか?」
「違うな……見方も”道具”だ……我々が勝利する為のな」
薄笑みを浮かべるラヴィネンコの顔は、ゾッとする程に怪しく笑っていた。




