存在
港が近付くにつれ、ヴィットの不安は増大していった。作戦を考えようにも、次々に溢れる不確定要素が混乱を深くするだけだった。
「ヴィットよ、どうした?」
飛行甲板の隅で俯くヴィットに、オットーが穏やかに声を掛けた。
「分からないんだ……どうしていいか」
「当然じゃ。なんせ、羊が狼の群れに挑むみたいなもんじゃからな」
オットーは平然と言うが、ヴィットは声を落とすしか出来なかった。
「そうだね……皆を危険に巻き込んだし……」
「じゃが、戦い方はある」
「えっ?」
俯くヴィットの横で、オットーは胸を張った。
「ヴィットよ、少数で大勢に勝つには地の利を生かしての待ち伏せじゃ」
「うん……でも、地図を見たけど分からないんだ」
「当然じゃ。お前さんに土地勘はないからのぅ。地図を見せるのじゃ」
笑顔のオットーの言葉に、ヴィットは慌てて地図を広げた。その地図を見るなり、オットーは豪快に笑った。
「それはただの”地図”じゃ。旅行に行く訳じゃないぞ、戦いにはコレじゃ」
そう言うと、オットーは古くて汚い”地図”を広げる。
「何? これ……」
「これは”地形図”じゃ。土地の高低(標高)を平面図上に等高線を用いて表すとともに、海岸線、川、崖など狭義の地形を表す地図じゃ。普通の地図では土地の起伏は分からんが、地形図には細かく表示される」
「起伏……」
呟いたヴィットの脳裏に、地形図が3Dで浮かんだ。
「そうじゃ、起伏や泥濘地、川や砂地、全て戦車にとって大敵じゃ。裏を返せば、即ち武器となる」
「そうか、それが待ち伏せの武器なんだ」
理解したヴィットの胸には、不安に代わり希望が湧き出す。
「見よ、この二か所は平原じゃが、片方は起伏の激しい丘陵地帯じゃ。待ち伏せとは、守り易く、しかも攻め易い場所が最適なのじゃ」
「そうか、地形図なら全て分かるんだね」
顔を上げたヴィットの顔色に覇気が戻った。
「さて、お前さんならどの場所じゃ? 因みに、この線と線との間隔が狭ければ険しく、広ければ平坦と言う事じゃ」
「そうだな……ん? このマーク何? リンゴみたいなの……」
「それは果樹園のマークじゃ」
「そうか……ここは高低差があって、守り易いけどダメだね」
「何故じゃ?」
「だって、果樹園は村の人たちの生活を壊すよ。戦場にはしたくないんだ」
「うむ。待ち伏せの場所に攻め易さは忘れてよいぞ、なんせ攻撃主力はマリーちゃんだからのぅ……」
ヴィットの言葉に、オットーも嬉しそうに頷いた。
「それなら、ココ。この場所なら、補給基地のTDを守るのには最適みたい」
「合格じゃ……よいか、TDはワシ等が守る。後ろは気にする必要はない、存分に戦うのじゃ」
「うん、頑張る!」
今までのモヤモヤした気分は水平線の向こうに投げ、ヴィットは元気よく頷いた。
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「マリー、あのね……」
「どうしたのリンジー?」
格納庫のマリーは湯気を立てていたが、リンジーの様子に輝度を抑えた。
「大丈夫?」
「心配かけてごめんなさい……でも、誰も傷付けさせないから」
車体を震わせ、マリーが呟いた。
「心配してないよ……マリーは最強戦車だもんね……」
リンジーはタチアナに聞いた事をマリーに打ち明けようかと迷ったが、ヴィット自身を狙う部隊の存在を考え、思い止まった。やはり、マリーには集中して欲しいと思ったから。
「TDに秘密兵器を作ってもらってるの」
興奮気味にマリーは言った。
「間に合うの?」
「ええ、TDなら大丈夫よ。畑違いだって、困ってたけど」
「対、スターリ6用なの?」
「うん……人を狙うなんて絶対許さないんだから」
また車体を震わせ、マリーが呟いた。
「マリー……ヴィットをお願い」
「……うん」
リンジーもまた声を震わせるが、マリーは優しい声で言った。
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「艦長、空母相手なんて久しぶりですね」
「ああ、機動部隊じゃない単独の空母だが、護衛の駆逐艦はいるだろうな」
嬉しそうな顔の副長に、ヴォルクガングも笑みを返した。
「艦長! 空母の他に二軸推進の水上艦が左右に一隻ずつです」
聴音員の連絡に、ヴォルクガングは直ぐに指示を出す。
「魚雷戦用意、空母の後方に回り込む! 両舷第二船速!」
「もう一隻はどうします?」
副長の問いに、ヴォルクガングは口元だけで笑った。
「大佐の獲物を盗る訳にはいかないからな。さて、信管は抜け! 航跡に紛れてお見舞いしろ!」
「発射位置につきました!」
「浮上! 潜望鏡深度へ! 魚雷発射後、全速で空母の直下へ!」
ヴォルクガングの指示に、副長はニヤリと笑った。
「なるほど、駆逐艦とは交戦しなくていいですからね」
「ああ、駆逐艦はマリーの脅威にはならないからな」
ヴォルクガングは普通にマリーと呼んだ。副官は少し苦笑いしながら、脳裏のマリーを思い出した。
「未知の新兵器ですが……マリーと言う優しい名前が……」
「何だ?」
振り返るヴォルクガングに、副長は小さく溜息をついた。
「そうですね……交戦中の今でさえ、穏やかな気持ちにしてくれます」
「……不思議な感じだ」
呟いたヴォルクガングが艦内を見回すと、他の乗員の表情も穏やかだった。
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「あの暗号、信用していいのか?」
「ああ、装置も乱数表も使わないタイプの暗号だ……あれは、我が軍の最前線で使われていたモノだ」
表情を変えないヨハンが視線を向けると、ゲルンハルトは真剣な顔を向けた。格納庫の片隅で、シュワルツティーガーのクルーが集合していた。
「奴は、逃げた味方の戦車兵も撃ったそうだ……」
「その中には少年兵や、女の兵もいたそうだ……」
ハンスが呟き、イワンは声を押し殺した。
「敵にも、”元”味方がいるのかもしれないな……とにかく、戦車兵にとって奴らは最悪の”敵”だ」
ヨハンに言われた疑問を、ゲルンハルトなりに分析した。
「なあ、マリー、物凄く怒ってるぜ」
急に表情を崩したイワンだったが、ハンスも釣られて笑った。
「全く……ヴィットの事になると……」
ハンスの脳裏には、ヴィットを助けに行く為に修理の途中で飛び出したマリーの姿が浮かび上がった。
「俺も、怒ってる……」
ふいに見た事もない怒った表情で、ヨハンが呟いた。
「狙いはヴィットだ……」
ゲルンハルトの表情も険しくなった。
「それに、リンジーやチィコも危ない……」
ハンスも急に顔色が変わる。
「イザとなったら、止めるなよ……」
「ああ……」
鋭い視線のイワンに向かい、ゲルンハルトも強い視線のまま頷いた。




