水上滑走
「どうしたんだよ、マリー?」
飛び立とうとしないマリーに、ヴィットが首を傾げた。
「艦長さん、お願いがあるんですけど」
マリーは少しの沈黙の後、ハイデマンに通信を送った。
『今度は何だ?』
「あの救命ボートを貸して下さい」
呆れ声のハイデマンに、マリーは艦橋の横にある9mカッターを指した。
『あれに動力はないぞ、また漕ぐのか?』
マリーが舟艇を漕いだ事を思い出して、ハイデマンは溜息を付いた。
「マリー……」
ヴィットは直ぐに察した。ヴィットの体に負担の掛かる飛行を、マリーは出来るだけしたくないのだと。
「今度は漕ぎません。TDに細工をしてもらって、ロケット噴射で行きます」
「待てよマリー。確かに9mカッターなら君の横幅ギリギリで、乗れるとは思うが超トップヘビーで海に降りた途端に転覆だよ」
立ち上がったTDは、直ぐに転覆を予感した。
「大丈夫、水上スキーの要領で行くから。船の後方にロケット噴射避けの板を付けてね」
「簡単に言うなよ……で、どうやって後方に噴射するんだ?」
「こうやって」
呆れ声のTDに、マリーは後輪二つを90度に曲げて見せた。六輪操舵システムは、全ての車輪を90度以上に向ける事が出来たのだった。
「曲がる時はどうするの?」
確かにそうすれば後方噴射は可能そうだが、舵を使わず曲がれるのかとTDは不安に思った。左右の噴射を変えても、急旋回は無理だと……。
「自転車の要領だよ。車体を傾けて曲がるから」
マリーは油圧機構で、車体を傾けて見せた。
「確かに、それなら……」
納得はしたが、TDはヴィットを見た。
「俺に異議はないよ」
ヴィットの笑顔が全てを物語っていた。大きく息を吐いたTDは、倉庫の奥の資材ヤードに走って行った。
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「超小型の砲艦だな」
「確かに見た目はビンボー臭いが、戦闘力は高速戦艦並だ」
「考えたな……マリーの水上速度は唯一の弱点だったが、これで死角はなくなった」
完成したマリー号? を見て、ゲルンハルトを先頭にイワンやハンスも感心するが、ヨハンだけは違った。
「マリーは、そんな事考えちゃいないさ」
「何を考えてるんだ?」
不思議そうに顔を向けたイワンに、ヨハンはボソっと言った。
「ヴィットの身体の事だけさ」
「多分、そうだな……」
ゲルンハルトも、きっとそうだと思って笑顔になった。
「あら、皆知らなかったの?」
「そうやで、マリーはヴィットの事が大好きなんや。ほんでな、ウチ等の事も大好きなんやで」
腕組みしたリンジーが笑顔で言うと、チィコは鼻息も荒く胸を張った。
「さあ、お主達も支度じゃ。艦橋側の右舷はゲルンハルトと、お嬢ちゃん達。左舷はワシ等と、その他大勢じゃ」
「何や? どないするん?」
オットーが何時になく真剣な顔で言うと、チィコは首を傾げた。
「敵は軽巡を筆頭とした水雷戦隊じゃ。当然、魚雷で攻撃してくるのじゃ、ワシ等は両舷に別れ魚雷の迎撃じゃ」
「当たるんかいな……」
「大丈夫。イワンは、おバカだけど射撃は一流よ。お爺ちゃん達も腕は確か、それにほら……」
「おバカって……」
イワンが苦笑いする。
リンジーが指差す方向には、乗組員達が手に手に小銃や機関銃を構え、甲板上は大変な賑わいだった。
「あれだけ居りゃ、一発ぐらい当たるわなぁ……」
他人事みたいに言うイワンだったが、突然チィコが叫んだ。
「あっ、マリーが出るで!」
そんな中、マリーが後部のウェルドックから発進した。それはまるで、水上滑走艇のようだった。
「時間がないんで水中翼は付けられなかったけど、船底は出来るだけ平らに形成した……多分、100ノット以上出るだろうね」
「100ノットだって?……飛ぶのと、そう変わらないな」
汗を拭きながらTDは説明するが、腕組みのゲルンハルトが苦笑いした。だが、チィコにはよく分からない様でポカンとしていた。
「100ノットは約180km/hだよ。サルテンバの最高速の二倍以上」
「そうなん……」
リンジーの説明もチィコは関心が無いようだった。
「何だ? あんまり驚いてないな」
「そうやなぁ……でもな、マリーはどんな姿になってもマリーなんや」
不思議そうに顔を覗き込むイワンに、チィコは笑顔を向けた。
「そうだね……」
リンジーもチィコの言葉に頷いた。
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「何だ? メチャメチャ速いぞ」
「TDが船底を平らにしてくれたから、スピードが出るよ」
「でもな! ぐぇっ!」
だが、次の瞬間小さな波を受けマリーは大空にジャンプ! そのまま海面に荒っぽく着水した。その衝撃は凄まじく、ヴィットはシートベルトの食い込みで”リバース”しそうになった。
波が立たない湖面ならイザ知らず、海面は大小の波のオンパレード。水上滑走艇が海で運用出来ない理由はそこにあった。確かに超高速は戦闘艦としては最大の魅力だが、大ジャンプを繰り返していては船体も乗員もモタナイのだった。
「大丈夫?!」
「何か、飛んでるのと、あんまし変わらん気が……どごえっ!」
息つく暇もなく、マリーはジャンプを繰り返した。
「ヴィット! スピード落とす?!」
「うんにゃ、このままだ……一つ聞くけど、ロケット噴射は二基だけだから長持ちするよね……噴射剤」
「うん……三倍くらいは……」
「さよか……」
ヴィットはマリーの返答に青くなった。
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「せっかく飛ぶ為の燃料を手に入れたのに、何でボートな訳?」
腕組みしたタチアナは、海上を滑走して行くマリーの姿に溜息を漏らした。
「さあ……でも、マリーの要望ですから」
「要望って……マリーって、ただの戦車でしょ?」
苦笑いするハイデマンに、タチアナは顔を顰めた。
「確かに”ただの戦車”です……ですが、私も直接話しをして気付いたんですが、何故か機械とは思えなくて……」
タチアナだって、マリーと話した。だが、感覚はマリーに乗ってる”誰か”と話した感覚だった。
「そうね……」
「違和感、ですか?」
「ええ、確かに変な感じ……」
「彼らは、そう思ってない様ですね」
目を伏せるタチアナだったが、ハイデマンは艦橋の窓から忙しく動き回るリンジーやゲルンハルト達を見た。
「機械よ……喋るだけの……」
そんな光景はタチアナの嫉妬に近い感覚をもたらせ、口元から言葉が零れた。ハイデマンも、それ以上は何も言わず手を後ろで組んで窓か水平線を眺めた。
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「軽巡三、駆逐艦八、フリゲート及び水雷艇十二です、今回の戦力は」
「少ないな……噴射剤は手に入れたんだろ?」
「はい。推定ですが、かなりの量です」
椅子に凭れた指揮官は、副官の報告に片肘を付いた。
「軽空母を向かわせろ」
「我々から戦力は出さないのでは?」
「正確なデータが欲しいからな。攻撃とデータ収集は完全に切り離せ、とにかくデータ収集を徹底させるんだ。編成は任せる」
「3隊の攻撃隊のうち1隊はデータ収集に特化させます。護衛の戦闘機隊も、1隊をデータ収集隊の専属護衛とします」
「それでいい。とにかく、噴射剤を消費させてデータを集めろ」
「了解しました……所で、私達も出ますか? 潜水艇は修理が完了してますが」
薄笑みを浮かべ具申する副官に、視線を向けた指揮官は妖しく笑った。
「やはり、私も戦車乗りだ……狭い空間は好きだが、海の中は勝手が違う……やはり、砂と埃が戦車には似合う」
「そう思います……私も」
頷く副官も怪しい笑みを浮かべた。




