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そして赤く染まり行く  作者: 藍染三月
第一章 エトワール編
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第五話 くらいくらい森の中は

「むー……」


 不服そうな顔。それから分かるように、エトワールは現状に不満がたっぷりなのだ。


 彼女は今、森の中でただ突っ立っていた。銀の視線がじっと射抜くのはヘイルの背。


「よし、と」


 ヘイルはそんな彼女に目も向けず、ナイフが突き刺さって倒れるうさぎを持ち上げる。


「今日は運がいいみたいでよかったよ。もう四匹目。君のナイフ代も稼げたし」


「いいのですか? 私は何もしていないのに。だから私、自分でやってみせますって言ったじゃないですか」


「何度も躊躇った挙句出鱈目にナイフを投げてなくしたのは誰だっけ?」


 う、と言葉に詰まる。ヘイルの言うとおり、彼の見よう見まねで見つけたうさぎになんとかナイフを投げるも全く的外れな方向へ飛ばしてしまったのだ。彼が持ってきた、まだ生きているうさぎの息の根を止めることすらできなかった。


 ナイシア族ゆえに、仕方がないことだろう。目の前のうさぎは、エトワールにやめてくれと懇願したのだから。


 彼女が今不服そうなのは、自分の欲しいもののための金も稼げない自分に対する不満が膨らんでいるからである。


「……それにしても、こんなにうさぎさんが沢山いるのに、たった一匹で二十フェルスももらえるのですね」


「いやいや、昨日も一昨日も全然いなかったよね? いつもはもっと少なくて、一日に一匹でも狩れればいい方なんだよ。……このうさぎ達、危険を察知したらその場から離れる習性を持ってる種類だから、元々居た場所でなにかあったのかもね」


 服に血がつくことも構わず、ヘイルはうさぎを二匹抱えた。エトワールに送った視線を残った二匹の方へ移し、彼女にも持つよう促す。


「……あ、わかりました」


 エトワールがうさぎを抱えたのを確認すると、彼は足を進め始める。


「これを宿屋に持って行って、食器屋で果物ナイフを買えば君ともお別れだね」


 彼と過ごしたのはたったの四日だ。だとしてもエトワールが感じているのは、寂しいという感情だった。


 街に戻って、宿屋に行って、ヘイルが店主と話をしていた。その間、エトワールは葛藤する。もう少しだけ、彼といたいと思っていたのだ。


「四匹も捕まえたのか。今日は珍しいな」


「運が良かったんだ。アグニおじさん、お金」


「はいよ」


 八十枚の貨幣が入った袋を受け取り、ヘイルはエトワールの手を引いて歩き出す。宿屋から少し歩いたところにある、食器屋に足を踏み入れた。


 並べられている食器を一つ一つ見て行って、果物ナイフを見つけたヘイルはそれを手に取る。


「……」


「――エト」


 まるで抜け殻のようにぼうっとしたままヘイルの後を着いていっていると、彼がエトワールに桃色の布を差し出した。


「え……なんですか? これ」


「なにって、果物ナイフだよ。そのまま持ってたら危ないかと思って、布で包んだだけじゃないか。……もしかして桃色は嫌いだった?」


「いえ、そんなことは……」


 言われてようやくそれをじっとみる。布を取ってみると、確かにそれはエトワールの手に丁度いいサイズのナイフだった。


「じゃあ」


 歩く手を上げてエトワールの前から立ち去ろうとするヘイル。けれど、その彼の袖をエトワールが引っ張った。


「えっ、と……」


「それとも、昼食を食べていくかい?」


 彼女の胸中を察してか、ヘイルは柔らかい微笑みを浮かべた。彼女が出した答えはもちろん、満面の笑み。


「はいっ!」


 本当に嬉しそうに、エトワールはヘイルの手にしがみつく。一瞬戸惑ったヘイルだが、苦笑を浮かべた。


 二人の後姿はまるで仲のいい兄妹のようだった。はしゃぐ妹と彼女を安心させるように笑う兄。もしそう勘違いされても、ヘイルは悪い気がしなかった。


「エトは、さ」


「はい?」


「……お父さんとお母さん、どうしたの?」


「それを言うならヘイルさんもです」


 返されたヘイルは、驚くでもなく戸惑うでもなく、平然としていた。まるでその質問を待っていたかのように、表情一つ変えずにしゃべりだす。


「いないよ。僕には、両親なんていない」


 さらっと、彼は悲しいことを言う。そんな彼の目は、ただ前の景色を映すだけだ。そこから感情をうかがうことは出来なかった。


「亡くなってしまったのですか……?」


 昨日の夜のことから、それは予想がついていた。ただ、それでも、悲しいと思わずにはいられない。


「そうだね。馬鹿みたいに森へピクニックをしに行って、銀狼に食われた」


「え――」


「本当に馬鹿だよね。幼い僕も、両親も。銀狼が出ることぐらい分かってただろうに。ピクニックだなんて馬鹿馬鹿しい」


 そっと、エトワールはヘイルから離れた。明るく言っている彼のことが、少しだけ、怖く感じた。


 彼が言っているのは当たり前であるはずの家族での休日のことだ。それを彼は嘲笑う。馬鹿にするように、そして過去の自分を蔑むように。


 彼の言葉は、エトワールの心を壊していくようだった。少しずつ、小さな傷をつけられていくような感覚に、エトワールは胸を押さえる。


「……君を見てるとさ、また『家族』ってものを手に入れた気分になるんだよね」


「ヘイル、さん……」


「一人には慣れたはずだったのに……どうしてかな」


「……」


 横を歩く彼が、悲しげな顔を浮かべているのは声だけで分かった。顔を見ることが出来なくても、微かに声は震えている。


 何か、言おうとした。彼を慰めるための言葉を、何かかけようとした。けれどその前に、彼は明るく言った。


「ごめん。なんでもない……気にしないでほしい」


 まただ。こうやって彼は、明るく気丈に振る舞って誤魔化す。


「でも、ヘイルさ――」


「君には家族がいるんだろう?」


 不意に足を止め、ヘイルは自分より背の低いエトワールを見下ろす。その蒼い瞳は、空というよりも暗い海のようだった。真っ直ぐエトワールを映すその色は、どこか寂しげに語りかける。


「エト、覚えておいて。大切なものは、失ってから気付くんだ」


「失ってから……」


 エトワールの脳裏に浮かんだのは、二匹の銀狼。


 ヘイルは続けた。かがんで、エトワールのナイフを握っている手を両手で包み込む。


「それともう一つ。刃は、誰かを傷つけるためだけのものであってはいけない。振るうなら、誰かを守るために、そして自分が生きるために振るうべきだ」


 彼の視線を見つめることが出来なくなって、エトワールは自分の足元をじっと見た。


 自分が刃を振るおうとしている理由は、彼の言葉に反しているだろう。誰かを守るためなどではなく、そして自分が生きるためでもなく、ただ憎しみのためだけにこのナイフを振るおうとしている。


 彼はエトワールから手を離すと、エトワールの頭を優しく撫でた。


「……僕は、何も守れなかったけどね」


 エトワールに何かを言わせる間もなく、彼はエトワールの手を引く。


「さ、昼食の時間だ」


 少し歩いて家につくと、ヘイルは扉を開けてエトワールに入るよう促す。中に入ってすぐ、エトワールは椅子に腰掛けた。


「手伝うつもりはないんだね」


「へ?」


「いいや、なんでもない」


 以前と同じように、元々火にかけられている鍋に近付いていく。そこに少し水と野菜を足して、混ぜ始める。


「……私、お母様はいないんです。体が弱かったようで……私を産んで亡くなられました」


「え?」


 突然の身の上話。けれど彼女がそれを話し出した理由は少し考えて分かった。ヘイルが先ほど両親はどうしたのかと聞いたのだ。


「お父様はお母様の代わりに、私に料理とか洗濯とか教えてくれました。でも、家に帰ってもお父様はいないんです。仕事で、当分は帰ってこられないそうなんです」


「そこで待ってればよかったんじゃ……? なんで一人で旅なんか」


 ヘイルとしては、あまり納得していない。世間知らずな少女が、たった一人で旅をしているなど、危ないにも程がある。


「旅をしているわけではありませんよ。ただ……しなければ気が済まないことがあるんです」


 二匹の銀狼を思い出してか、エトワールの銀の瞳に涙が浮かべられる。しかしすぐにそれを拭って、ぐっと手を握り締めて見せた。


「だから私、頑張ります!」


「……エト、昼食を食べたら夜食のために狩りに出るけど、着いてくる?」


 すぐに「はいっ」と返事をしようとして、止まる。


 着いていっても、エトワールには何も手伝えることがない。ただ立っているだけでいいのだろうか、としばし思案した。


「ヘイルさんがいいというなら、同行させていただきます」


「よし。じゃあ決まりだ」


 こつ、と置かれる食器。スープの中に細かく切られたパンが浮かんでいた。


「さ、食べよう」


「いただきますっ!」


 スプーンいっぱいのスープを大きな口で受け止める。表情を綻ばせたエトワールは、無言のまま食べ進めた。ヘイルの二倍ほどの速度で彼女の器からスープがなくなっていく。


「ごちそうさまでした! ほんと、ヘイルさんのスープはおいしいです……!」


「それはどうも。……君、早食い競争とかしたら負けなさそうだね」


 言うだけ言ってヘイルの言葉は聞いていないようで、懐から取り出した桃色の布をうっとりするように眺めている。


 満足そうなエトワールをみて、ヘイルはほっとしたように微笑を湛えた。スープを飲み終えバスケットから取り出したパンで器を拭い、それを口に放り込むと椅子から立ち上がる。


「……少し暗くなってきてて危ないから、一応そのナイフを持っておくといいよ」


「あ、はい。ヘイルさんがくれたのですから、もう手放しませんっ」


 花がぽんっと咲くように、エトワールは笑った。


 嬉しさと恥ずかしさが混ざり合って、頭を掻くヘイル。


「持ってても使えなきゃ意味ないけど」


「余計なお世話というやつです!」


「じゃあ行こう。日が沈む前には狩りを終わらせたいからね」


 ヘイルに続いて、もう見慣れ始めている整備された道を歩く。


 同じ街にあのファラキルスもいるはずだが、すれ違うことがないのはこの街が広いからだろうか。彼のことを考えて、エトワールは少し警戒心を強め、進んでいく街の中をきょろきょろと見回していく。


「そういえばエトってさ」


「っほえ!?」


 唐突に話を振られ、何故か果物ナイフを両手で握り締めるエトワール。


「……なにさ」


「なっ、何はこちらの台詞です!」


「いや、ナイフを向けられているこっちの台詞だと思うけど」


 びっくりしたじゃないですか、とぐちぐち言いながらエトワールは果物ナイフを桃色の布でくるむ。


「で、なんでしょう?」


「たいした用ではないよ。ただ……銀色の瞳って初めて見たなあって思って」


 どきっとした。


 銀の瞳は、ナイシア族特有のものだ。ヘイルはそれを知らないようで、ただ純粋に綺麗だと思っているのか普段どおりの微笑。


 国で見つけ次第捕まえろと言われているナイシア族だと気付かれたなら……そう考えただけで、嫌な汗が流れる。


「そ、……そうですか?」


「うん。月みたいで綺麗だね」


 言われて、ヘイルは月が好きだと言っていたことを思い出す。この瞳を気に入ってもらえたと思うと、嬉しかった。


 続いていた石壁がようやく終わり、周囲に自然が広がる。今足が踏んでいるのは、今までの敷き詰められていた石ではなく草と土だ。


「……いないなあ」


「いませんね……」


 薄暗い森の中を歩んで行くが、標的のうさぎは見当たらない。


 昼食前に来たときよりも森の中をどんどん進んでいって、ようやく二人以外の足音を聞くことが出来た。


「!」


 白い動物。けれどそれはうさぎではない。


 それに、白でもないのかもしれない。手入れをされていない毛並みは、良く見れば銀色だった。


「な……」


「銀狼?」


 うさぎを見つけたら投げるつもりで持っていたヘイルのナイフが、震えていた。


 エトワールは動揺もせず、鋭い視線でこちらをうかがう銀狼に一歩近付こうとして、思い切りヘイルに引っ張られた。


「ッ馬鹿、食われたいのか!?」


「そっ、そんなつもりは――」


「くっそ、僕も馬鹿だな!」


 あの街の周辺なら、屠殺部隊が巡回しているため銀狼と遭遇することは滅多にない。今ここに銀狼がいることと、屠殺部隊がいないことは自分達が遠くまで歩きすぎたことを物語っていた。


「エト、逃げよう!」


「えっ――」


 エトワールの手を引いて銀狼から離れようとしたヘイルだが、その行為よりも早く銀狼は近付いていた。


 ヘイルの蒼の瞳が、驚愕と恐怖で見開かれる。


「――っ!」


 エトワールを庇うように前に出た直後、銀狼はそのヘイルに飛び掛った。倒れたヘイルの首に、思い切り噛み付こうとする。


「やめてください!!」


「エト、逃げ――」


 エトワールの制止の声など意味もなく、ひどく残酷な音が響いたように感じた。ヘイルの言葉の先は続けられなかった。


 エトワールは、ただ震える手を強く握って、大きくした銀の瞳でその光景を映していた。


 見慣れた、銀狼が動物を食らう様。ジークフリートやクリームヒルトが鳥などを食らっていたときには、こんな感情を抱かなかったのに。


 さっきまで笑って、一緒に御飯を食べていた彼は、もう血塗れのぐちゃぐちゃな肉塊だ。


「ヘイル、さ……ん……」


 呼んでも答える声はない。エトワールの呟きだけが悲しく響いて、消えていく。


「もう……もうっ、やめてください!!」


 銀狼へと叫んだ。すると銀狼は意外にも振り返った。


 血に塗れた口を開いて、エトワールに語りかけてくる。


『お前達人間も、生きるために動物を食うだろう?』


「――それ、は……!」


『ほう、言葉が分かるのか。……安心しろ。お前もすぐに送ってやる』


 銀狼の瞳は、優しくエトワールに向けられる。


 しかし不意に鋭く細められた双眸は、獲物を見る目だ。


「ま、待ってください……!」


『いや待たんさ』


 向かってくる銀狼を見ながら、エトワールは震えながら果物ナイフを握り締めた。

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