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そして赤く染まり行く  作者: 藍染三月
第一章 エトワール編
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第二話 あおいあおい瞳の奥で

 まじまじと見ると、綺麗な街だ。


 朝にこの街に来たときはファラキルスに対する怒りが溢れていたため、ちゃんと景色をみていなかった。


 白くて綺麗な石壁に囲まれていて、地面にも平らな石が敷き詰められている。建っている建物も白いが、屋根だけは一軒ごとに異なっていてカラフルだった。


 エトワールの住んでいた場所は植物しかなかったため、こういった景色は珍しい。家も木で作られているのが当たり前だ。木ではないもので作られている建物は、初めて目にする。


 そして、この街は広い。あの屠殺部隊の建物から大分歩いたが、まだ街の入り口にもつかない。


「……これは……」


 周囲を観察しながら、エトワールはくんくんと、まるで動物のように鼻を動かして匂いを嗅ぐ。先ほどまで硬かった表情が、年相応に綻んでいく。


「おいしそうな、においがします……!」


 匂いをかいだだけで何も口にしていないのに、幸せそうな顔の頬を両手で押さえる。そんなエトワールの腹が、雷のような音を鳴らす。


「……これは、我慢できるものではありません。いただきに行きましょう!」


 まるで誰かと話しているみたいに、普通の声のボリュームで喋る。辺りはもう暗く、通行人が少ないのが幸いだ。もし誰かに見られたなら、変な目で見られて恥ずかしい思いをしたことだろう。


 行くと決めたら迷いも遠慮もなく、エトワールは良い香りを犬のように辿って、着いた建物の扉を盛大に開けた。


「こんばんはです! おいしそうな香りの食べ物をいただきに参上しました!」


「…………は?」


 建物の中にいた青年が、驚いたというよりも理解出来ないといったような表情を浮かべてエトワールを凝視していた。けれどその手は天井付近から吊るされた鍋の中身を混ぜている。


「君、非常識過ぎない? どこの子?」


「森の奥の子ですっ」


 何故か胸を張って言うエトワールに、ようやく青年が鍋を放置して近付いてくる。しゃがんだ背の高い彼はエトワールと同じ目線の位置になった。


「……悪いんだけど、ここは店屋じゃない。宿屋にでも行けば食べ物も寝る所ももらえるよ。だからそうした方が良い」


「宿屋……良く分かりませんが、分かりました。その宿屋という所にいけばいいのですね」


 少し残念そうに小さな息を落としてから、青年に背を向ける。出て行こうとしたが、青年に引き止められた。


「君、お金は持ってる?」


「おかね……? そんなものは知りませんよ?」


 可愛らしく首を傾げて見せたエトワールに、青年は呆れる。


 突然家に入って来た上に食べ物をくれといい、宿屋を勧めても金など無いらしいこの少女は、青年から見れば面倒くさい世間知らずだ。


 青年は仕方なさそうに、エトワールの手を引いた。


「……座って。もう少ししたら食事の用意が出来るから」


「へ? でも、私は宿屋に」


「お金が無い君に貸してもらえる部屋も食べさせてくれる食べ物も無い。行ってもすぐ追い返されるだけだろうね」


 木で作られた椅子に座らされ、エトワールは顎に手を当てる。青年は元いた鍋の前に戻って長い棒を手に取った。


「ふむ……ここは綺麗ですけど面倒くさい所なのですね。昔居た村は近所の人が色々おいしいものをくれたのですけど……」


「自給自足が出来ている家ばかりじゃないんだ。金を稼がないと食べものを手に入れられない人が多くいる。……そろそろいいかな」


 陶製の器に杓子で鍋の中身をすくって入れる。おいしそうなスープには、一口サイズに切られた肉と野菜が入っていた。


 青年はテーブルのエトワール側に、そのスープの器とパンの入ったバスケット、そしてスプーンを置いた。


「僕は金持ちじゃないんでね。悪いけどパンとスープしか出せないよ」


「ありがとうございます。いただきますっ」


 ぱんっと両手をあわせたエトワールに、青年は不思議そうな顔をする。


「何の儀式?」


「はい?」


 当然、エトワールには彼が何について言っているのか分からない。儀式、と言われるようなことをした覚えはないため、眉を寄せて考えるしか出来なかった。


 そんなエトワールの心境を察したように、青年が主語を付け足す。


「今の、両手合わせるやつ」


「ああ、これですか? いただきます、ですよ!」


「いただきます……?」


 バスケットからパンを取り出して千切り、エトワールはそれをスープに浸す。汁のしたたるパンを一口で頬張った。


「わあ……すっごくおいしいです!!」


「それはどうも」


 青年はスプーンでスープをすくって一口。自分の作ったものに美味しいと言う言葉は出さない。表情の変化も見せないまま飲み込んでいく。


「あのですねっ、お父様が言ってました!」


「何を?」


「食べ物は動物や植物という生き物だから、ちゃんといただきますって言わないと駄目なんです。食べさせてもらってる私達人間は、ちゃんと感謝しないとっ」


「……へえ。変わった子だな、君は」


 口元に小さな笑みを湛えた彼に、エトワールは少し納得がいかないかのような顔でスプーンをくわえた。


 彼に悪気はないということは勿論分かっているが、変わった子と言われるのはなぜか気に食わない。エトワールとしては、他の人と自分とで何が違うのかが理解できていなかった。


 しかし、口に広がるスープのおいしさで彼女の不機嫌はすぐさま吹き飛んだ。二口目だというのに、その反応は初めて口にした人間のもののようだった。


「ほんと、おいしいです――……あの、あなたのお名前はなんと言うのですか?」


「名前? そっか、名乗ってなかったか。僕はへイル。まあ、もう会うことはないだろうけどよろしく」


「エトワールです。これから数日間よろしくお願いしますね、ヘイルさん」


「――は……?」


 食べようとしたパンを思わずテーブルに落としてしまうヘイル。それほど、彼女の発言は彼の動揺を強く誘った。


「この街ではお金というものが必要なのですよね? 先ほども言ったとおり私、それを持っていないので、ヘイルさんのお手伝いをさせてもらいたいのです」


「いや、別に僕は困ってないし――」


「それに私、武器を手に入れたいのですが、どうせお金が必要になるのでしょう? ですので、お手伝いとお金稼ぎをさせて下さい!」


 ヘイルは一瞬、眉を寄せた。こんな少女が武器を求めるなど、彼としてあまり認められるものではない。


「武器ってなにさ?」


「えっと……包丁とか果物ナイフとかでいいんです。どうしても刃物が必要なんです」


 可愛らしい顔をして求めている物は年に不相応だ。


 森の奥から来たということといい、まだ十代前半と思われるのに保護者のいないことといい、正直何があったのかを問いたいくらいである。


 けれどそういった事情を気にせず聞くような性格ではないため、ヘイルは口を閉ざす。


「あの、どうすればお金を稼げますか?」


 聞いてくる童顔は、欲する刃物で誰かを傷つけるようには見えない。殺意など、全く感じられない。


 ヘイルは腕を組んだ。


「果物ナイフなら五十フェルスくらいで買えると思うよ。僕はいつも森で狩った動物を宿屋に持っていってお金やパンをもらってるんだけど……うさぎ一匹で二十フェルスはもらえるから、すぐに買えるんじゃないかな」


「……フェルスってなんです?」


「お金の単位のことだよ」


「うさぎさん一匹で二十……なら、うさぎさんは三匹もお亡くなりになってしまうのですね……」


 済まなそうに瞳を潤ませるエトワールへ、ヘイルが蒼の双眸を向けた。その目は、彼女を不思議そうに捉える。


「やっぱり君は変わっているよ。そのうさぎの肉を食べておきながら、今更可哀想に思うなんて」


「……だって、辛いじゃないですか。殺さないでと訴えられたら私……殺すことなんて出来ません」


「動物は喋らないんだ。そんな風に訴えることは無い」


 彼の物言いに反論しようとして、しかしエトワールは口を結んだ。


 動物の声が聞こえるのは、ナイシア族だけ。自分がナイシア族であることにヘイルが気付いたら、ジハードやファラキルスのいた場所へ連れて行かれるかもしれないと考えたのだ。


「……そう、ですね」


「食物連鎖は仕方がないことなんだよ」


 そう言ってスープを口に運ぶヘイル。


「……なら、なぜ銀狼は許されないのですか」


「え?」


「食物連鎖が仕方ないことなら……銀狼がしていることは、私達人間がしていることと変わらないじゃないですか……!」


 つい、感情的になってしまう。


 普通の少女として振る舞うには、銀狼を庇うようなことを言ってはいけないだろうに。それでもエトワールは堪えきれなかった。


「私達は特別だとでも言うつもりですか!?」


「……エト。動物は皆生きたいから他の動物を食べて生きるんだ。仲間を守りたいから、食物連鎖に抗うんだ。仕方がないこと、とは言ったけど……食べられる側は当然食物連鎖を受け入れやしない。どんな動物でもね。食べる側は動物を可哀想だとか思っても、割り切るんだ。生きるために」


「よく、分かりません」


「まあ、君もそのうち分かるさ。……それよりも」


 俯いていたエトワールの眼前に、いい香りのするパンが突きつけられる。銀色の瞳をまん丸にしていると、ヘイルが優しい笑みを浮かべる。


「そんな顔してたらせっかくの料理が不味くなる」


 胸のもやもやが取れないまま、エトワールは無理やり笑いを作って見せた。するとむっとしたような表情でヘイルが口にパンを押し当ててくる。


「無理に笑ってないで食べなよ。食べれば自然に笑えるだろ、エト」


「あの……」


 彼はパンを持ったまま視線だけで続きを促す。エトワールは笑ってはいないものの、先ほどまでの暗さは失くしていた。


「私、エトワールですよ?」


「だから『エト』だよ。五文字とか長くて面倒くさい。名前は二文字か三文字にしてほしい」


「……エト」


 パンでスープの入っていた食器を綺麗に拭いて、それを口に放り込んで立ち上がるヘイル。


 エトワールはというと、「エト、エト、エト……」とぶつぶつ呟いている。


「……あ。エト、部屋は二階の白い扉の部屋を使っていいから」


「はいっ、エト、使わせていただきます!」


 笑顔。もともと可愛らしい顔立ちのせいか、エトワールのそれはヘイルを戸惑わせた。


 彼女はまるで天国にでもいるかのように幸せそうな顔で最後の一口を頬張る。膨らんだ頬がリスを連想させ、ヘイルはくすっと笑った。


 エトワールは笑われたことに気付くことなく、満足げな顔で腹をさすってから両手を合わせ、


「ごちそうさまでしたっ」


 コツコツとブーツを鳴らして階段を上っていった。


「…………妹が出来たみたいだ」


 食器を布でくるんで、窓に立てかけた。


 その蒼い瞳は、嬉しそうに細められる。一瞬、悲しげに下を向いたその視線は目の前を見ていないようだった。

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