第二十三話 誰が為の神様
洞窟の奥に灼熱の湖があり、そこに神が棲んでいる。そして、魔素というもので幽霊に会わせてくれる。
エトワールから聞いた話に縋る気持ちで、カルトは早足で歩いていた。抜け出したことを気付かれる前に、セスやセロに見つかる前に、洞窟の奥を目指す。
所詮作り話かなにかだろうと内心で思いながらも、本当の話である可能性にかけてどんどん足を速めていく。幽霊でもなんでもいい。ただカルトは、彼に会って言えなかったことを全てぶつけたかった。
謝罪も、告白も、なにもかも。強がり続けた弱い心を、どこかに曝け出してしまいたかった。
あの日、ヘイルに関わらないでくれと言われて関わりを避けたカルトは、それでも彼のことが気になり毎日のように彼の姿を追いかけていた。声はかけず、遠くから眺めるだけ。いつ見ても彼は、誰にどんな目を向けられようが、陰口を言われようが、何も言わずに俯いて街を歩いていた。
そんな姿は、カルトを苛立たせるだけだった。嫌なら見なければいいということくらいカルトも分かっていたが、それでも街の中で彼を見かけるとつい目で追いかけてしまう。追いかけて、ヘイルらしさが無くなった彼を見て、悲しみと苛立ちが混ざったような感情が沸き立つ。
一方的に彼を見つめる日々が数日ほど流れ、カルトは彼に抱いた感情を隠しきれなくなった。感情を彼にぶつけなければ、ストレスでおかしくなりそうだったのだ。
早朝の宿屋でヘイルと目が合って逸らされた直後、カルトは彼に掴みかかっていた。カルトの手を振り払いもせず何も言わない彼に、抱え続けた言葉を吐き捨てた。
――ねえ、『いい子』って、なんなの? 自分を殺して生きて、他人の幸せばかり願うのが正しいことなの? あんたの人生って、誰のためのものなのよ。誰からもらったものなのよ。自分を馬鹿みたいに責めて下ばっかり見つめていつまでもうじうじして……馬っ鹿じゃないの――
奥へ奥へと向かいながら、カルトは自分が言ってしまった言葉を頭の中で思い出していた。固く結ばれていた唇に歯が立てられる。
――我侭を言うことも甘えることも、どうしてしちゃいけないの? どうしてあんたの中にはあんたが存在して無いの? あんたがあんたでいることをやめるなら、なんであんたは生きてるわけ?――
もう、思い返すのはやめよう。そう思いたくなるほど、カルトはこの日のことを後悔している。感情的になりすぎて、言うべきではないことばかり言ってしまったのだ。
ぎゅっと握り締めた拳が震える。過去の自分を罰するように、爪を手の平に食い込ませた。あの日のカルトは、あまりに子供だった。言葉の伝え方を、心の伝え方を、間違えていた。
自分が一番、ヘイルに対して申し訳なく思っている言葉。それを吐き出す己の姿が、瞼の裏に映される。悲鳴に近い叫び声で、暴言を重ねた己の姿。
――おばさんとおじさんじゃなくて、あんたが死ねばよかったのよ。生き残ったくせに死んだように生きてるくらいならとっとと死ねばいいのよ。自分の心を殺すくらいなら本当に死んじゃえばいいのに。あんたの言うとおりおばさん達が死んだのはあんたのせいよ。あんたが馬鹿で愚図だから、本当ならあんたが死ぬはずだったのに。でも、それでも自分の子供だから、おばさん達は屑みたいなあんたを守っちゃったのよ。こんな風に空っぽにしか生きられない木偶人形、銀狼の餌にしちゃえばよかったのに。優しいおばさん達が本当に可哀想。いつまでもそんな顔してるくらいなら、早くおばさん達を追いかければいいのよ――
嫌われても、仕方がないと思っていた。いや、嫌われないほうがおかしいと思っていた。けれどきっと、ヘイルは一度たりともカルトを嫌いになどならなかったのだろう。
あの後すぐにアグニに止められたカルトは、ヘイルから言い返される前に宿屋を追い出された。それから変わらず避けられる日々。気まずくて、カルトは目を合わせないようにと彼を凝視することをやめた。
彼に嫌われたと考えるたびに、時間を巻き戻したいと何度も思った。自分の発言がどれほど酷く汚い言葉だったか、冷静になって嫌というほど理解できた。彼との関係が本当に途切れてしまうのが嫌で、落ち着いた頃に自分から接しようと何度も試みた。謝る勇気は、エトワールに会うまで出なかったが。
「……」
今の時間が恐らく夜だからか、外出している人は見かけない。見つかったらどうしようと、手の平に汗をかきながら周りを見渡しつつ奥へ奥へと進む。
足早に進んでいくと、道を阻むようにロープが張られていた。一瞬足を止めて悩むが、この先に自分の求めているものがあるのだと確信してそのロープを飛び越えた。もちろん、人が通らないようにロープが張られているということくらい分かっている。
靴音を聞きながら、ゆるやかな坂を下っていく。道の先は幽かに明るかった。
自分の手が少しだけ震えていることに気が付いて、カルトは震えを紛らわすように手を握り締める。このまま進んでいくことに怯えている自分がいるのだと分かると、途端に弱気になっていく。
俯いて、自分のつま先を睨み付けた。先へ行きたいのに、足はカルトに反発するみたく歩を遅める。
(…………なにに怯えているのよ……馬鹿みたい)
神様は優しくない。それはきっと、一人の人間だけに優しくするわけにはいかないから。だから、幽霊を見せてくれない可能性の方が高い。そう、カルトは思っていた。
だというのにこの道の先に恐怖を感じるのは何故なのか。カルト自身、それがまったく分からなかった。
怖くなど、ない。本当にそう思っているのに、手は震えるばかり。誤魔化そうとしても意味が無く、震えは止まらなかった。自分の体が心配になるくらい、心情に反して手足が震える。
それでも、怖くないと言い聞かせながら前へと進み続けた。乱れた呼吸音が壁に反響して耳を通り、不安を増していく。
(……怖いわけ、ないじゃない。どうせ神様は……あたしなんかの願いを聞いてくれない)
一本道を、倒れそうな足取りで進む。まっすぐ歩いているつもりでも、カルトは右へ左へとふらついていた。
叱咤するように両腿を一発叩いて、明るいほうへ近付いていく。
ようやく一本道が拓けて、カルトの目に飛び込んできたのは紫紺の湖。ぶくぶくと沸騰しているそこから、うっすらと湯気が上っている。湖は透明度が高く、真上から覗き込めば底だって見えそうだった。
「……本当に……湖、が……」
嘘かもしれないと疑っていたが、灼熱の湖は本当にあった。それが確認できたことで、カルトの期待する気持ちは大きくなる。どうすれば幽霊に会えるのか、きょろきょろとあたりを見回した。
輝くような湖の傍だからか辺りはとても明るく、けれど靄がかかっているようにも見えた。
どうやら湖の先に道はないようで、ここは洞窟の最深部らしい。
何度周りを見ても幽霊なんて視界に映らない。重りが付いているような重さの足を引きずるようにして、湖の近くにゆっくりと歩いていった。周囲以外で幽霊が出てきそうな所といったら――湖面。
幽霊は鏡に映ることが多く、鏡の向こうにある世界にいるのでは、などと言われている存在だ。ここには鏡が無い。けれど、鏡の代わりになる湖がある。
近付いていくごとに、体が熱くなっていく。灼熱の湖から放たれる熱気は元々乱れていた呼吸を更に乱していく。水分不足の時みたいに、喉がひどく渇いていた。
あと一歩。もう一歩。まだ、近づける。もっと近付ける。もっと神様の傍に寄ることが出来る。耳鳴りに襲われながらも、カルトは足を止めなかった。歩みこそ遅いものの、前に進むことをやめようとしない。
倒れそうになりながらも傍まで寄った自分に、彼を見せて欲しかったのだ。
「……お願い…………」
泣く寸前のような声を吐き出して、痙攣する手を湖の方へと伸ばした。
ぼやける視界の中で、彼が立っているような気がして手を伸ばし続ける。熱くて火傷しそうだった。それでも引っ込めるわけにはいかなかった。あと少し待てば、彼が手を掴んでくれるような気がしていたから。
「ヘイル…………」
掠れて、みっともない声だった。彼が聞いていたら苦笑していたことだろう。
「ごめん、なさ――」
言い切ることは、出来なかった。口元を誰かに手で覆われたが、それに抵抗する気力は残っていない。振り返り、水中にいるようなぼやける視界の中に、誰かの悔しげな顔が映る。
誰なのか問いたくても、声が出なかった。出ていたのかもしれないが、きっとその人には届いていない。
紺色の睫が、潤んだ瞳を隠すように伏せられた。
◆
「――ト……カルト!!」
聞き覚えのある声が響き渡っていた。ゆっくりと瞼を持ち上げて、自分が洞窟の中にいたのだということを思い出した。
顔の角度を変えて、周囲に目をやる。湖は傍に無かった。代わりに、張られているロープがあった。どうやらロープの手前まで運ばれたらしい。
「……」
再び顔を動かすと、綺麗な銀の髪がカルトの目を惹く。ひどく疲れたような顔がそこにあった。カルトが目を覚ましたことに気付いているけれど、彼は何も口にしなかった。唇を噛み締めてすぐに、その顔は俯く。
「あんた……なんで……」
「っそれはこっちの台詞だ!!」
上半身を起こしたカルトの胸倉がルクスに掴まれる。恐れで体が震えそうになるくらい、ルクスの目は鋭かった。見ていられなくなって、カルトは視線を少しだけ下げる。彼の額を伝う汗をぼんやりと見つめて、銀の癖毛がいつもより乱れていることに気が付く。
「やばいってことくらい馬鹿でも分かるだろ! なんで引き返さなかった!! 倒れるまであんな場所に居続けて――っげほ……!」
「ルクス……?」
カルトを離して、ルクスは自分の口元を抑え咳き込み始める。だんだんと、カルトは不安になってきた。彼の顔色が悪いのも、汗をかいているのも、その咳も、湖に近付いたからなのではないか、と心配になる。
そんな胸中を察したのか、ルクスは空いている方の手をカルトの頭に置いた。辛そうな呼吸を繕ってから、ようやく顔から手を外す。
「僕は大丈夫だ。あんたっていう重りを持って走ったから疲れただけだぜ」
「……それだけじゃないでしょ」
「怒る気力もねえのかよ。つまんねぇな」
「今わけわかんないことが起きてるから、それについて考えてるだけよ」
「は?」
本気で悩んでいる横顔をじっと見つめ、ルクスはため息を落とした。といっても、それは安堵から出たものだ。今の彼女からは疲労感が感じられない。体調が悪いようにも見えない。まだ無理はさせられないが、また倒れるということは無いだろう。
ルクスの作り笑いはだんだんと自然なものになっていく。宿屋に戻らなければいけないことを思い出して立ち上がったルクスの袖をカルトが引っ張った。
「あんたの言うとおり、あたしは危険なことも分からないくらい馬鹿よ。けどあんたはそうじゃないでしょう? なんで馬鹿を助けにわざわざ危ない所に踏み込んだのよ」
「なんだよそれ。あんたが僕の立場だったら、同じことをしただろ?」
「ええ、あたしならそうしたわ。でもあんたは違う。言ってたじゃない。正義感ばっか振りかざしても何にもならないって。あんたは人助けよりも自分が大事なんじゃないの? まああたしはその考え、理解できないけど」
可愛くねぇな。ルクスがぼそりと言った一言はとても小さかったが、カルトはしっかりと聞いていた。むっとするも、すぐに自分を責めるように唇を噛んだ。彼に対して自分が言うべき言葉は、一言でよかったのだ。だというのに、その言葉を言えていない。
何気なく訪れた沈黙の中、今しかないと思ったカルトは立ち上がって小さく口を開けた。
「言い忘れてたけど、あ――」
そんなカルトの言葉をとめるように、ルクスがポケットから取り出した何かを彼女の口に突っ込んだ。口の中に広がった甘い味にきょとんとして、翡翠の瞳を丸くする。
自分が咥えている白い棒を手にとって、口から抜いてみると、丸い飴玉のようだった。カラフルな縞模様のそれは、何味がするのか見た目だけでは予想がつかない。首を小さく傾けながら、カルトはもう一度それをくわえなおした。
ちらとルクスの様子を伺う。彼は手に持っていた透明なビニールをぐしゃぐしゃに丸めてポケットに入れた。
砂糖の味をぼうっと味わいながら彼を見つめ続けていると、髪の隙間から覗いた金の瞳と目が合う。普段見ている彼の瞳は紫紺だというのに、今見たものは確かに金色だ。不思議に思って目を凝らすが、長い前髪が覆い隠してしまう。
わざとらしい大あくびをしてから、ルクスはくるりとカルトに背を向けた。
「……理解できなくても別に、つーか……理解しなくて、別にいいと思うぜ。正しさってのは、押し付けるもんじゃねぇ。自分の行動原理にするもんだ。あんたがあんたの正しさで何かに向かって行って傷つくなら、僕は僕の正しさであんたを守ってやる。仲間ってそういうもんじゃねぇの?」
靴を鳴らして一歩前に出たが、すぐに振り返るとカルトの手首をぐいと引っ張った。
「帰るぜ。あんたが何をしたかったか僕は知らねぇし興味もねぇけど、勝手な行動でエトワール達を心配させるのってあんたの中で正しいことだったのか?」
「……」
「あんた、僕と初めて会ったときエトワールを怒ってたよな。あの時エトワールがしたこととあんたがしたことって、多分同じだ。どっちもその時湧いて出た正義感ばっかが前に出て、本当に大切なことが霞んじまってる。……あんたの方は正義感つっていいかよくわかんねぇけど」
カルトを引っ張って歩きながら、ルクスは少しだけ顔を振り向かせた。俯いた彼女の表情は分からないが、彼女の手がくわえた飴の棒を掴んでいるのを見てルクスの頬が緩む。
前に向き直って、ルクスは僅かに歩く速さを落とした。
「それ、美味いか?」
「…………おいしい」
「結構前に店から盗んで、食べずにずっと持ってたんだ。腐ってたら悪ぃ」
「っはあ!? そんなもん人の口に突っ込むんじゃないわよ!」
苛立ちのあまり情けなさを忘れて顔を上げるカルト。声こそ出ていないものの、震える肩を見てルクスが笑っているのだと分かる。カルトは口から抜いた飴玉を彼の頭に投げつけてやりたくなった。
「やっとあんたらしくなってきたな」
「……なによそれ」
「らしくねぇ顔されると、僕はどんな顔すりゃいいのかわかんねぇんだよ」
大人しくルクスに付いていっていたカルトだが、掴まれている腕を自分の方へ引いて立ち止まった。いきなり反抗されたルクスは危うく転ぶところだった。
口元を歪めて文句を言おうとするも、振り向いてそこにあった彼女の顔を見た途端言葉は出なくなる。
そこにあったのは、彼女らしくない顔だ。きっと、感情のやり場を失った人はこんな顔を浮かべるのだと思う。笑顔が青空に浮かぶ太陽なら、今彼女の顔に浮かんでいる表情は、灰色の空に浮かぶ薄い雲だ。晴れ渡ることも、泣き出すこともない。
「あたし、結局……言いたいことが言えなかったのよ。幽霊でもいいから、伝えられればいいと思ったのに。会いたかったのに」
「……なあ、カルト」
「ねえどうして? あたしはそんなに悪い子なの? あいつみたいに自分を殺して生きていたら、神サマはあたしに優しかった?」
喋りだした口は止まらなかった。泣き出しそうに顔が歪むのに、涙は枯れてしまったのかその瞳は潤んでいなかった。
「どうしてあたしばっかりこうなの。笑って生きてる奴が沢山いるのに、どうしてあたしの周りの人はみんな不幸になっていくの? あたしのせいなの? あたしなんていなければ――」
「それ以上言うな」
突き刺すような視線に、カルトは小さく肩を震わせて黙りこむ。声が張り上げられたわけではないが、鋭い声はやけに響いて聞こえた。
ふっと綻んだルクスの顔は、どこか疲れているように見える。
「神様ってさ、きっと欠陥を与えてそいつを人間にするんだよ。完璧だったら、そいつも神様みてぇじゃん。だから完璧な人間なんていねぇんだ」
「なにが、言いたいのよ」
「間違ったことをしたとしても時間は戻せねぇんだから、そんな自分を責めるなよ。奇跡に縋り付いてる暇があるなら、あんたはあんたらしく生きることだけ考えてな。ってか、とっとと帰るぞ」
これ以上のんびり歩いているわけにもいかないのだ。エトワール達も別のところを走り回ってカルトのことを探しているだろう。既にルクスと合流していることなど知らずに。セスやセロにも迷惑をかけている以上、呑気に散歩などしていられなかった。
やや乱暴にカルトの手を引っ張って、宿へと急ぐ。
ルクスの背中に、か弱く震えた声がかけられた。その声は、泣きたい気持ちを誤魔化すように嘲笑が前に出ていた。
「お願いの一つも聞いてくれない、奇跡を一度も起こしてくれない。そんな神サマが本当にいるとして、一体誰のためにいるのかしら」
「……誰のためでもねぇよ。僕もあんたも、誰かの為に何かをすることがあっても結局は自分のために生きてるだろ。それと同じさ」
カルトは、がりっ、と飴を噛み砕く。
――本当は、聞くまでもなく分かっていた。
◆
宿に着くと既にファラキルスとエトワールは椅子に座って待っていた。戻ってきたカルトの姿を見てすぐにエトワールが彼女に飛びつく。
「カルトさんっ……! 心配したんですよ!!」
「……ごめんなさい。あたし――」
「気分がよくなかったから散歩してたんだってよ。全く本当に人騒がせな奴だよな」
湖へ行ったことを、ルクスは敢えて伏せた。それはただ単に湖に何があるかなど説明するのが面倒だったためだが、カルトはほっとした。エトワールから聞いた話に自分が食いついて危険な目にあったことなど、彼女に言えるわけが無い。
はあ、という呆れたため息が響いた。ファラキルスが額に手を当て、顔をしかめていた。
「エトワールにも言ったことだが、勝手な行動は控えてくれ。何かあってもどこにいるのか分からなかったら助けに行けないだろう」
「ごめんなさい。もうしないわ」
カルトの反省している様子に、ファラキルスもそれ以上は何も言わなかった。カルトの無事を確認できたからもう良いのか、立ち上がって階段を上がっていってしまう。
その後姿を目で追いかけてから、カルトは自分に抱きついたままのエトワールに視線を落とす。桃色頭にぽんと手を置くと、嬉しそうに「えへへー」と言う声が漏らされた。
「で、あんたはいつまでひっついてるのよ」
「カルトさんが寝るまでひっつきますよ! また勝手にどこか行かれたら嫌ですから」
「もうしないって言ってるでしょう。子供はとっとと部屋に戻って寝なさい」
「私はセスさんとセロさんが戻ってくるまで待ちます。謝らないといけませんし」
エトワールの声は普段どおりで、明るかった。けれどカルトは彼女の言葉にすぐさま表情を曇らせた。エトワールの両肩を、とんと押す。
「あんたは別に謝る必要ないでしょ。とっとと寝なさいよ」
「……いいえ、私が謝るべきなんです。カルトさんがどこに行ったのか、私、本当はカルトさんがいなくなった時点で予想できてましたから。多分この予想は当たっていて、私の発言がそもそもいけなかったんだろうなって、分かってますから」
「は……?」
「だから、ごめんなさいカルトさん。カルトさんの様子がおかしかったの、私があの話をした後からです。カルトさんが何を思ったのかも、予想出来ました。私と同じ事を考えているんじゃないかって。分かっていて、すぐに迎えに行けなくてすみませんでした」
きょとん、としているのはカルトだけではなかった。カルトが少し上げた視線の先で、ルクスもまた同じような顔をしてエトワールを見つめていた。
そんなことは知らず、エトワールの真剣な銀の瞳がカルトの目をじっと見据える。
「私、カルトさんを追ってそこに行ってはいけない気がしたんです。追って行ったら、私もあの人に会いたいと思ってしまう。きっとカルトさんを助けられない。そう思って、ルクスさんがカルトさんを探しに行くと行った時、私が行きますって言えませんでした。だから」
カルトから少しだけ離れると、エトワールはすっと頭を下げた。桃色の髪がさらさらと肩を流れ落ちる。
「すみませんでした、カルトさん」
「……やめてよ。それ、おかしいでしょ。結局行動を起こしたのはあたしなの。あんたが謝るなんて間違ってると思わないの?」
「思いませ――」
「で、セスとセロはどこに行ったのよ?」
エトワールの目を見ていたくなくて、カルトは彼女に背を向けた。向ける視線は扉の方向。これが開いて彼らが入ってきたら、エトワールが何かを言うよりも先に謝罪を口にするつもりだった。頑固者の彼女に、謝る必要はないと何度言ってもわかってはくれないだろう。
だからカルトは、彼女に謝罪のタイミングを与えるつもりがなかった。
「えっと、セスさんとセロさんは私たちを宿に帰してから多分湖の方に向かったんだと思います。私たちを連れて行けないところへ向かうって言っていましたから」
「そう……」
「ところでルクスさんは寝ないんですか?」
突然エトワールに話しかけられて、ルクスは目を見張ってから苦笑する。
「僕の存在忘れられてると思ってたぜ。ちなみに僕は、あんたらがちゃんと部屋に入ってくのを確認してからじゃねぇと寝ねぇよ。トラブルメーカー二人だけを放置するわけにはいかねえからな」
「と、トラブルメーカー……」
傷ついたことを表すようにエトワールが胸を押さえて小さく唸る。自覚はしているのか、言い返せないようだった。
その様子にくつくつと笑いを漏らし、ルクスは軽く目を伏せた。そっと自分の顔の左側に触れると、ぐっと力を込める。
そのまましばしぼうっとしていたが、扉が開いた音に小さく肩を跳ねさせて、顔を音の方へ向けた。
「――ごめんなさい」
ルクスの目に映ったのは、深く頭を下げたカルトの後姿だった。戻ってきたセスとセロが目を丸くして彼女を見ている。エトワールも恐らく同様に驚いているだろう。
「迷惑かけて、本当にごめんなさい」
泣き出しそうに声が震えるのは、恐らく情けない己が悔しいから。それでも彼女は必死に震えを押し殺そうとしていた。
ルクスはカルトの後姿から目を逸らすと、額から流れてきた汗にはっとしてすぐに拭う。誤魔化すように、自分を馬鹿にするように口元に笑みを浮かべると、ルクスはカルト達にくるりと背を向けて再び顔に手を当てる。
「……っくそ……なんなんだよ……」
ほぼ吐息に近い呟きを零した。伏せた左目の瞼に指を這わせると、眼球を抉り出すのではないかと思うほどその指に力を込める。
虹彩異色症の瞳は、焼かれているように熱く、鋭い針で刺されているように痛かった。