第二話 おいでませ異世界
ドッスゥン!
襲ってきた落下は、焦る暇も恐怖を感じる時間もなくすぐに終わった。ただ、急に足元が不安定になったせいでバランスを崩し、尻餅をついてしまったが。
「いたた……いったい何が」
「ようやく来たようだな、少年」
状況を把握する前に声を掛けられ慌てて顔を上げると、二十代後半ぐらいの女性が一瞬前まで居たはずの木葉さんの位置に……いや、違う。
そこで初めて、今まで居た理事長室でないことに気が付いた。
まず教室ほどではないにせよ広く、使われている装飾品も比べるまでもなく豪華で、立派な細工の棚にはなぜか金や銀の燭台(多分。鑑定眼がないので当てずっぽう)が置かれ、天井にはシャンデリアのような豪勢な照明が付けられている。
何より一番驚いたのは、女性の背後の壁が丸々ガラス張りで景色が見えていたこと。其処から見える景色には、明るい空に大きな白い月、青い月、赤い月が浮かんでいた。
「これっていったい……」
「少年。驚くのも無理がないのはわかるが、そろそろ話を聞いてもらっていいかい?」
「え、あ、はい。すいません」
初対面の目上の女性の前でおかしなところは見せられない、そんな義務感が手伝ったのか、なんとか平静を装うことは出来た。
そして、初めて女性をキチンと確認して驚いた。
彼女の髪留めでまとめた長い髪は自分と同じ黒色で肌の色もそう変わらなかったが、瞳はルビーの様に紅く、艶のある美貌が神秘性を持たせているように見えた。
何より、額から一本の細い角が生えているではないか。
……こ、コスプレだよな? 凄くリアルに見えるけど、きっと凝った特殊メイクに違いない。
それはともかく、すぐに話しかけてくるかと思ったが、まるでなにかを懐かしむように目だけ細めたままアクションを起こさない。
「あの、えーとっ……」
これは自分から切り出すべきかと思うも、逆に聞きたいことが多すぎて咄嗟にまとまらない。
「ああ、すまない少年。少し呆けてしまった様だ。まずはお互い、自己紹介といこうじゃないか。うちはサフィーネ・ベルリアス、この学園の学園長を勤めている」
「ええと、柊響です……って、学園? ここは学校なんですか?」
「その通りだ少年。この場所は王立グラントリス学園という名だが……ふむ、そうだな。少年、ちょっとこっちに来てくれ」
自分の横を指差してからコイコイと手招きするので、若干警戒しながら側まで近づく。サフィーネ学園長も俺が来るのに合わせて腰を上げる。
こうして向かい合わせに立って初めて、俺は衝撃的な事実に気が付いた。
サフィーネ学園長は瞳と同じく紅いドレスを纏っていたのだが、それが大胆に胸元を強調したものなのだ。
しかも彼女自身立派な物を持っていて、それがドレスによって締められて大きな谷間を形成しているのだ。
健全な男子高校生である俺の視線が釘付けになるのは自明の理……言い訳? 違う、純然たる真理だ!
「おや、どこを見てるんだい?」
「え、あ、いえその……」
「こういうのは嫌いかい?」
「いえ大好きです!」
俺の視線に気が付いた――目の前でガン見してれば当然――彼女が、両手を組んでグッと胸を持ち上げ強調する。
ドレスをはち切らんばかりに盛り上がったそれに、俺は思考を挟む前に脊椎反射で答えてしまう。
「……はっ! そうじゃなくていや好きなんですけど俺は美乳も貧乳も同じくらい好きと言うかそもそも大きさで優劣をつけるような考えに反対で女の子の胸はそれだけで素晴らしい物つまりはオンリーワンなワケですよだからこの場合その胸に目が行ったのは俺自身の趣向ではなく男としての性に起因しているので……」
この時の俺は焦る余り自分でも何を言ってるのかわかっておらず、後ほど妙齢の女性の前での痴態を思い出して落ち込むことになる。
「あははははははっ、うんうん正直者で結構。擦れてないところも好感触だ。とりあえず、落ち着いて外を見てみるといい」
まだ混乱が治まっていたわけでなかったが、促されるままにガラス越しに外に目をやる。
薄々感じていたが、やはり日本ではない。自分のいる建物は大きな堀というか水路に囲まれており、その外側に町並みが広がっているのだが、ビルやマンションといった高層建築がないのは勿論、電柱や電線といった当たり前の物もない。
車の変わりに馬車が見え、建築物は木や石で建てられた素朴なものがほとんどだ。
「ヒイラギ、この光景を見てわかることはあるかい?」
「……日本じゃないですよね? これだけ規模の大きい町なのに車もなけりゃ、電線一本ないのは考えられない。そもそも、地球ですら怪しいですね。あんな月みたいのが三つも見られる場所は、俺が知る限り存在しない」
そして、薬でも使われたのでもなければ、一瞬で俺を移動なんて出来るわけがない。いやま、木葉さんなら微妙にやりかねない気がするが?
そこらへんを度外視して考えれば……こう、瞬間移動とか? 魔法、みたいな?
「なるほど、正しく認識してるようだ、安心したよ」
「安心、ですか?」
そして地球じゃないこと肯定ですか。
「そうそう。現実を直視できずに暴れられたりしたら、どうしようかと思っていたからねぇ」
正直、現状把握で手一杯なだけなんですけどね。
「さすがに初対面の少年を動けなくなるまで痛めつけるのは、良心が痛むからねぇ。はっはっは」
おおぃ! 笑いながら言うことじゃないだろう! み、認めたくないが、この人からは木葉さんと似たものを感じる。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。うちはまどろっこしいのは嫌いでね、単刀直入に言わせてもらうよ。ヒイラギ・ヒビキ……ヒビキと呼ばせて貰おうかね。君をこの学園の留学生として迎え入れたい。そう、君たちが言うところ異世界“アルター”に存在するこの学園でね」
予想していなかったわけじゃない。此処に来る直前の木葉さんと会話があれば、予測可能な範囲ではあった。
でも、改めて言われるとやはり動揺は隠せない。
「……一つ質問が」
「なんだい?」
「木葉さんの事はご存知……というかグルですよね?」
学園長の口がニヤリと笑った。それだけで十分な返答だ。
「でも、なんで俺……いやそもそも留学なんて」
「まどろっこしいのは嫌いだが、そこぐらいは説明しないとねぇ。まあ、要点だけ掻い摘んで話そうじゃないか」
出来れば詳細にお願いしたいのですが。
「今から三年ほど前になるねぇ。当時の魔法学者のあるグループが新しい魔法を開発した」
やっぱりこの世界には魔法があるのか。
「それがヒビキの世界“地球”とうちらの世界“アルター”を結ぶ魔法だったのさ。もっとも世界を結ぶと言っても、この学園を中心とした地域と日本の一地域でしか繋がらないのだがね。他の場所では両世界で試してみたけど、魔法が安定しなく危険だったよ」
一部の地域でしか使えない、ねぇ。
「素人考えですけど、お互いの世界を球体に例えると、二つが並んで接触している部分が魔法の使用範囲、みたいな事ですか?」
なんとなく、ボーリング玉がくっつき二つ並んでいる所を想像した。
「悪くない例えだね。とにかく、当時は新しい世界の発見に沸いてね。もっとも沸いたといっても、広がるのは未知の世界。なにがあるかわからなかったからねぇ、さすがにみんな先陣をきるのは躊躇したよ」
「それはそうですよね」
同じ人間でも国が違う、言葉が違うだけで随分と変わるものだ。その規模が世界となれば尚更だろう。
下手すれば、未知の怪物や病原菌やらにやられる可能性も多いにある。
SF映画やドラマでは定番のトラブルの一つだ。
……あれ? 俺、大丈夫か?
「そんなとき、一人の有志が単独での探索に踏み切った」
「一人で、ですか? それは、無茶というか無謀というか…………馬鹿?」
俺だったら命が惜しいから、頼まれても絶対そんなことしない。
「まあ、うちのことなんだけどねぇ」
「すみませんでしたぁぁぁぁっっっっ!」
間髪を入れずに謝罪の最上級、土下座を披露する。
先ほどからこの人には逆らってはいけないと、木葉さんや親に鍛えられた危険感知センサーがビンビン反応しているのだ。
「気にしちゃぁいないよ、我ながら無茶だったとは思うからねぇ。とにかく、一人であちらに行った際、初めて会ったのがこーちゃんだったのさ」
「こーちゃん?」
「木葉のことさ。ちなみに彼女はうちのことを、さっちんと呼んでくれるよ」
……もう、なにも言うまい。
「お互い出会ったその日に意気投合してねぇ。しかもこちらの調査に色々協力してくれたのさ。そのおかげで地球の事が色々分かって助かったよ。三年調査を続けてきて、国のお偉いさんに接触する前のテストケースとして、頭の柔らかい若者を学園に迎えてみようという話になってねぇ」
「それが俺なんですか?」
「その通りだ。こーちゃんにお願いして適当な候補をリストアップしてもらい、その中からうちらが選んだ……まあ、こーちゃんの猛プッシュはあったけどね」
プッシュしたのか!? ああ、なんだか嬉々として俺の写真付き書類を押し付けている姿が眼に浮かぶ……
「でも、それだけで選んだりしないさ。うちもこの学園の責任者だからね。勿論、ヒビキを選んだのには相応の理由がある」
「相応の理由……ですか?」
正直、選ばれるような長所があるとは思えないんだけど。
それに折角両親という面倒事から解放されたのに、自分から顔を突っ込み新たな面倒事を背負うさらっさらない。。
「すいません、学園長。申し訳ありませんが、この件お断り……」
「そう結論を急ぐな、ヒイラギ」
断ろうとする俺の言葉は遮られる。
「こちらとしても強制するつもりはないが、今の話だけで決めるのも早計だろう? そもそも君は見学しにきたんだ。結論を出すのはそれからでも遅くはないだろう」
くっ、正論だ。しかもよく考えれば、俺一人じゃ日本には戻れない。ある程度の妥協は仕方ないか……
ああ、なんかこの一連の流れは木葉さんと学園長に仕組まれたものだと思うと、なんだかやりきれない。
「……わかりました、見学してから改めて決めようと思います」
「良い答えだ。ハイド、出番だぞ」
ダレ?っと、思うのと同時に背後の扉が開いて一人の少年が入ってきた。金の刺繍が入った学生服にらしい服装少年は、見た目俺と同い年ぐらいだが、容姿の整ったちょっとお目にかかれない美少年だ。
髪は緑がかった黒髪で学園長と同じく額から一本角が出ており、やはり学園長と同じ紅い瞳で俺を見詰めた後、
「ハイドだ。今日の案内役を仰せつかっている。よろしく頼む」
そう言って右手を差し出してきた。もしかしてずっと待っていたのかと思ったら、少し不憫に思ってしまった。
「えーと、柊響です。よろしくお願いします」
そう言って握り返すと、少年――ハイドは少しの間、目を細めて動きを止めた。
「……っ、すまない。ヒイラギというのが家名なのだろう? こちらでは名を先に持ってくるのが一般的だ。他の生徒には名を先に言うといい。それから私と君は同い年だ、敬語も必要ない」
最初の間は何なのだろう? 学園長にも似た間があったが。
「わかった、俺のことは響でいいから」
「了解した。では学園長、これから彼に学園を案内しますので」
「うむ、以後の事はハイドに一任する。予定の時間には戻ってくれ、頼むぞ」
「承りました。では、失礼します」
「え? あ、失礼します」
ハイドはそういうとさっさと部屋を出て行った。
学園のトップ相手に慇懃無礼な気がしないでもないが、俺も慌てて付いて行くのだった。