第十七話 アーリア兄妹(あるいは姉妹)
息苦しさを感じて目をさま、と言うか息できんわーーっ!
顔に張り付いている物体、もといギンを引っぺがす。
一応こいつの寝床はベッドの横に作って有るんだけど、どういう訳か寝ている間にベッドに潜り込んでくる。
行動自体は可愛いのだが、寝ぼけて頭に噛みついたりこうして顔を塞いだり、ちょっと命が危険な気がしている。
時計を見るといつも通りの起床時間だが、今日は日曜だし、このまま二度寝してもどこからも文句は……
「アイラと約束あったっけ」
思い出して、ベッドから起きて身支度すると朝食を取って異世界扉から学園寮へと行く。
ちなみにギンはまだ寝てるので、朝食だけ準備して留守番させる事にする。いい加減頭乗せてるせいで首痛いし。
談話室は休日中だけそれなりに人が居たが、一週間も通ってると騒ぎ立てる人も居なくなった。
お目当ての人物は……っと、直ぐに見付かった。
背中まである真白の髪なんて目立つから見つけ易くて助かる。
「おはよう、アイラ。待たせたか?」
「おはよう、ヒビキ君。私も今来たばかりだから、全然待ってないよ」
会話のやり取りだけ聞けばデートの待ち合わせの様だが、生憎とどんなにスカートが似合って線の細い美少女姿でも男。
むしろ、虚しさすら覚える。
「今日も女子の制服か……」
「気分だよ、き・ぶ・ん」
顎に人差し指を当てて可愛らしい仕草で言われて、思わず顔が赤くなる。
……俺じゃなく、談話室に性別を知らないであろう年下の男子生徒が。
知っていて赤くなってるなら、それはそれで拙いが。
「それじゃ、早速だけど行こうか?」
「ああ、分かったけど……何処に?」
結局目的を聞けていなかったんだが、アイラは茶目っ気たっぷりに笑って言った。
「勿論、学園だよ?」
□
「………で、どうして俺はわざわざ戦闘服着て闘技室になんて向かってるんでしょうか、アイラさん?」
アイラの要望で一旦戦闘服に着替え、許可を取っておいたという闘技室へ。
闘技室は主に戦闘訓練や魔法の練習に使用する部屋で、授業以外での戦闘系の魔具や魔法の使用を許可されている場所だ。
そんな場所にわざわざ戦闘服持って向かっているんだが、その理由をアイラがなかなか教えてくれない。
聞かなくとも察しはつくのだが。
「慌てない、慌てない。直ぐに分かるから」
笑顔を崩さずに流すアイラに諦め交じりの溜息を吐く。
面倒な事になりそうだ……約束したのは早計だったかもしれない。
「アイリス、お待たせ~」
闘技室への扉を開くと、アイラが中にいた人物に声を掛ける。
部屋の隅で椅子で読書中だったその人物は、アイラに気が付くと本を置いてこちらにトコトコ歩いてきた。
歩いてきたのはアイラと同じ真白の髪の少女。
背中までアイラと違って彼女は腰まで伸びていて、手入れが大変そうだ。
ただかなり小柄で百四十も無いと思われる身長の為、こうやって互いに正面に立つと胸元ぐらいまでしかない。
どう見たって小学生、おそらく第三階級であろうと思われる。
顔は幼いながらアイラと似通っているものがあるが、彼女には獣人族特有の耳や尻尾が無く笹穂耳なので神族だ。
それに笑顔がデフォルトのアイラと違って、歳不相応の冷めた目で見つめてくる。
「ヒビキ君、紹介するね。第三階級一位で私の妹のアイリス・アーリア。ちょっと無愛想だけど良い子なんだよ? ほら、アイリスも挨拶して」
「……こんにちは」
「こんにちは、俺はヒビキ・ヒイラギ。おね、お兄さんのクラスメイ……え、妹?」
「うん、妹。それがどうかしたの?」
どうかも何も、獣人族と神族じゃないか。
「あ、そっか。ヒビキ君って三種族の遺伝について知らないんだね」
「遺伝?」
「他種族同士の間に生まれた子供は基本的に、どちらかの種族の特徴しか出ないの。外見的にも能力的にもね。稀に見た目が魔族に近い神族とか、あるいはその逆とかはいるけど。因みに私は母親似で、アイリスは父親似なんだよ」
母親は獣人族で、父親は神族と言う事だろうか。
確かに改めて見ると、種族的な特徴を除けば二人は良く似た姉妹だ。
違った、本当は兄妹だ。しかし、どう頑張っても俺には兄妹に見えない。
「実は、今日はアイリスに頼まれてヒビキ君を呼んだんだよ」
「この子が?」
改めてアイラの妹であるアイリスを見ると、本人は何も答えず冷めた目で視線を向けてくるだけ。
第三階級に知り合いはいないし、特に繋がりはなかった筈だが。
……うーん、間が持たない。
「貴方にお願いがあります」
と思ったら、向こうから要件を切り出してきた。
「わたしと勝負して下さい」
勝負?
「な、なんで?」
「……確かめたいことが有ります」
いきなりな内容に思わず上擦った声を上げる。
小学生、じゃなくて第三階級の生徒からから勝負を申し込まれたら驚くだろう。
内容は……聞くまでも無いか。
わざわざ戦闘服を着用せさせ闘技室まで連れてこられたんだ、模擬戦かそれに近い形に決まってる。
「あ、それじゃあ私が審判するね~」
審判を申し出たアイラがさっさと壁際に離れようとするのを、慌てて引き留めた。
「いやいやいや、ちょっと待てこの猫男」
猫男って何か嫌だな、猫娘なら夢があるのに。
「本当に試合しても良いのか? 正直、かなり抵抗あるんだが」
カナリアとの勝負は同い年と言う事で割り切ったが、本来女の子に暴力を振るうのは正直気が進まない。
加えて相手が年下だから、もう罪悪感も更にドン。
そもそも第三階級だと、魔具も持っていなければ魔法も習っていない筈。
如何に俺が学園に来たばかりの戦闘の素人とは言え、これはハンデキャップが有り過ぎるのではないだろうか?
「あははっ、大丈夫大丈夫。 そもそも無理だと思ったら最初から止めてるよ。それに結構アイリスって強いから、油断しないほうが良いよ?」
そ、そうなのか? 同年代よりも小柄そうな姿を見るに、とてもそうは見えない。
戦闘服にも着替えず制服のままだが良いのだろうか?
……とは言え、俺の判断基準と言うのはこの世界では全く当てにならない訳で。
「貴方に心配されるまでもありません。……それよりも、一つ賭けをしませんか?」
「賭け?」
「はい、敗者は勝者の言う事を一つきく。どうですか?」
ベタな景品だがそんな賭けを出すって事は、勝算は充分にあると言う事か?
……ちょっとこの子の実力も気になるし、付き合ってみるか。
「別に構わないよ? 俺に出来る事であればね」
俺がそう言うとアイリスは満足そうに一度頷いた。
でも、俺が勝っても特に頼む事なんて思い付かないが。
それにしても先程から喋り方といい表情や反応といい、見た目に反して振る舞いが歳不相応に大人びている気がする。
緩い雰囲気のアイラとは、兄弟でも随分と違うもんだ。
二人で部屋の中央で向かい合い、互いに一礼する。
「ルールを確認するよ? 単純明快、有効打を入れ方が勝ちで、それ以外は特に制限なし!」
「単純且つ大雑把過ぎるだろっ!」
「始めっ!」
「無視して始めんなっ!」
俺のツッコミを華麗にスルーして試合を開始を宣言するアイラ、まずはあいつから倒すべきかも知れない。
一方で流石は妹と言うべきだろうか、アイリスはアイラのノリにも表情一つ変えることなく、気が付いた時には大分距離を取っていた。
その手に蒼い宝石の嵌め込まれた白い杖が出現す……る?
「え、魔具?」
彼女の階級じゃ持って無いはずだろ?
「≪アクア・アロー(水矢)≫」
構えもせずに呟いたその言葉だけで、彼女の周囲に十数本の水の矢が出現する。
「中級の詠唱破棄? うっそ……」
≪アクア・アロー(水矢)≫は中級に属する攻撃魔法。
一撃の威力は低いが、魔力を込めるほど矢の本数が増える使い勝手の良い魔法だと教科書に書いてあった。
それを第三階級の子が詠唱破棄で発動させたのに、思わず呆気に取られてしまう。
「……いけ」
その声で我に返った時には、自分に迫る矢・矢・矢ぁ――ッ!
「うおっ!?」
慌てて銀月を出して盾に変えると同時に身体強化、銀月を正面い構え体を庇いながら横に避けようとする。
盾に断続的に衝撃が走り、手足にも数本掠るがなんとか凌ぐ事が出来た。
視線をアイリスに戻した時には、再び出現させた水の矢が一斉に俺に向けられる。
「有りかよそれっ!? ≪ウインド(強風)≫&≪ウインド(強風)≫、合わせて≪ブラストウインド(暴風)≫!」
カナリア戦で使った合成魔法だが、今度は火×風でなく風×風の組み合わせの魔法だ。
合成魔法が有用だと気が付いて、暇見て練習してて良かった。
緑色の魔方陣とそれを囲う緑の円環が重なり、そこから恐ろしい勢いで噴出した暴風が水の矢を薙ぎ払い散らした。
遠目でよく分からなかったが、初めてアイリスが驚いているような雰囲気が伝わってくる。
「≪ファイアボール(火球)≫!」
その隙を逃さず火球を撃ち込む。
卑怯っぽいが、もう小学生とか子供とか言ってられる次元の相手じゃない。
一応威力は弱めておいたから、当たっても大怪我はしないはず……が、それ以前に火球は当たる彼女に届く一メートルほど手前で急に軌道を変え、横を通り過ぎ後方で壁にぶつかり消えた。
「……なぜに?」
「あ、それは≪ウインドアーマー(風鎧)≫っていう防御魔法で、密度の高い風を纏っているの。初級程度の魔法や遠距離攻撃は届かないよーっ!」
審判のアイラが疑問に答えてくれる。
所謂防御魔法と言うやつだろうが、なかなか面倒そうな魔法だ。
……それにいつの間に展開していたのか知らないが、ひょっとして防御魔法を展開しつつ攻撃魔法を使っていたのだろうか?
やっぱり俺の判断基準は当てにならない!
「結局、接近戦しかないって事か!」
カナリアの中級魔法を相殺した≪フレイムエッジ゛(炎刃)≫なら風の防御を破れるかもしれないが、あれをアイリスに使用したら怪我処では済まない。
ならば、接近戦で負けを認めさせる、そう結論付けて身体強化で一気に突っ込んだ。
……神族だから強力な攻撃魔法は来ないだろうと願いながら。
「≪フォールロック(落石)≫」
アイリスの小さな口が言葉を紡いだ瞬間、視界に影が差す。
反射的に見上げると、二メートル程の岩塊の数々が宙に出現していた。
「マジかよっ!?」
まるで室内に突如降り注ぐ流星雨。
体裁など捨て形振り構わずがむしゃらに回避し、何とかどこも潰される事なくやり過ごす事に成功する。
岩一つ一つの間隔が広く空いていたおかげでなんとか避けれたが、そうでなければ軽くスプラッターな場面が広がっていただろう。
「あ、あぶな……」
冷や汗を拭いつつ前を向くと、もはや闘技室は岩の乱立する林と化し、アイリスの姿は岩に阻まれて見る事が出来ない。
そこで思い当たる……、これは好機だ。岩に隠れて近付けば魔法を喰らわずに接近戦に持ち込むことが出来るかも知れない。
しかし、そんな俺の浅慮を嘲笑う様に氷に鳴る様な音が耳に入って来る。
音源に目を向けると岩の間から、幾つもの氷の蔦が地を這って……って本当に氷か!?。
「氷属性の魔法!? 一体幾つ属性持ってんの!」
最初は水の矢、次は風の鎧に落石、更には氷の蔦と来たもんだ。
しかもとても適性無しとは思えないレベル、ちょっとこれは有り得ない。
だがそんな疑問に思考を費やす余裕度などなく、どんな魔法か知らないが触れて良いとは思えないので後ろに下がり、
「――おぉ!?」
突然両足が縫い止められた様に動けなくなった。
見ると後ろから別の氷の蔓が足に延び、触れた箇所から俺の足を氷で覆っている。
……まさか、前方からこれ見よがしに迫ってきたのは、後ろへの注意を失くさせる為の布石?
氷は膝頭まで脚を覆っていしまい、身動きを封じられる。
何とか足を動かそうと四苦八苦していると、周囲を囲ってた岩の林が突然砂となって崩れ、光の粒子となって消失した。
魔法にはその場にあるものに魔力で干渉するタイプと、一から魔力で創り出すタイプがあると聞いた。
あの岩は何もない空間から出てきたから後者のタイプで、魔力が無くなったから消えたと言う事だろうか?
岩が消え去った闘技室には初期位置から動いてないアイリス。
俺は散々動き回ったと言うのに、まだアイリスを一歩も動かす事すら成功していない事を嫌でも実感させられる。
「《アクラランス(水槍)》」
淡々とチェスのように追い詰めに掛るアイリスは、詠唱破棄で水色の魔方陣から水槍を出現させる。
くっ、この足じゃ避ける事も出来ないか!
「≪ファイヤボール(火球)≫&≪エアーエッジ(風刃)≫、合わせて……」
カナリアの《アクアランス(水槍)》を相殺したこの合成魔法なら、上手くいけば足を自由にする隙ぐらいは出来るかも。
「――いけ」
「《フレイムエッジ(炎刃)》!」
同時に放たれた水の槍と炎の刃が、二人の中間地点で派手な音を立てて激突する。
目論見通り二つの魔法は周囲に突風を撒き散らして消失………せずに、炎の刃を打ち破って水槍が迫ってきた!
「グッ!?」
咄嗟に銀月で《アクラランス(水槍)》を受けるが、それでも勢いを殺しきれず、足を固定していた氷を砕きながら後ろに吹っ飛ばされた。
反射的に受身は取れたが、それだけで全くのノーダメージになるわけもなく……
「ごほっ、ごほっ……きっつ」
したたかに背中を打ち、床で悶える俺。
《フレイムエッジ(炎刃)》で多少なりとも威力が削がれていたのだろうが、それでも痛い事には変わりがない。
だが審判のアイラが何も言わない所を見ると、これは有効打に入らないのか。
そんな隙だらけの俺になぜかアイリスは追撃してこない。
慈悲深いのか、侮っているのか、はたまた別の意図があるのか……
ようやく痛みの引いた体を持ち上げると、奇しくも二人の位置関係は試合の始まった初期位置に戻っていた。
最初と違うのは、俺の心はもう折れそうだって事。
詠唱破棄の中級魔法バンバン使うわ、複数の属性を高レベルで使い分けるわ、挙句に神族なのに《フレイムエッジ(炎刃)》に打ち勝つわ……
そもそも魔族のカナリアが放った《アクアランス(水槍)》より、神族のアイリスの使った方が強力な時点で理不尽だ。
「……もう手詰まりですか?」
俺の葛藤など何処吹く風のアイリスが、相変わらず無表情で問い掛けて来る。
言外に『期待外れだ、この雑魚が!』と匂わせる(確実に被害妄想だろうが)言葉に、萎えかけた意志が再び燃え上がってきた。
っ言うか、絶対吠え面かかせてやる!
銀月を盾から腕輪の形にして右手に巻き、その手を正面に突き出す。
「≪ウインド(強風)≫&≪ウインド(強風)≫、合わせて……」
「それはもう見ましたが、この距離で風を纏っているわたしに効果はありませんよ?」
そんな事は百も承知。
俺はくるりと後ろを向いて、背中をアイリスの方へと向ける。
「えっ?」
「≪ブラストウインド(暴風)≫!」
唱える瞬間体の向きを反転させ、床を蹴って発動した暴風は推進力を生み、俺の体をアイリスの方まで一気に飛ばす……って、後ろ確認出来ないのって怖っ!
「ら、≪ライトシールド(光盾)≫!」
微かに届いた声に慌てて右手を斜め下方に向ける。
風は床を叩き俺の体を舞い上げ、天井ギリギリまで上昇した。
上から見渡すと俺の進行方向だった所に光の盾が出現、アイリスとアイラは俺を呆気にとられた顔で見上げている。
……あれ、俺、これからどうしよう?
「≪アクアアロー(水矢)≫」
気を取り直したアイリスは光の盾を消し、三度目の≪アクアアロー(水矢)≫を発動、十数本の矢が俺に全方位から満遍なく放たれた。
「だぁー! なるようになれっ!」
天井に足が着くように姿勢制御してから≪ブラストウインド(暴風)≫を解き、銀月を盾にして構えありったけの魔力で身体強化。
その足で思いっ切り天井を蹴る。
俺を逃がさないようにする為に全方位に矢を配置したせいで、正面からの突破は盾に二、三度衝撃を感じるだけで済んだ。
アイリスの横に弾丸の様な勢いで着地した。
……着地したが、着地の衝撃が強すぎて足が動かない。
だがアイリスはもう目の前、今なら魔法発動の隙を与えず攻撃する事が出来る。
体勢が崩れるのも構わず、銀月を木刀に変えて一撃を放った。
狙うは杖。どんな能力持っているのかは知らないが、彼女の魔法の精度の高さに関係している気がする。
もしそうなら、杖さえ切り離せば勝機が――
「≪パージ(解離)≫!」
銀月が届くその瞬間、全身を叩く不可視の衝撃に意識は急速に薄れていった。
□
「あ、起きたかな?」
降ってくるアイラの声に導かれるように目を開く。
目に写るのはアイラの心配そうな顔、後頭部に感じるのは柔らかい感触は……
「よし、サッサと起きようか俺っ!」
俺、瞬時に覚醒。男の膝枕なんて御免こうむる。
「ええと……そうだ、結局勝負はどうなったんだ? 多分負けたって事は分かるんだけど……」
客観的にノックアウトされた俺を介抱する図、だからな。
「最後にアイリスに突っ込んだ所は覚えてる?」
「……あ~、思い出した。確か杖を持つ手を狙って……何かにぶつかった?」
「ピンポン、正解っ! 君が衝突したのは空気の壁でした~」
「空気の壁?」
「そう、アイリスが≪ウインドアーマー(風鎧)≫使ってたのは覚えているでしょ? あの魔法、解除の仕方が2通りあってね。一つは普通に解除、周りには特に影響なし。二つ目は纏っていた風を周囲に解き放つこと」
ああ、≪パージ(解離)≫ってそういう事か。
「アイリスは神族、つまり本領は防御魔法。≪ウインドアーマー(風鎧)≫で纏う風の密度は並みじゃあない。君はそれに顔から突っ込んだ所為で気絶したんだよ」
通りで顔がヒリヒリする筈だ。
それにしても攻防一体の魔法とはなかなかに奥が深い。
「本領は防御って言われてもね。俺の魔法が破られたりしてたけど?」
「うーん、私が思うに理由は二つかな……知りたい?」
当然頷く。
「一つは、単純にヒビキ君の魔法の腕の問題じゃないかな。同じレベルの魔法でも、使う人の技量によって威力が変わったりするしね」
まぁ、確かに合成魔法なんておかしな使い方をしていても、基本は魔法なんて覚えたてだ。
「二つ目、アイリスの魔法のレベルが高いから。模擬戦ではカナリアちゃんの《アクアランス(水槍)》と相打ちだったけど、そもそもカナリアちゃんは魔法……っていうか、戦闘が得意なわけじゃないんだ。その分、座学や家庭科の成績は良いんだけどね」
確かに戦闘関連の評価は低いって聞いたし、本来はキアの侍女だそうだから、家事等の方が得意分野なのだろう。
「逆にアイリスは魔法特化型、攻撃魔法でも並の魔族より強力なんだよ。なにせ本来発動出来ない筈の若さで魔法を習得、更に独学で中級魔法まで使えるようになっちゃったのが学園長の目に留まって、今じゃ魔法関係の授業は第一階級に混じって受けてるぐらいなんだから」
自慢げに話すアイラは妹が可愛くって仕方がないって顔をしている。
「はぁ、それは凄いな、ほんとに……」
飛び級で大学に進学する天才児のようなものだろうか?
試合中の憤りなど忘れて、もはや感嘆の声しか出ない。そんな俺の声と視線になぜか居心地悪そうに顔を背けるアイリス。
「あ、だから魔具も持っているのか?」
「そうそう、学園長が取り計らってくれてね。流石に使い魔召喚は危険が伴うから駄目だったけど、魔具は作らせて貰えたんだよね」
学園長って教育者らしい事もしてるんだ……いや、感心するとこ違うだろ俺。
「そういえば、アイリス……ちゃんは、幾つ属性持ってんの?」
使った魔法だけでも五つの属性あったからな、凄い気になる。
「ん~、アイリス、教えちゃって良い?」
「……別に構いません」
「じゃあ教えちゃうね? アイリスの適性属性は光属性だけなんだよ」
「光だけ? それにしてはどれもレベル高かった様な気がしたけどな」
「ふっふっふ、そこで登場するのがアイリスの魔具『賢者の枝』。能力はなんと“適性補正”と“魔法強化”らしんだけど、意味分かるかな?」
「ええと、苦手な属性でも得意属性と同じように使えて、尚且つ魔法を強化出来るって事?」
凄いな、魔法関係ならほとんど無敵じゃないか。
まさに歩く魔法砲台。
「フフッ、君が思ってるほど万能でも無いよ。魔具の能力を使えば魔力の消費は激しくなるし、そもそもこの子は体動かすのはてんで駄目だから!」
なぜそこを楽しそうに言うのか俺には理解できない。
しかし、そうかなるほど。体力が無いからこその完全な魔法特化型、それでバランスが取れているんだろう。
「……むぅ」
アイラ自ら運動音痴と称されてアイリスは不服そうだが、反論しない所を見ると自覚はあるようだ。
「ま、とにかく俺の負けだな、完敗完敗っ!」
悔しさを誤魔化す為に明るく……ではなく、本当に晴れやかな気持ちで言った。
ここまでコテンパンにされるといっそう清々しいくらいだ。
試合中は確かに怒髪天を突きかけたが、言葉ほど悪い子じゃないようだし。
しかしそんな俺を、アイリスが今日初めて大きく表情を崩し、目を見開いて見詰めてきた。
「ど、どうした?」
「あ、いえ、なんでも……」
尋ねると言葉を濁して元の冷めた表情に戻ると、プイッと視線を逸らされた。
何なんだ、今の態度は………あ、そうか、そういえば負けたほうが言う事聞くって賭けしてたな。
それが言い出し辛かったのか。
「ごめんごめん。アイリスちゃんの言う事、一つ聞くって約束だよな?」
「え?……あ、ああ、そうでしたね。それじゃあ、一つお願いが有ります……」
どうにも反応が鈍い、俺何か間違ったか?
「わたしに……わたしに貴方の魔法を教えてください」
「いや、むしろ俺が教わりたいくらいなんだけど」
魔法で人をボコボコにしておいて、何を言ってるんだろうこの子は?
そもそも、魔法始めて一週間も経ってない俺が、天才少女に教えられる事なんて……
「ああ、もしかして合成魔法の事?」
試合で最初使った時に驚いてたみたいだしな。
「合成魔法と言うんですか? 二つの魔法を同時に発動させ、それを融合して新たな魔法を生み出す……話に聞いたときは半信半疑でしたが、実物を見て驚きました」
アイラを横目で見ながらのアイリス。
模擬戦を見ていたアイラの話を聞いて興味を持ったのか。
とすると、ひょっとして……
「合成魔法が見たかったから、アイラに頼んで勝負を持ち掛けてきた?」
思い付きで訊いてみただけだったが、図星だったらしく少し顔を赤くしてそっぽを向かれた。
追求するのも面白そうだったが、話が進まないので止めとくか。
「合成魔法ねぇ……なぁ、別の事にしない?」
そう言うとアイリスは再び冷めた……いや、それ以上の凍てついた表情で俺を睨んできた。
マゾじゃないから、そんな目で睨まれても怖いだけだぞ? っていうか、この世界の小学生ってみんなこれくらい怖いのだろうか?
「そうですよね、期待したわたしが……」
「別に魔法ならタダで教えるし。折角勝負に勝ったんだから、もっと良い事頼んだらどう?」
何事か言いかけたアイリスに言葉を被せると、今度こそ目を大きく見開き驚きで固まってしまった。
反対側のアイラも、アイリス程じゃないが驚いているようだ………俺何かおかしな事言ったか?
「ヒビキ君。君の魔法、そんな簡単に教えてもいいの?」
「いや全然構わないが、なにか問題でもあるのか?」
「問題っていうか……なんて言えばいいのかな? 自分の持てる技術や秘術はそう簡単に人に教えちゃいけないって風潮が有ってね? 先生達だって自分の研究内容は安易に漏らさないもんなんだよ」
言わんとすることは分かる。
「ヒビキ君が使った合成魔法って言うのも充分秘匿するに値する技術だからね、それを簡単に教えるって言うのが信じられないの」
……俺が使ったのって、そこまで大層なものだったのか。
大して試行錯誤もしていない、思い付きに頼ったものだったのだが。
「変です、貴方……」
些かカルチャーショック(?)を受けていると、アイリスが小さく呟くのが耳に入った。
「変ですっ! 貴方はっ!」
なぜか急に声を荒げて、グッと身を乗り出してくるアイリスの勢いに押されるように仰け反る。
「そもそも、わたしに負けたのに悔しくないんですかっ!?」
「いや悔しいけど? でも、ここまで力の差があると爽快感の方が勝るっていうか……」
「見返り無しで秘術を教えるなんてっ!」
「個人的には大したもんじゃないと思うし、形だけとはいえ俺の方が先輩なんだから、請われれば教えるのが当たり前だろ?」
むしろ後輩(小学生相当)に見返り求める方がどうかと思うんだが。
俺の返答を聞く度に、どうしてかアイリスの勢いが萎えていく。
「………わたしみたいに、嫌味で傲慢な性格の子供が相手でもですか?」
何故か涙の溜まった上目遣いでそう問いかけてきた。
その表情は先程までの勢いやずっと見せていたクールさは無く、まるで追い詰められた小動物のようだ。
それにしても、この展開が理解できない。
俺の返答の何処に彼女を怒らせたり泣かせたりする要素があっただろうか?
今もどこか怯えた表情で返答を待つアイリスになんと答えたものかと迷うが、結局は正直に答えることにした。
「アイリスちゃんは悪い子じゃないよ。そもそも勝負に勝ったのに『お願いします』とか『教えて下さい』とか律儀に言うんだから。それに試合の最中、俺が怪我しないように手加減してくれてただろ? 俺は良い子だと思ってるよ」
本気で俺を潰しに掛かってきていたら、速攻でミンチになってた自信あるね。
特にあの≪フォールロック(落石)≫とか、数とか密度とか変えられてたらやばかったし。
……思い出したら足が震えてきた。
「ま、まあ、そんな訳だからさ。理由は良く分かんないけど、そんなに気にする必要はないさ」
再燃する恐怖を誤魔化すよう早口に言うと、手を伸ばしてアイリスの頭を撫でた。
白く長い髪は見た目通り細くサラサラとしていて、撫でていて気持ち良い。
それがいけなかったのか、アイリスは俯いて肩を震わせたかと思うと、
「う、う……うわぁぁぁああんっ!」
な、泣き出してしまった!?、
「え、ちょ、なんで――ごふわぁ!」
しかも俺の胸に顔を埋める様に抱きついて来た!
あーもぉーっ、なんなんださっきからこの訳のわからない展開は!
――とはいえ、泣いてる女の子を問い詰めたり突き放したりは出来ないので、アイラに『何とかしてくれ!』的な視線を送ってみる。
ほんと、女の子の波だってズルい。
「……妹が大人の階段昇るのを見守るのって、複雑だよね」
「違うだろこの兄モドキがーーっ!」
役に立たない猫男めっ!
左手でアイリスの頭を撫でて慰めながら、右手をアイラに向けて『そろそろいい加減にしないと魔法ぶち込むぞ?』的な視線で脅す。
「あ、あはははははっ、怖いなーっ、冗談だってば。ほら、アイリス? ヒビキ君が困ってるよ?」
「…ッ…ヒック…ヒック…グスン…」
アイラはアイリスの後ろに回りこんで引き剥がすと、背中から抱き付く様に抱え込んだ。
それでアイリスの顔を見れるようになったのだが、涙で濡れてクシャクシャになったその顔を見ると、俺が悪いわけではない筈なのに途方も無い罪悪感が……
「ヒビキ君は知らないだろうけどね、アイリスは周りの人――特に上級生――には快く思われてなくって。基本的にこの学園って優秀な生徒が集まるから、総合的に成績が良かったり一芸に秀でたりするんだけど、プライドが高い生徒も多いんだ」
アイリスをあやしながら、苦笑いを受けべてアイラが続ける。
「第三階級や第二階級はまだ良いんだけど、魔法関係だけ飛び級して第一階級で授業受けてるって言ったでしょ? しかも成績が良いもんだから、それが面白くない人が多いらしくって……」
アイリスの顔をハンカチで拭いてやりながら、『私が何か言うとアイリスの方に皺寄せが来ちゃうから手出しできなくて』と自嘲気味に付け加えてた。
「直接どうこうはないんだけど、聞こえるように陰口叩いたり、伝達事項をこの子にだけ伝えなかったり、試合で負けても暴言はいたり……」
「ヒック…あの、その…ヒック…だからっ!」
それまでアイラに顔を拭かれるままだったアイリスが急に割り込んできた。
瞳はまだ涙で潤んでいるが、視線はしっかりと俺に合わせている。
「だから、グスッ、あなたも他の人とおなじだとおもって、でもまほうはみてみたくって、それで勝負なんてして……それになまいきな事言ったり、わたしのせいでけがなんてさせたり……うぅ~…、あ、あの、ほんとにご……ごめんなさいっ!」
再び目に涙が溜まるのを見てアイラが慌ててあやす。
なんだか話し方が急に幼く……いや、年相応になった感じがする。
もう試合前のクールさや大人びた雰囲気は少しも感じられない。
アイラは困ったように笑いながら、俺に分かるように説明してくれた。
「ごめんねぇ~。この子、年上の生徒にちゃんと評価してもらったのが嬉しかったらしくて。今まで周りに居たのは性質の悪い奴が多くて、喋り方もそんな奴等に馬鹿にされないように無理してたんだ。だから、今のアイリスが素なんだけど、会ったばかりの人の前で素に戻るなんて予想外だったな」
予想外と言う割には嬉しそうにアイリスの頬をつつき、言われた本人は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
でも、そうか、随分と風当たりが強いというか、苦労してきたんだな。
幾ら才能が有っても、精神面まで早熟なんて早々ないだろう。
心無い言葉がこの子を追い詰めていたんだなって事は、簡単に想像できた。
「そっか、頑張ったんだな」
もう一度近付いて、アイリスの頭を撫でた。
言葉以外で彼女を労う方法が他に思い付かなかった。
するとアイリスは顔を上げたかと思うと、再び俺に抱きついてきた。
顔を胸に埋められてしまった所為で、表情まではわからない。
ど、どうしたどうした? また泣くつもりか!? ……っと、一人でオロオロしていたら、
「……ひとつ、おねがい……きいてくれるんですよね?」
くぐもっていたが、ハッキリとそう言った。
「まあ、約束だからな。あんまり無茶じゃなければ良いけど……」
その言葉にアイリスは顔を上げて、俺をジーッっと見詰めて……あれ、なんか目が期待でキラキラしてない?
凄い要求されるんじゃと身構えてしまったのだが。
「あの『お兄ちゃん』って、呼んでもいいですか?」
…………はいぃ?
「いや、呼び方なんて好きにして良いから、別のにすれば?」
そもそもそこにいるだろ、猫耳お兄ちゃん。
「これが良いんですっ!」
「えと、はい、わかりました……」
剣幕に押されて思わず頷くと、アイリスは嬉しそうに頬を緩めて、抱きつく手に一層力が入る。
そんな仕草に俺も思わず笑みが零れる……訳じゃなく、いや可愛いと思うし和むんだけど、急展開に頭が着いていかない。
これはもしかして、懐かれたのかな?
「あーっ、ズルイなぁ。自分だけ『お兄ちゃん』って呼んでもらえて~」
「いやアイラだって呼んで……あれ、そういや呼んでたっけ?」
そういえば、今日アイリスがアイラの名前を呼んだ記憶がない。
「今まで呼んだことないです。だってアレは『お姉ちゃん』ですから」
おねえちゃん? いやま、アレ呼ばわりも相当だが。
「酷いでしょヒビキ君。こんな妹思いの立派な『お兄ちゃん』なのに、一度も呼んでくれないんだよ!?」
立派なお兄ちゃんは女子の制服着てしな作らねぇよ。
後一度もって、どんだけ昔から女装してんるんだよお前は。
「だってお姉ちゃんの作るお料理は美味しいし、掃除や洗濯だって上手だし、お洋服作れるくらい裁縫だって出来ちゃうし、お化粧にだって詳しいし、流行のお店とか欠かさずチェックしてるし、他にもアレとかコレとか……」
……確かに女装したそんな人物をお兄ちゃんと呼ぶのは、かなりの抵抗がある。
っていうか女子力高いなおい。
「だから、その、お姉ちゃんの事は大好きだし尊敬してるけど、ちゃんとしたお兄ちゃんも欲しいなって……」
恥ずかしそうに俯くアイリスに、何となく敗北感を覚えながらその髪をそっと指で梳いて言った。
「そんな大役、俺で務まるとは思わないけど……言う事聞くって約束だからな。これからよろしくな、アイリス」
妹相手にちゃん付けもおかしいだろうと思って呼び捨てにしてみたら、バッと勢いよく顔を上げ、今度は笑顔で首に手を回して抱きついてきた。
どうやら選択は正しかったようだが、喜び方が少し大袈裟過ぎる気もする。
まぁ子供ならこんなもんだろうし、それだけ『お兄ちゃん』に憧れがあったのかもしれない。
実の兄はあんなだしなぁ~…
「2人だけで楽しそうにしないで、私も混ぜてよ~」
「お前は来るなぁっっ!」
男に抱きつかれるなんて真っ平ごめんだ!
ワイワイと言い合おう俺たちを見て、アイリスが子供らしい無邪気な笑顔を浮かべていたのがとても印象的なのだった。