第十四話 初めての模擬戦
太陽が頂点へと差し掛かる時刻、闘技場にある石畳で造られた円形のリングで俺は、一人の女子生徒と相対していた。
彼女の名はカナリア・アイビッシュ、黒いショートボブの魔族の女の子だ。
お隣の第一階級第二位獅子クラスの生徒なのだが、かなり小柄でネルと同じくらいの身長しかない。
どうしてそんな子と闘技場にいるかというと、実技の授業で模擬戦を行うことになったからだ。
周りには手の空いた生徒が俺の初陣を興味深そうに見守っている。
要は組み合わせで彼女と戦うことになっただけなのだが……
『………………………』
お互い、凄く、きまずい。
その原因は彼女の後方、リングの間際でこちらを睨みつけている、ポニーテールの少女にあった。
それでは、回想開始……
□
魔具と使い魔を出してから三日。
この間は目立った出来事もなく過ぎていったが、内容はかなり濃かった。
戦闘や武芸に関する授業こそなかった(或いは魔法関係の実習に差し替えられた)が、座学は魔法史・魔法理論・精霊学・魔法生物学・大陸史・大陸一般教養・錬金学・数理学などなど。
これらのアルター特有の授業を受けながら、ある程度理解できるように予習・復習するのはかなり骨が折れた。
しかも授業に魔法関係の実習が入ると、進みの違う俺はクラスとは別行動という面倒な事もある。
数理学と錬金学――現代で言うところの化学――は現代知識の応用でそれほど苦労しないで済んでいるし、魔法の実習関係は覚えが早いおかげで、なんとか追いつけそうな気がするのが不幸中の幸いだけど。
「なんだかんだ言って順応は早いな、君は」
「世渡り上手って事よね」
心を読むなよ、お前ら。
お昼の食堂で一緒になったハイドとイルが好き勝手言ってくれる。
「君は顔に出やすい、それさえなければもう少し物事上手く運べるだろう」
「そんな具体的に読める顔ってどんなだよ」
「キュ~」
「待てコラ食いしん坊ドラゴン、人の肉を強奪するな!」
使い魔になった星竜の幼生体のギンなんだが、こいつ肉ばっかり食う上に隙あらば俺の皿からも持って行く始末。
ちょっとは野菜も食え、ほら。
「食事くらいで大人気ないわよって言いたいけど、無作法には違いないわね」
「そもそも使い魔だ、必要なとき以外は喚ぶ必要も無いだろう」
ハイドの言う通り送還出来れば良いんだが、俺の傍が面白いのか送還に全力で抵抗するんだこれが。
魔法を覚えたてで腕が未熟な所為か、送り戻す事が出来ずにいる。
「はぁ、もういいよ」
食事の時以外はそれなりに聞き分け良いんだけどな、こいつ。
自分の分の肉を半分分けてやり、残りをさっさと食べてしまおうという時に知らない声が割って入ってきた。
「奇遇ですわね、ハイド様、サーフィラ様。お久しぶりで御座います」
涼やかな声に視線を向ければ、小麦色の髪をポニーテールにした少女が跪き、ベルリアス兄妹に深く頭を垂れていた。
「止めなさい、キアグリス。学園では身分の持ち出しはご法度よ、私は一生徒で貴女の後輩でしかないわ。簡単に頭を下げるのは止しなさい」
「それはいけませんわ、サーフィラ様。ワタクシは国に忠誠を誓った身、ならばその旗頭である貴女様をないがしろになど出来ませんわ」
それからも二人は『止めなさい』『できませんわ』とやり取りを繰り返す平行線。
「(ハイド、この人誰?)」
「(キアグリス・プロード、ベルリアスのプロード侯爵家の一人娘で次期当主だ)」
「(侯爵家で次期当主って、かなり偉いのな)」
「(現当主は軍部で騎士団長を務めている。プロード家は代々武官の家系で、彼女も学園ではかなりの実力者だ)」
やだー、ばりばりの体育会系じゃないですかー。
そりゃ上下関係に厳しいわ。
「(ちなみにオレの婚約者候補でもある)」
婚約者!? このちょっとつり目のクールビューティーが?
……リア充王子め!
「あ、あの~……」
おずおずと控えめな声に横を向くと、黒いショートボブの小柄な女子が。
赤い目をしているから魔族だろうけど、何の用だろうか。
「ハイド様、ヒイラギ様、申し訳ありません。お嬢様がお食事の邪魔をしているようで……」
「気にするな」
「ああ、大体食べ終わ――今食べ尽くされたけど、お嬢様ってそこの人の事?」
ハイドとヒソヒソ話している間に人の昼食を食べ尽くしたギンの頭を、両手でグリグリ制裁しながら尋ねる。
「あ、私、お嬢様の従者でカナリア・アイビッシュと申します。第一階級二位、獅子のクラスに在籍しておりますので、今後お嬢様共々宜しくお願い致します」
……え、同い年? ぶっちゃけもっと下に見えるんだけど……いやいや、驚くのは失礼だな。
そして肝心のキアグリスお嬢様だが、絶賛口論中でこっちのやり取りに気が付いていない。
「ご丁寧にどうも。俺は第一階級二位、鷹クラスのヒビキ・ヒイラギ……って知ってるみたいだな」
「はい、ヒイラギ様は始業式で御挨拶されていましたし、階級も一緒なので拝見する機会もありましたので」
「そか、それなら良いけど、俺の事はヒビキって名前呼び捨てでいいよ。様付けされるほど偉くも無ければ柄じゃないしね、カナリアさん」
「ふふ、ではお言葉に甘えてヒビキさんと呼ばせて頂きます。ヒビキさんも私の事はカナリアで結構ですよ」
「そうだな、じゃあそう呼ばせてもらうよ」
和やかに自己紹介を終えるが、
「ちょっと貴方!」
いきなり耳元で怒鳴られたっ!
ああくそ、耳がキーーンってする、キーーンって……
「ええ、貴方よ。何でもサーフィラ様を他の生徒同様―平民と同じ扱いをしていると聞いたのだけど……本当かしら?」
殺気すら感じさせる圧力を放ち、質問と言うか尋問してくるキアグリス嬢。
いやいや、何でサラと口論してたのにいきなり矛先がこっちに向くのさ。
……チラッとサラに目を向けると、視線を逸らされた。
ああ、俺を引き合いに出したな、コンチクショウ。
「ったく……ええと、友人としてならともかく、王女としての特別扱いしてないよ。基本呼び捨てだし、敬語も使ってないし」
「あ、貴方、それでも魔族なのっ!?」
いえ、人間です……あれ、俺が留学生って気が付いてない?
……面白そうだから放って置こう。
「種族は関係無いだろ? サラが特別扱いして欲しいって言うなら別だけど、むしろするなって言ってるし。学園内では生徒同士を切磋琢磨させるために、身分の持ち出しはしなようにと言われてるみたいだしな」
変に身分差がある場合、相手に本気を出せず実力が発揮されない場合などを考慮して事だとか。
俺もそっちの方が気楽だし、とは言わない方が良いか。
「魔族なら生まれや国籍を問わず、敬意を払って然るべき御方ですわ! それを……信じられませんわ!」
「落ち着け、キアグリス」
こんな状況でも優雅に食後のお茶を飲んでいたハイドが、ヒートアップするキアグリス嬢を制する。
「は、ハイド様……申し訳ございません」
「彼の目をよく見てみるんだ。彼こそ件の留学生、一度は目にしているはずだ」
その言葉聞いたキアグリス嬢がいきなり近付いて俺の顔を覗き込んできた。
所謂もうちょっとでキスが出来そうな距離……なんだが、額から生えた角がチクチク当たって痛いっ!
「ま、魔眼じゃないですわ。角もありませんし……」
ちょっと呆然としたように言って離れるキアグリス嬢。
「彼は魔族では無いし、色々と例外的な立場にいる人間だ。多少の言葉遣いぐらいは許されるだろう」
ハイドの説明にキアグリス嬢は俯いて黙り込み、カナリアが慌てて傍に向かう。
俺が直ぐに留学生だって説明すれば良かったのかも知れないけど、いきなり攻撃的な態度だったから別に反省はしていない。
だが、ここで事態は予想しない方向に進んだ。
「…………よっ…」
キアグリス嬢が俯いたまま肩を震わせて何事か呟く。
何だろう? と思ったら、顔をガバッと上げて指を突きつけながら叫んだ。
「決闘よ! 決闘を申し込みますわ!」
俺に向かっ……オレェーーッ?
「お、お嬢様っ!?」
「キアグリス! 一体何を!?」
「プロード家の名を貶されて、引く訳には参りませんわっ!」
サラとカナリアが目を見開いて驚くが、決闘ってこっちではそんなに大層な事なのか?
そ、そもそも貶した事になるのこれってっ!?
「落ち着け、な? なんで俺と君が決闘なんて――」
「面白そうだな、受けて立とう」
ちょ、なに勝手に受けて立ってんの馬鹿王子っ!?
「だが決闘とは穏やかではない。こちらの世界に不慣れな彼にそこまでの覚悟を強いるのは酷だろう?」
「う……それは……」
「ならば手頃な行事がある。明日の鷹と獅子合同の模擬戦、そこで決着をつければ良い。それぐらいが妥当だろう」
何なの、この本人不在の流れ。
「お前らそろそろ……いや、すんませんどうぞ続けてください」
弁解しようとしたのだがキアグリス嬢に恐ろしい視線で射すくめられ、反射的に謝ってしまう。
「明日の担当はグラント先生だったはず、今から頼んでおけば対戦カードの一つぐらいお膳立てしてくれるだろう」
「分かりましたわ、グラント先生にはワタクシの方から話を通しておきますわ……貴方、覚悟しておきなさい!」
いや、覚悟も何も……こんなに怯えた姿を見れば、戦う気なんて無いって気づくだろう?
「……言葉は不要、己の武で語るだけと? 大した自信ですわね……明日、ワタクシがその自信を打ち砕いてあげますわ! カナリア、いきますわよ!」
気付いて無いどころか火に油注いだーーッ!?
「お、お嬢様!? あ、なんとか止めるように説得してみますのでこれで失礼、あ、お嬢様ぁ~、待ってくださいよぉー!」
颯爽と去っていくキアグリス嬢に慌てて後を追うカナリア。
「な、なんて事してくれやがった……」
ようやく喋れる様になった俺はありったけの怒気を込めてハイドを見るが、涼しい顔して全然堪えてない。
「サラも止めてくれれば良かったのに……」
「決闘ならともかく、模擬戦なら目くじら立てることじゃないわ。彼女は第一階級二位の中でも屈指の実力者、一度手合わせしておくのも悪くは無い筈よ」
うおおぅ、やっぱし滅茶苦茶強そう!
「彼女は幼い頃から厳しい訓練を積み、その家名に恥じぬよう努力してきた。故に家名を貶されるのを嫌うのだ」
いや、貶した覚えないし、そもそも彼女が勘違いしただけなんだけど?
「…………逃げても良い?」
「そんなことをすれば、次こそ決闘を仕掛けて来るわね。因みに決闘は特に魔族にとって神聖なものだから、正式に申し込まれれば逃げる事は許されない。仮にどちらかが命を落としても両者同意の事故で済まされるわ」
そういや、中世のヨーロッパでは申し込まれた決闘を受諾しないことは、死に値する不名誉と考えられていたとか。
しかも決闘を行うのはもっぱら有力貴族だったらしい。
そういう意味ではキアグリス嬢は今まで会った貴族の中で、一番貴族らしい貴族なのかもしれない。
こんな状況じゃなければ割りと感動出来るのかも知れないが……
カナリアがなんとか彼女を説得できる事を祈っておこう。
「カナリアはしっかりしてるし歯止め役でもあるけど、模擬戦の試合程度じゃ流石に強く言うのは無理ね。諦めなさい」
だから、俺の心を読むな。
「キュキュキュ~~♪」
その頃完全に空気になってたギンは、話に夢中だったハイドとサラのご飯まで平らげてご満悦だった……
□
回想終了。
出来うる限りの(死なない)準備をして授業を迎えたはずが、いざ模擬戦でリングに立たされると相手はキアグリス嬢ではなく従者のカナリアが……
「これ、どうなってんの?」
「わ、私にもさっぱり……」
カナリアの後ろで歯をギリギリ食いしばりながら睨みつけてくる彼女を見れば、意図していない不本意な状況である事はわかるが。
「まあいいや。こうなった以上、やるしかないか」
「……そうですね、よろしくお願いします、ヒビキさん!」
礼儀正しく頭を下げるカナリア。
こちらとしてもキアグリス嬢を相手にするより、精神的にも体力的にも楽なので好都合だった。
――これは後日知る事になるのだが、食事中のグラント先生の所にキアグリス嬢がカナリアを伴って訪れた際、俺と戦わせる様に頼んだらしい。
だが元々忘れっぽく、更に食事中で話半分に聞いていたグラント先生は詳細を忘れ、隣に居たカナリアと戦わせたいのかと曲解した事が原因だそうだ。
まあ、キアグリスの実技での成績と本格的な戦闘経験の無い俺とが結びつかなかった所為でもあるのだが――
俺たちの心構えが整ったのを察して、グラント先生が注意事項を飛ばす。
「おーっし、始める前に確認しとくぞ! 魔武器と魔法の使用は良いが、使い魔の召喚は禁止だ。相手の死に至らしめる様な攻撃も無し、勝敗はどちらかが戦闘不能になるか負けを認めるか、あるいは俺が止めに入った時点で決める。忘れんなよ!……それじゃあ、試合開始っ!」
声と同時に俺は一旦後方に跳んで距離を取る。
三種族にはそれぞれ種族別にその能力に関して大きな差があり、それを考えた上での行動だ。
魔族は攻撃魔法に長け、攻めを重視した戦いを好む。
神族は防御魔法に長け、攻撃を防ぎながらのカウンター戦法が得意。
獣人族は魔法全般が苦手だが、他二つの種族の追随を許さない高い身体能力を持つ。
あくまで一般的にであって絶対ではないのだが、カナリアは魔族なので攻撃魔法を警戒しなければならないだろう。
だから、どんな魔法が来ても対応できる距離を取ったつもりだ。
いきなり近付いて詠唱破棄の範囲魔法とかやられたら洒落にならん。
右手に銀月を出して木刀の形状に変え、正眼に構える。
構えた銀月の延長線上にいるカナリアは学生服でなく、ライダースーツにも似た黒い戦闘服に身を包んでいる。
俺も同じデザインの服を着ているのだが、この服には防御用の魔方陣が組み込まれていて衝撃や斬撃にも耐えられるとか。
着心地も良いし通気性も良いので個人的にも一つ欲しい。
馬鹿な事を考えている内にカナリアが魔具を出した。
右手に出現させたそれは、
「……ボウガン?」
クロスボウや弩(ど、おおゆみ、いしゆみ)言われ、バネの力で矢を打ち出す武器だった。
彼女が持っているのは金属性の物で、俺は開始早々自分の失態を悟った。
遠距離武器相手に距離を開けることは、初級の魔法しか使えない俺にとって自殺行為だ。
だが、まだ矢はセットされていない……この間に距離を詰めれば!
体に魔力を込めてリングを蹴る。
これは魔力による肉体強化の魔法で、詠唱もいらず属性に関係なく使用できる戦闘における基本技能だ。
体内の魔力をイメージで循環・増幅させるだけなのだが、動きながら使える様になるまでちょっと大変だったが、それはこの際置いておこう。
兎に角、この魔法は筋力だけでなく動体視力も強化されるので、例え矢が放たれても分か――
「――うぐぉ!?」
ズンッと突然の衝撃が俺の胸を貫いた。