第一話 登校・再会・落下
自己紹介をしておこう。
俺は柊響、十七歳。中肉中背、髪は標準的な日本人らしく黒色で染めてもいない。
趣味は……なんだろう? 一応、多趣味ということになるのか?
うちの親は俺が生まれる前から好奇心旺盛で、無駄に行動力抜群。
興味を持った事には手を出さずに入られない困った人達で、しかも性質の悪い事に器用で要領もよく飲み込みが早い。
その為、どの分野でもそれなり以上の結果を出してしまうのだ。
そんな両親も俺が生まれたのを機に鳴りを潜める、なんて殊勝な性格でもなく、生まれた息子(=俺)を連れまわす始末。
思えば幼稚園から小学校・中学校時代は酷いものだった。
琴線に触れたものは頭脳・運動系問わず手を出す二人は、俺の学校があろうがなかろうがお構いなしに連れまわす。
毎年出席数がギリギリだった俺だが、素行と成績が良かった――成績は親が連れます最中でもミッチリ仕込まれた――ために、なんとかやってこられた。
俺にはやはり両親の血が流れているらしく、付き合わせられている内にそれなりの技能・知識が身に付き、学校では便利屋扱いされた。
でもそのおかげで友達も多く、碌に出席もしないのにそれなりに学校生活を送れたと思っている。
……そもそも、親に問題があると言われればそれまでだが。
そんな生活も高校入学を転機に大きく変わる。
親父が仕事で海外赴任になり、お袋もそれについていった。流石に海外までついていく気のなかった俺は、高校合格の通知をもらっていた事もあり一人暮らしを主張。
多少渋った二人だったが了承を得ることができた。
渋った理由が『遊び相手がいなくなる』と、親として激しくベクトルが間違っていた様な気がする。
初めての一人暮らしは戸惑う事も多かったが、両親の教育(=道楽)のおかげで家事技能も身に付いていたので、これといった問題も起きなかった。
おかげで入学して一年、まこと平和に過ごしてこられた。
……そう、一年は過ごせた。一年しか過ごせなかった。
一年の節目、新しい季節、高校二年になった春の新学期。この日、俺の想像した事もなかった新たな学校生活が幕を開ける。
□
その日は新学期という事を除けば、なんら変哲もない日常だった。
朝は目覚ましが起きる前に起床、新聞を取り朝食へ。
今朝はオーソドックスに焼いた食パンに目玉焼き、ベーコンを添えて牛乳で頂いた。
その後は軽く身だしなみを整え、授業もないおかげでほとんど空の鞄を持って学校へ。
徒歩二十分程で着く学校は家から近いからという理由で選んだものだが、緩めの校風の割に風紀は良くレベルもそこそこなので満足している。
校門を抜けた先には既に新学年でのクラス割が掲示板に貼り出されており、生徒達がわらわらと群がっている。
周囲からは『今年も同じクラスだ』やら『おれだけ仲間外れかよ!』なんて会話が聞こえてくる。
自分もそんな群れに混ざるべく、並み居る生徒を千切っては投げ千切っては投げ、海千山千の武将の如く並び立つ愚者どもをなぎ払い……なんてことはせず、生徒の隙間を縫って掲示板の前に立った。
――今思えば、ここで俺の日常は終わりを告げていたに違いない。
「……あれ? 俺の名前、ない?」
新二年の欄を流し見して、見つからなかったので今度はじっくり見て、左端からゆっくり見て、右端から嬲る様に見て、無駄と思いつつ新三年の欄を見る。
やっぱりないなぁ~
「お~い、柊。こっちこっち、ようやく見つけたぞ」
そろそろ手近な教師を捕まえて質問でもと思ったところで、ここ一年で馴染み深くなった声に引き止められた。
声のしたほうに目を向けると、生徒たちより頭一つ飛びぬけて大きな人間、昨年お世話になった担任(三十七 歳独身男性)が手招きして呼んでいた。
「おはようございます先生。ちょっとお聞きしたいことが・・・・・・」
「あー、クラス割に名前がない件だろ? 知ってる知ってる。そのことで理事長が御呼びだから、理事長室まで行ってくれ」
「はい? 理事長室? なんでまた・・・・・・」
「そこんとこは俺も聞いてなくてな、とにかく見つけたら伝えろだと。悪いなぁ」
よくわからんが理事長に会いに行かないといけないらしい。
高校入ってからは無遅刻・無欠席の優良生徒だった筈だが……いや、仮になんらかの悪行で呼び出されるにしても、そういうのは校長にではないか?
とにかく行かない事にはどうにもならないようなので、申し訳なさそうにする元担任(三十七歳独身男性)に礼を言って、校舎に入った。
「理事長室は確か校長室の近くだっけ? 行ってみればわかるか」
そもそも理事長室なんて入った事もなければ、理事長と会ったこともない。それ以前に顔どころか名前も覚えていない。
だって一年を通してほとんど学校にいないばかりか、主だった行事のために年に一、二回挨拶するだけ。
しかもテンプレのような校長の長話の後なので、俺はおろかほとんどの生徒が真面目に話を聞いていない筈だ。
言い訳じみた思考に耽っている間に足はきちんと役割を果たしたようで、校長室を通り過ぎて『理事長室』と書いてあるプレートの部屋の前まで来ていた。
「っとと、ヤバイやばい。通り過ぎるトコだった」
部屋の前で簡単に身だしなみを整えてからノックする。どんな事情があるのかは不明だが、もうすぐホームルームも始めるし手短に終わらせたい。
「柊響です、クラス割の件で呼ばれてきました。理事長先生はいらっしゃいますか?」
「待っていたわ、入っていらっしゃい」
「失礼しま………はぇっ?」
理事長室に入って初めての理事長を目の当たりにしたところで、言いかけた挨拶が途切れてしまった。
なぜならそこには初対面ではなく見覚えのある女性が、立派なデスクの向こうでニヤニヤしながら待っていたからだ。
「木葉……さんっ?」
「ええっ、久しぶりね。響ちゃん」
サァーーっと血の気が引いていく音を聞いた気がした。
この人は俺の両親の昔からの友人――いや悪友――らしく、趣味に突っ走る親に連れて行かれた先で度々顔を合わせ、時にはどうしても俺がついていけない時はこの人に預けられたりした。
俺の親と同世代の筈なのに三十前後にしか見えない容姿や、微笑を崩さないその涼やかな態度からは想像できないが、自分が面白ければそれでいいという快楽主義者なのだ。
俺を幼い頃から面倒事や無茶に顔を突っ込ませては、隣で笑っていたという恐ろしい人物だ。
そんな彼女とも親が海外に行ったのを機に疎遠だったのだが……
「木葉さんっ!」
「どうしたの、響ちゃん?」
いくら苦手でも世話になってきた人だ、これは見逃すわけには行かない!
「そんなところ座っちゃ駄目だって! ああもう、ご丁寧にスーツなんて着ちゃって。本物の理事長きたらマズイだろ、とりあえず此れは見なかったことにするから急いでぇぇぇえええーーっ!?」
チッ!っと、喋る俺の頬を何かが高速で掠めていった。
ゆっくり振り返ると閉めた扉に万年筆が突き刺さって……っておーーーい!
「あ、危ないだろっ!」
「響ちゃんがおかしなこと言うからでしょう? 言っても止まりそうにないから、こうした方が早いかなって♪」
そうだ、口より先に手を出す人だった。
「いい歳してその言い方はキモいやなんでもありませんごめんなさい……で、なんで木葉さんがここに? 俺、理事長に呼ばれてきたんだけど」
「だから、私が理事長なの……もしかして響ちゃん、ホントに知らなかったの?」
「え、いや、聞いたことなかったし……」
そこまで言った所で木葉さんが苦笑いを浮かべたまま、呆れた様に溜息をつく。
「入学式の時に生徒の前で話をしたでしょう? 一応、主だった行事があるときは出てたし、そもそも入学案内にも名前と写真があったのに。そもそも響ちゃんのご両親も知ってたから、ここへの進学も特に反対しなかったのよ?」
あれ、そだっけ? 入学案内は流し見しただけだし、行事ごとの教師の話なんてほとんど聞いてなかったからなぁ。
前からお金持っているなぁとは思っていたけど、まさか理事長だったとは……
「でも、響ちゃんらしいわね。自分の関心のないことは、意識の端にも入れない。あの二人にソックリ」
二人とは親のことだろうが、あの破天荒夫婦にそっくりと言われると軽く鬱になってしまう。
「ああ、もういいよそれは。木葉さんが理事長だってことは理解したし納得した。それで、今日はなんで俺を呼んだの? それに俺の名前がクラス割の何処にも載って無かったんだけど」
これ以上恥をかく&精神的苦痛を頂くのは御免なので、強引に話を断ち切って本題に持って行こうと画策する。
「まぁ苛めるのは今度にしましょうか」
ばれてーら。
改めて部屋を見回すと座り心地の良さそうなソファーや厚みのある絨毯など、数は少ないが品の良い・高そうな物が華美にならない程度に配置されていた。
そういえば木葉さんはやること派手好きで、遊びに使う装備の為のお金には糸目をつけなかったけど、彼女自身は割と質素な生活を好んでいたはずだ。
「今回響ちゃんを呼んだのはお願いがあるからなの。クラス割に名前が無いのもその為に私が指示したの」
「……お願い? それで名前が無い?」
なんだろう、猛烈に嫌な予感がする。
確か前回お願いされたときは、
『ごめん、滝つぼの中に靴が流されちゃった。ちょっと飛び込んで取って来て』
と言われて滝つぼに投げ込まれ、そのまま溺れかけた一幕もあった。
俺にとって木葉さんのお願い=拒否・クリア不可のそれなんてミッション・インポッシブル、なのだ。
しかも、今度は学校を巻き込む規模のお願い。
正直、冷や汗が止まらない。
「響ちゃんに一年ほど留学してもらいたいの」
脚に力を込めて本気で逃げ出すべきかどうか思案してる時に、予想外の言葉が投げ掛けられた。
「りゅ、留学? 俺が?」
「そう、先方から一名を選別して欲しいと言われててね。他にも候補は居たんだけど見事響ちゃんが選ばれたという訳なの。やったね、おめでとう!」
「おめでとうじゃないよ。いきなり過ぎてよくわからないし、そもそもなんで俺なの?」
昔から両親に連れ回されているせいか、勉強に掛ける時間が余り無いので要領よく最低限の点数を取るやり方が身に付いてしまっているのだ。
高校に入ってからもそれは変わらず、平均点だけは取ることから『ミスター・アベレージ』なんて渾名まで付いてしまった。
「部活に入ってるわけでもなし、成績が良いわけでもなし、精々無遅刻無欠席ぐらいだよ?」
「確かに素行や成績が良い生徒なら他にも居るんだけどね、実際候補の中には入れていたし。でもね、響ちゃんを候補の中に入れたのはちゃんとした理由があるの」
言うと同時に真剣な表情になる。滅多に見せないその姿に先程までの浮ついた気持ちは消え去り、自然と自分の表情も硬くなる。
「俺を選んだ理由って?」
「それは……あなたが……」
それはまるで聖者が理を説くように、神に仕える者がお告げを下すように、魔法使いが呪文を唱えるように言葉を紡いだ。
「あなたが、面白くて扱い易いからよ!」
「おもいぃぃぃぃきり私情じゃねぇかぁぁぁぁああああああ!!??」
さっきまでのシリアス分返せ!
「さすが響ちゃん、いいリアクションするわねぇ~。まぁまぁ、落ち着いて。今のは半分冗談だから」
半分本当かよ。どっちが本当でも嫌なんだけど。
「それに響ちゃんを候補から選んだのは先方なのよ。でも、まだ本決まりではないの。響ちゃんの気持ちもあるしね」
「断れる余地はあるってことだよね? それなら……」
断る、と言おうとして気になる点があったのを思い出す。
「先方って言ってるけど、留学先ってどこ? 留学っていうくらいだから海外だよね?」
至極真っ当な質問のつもりだったが、それを聞いた木葉さんの口端が僅かに上がった。
傍目にはわからないだろうけど、付き合いが長い俺には判る。これは悪戯が成功した時の笑顔だ。
もしかしなくとも地雷踏んだ?
「うふ、気になるわよねぇ。だからね、響ちゃんにはこれから其処に行ってもらって、
今日一日過ごした上で留学の話を受けるかどうか決めてもらいたいの」
「今から行く? 見学? いやいやちょっと待って、よく意味がわからない。繰り返し聞くけど、其処って……」
「大丈夫、響ちゃんなら上手くやってくれるって信じているから」
俺の質問に構わず、木葉さんがパチンと指を鳴らす。
その瞬間、足元を這う様に光が奔った。光は俺の立ち位置を中心に複雑な模様も描いていき、それはまるで、
「……魔法陣、マジで?」
漫画やゲームではよく見かけるものだが、当然実物なんて見たことはない。
「それじゃ、響ちゃん。いってらっしゃい~♪」
その言葉に床から視線を引き剥がして木葉さんを見るのと同時に、足元にあった床の感触は消え視界は一瞬にして闇に染まり、落下特有の浮遊感が体を包んだ。
木葉さんが視界から消える寸前に俺の心を支配したのは、
(だから、その歳で語尾にその言い方はやめろってーーー!)
現実逃避気味の情けない思考だった。