第八話
いよいよ火がついたか、と歯を食いしばったが、いくら待っても痛みがこない。なんで、と恐る恐る目を開けると、大きな拳が目の前にあった。瞬間目を見開いて一歩下がると、
「…火をつけられるのはいいと言うのに、殴られるのは嫌なのか」
そんな声に返事が碌な反応ができないほど、わたしは目の前の光景に驚いていた。
大きな拳はわたしを殴ろうとしていたのではなく、蝋燭の炎を握りつぶしていた。
「な、なんで…」
「お前を信じたわけではない」
わたしが呆然としている間に、皇帝は燭台を置いて手を軽く払いながらジャーハオを呼んだ。
すぐさま入ってきたジャーハオに向かって
「この者を後宮に送り返せ」
と言い、シッシッと言わんばかりに手を振った。
「…行きましょう」
わたしは半ば魂が口から抜けた状態のまま、後宮に戻った。帰りも門の前で待っていたオババにジャーハオが捕まっていたが、まあそれはどうでもいいことだ。
美帆とそっくりな女性を送り届けたあと、部屋に戻った嘉豪は仕事をしている主君をじっと見つめた。
「…なんだ、何か言いたいことでもあるのか」
顔を上げずにそう聞く主君に少し逡巡したあと、なぜ顔を焼かなかったのか、と聞いた。部屋の中にはいなかったものの、自らの主人が怒り叫んだときから、いつでも部屋に入れるように警戒していたのだ。最悪死体の片付けをしなければ、と思っていたら、何やら話がおかしな方向へ進んでいった。
「…別に他意はない。ただ、あそこで顔を焼かれたら黒魔術で顔を変えた証明ができなくなると思っただけだ」
つまらなさそうに鼻を鳴らしてそう言った主君は、しかし、嘉豪と目線を合わさない。
話は終わりだ、と言わんばかりにまた仕事に没頭し始めた主君を眺めながら、嘉豪は美帆に似た女性を脳裏に浮かべて、拳を握りしめた。
本当に何かをキメていたのかもしれない。
無事に屋敷に戻ってから、わたしはぼんやりベッドに転がっていたが、ようやく色々な実感が湧いてきた。とにかく後悔と恐怖がすごい。
顔を焼く、とか何言ってんのわたし。こわこわこわこわ。流石にやばすぎるクスリやってる。というか、顔を焼いたとてクソ神がわたしを返してくれるわけないやん。どう考えてもそのまま捨て置くだろ。
何を考えてんのさっきのわたし。皇帝が『レッツ焼肉パーチーだー!』とかノリノリじゃなくて良かった。本当に良かった。
もう二度としないでわたし。
別にこの世界に来たのはわたしのせいじゃないし、皇帝がわたしの顔を見て苦しむのもわたしのせいじゃないし。
もう自己犠牲とかのレベルじゃない。ただのホラーじゃん。
今だに全身の震えが止まらない。もう今日起きて何かする気にはなれなくて、毛布にくるまりそのまま目を閉じた。




