第七話
次の日からは絵を描いたり、掃除したりしてのんびり過ごした。何枚も何枚もわたしの家族の絵が増えていく。
初めは笑顔の絵ばかり描いていたが、怒っている顔も泣いている顔も、もう見られないんだ、と気付いてからは色んな顔を描くようになった。
数日経って、友達や、昔飼ってた犬など、題材も増えてきたある日の昼。
また激しいノックが聞こえてきた。
なにかなデジャヴかな。
ものすごい嫌な予感がして出たくなかったが、ノックは止まないばかりか激しさが増すという、前回と同じ道を辿ったため、居留守は泣く泣く断念した。
まあ、どうせ中にいるのはバレてるんだ。
恐る恐る門を開けると、案の定見覚えのあるおばさんが立っていた。
なんなんだまったく、妖怪ノックオババって呼ぶぞ。
オババはノックしていた手を何度も払ったあと、気味が悪そうにわたしを見て
「ついてきな」
とだけ言った。そしてそのまま踵を返して進んでいってしまう。
なんだよ、今度は手を繋いでくれないのかよ。照れ屋なんだからぁ。
オババは思ったより足が速く、若干小走りになりながらついていく。
屋敷をどんどん通り過ぎ、結局大きな門まで来てしまった。ああ、警報が頭の中で鳴ってる。引き返したほうがいいって言ってる。
激しい嫌な予感が頭の中を暴れ回るうちに門の外に出されてしまった。
「…こちらです」
あれ、なんだっけ、ジャーハオだっけ。
門の外にいたのは、イイし……背中の持ち主のジャーハオくんだった。
「あ、「嘉豪様!」…うん、はい」
なんとなく応えなきゃ、と片手を上げかけたわたしを押しのけるように前に出たのは、ずっと不機嫌に見えていたオババだった。
全然不機嫌じゃないよ、その声いつもの何オクターブ高いんですか?
わたしとは手、というか腕だけど、繋いだ仲なのに、ジャーハオだけに優しくするわけ?
心の中でぶつぶつ拗ねてるわたしに見向きもせずオババはジャーハオにぶつかりにいく。
その勢いは猪の突進といい勝負で、気のせいじゃなければ、ジャーハオも一歩後ずさってませんでしたか。
女の人の勢いって時には野生動物を超えるんだなあ、なんてぼんやり眺めているうちに、ようやくジャーハオがオババを物理的にも振り払い、こっちに向かってきた。
「…行きましょう、陛下がお呼びです」
あ、確かにオババの様子がおかしくなるくらいにはかっこいい顔だなぁ。アイドルというより俳優さんとかにいそう。
ジャーハオの精悍な顔立ちを無遠慮にジロジロ見つつ軽く頷いたわたしは、残念そうなオババを置いて歩き出した。
…やっぱりイイ尻…じゃなくて背中…。実にデッサン向きだぜ。まあ、そんな理由を抜きにしても筋肉っていうのはいいものだけど。
そんなことを考えながら歩いていると、
「…服はもらっていませんか」
不意に声をかけられた。
え、なに、服?
わたしは自分の服を見下ろした。
私が今着てるのはこっちに来たときのパーカーとスウェットだ。
「え、服?…あー、いや、これは洗濯して着てるだけです」
もらってないけど。なんならご飯も何もないけど。でもそれって皇帝の指示でしょ?なんなの嫌味ですか?記念すべき会話の一言目から喧嘩売ってるってこと?大喜びで買いますけど。
「…そうですか」
「はい」
「………」
「………」
え、終わり?
何がしたかったんだ、ジャーハオは。
なんだよ、ご飯すらもらえてない状況を嫌味たっぷりに語ってやろうと舌の準備運動をしていたところだったのに。
結局その会話なのかなんなのかよくわからない会話を最後に、わたしは大きな部屋に通された。
「…お連れしました」
まあ、想像通りなのでわざわざ書かなくてもいいかもしれないが、そこにいたのはわたしを後宮に押し込んだ張本人、皇帝だった。
予想通りなので、他に書くことはありません。
強いていうなら、機嫌が悪そうってことくらいですね。
なぜかわたしに会う人皆不機嫌なんだけど、もしかしてそういう魔法が使えるってこと?だったら今すぐクソ神に会いに行かなきゃ。
そんなくだらないことを考えている間に、ジャーハオはさっさと部屋から出ていってしまい、また皇帝と二人きりになってしまった。
なんなの、暇なの?仕事はどうした。
一人だけどっかりと椅子に座り込んだ皇帝は、親の仇と言わんばかりに眼光鋭くわたしを睨みつけている。最初から来たくなかったが、既に帰りたい。
その状態でどのくらい経っただろうか。睨み合いの膠着状態で時間を溶かすことがどれだけ無意味なことかわたしが語り始めそうになったとき、ようやく皇帝は口を開いた。
「……どこの家のものだ」
後藤家ですけど。
どうやらわたしのスパイ容疑は晴れていないらしいが、そんなこと聞かれても困る。
「…わたしは間者ではありません」
出来ることといえば無罪を訴えることだけだ。無力なわたし。
「そんなこと信じられるわけなかろう、本当のことを言え。お前は誰だ」
そんなこと言われても。絶対本当のことを言っても信じないくせに。
「……」
無言のまま俯くと、苛立たしそうなため息が降ってきた。
「強情だな」
「……」
また両者無言のまま時間だけが過ぎていく。
しばらくして口を開いたのはやはりあちらだった。
「……名前はなんだ」
そろそろわたしは皇帝に意外性を感じてきていた。なんか、気に入らないことがあると、すぐ打首だ、なんて言いそうなのに、こんな非力でなんの権力もない女の行動をここまで許すなんて。返事をしなかったときもできなかったとはいえ、内心バクバクだったんだよ。
「後藤美帆です」
大人しく名前を言うと、意外だったのか、皇帝は軽く眉を上げた。
「ゴトーミホ?そんな変な名前の家はないが」
変とは失礼な。
「後藤が苗字、美帆が名前です」
そう言うと、漢字を教えろ、と筆と紙を渡された。調べるつもりだろうか、どうせ出てこないのに。
後藤美帆、と筆で紙に書いて渡す。
受け取った紙を見た皇帝は一瞬で紙を手で握りつぶした。
「……ふざけているのか?」
こっちのセリフだよ、と言いたいが、あまりの剣幕に固まってしまった。
「…いえ、何も」
相手が何に怒っているのかわからない。
「そこまでして俺の気を引きたいか」
逸らしたくてしょうがないです。
何が逆鱗だったのかわからず、混乱しているわたしに皇帝は潰した紙を投げつけた。
「美帆と名まで揃えて何がしたい!」
飛んできた紙を思わず避けながら、目を見開く。名前が一緒ってどういうことだ。
「美帆と同じ顔にしようが、同じ声にしようが、同じ名前にしようが、俺がお前を見ることはない!」
その瞬間、ああ、と思った。口に出ていたかもしれない。
やはりクソ神のしたことはクソだった。
お気に入りの彼は、やはりこんなことを望んでいなかった。いくら同じ顔や名前であっても、彼と過ごした記憶のないわたしはただの偽物だ。ただ、無遠慮に彼と彼女の大切な関係を踏み荒らしているようなものだ。
見ているか、と言ってやりたかった。クソ神に、全部お前のせいだぞ、と。お前のせいで、彼は傷つき苦しんでいる。わたしを通して、彼に痛みを与えている。
皇帝は大きく肩で息をしながら、出ていけと言った。ここはお前のいる場所ではない、と。
その言葉がひどく胸に刺さった。その通りだとも思った。だから決めた。
わたしは皇帝の言葉に従わず、一歩前に出た。
怒り、傷ついている彼は今にもわたしを殺してしまいそうだ。
知らず知らずのうちに体が震え始める。正直、怖い。今すぐに回れ右をして出ていきたい。このまま出ていったら、もしかしたら無事に外に出られるかもしれない。もう皇帝と会うこともなく、クソ神の言いなりにならずに済む。それは何より嬉しいかもしれない。
「顔、焼きましょう」
でも、それではあまりにこの人が可哀想だ。
「…は?」
不意をつかれたかのように、目を大きく見開いた皇帝が少し面白くて笑ってしまいそうになった。
「喉は潰してしまえばいいし」
大丈夫だわたし。
「名前は変えられるし」
痛いかもしれないけど、その痛みだっていつかは終わる。死ななければ人生なんとかなる。
「とにかく、全て変えましょう」
生きていれば、なんとかなると思おう。
だから、わたしが、怖気付くまえに、勢いがあるままで、
「今やりましょう、今すぐ」
でないと怖くて泣いちゃいそうだし。
そう言って、皇帝を見ると、今までにないほど呆然とした顔を見ることができた。イケメンってポカンとしててもイケメンだなあ。
「な…にを、」
「だから、皇帝が不愉快なわたしという存在全てを変えてしまえばいいんです」
そうすりゃ、苦しむこともないでしょ。
そう言って笑うわたしが理解できないらしい。怪物を見るような目を向けられた。失礼な。
「…ど、うせ嘘だろう。それで逃れようとしても無駄だ。俺がその通りにしないとでも思ったか」
「違います、そういうのいいんで早くやりましょう」
机の上にあった大きな燭台を手に取る。あ、思ったより重い。
「誓って言いますけど、この顔生まれつきです。ただ、それでもわたしの顔が、誰かを冒涜するのはごめんですし」
本当は全てクソ神のせいだし、わたしの責任は微塵もないのだが、それでも、誰かの死を踏み躙ってしまったのは事実だろう。完全にクソ神のせいだが。
それに、皇帝が、わたしの居場所がここにない、と言ったとき、わたしは、自分か顔も変わって名前も変わったら、ここにいる意味がない、とクソ神が判断してわたしを元の世界に帰してくれるんじゃないかと思ったのだ。
死んでしまったらそれまでだけど、生きたままこの顔が変わればわたしはそのまま帰れるんじゃないか。
狂った発想だと言うのはわかってる。だか、頭がおかしいときこそ、正気じゃない行動に臨める。生きてりゃなんとかなるのだ。
だから、正気を失っている今、顔を焼いて退路を断ってほしい。自分でも止められなくなれば、わたしが言っても止まらなくなれば、変わるかもしれないのだ。帰れるかもしれないのだ。
さあ、と燭台を皇帝の手に押しつける。
火打石はどこだ。
わたしの部屋じゃないので場所がわからない。あとは自分でやってくれ、と皇帝の顔を見るが、彼は呆然としたまま動かない。
わたしに全部やれってことですか?
「火打石はどこですか?」
そう聞くと、ようやく意識を取り戻したかのようにわたしの顔を見た。
「そんなことしても、同情せんぞ」
まだ言うか。
「はい、わかりました了解しました。火打石はどこですか?」
急かすように聞くと、皇帝はわたしの目をしばらくじっと見たあと、火打石を取り出した。
カッカッ、と鋭い音がして燭台に火がつく。
さて、後戻りはもうできないな。
そろそろ震えが隠せなくなってきた両手をさりげなく後ろに回す。
火が少しずつ近づいてくる。
これからの激しい痛みを想像して、涙が滲んできた。
火の熱が額あたりに伝わってきて、やっぱり怖い、と目をぎゅっと瞑った。
ジュッ、と肉が焼ける音がした。




