第二話
そこはただただ白が広がっていた。
上も下もよくわからない、ただ白い空間だった。外なのか中なのかもわからない。
呆然とするわたしに不意に声がかけられた。
「危なかったねぇ。まさかあそこに召喚しちゃってたとは思わなかった。運が悪いんだね」
驚いて振り向くと、ナニカがそこにいた。
人のカタチをしていたが、少なくとも人ではなかった。顔はうまく定まっていないようで、見るたびに少しずつ変化していた。性別もわからない。女のようにも見えるし男のようにも見える。声も老人のようにも子供のようにも聞こえる。
明らかに人智を超えた存在だった。
「……ここって東京じゃないの」
そんな存在を前にして、わたしの口からは、わかりきっていることを聞くなと100人に聞いたら100人がそう答えるだろう間抜けな質問が出てきた。わたしも言ってからそんなわけないだろ、と思った。
しかし、目の前に佇むナニカは真面目な顔して
「ここは東京ではないよ。地球でもない。キミたちの住む世界とは別の世界だからね」
と、またなんとも電波なことを言った。
というか、電波と思ってしまいたい発言だった。しかし、今いる空間や、目の前の存在からして、あながち嘘ではなさそうな雰囲気だ。わたしは気絶してしまいたくなった。
一難去ってまた一難という言葉が頭をチラつく。
「…どうやったら東京に帰れますか」
「帰れないよ」
あっけらかんと目の前の存在は言った。おはようと朝の挨拶をするような軽さだった。
「…は?な、なんで」
「なんでもなにも、ここにキミを呼んだのは私だよ。ちょっと手違いで召喚場所が多少ズレちゃったんだけど」
まったく悪びれなく言い切ったナニカは、
「まあ、本当はこうやって会う気はなかったんだけど、流石に処女が取られたら彼も困るかな、と思って」
本当にまったく悪びれなくそう続けた。
「……」
あまりのことに言葉が出ない。というか意味がわからない。言葉が理解できないのではなくて、何を言っているのかさっぱりわからないのだ。さっき無理やり押し込んだ混乱と恐怖が戻ってくる。また、涙が出てきそうになった。
…泣いちゃだめだ。ちゃんと説明してもらわないと。
ぐっと奥歯を噛み締めて耐えると、顔を上げてナニカを睨みつける。
「どういうことかさっぱりわかりません。最初から説明してください」
ナニカはなぜ自分が睨まれるのだろうか、というような表情をして、話し始めた。
「なんで睨むのかな?キミは選ばれたんだよ?神に。嬉しくないの?普通の人間だったら喜ぶんじゃないのかな。人間のことはよくわからないや。あのね、ぼくのお気に入りの子がいるんだけど、その子のお気に入りが死んじゃって、すごく悲しんでたからわたしも悲しくなって、だから、同じ存在を用意すれば喜んでくれるかなと思ってキミを召喚したんだけど、場所を間違えちゃった。あれ、これはさっき言ったっけ?」
一見、気が狂っているように見える。ぐちゃぐちゃとした発言も統一されない一人称も話しかけているようでずっと一人で話している態度も。しかし、それが全て不気味なほどにしっくりくるのが目の前の存在だった。
…電波どころじゃない。ホンモノだ。
わたしは無意識のうちに後退っていた。もうコレと同じ空間にいたくなかった。
「あれ、怖がらせちゃった?なんでだろう、そっちから聞いたのに。酷いや。まあいいか、話はわかった?だからキミには彼のところに行ってもらうね」
そう言って手を軽くあげたナニカに嫌な予感がして慌てて止める。
「ちょ、ちょっと待ってください。なんで勝手に決めるんですか。わたしは彼?のところに行きたくありません。家に帰してください」
ナニカの動作がピタリと止まる。
「…え?行きたくない?帰る?なにを言ってるの?帰る場所なんてないよ。もうキミの存在は地球上から消しちゃってるからね。キミは余の言う通りにするしかないのさ」
「……は?」
帰る場所がない?存在を消した?なにを…、
「なにを言ってるんですか?」
「うん?通じなかったのかな。地球上でキミの居場所はもうないよ。こっちの世界で暮らすんだから」
ああ、さっきから感じていた恐怖の根源はこれか、と思った。目の前のナニカはわたしの話を聞く気なんてなくて、自分の意見だけを押し付けることになんの違和感も持っていないのだ。神視点である。そう、神なのだろう、目の前のナニカは。わたしのことも、道に落ちてる石ぐらいのようにしか思ってないに違いない。だから、わたしに意思があるとはまったく思ってないのだろう。いしだけに。
……やめてくれ。いつでもどんな状況でもふざける精神は治せって散々言われただろうわたし。
さて、そんなことはさておき、そう納得すると、なんだかふざける余裕も出てきたし、それを遥かに凌駕するある感情が湧き上がってきた。
「…なんでそんなことするの?あ、待ってやっぱそんなのどうでもいいや。どうでもいい
、うん、どうでもいいからさ、……さっさとわたしを家に帰せ」
怒りである。
わたしが思い切り目の前の存在を睨みつけると、推定神は困惑したように首を傾げた。
……ちょくちょく人間らしい動作をするのも違和感しかない。神のくせに。
「だから、物分かり悪いなぁ。帰れないんだってば」
「物分かりが悪いのはお前だわ。なんで勝手に連れてきてそれでいいと思ってんの?というか、さっきから聞いてりゃ人権侵害も甚だしいんだよ、この時代錯誤野郎」
間髪を容れずに言い返すと、目の前のソイツは更に混乱したように見えた。
…やっぱりね。自称というか、他称神はわたしのことを同じ存在としてまったく見ていない。まあ、神さまとしては当然のことだ。わたしや、普通の人間、おそらくお気に入りの彼であっても神からしたら遥かに格下の存在なのだろう。そして、そう言った存在に敵意を向けられようと怒ることはない。それは人間も同じことである。
「お前のお気に入りの彼の好きな人だか恋人だかも死んじゃったんだったらそれまでだよ。そこから立ち直るのが人間でしょ?神が手を出してどうすんの?というか、それで新しい恋人がわたしってどういうこと?同じ世界にも女性はたくさんいるでしょ?」
「…同じ世界には同じ存在はいないんだ。でも、別の世界ならいる。彼の唯一はキミと同じ存在だったんだよ」
まったく意味がわからない。神語で話すのやめてくれ。
「同じ存在でも、違うでしょ?彼のことはわたしもまったく知らないし、同じであろうとしても無理。てか、同じ存在ってなによ」
「魂のカタチが同じってことだよ。だから見た目も元々の性格も一緒。安心して彼のところに行ってきて。ただ、キミは随分彼女とは違うみたいだけど。あ、見た目はそっくりだけどね」
安心できるか。
「とにかく、わかった?だからキミには彼のところに行ってもらわないといけないわけ」
「いや、なんもわからんわ!てか、生き返らせるのはできないわけ?恋人さんを」
「……」
不意に神が黙り込んだ。
「なによ、できないの?そっちの方が絶対いいじゃない。だって絶対わたし彼のこと好きにならないし。なんならお前のせいでちょっと嫌いだし既に」
「…魂が見つからないんだ。彼女の、魂は、どこにもない」
ぽつりと神はそう言った。焦点の合わない目は本当に悔やんでいるように見えた。先程までとは違う真面目な雰囲気に飲まれそうになる。
「だから、代わりに同じ魂をあげようと思って」
「あげるんじゃない」
それとこれとは別である。
「なんなんだ、キミ。そろそろ諦めなよ。我、さっきあの人間達から助けてあげたじゃないか」
「諦められるか。アレだってそもそもお前のせいだろうがよ」
さっきの湿った空気は霧散し、怒りが再燃してきた。そうだ、さっきのだってコイツのせいじゃないか。また怒り始めたわたしにため息をついた神は
「もういいや、やっちゃえ」
となんとも不穏な言葉を吐き、片手をあげた。
「はっ?やっちゃえって…、ちょっと待て」
「じゃあ、彼のことをよろしくね」
「ふ…ざけん、な」
くそやろう、
その言葉を最後にわたしの意識は途切れた。




