Gemini版「盾を置く街、剣を置く夜」
夕闇が街を包み、ギルド併設の酒場には賑やかな喧騒が響いていた。
テーブルの上には、この街の名産であるエールのジョッキと、山盛りの肉料理が並んでいる。
「……おう、食えよ。三ヶ月ぶりのシャバの飯だろ」
リーダーのガッシュが、ぶっきらぼうに皿を押しやった。その視線の先には、左腕にまだ真新しい傷跡を残した大男、タンク役のボルドがいる。
帰還と、それぞれの三ヶ月
三ヶ月前、この街を襲ったモンスターの群れ——「大行進」。
防衛戦の最中、ボルドは逃げ遅れた町娘を庇い、オーガの爪をその身に受けた。一時は再起不能かと囁かれたが、彼は不屈の精神でリハビリを終え、今日、ようやくパーティーへと戻ってきた。
「悪いな、みんな。……それと、彼女も」
ボルドが照れくさそうに隣を向く。そこには、彼が命を賭して救った町娘、エレンが座っていた。彼女は入院中、毎日欠かさず病室へ通い、彼の献身的な支えとなっていた。二人の間に流れる空気は、もはや「命の恩人と救われた者」以上の温かさを孕んでいる。
「いいのよ。ボルドさんが無事なら、それだけで」
エレンが微笑み、ボルドの手をそっと握る。
その様子を見て、魔術師のカイルと僧侶のリナが顔を見合わせた。
「いやぁ、一時はどうなることかと思ったけど。これでまた四人で旅に出られるね」
カイルが明るく振る舞う。だが、その隣に座るリナの顔はどこか陰りがあった。彼女は無意識に自分の腹部に手を当て、すぐに気づいて慌てて手を引っ込める。
ガッシュは、その一連の動作を黙って見届けていた。
カイルとリナ。
二人はパーティー内では「ただの幼馴染」を装っているが、ガッシュは知っていた。夜の野営地で、二人がどれほど深く寄り添い合っていたかを。
そして、今のリナの身体に宿る小さな命のことも。
彼女はまだカイルにさえ、その事実を伝えていない。おそらく、パーティーの足枷になることを恐れているのだろう。だが、前衛を一人失った状態で三ヶ月間、パーティーを維持してきたガッシュの目は誤魔化せなかった。
「……ボルド、腕の調子はどうだ。大盾は振れるか」
「ああ、問題ねえ。明日からでも依頼を受けられるぜ」
ボルドが力強く拳を叩く。カイルも「頼もしいね」と笑った。
だが、ガッシュはジョッキを置き、重い口を開いた。
「いや、ボルド。お前はもう、盾を置け」
リーダーの決断
静寂がテーブルを支配した。カイルが冗談だろうと笑いかけ、リナが息を呑む。
「……どういう意味だ、ガッシュ。俺は見捨てられるのか?」
ボルドの瞳に、困惑とわずかな怒りが宿る。ガッシュは首を振った。
「逆だ。この街の衛兵隊から相談を受けている。防衛戦で英雄となったお前に、新人教育の教官になってほしいとな。……エレンさん、あんたも彼に、危ない旅を続けてほしくはないだろう?」
エレンがハッとして、ボルドの袖を握りしめた。その震える手が、何よりの答えだった。
「そして、カイル。お前もだ」
「えっ、僕まで……?」
「お前は魔導士ギルドの支部から、研究員としての誘いが来ているはずだ。リナを……。いや、**『家族』**をいつまでも不安定な宿屋暮らしに付き合わせるつもりか?」
ガッシュの視線が、リナの腹部へ、そしてカイルの目へと真っ直ぐに向けられた。
リナが顔を伏せ、肩を震わせる。カイルは呆然とした後、ようやく恋人の異変と、ガッシュが何を言わんとしているかを悟った。
「……気づいて、いたんですか」
「俺を誰だと思ってる。何年お前らの背中を見てきた」
ガッシュは立ち上がり、飲み干したジョッキを置いた。
「このパーティーは、今日で解散だ。それぞれに、守るべきものができた。それだけのことだ」
新しい門出
「リーダー……あんた、自分はどうするんだよ」
ボルドの声に、ガッシュは背中で答えた。
「俺は、俺にしかできない冒険を続けるさ。身軽になった分、もっと遠くまで行ける」
嘘だ。
三ヶ月間、彼は二人分の穴を埋めるために無理を重ねてきた。貯め込んだ報酬のほとんどは、引退する二組の門出の祝いとして、すでに手配済みだ。
「ガッシュさん、ありがとうございました。私……」
リナの涙声に、ガッシュは一度だけ振り返り、不器用な笑みを浮かべた。
「元気なガキを産めよ。カイル、泣かせたら地の果てまで追いかけるからな」
夜風が吹く。
一歩、酒場の外へ踏み出したガッシュの背中には、もう重い期待も、誰かの命を預かる責任もなかった。けれど、その足取りは少しだけ、誇らしげに軽かった。




