Gemini版「ソラを喰らうもの」
それは、顕微鏡の向こう側に揺らめく、名もなき「失敗作」に過ぎなかった。
アメーバ状の突然変異体。その生物には「満腹」という概念が欠落していた。最初の一口は、実験室の培養液。次は研究員の手首。そして、建物、都市、国……。
「島喰」と呼ばれた頃には、人類はまだ抗えるはずだと信じていた。だが、ミサイルも、レーザーも、化学兵器も、その全てがカレにとっては豊かな「栄養」に過ぎなかった。
攻撃を受ければ受けるほど、カレは強固に、巨大に、そして凶悪に変質していった。
海を飲み込み、大陸を削り取り、最後には惑星の核まで食い尽くした。
命からがら脱出した数隻の移民船。その窓から人類が見たのは、かつての母星があった場所に鎮座する、星の質量をそのまま肉体へと変えた「星喰」の姿だった。
新天地のコロニーで、人々は怯えながら暮らしていた。
「いつか、あの怪物がソラを渡って来るのではないか」
そんな根源的な恐怖が、人々の精神を蝕んでいく。
その中で、一人の科学者がいた。かつて母星で、最初の「島喰」の培養に立ち会ってしまった男、カインだ。
彼の瞳には、希望など一欠片もなかった。あるのは、自分たちが創り出した怪物に対する、底なしの憎悪と、歪んだ責任感だけである。
「毒を消すには、より強い毒が必要だ」
カインは研究を重ねた。星喰の細胞サンプルを、禁忌の手法で改造し、改良し、洗練させた。
彼が創り出したのは、**「共食いに特化した星喰」**の種子だ。
だが、その新種を孵化させるには、莫大なエネルギーと、複雑な有機情報のテンプレートが必要だった。
カインは管理局から高速宇宙船を強奪すると、未開の惑星へと向かった。
船内。彼は自らの腹部に、その「種」を埋め込んだ。
「さあ、私の肉を、記憶を、憎しみを喰らえ」
カインの体は内側から作り替えられていく。絶叫はすぐに肉の塊に飲み込まれ、宇宙船の隔壁さえも彼の「皮膚」へと変わっていった。
それから数年後。
宇宙の暗闇を、巨大な「影」が彷徨っていた。
カインであったはずのその生物は、オリジナルの星喰を遥かに凌ぐ、禍々しい赤黒い輝きを放っている。
それは、特定の波長だけを追い求めていた。
自分と同じ、忌まわしい「ソラを喰らうもの」の匂いを。
遠い銀河の果て。
かつて地球を喰らった「先代」は、すでに数多の星を飲み込み、静かに次の獲物を探していた。
そこへ、彗星のような速度で「二体目」が肉薄する。
星と星が衝突するような物理現象ではない。
それは、存在と存在が互いを否定し合う、宇宙規模の咀嚼の始まりだった。
逃げ延びた人々は、遠い宇宙の彼方で、見たこともない色の超新星爆発を観測した。
一つは、全てを無に帰す「黒」。
もう一つは、執念が燃え盛るような「赤」。
二つの絶望が噛み合い、互いの質量を削り、貪り合う。
一人の男の狂気が生んだ「二体目」が、オリジナルの喉元に喰らいつく。
その戦いが終わる時、そこには何も残らないだろう。
宇宙そのものが食い尽くされるのが先か、あるいは二つの怪物が共倒れになるのが先か。
人々はただ、祈ることも忘れ、ソラを見上げている。
二つの「ソラを喰らうもの」が、いつか互いを消し去ってくれることを。




