サクラサク~真似したがるママ友からの解放~
公立小学校の入学説明会も済んで、一人息子の卒園が近付いて来た頃、同じマンションに住む新一年生のママだけでランチ会をしようというお誘いがきた。連絡をくれたのは、きゅ階に住んでいる美咲ちゃんのママ。とても世話好きで、とても社交的な二人目ママさんで、顔を合わせたら世間話をすることもある程度の仲だ。
美咲ちゃんママの情報によれば、同じ小学校に入学予定なのは同じマンションだけでも全部で八人もいるらしい。駅近のマンモスマンションだから、子育て世帯が多いのだ。女の子が六人で、男の子はうちの佑太ともう一人。
――男子、少なっ。一つ上の学年は男の子ばっかりだったのになぁ。
男女比を聞いて、ガックリきた。
でも、もう一人の男の子は入園前にマンションの庭で何度か遊んで貰ったことがあったし、ママとも顔見知りだし連絡先も知ってる。ただ、ワーママだから年少以降は全く会わなかったけれど……
「カズ君ママも、その日は仕事休みだから来れるって」
美咲ちゃんママのスケジュール調整が良かったのか、入学前のランチ会は他のワーママさん達も全員揃うことができた。子供達が赤ちゃんの頃からの顔見知りがほとんどだったけれど、別々の幼稚園に通っていたのでゆっくり話すのは久しぶりだった。
「制服の購入は、人数が集まるなら洋品店さんの方が来てくれるらしいよ。マンションの集会室で即売会して貰わない? ゆっくり試着させて貰えるよ」
上の子がいるベテランママの情報と行動力はさすがに頼りになる。あっという間にお店とも連絡を取ってくれて、日付も決めて集会室も抑えてくれていた。即売会の当日も、サイズの選び方もアドバイスしてくれ、制服も体操服も迷わずに購入することができた。赤白帽に男女の形違いがあるなんて、その時初めて知った。
その即売会では、カズ君と佑太は男の子同士で一緒に集会室内を走り回っていた。赤ちゃんの時に遊んでいたことなんて覚えてはいないようだけれど、それなりに仲良くしてくれそうで安心。
それぞれの卒園式が終わり、四月に入ってからはカズ君ママとは頻繁に連絡を取るようになった。入学式の日の持ち物には指定されてないけれど、荷物になるから先にお道具箱や算数セットを親が持って行っておいた方がいいらしいとか、そういった細かい情報を教えて貰えてとても助かった。
カズ君と佑太は男の子同士ということで、当たり前のように一緒に登校することになった。とは言っても、カズ君は放課後は学童に通うので、下校は別々。新一年生は入学後一か月くらいは帰りは先生が引率してマンション前まで送ってくれるので安心だった。
集団登校ではない小学校なので、入学後しばらくは親が登校に付き添うのが当たり前になっていた。カズ君親子と一緒にマンションのエントランスで待ち合わせして、並んで小学校への通学路を歩き、子供達に通学路や通学マナーを教えていくのだ。
そして、子供達を無事に小学校の校門まで送り届けた後は、来た道を母二人でお喋りしながら歩いて帰って来る。佑太は幼稚園だったから、カズ君の通っていた保育園の話は新鮮だったし、カズ君ママとは歳も近かったから楽しかった。
正直、佑太を産んで専業主婦になっても、たまに会うような友達というと学生時代や会社勤めしていた時の相手ばかりだった。一緒に子供を遊ばせたり、お話したりするママ友はいたけれど、どうしても子供繋がりでしかなかった。
でも、もしかしたらカズ君ママとは子供の繋がりを越えた友達付き合いが出来るんじゃないかって、そんな気がして本当に嬉しかった。
「あんなに早く家出てるのに、毎日遅刻ギリギリらしいよ」
GW明けからは子供達だけで通学するようになり、しばらくしてのことだった。初めての授業参観の為に学校へと歩きながら、カズ君ママが呆れたように言った。かなり余裕をもって早めに送り出しているのに、二人は遊びながら歩いているのだろう、通学に時間が掛かり過ぎているらしい。
「佑太にはジュニア携帯を持たせてるから、それで時間見るようには言ってるんだけどね」
「え、佑太君に携帯持たせてるの?」
「うん。下校時にコケて泣いて帰ってくることが何回もあったから。auのやつ持たせてる」
「分かった。auショップ行ってくる!」
カズ君ママはソフトバンクユーザーだったから、ジュニア携帯はソフトバンクにもあるよとその日の私は確かに教えた。でも、その数日後に朝の見送りで出会ったカズ君のランドセルに付けられていたのは、佑太と全く同じ色のauのジュニア携帯だった。
――家から一番近い携帯屋さんがauショップだったから、かな?
「佑太君、公文行ってるんでしょ? 学童の近くの教室なら学童を途中抜けして通えるらしいし、カズも行かそうと思ってるんだ」
学校の宿題が少な過ぎて学童の勉強時間にする課題が無いから、公文のプリントをさせようと思って、とカズ君ママが言っていたのは、二回目の授業参観日だった。
学童内でも保護者会があったりして、学童に通わせるのも単なる預けっぱなしでないのを知って、驚いた記憶がある。
「なんか、大変なんだね」
「そう、結構いろいろ決まり事が多くって、大変よ。迎えの時間も厳しいし」
小学一年生の壁とかって世間でも言われているけれど、子育てと仕事を両立させているカズ君ママのことは凄いと思った。ただ、その後に発した彼女のあの一言は一生忘れない。
「優先順位は仕事が一番だから。子供はその次!」
確かに、キレイ事を抜きにすればそれが本音なのだろう。でも、それは決して声に出して言うべきことじゃないんじゃないかと、その時の私はただ顔だけで笑って返すのが精一杯。
後日、その言葉をもろに表わすようなLINEが届いた時、私は彼女とは距離を置くことを考え始めた。私の中の何かが、警戒アラームを鳴らし始める。
『来週からしばらく仕事が早出なんだけど、カズ一人だとちゃんと鍵閉めるか心配だから私の出勤時間に一緒に出させて、佑太君家に行かせてもいいかな? 六時四十分くらいになると思うんだけど』
新着のお知らせでこのメッセージを見た時、私はLINE自体は開かずに未読のままにして、夫にこのことを相談することにした。私も夫も普段の起床時間は六時半。だからカズ君ママが子供を送り込もうとしている時間にはかろうじて起きてはいるけれど、起きてすぐに他所の子を迎え入れる余裕はないし、毎朝一時間もカズ君を我が家でどう過ごさせたらいいのかすら分からない。
「は? そんなの、時間になったら鍵閉めて出ろって教えればいいだけじゃないか」
相談した時の夫の反応は最もだと思う。子供とは言え、他人の目を気にしながら朝食や着替えなど、朝から落ち着かない思いをさせられるのはキツイ。何より、それがカズ君ママの仕事と中途半端な過保護のせいなのだから納得がいかない。我が家がその犠牲にならなくちゃいけない理由はなんだ?
結局、そのメッセージは未読のまま数時間放置していたら、その間に新たなLINEが届き、ホッとした。冷たいと思われるかもしれないが、今の私達の関係性で彼女の要望を文句言わずに承諾しろというのは無理な話だ。
『さっき由香里ちゃんママに出会って頼んだから、カズは由香里ちゃん家に行かせることにした。だからもういいわ』
同じ階のママに押し付けることができたらしく、別の階で棟も違う我が家よりも行かせやすいと嬉しそうなメッセージだった。佑太達とは違う小学校に通う由香里ちゃんのママが、どういう思いで受け入れたのかは分からない。確かに二人の付き合いは子供達が赤ちゃんの頃から続いていて、かなり仲が良いのは知っている。
きっと、カズ君ママが由香里ちゃんママに、いつまでも返信してこない私のことを愚痴りでもしたんだろう。で、お人よしの由香里ちゃんママが「じゃあ、うちで預かるよ」と勢いで受けてしまったというシーンが思い浮かんだ。
実際はどうだったかは知らないけれど、とにかくこの時に喜んでしまった私は性格が悪いのかもしれない。でもやっぱり、早朝からカズ君を預かるなんて絶対に無理だ。
この一件以降、私とカズ君ママが一緒に参観日に行くことは無くなった。きっと距離を置いた方が良い相手だと、私も気付き始めていたし、向こうは向こうで私のことを薄情なヤツだと思うようになったのだろう。
親同士の連絡が最小になっても、子供達は毎日一緒に登校を続けている。学校までの二十分くらいだったが、お互いにいろんな話をしているようだった。カズ君ママと会わなくても、佑太がカズ君家のことを話してくるように、我が家のこともカズ君経由でネタにされていたのは容易に想像がつく。
夏休み前になって、佑太を駅前の体操教室に通わせることにした。元々から身体を動かすのが好きな子だったから、毎週楽しみにしているようだった。そのことをカズ君経由で聞いたのだろう、カズ君ママからLINEが届いた。
『佑太君、体操教室に通ってるんでしょう? 何曜日のコース?』
『日曜のだよ。平日のはもう一杯らしくて、日曜は開講したばかりだから空いてるって言われたから』
『カズも通わせ始めたんだけど、日曜の朝だと週末の予定立てにくくない? 日曜に習い事は嫌だなー』
『元々、旦那が日曜に仕事入ること多いから、うちは平気だよ』
カズ君パパのお仕事は日曜と水曜が休みだって聞いていたので、カズ君ママの言いたいことも分かる。けれど我が家は夫が仕事上のイベントが入ると日曜出勤することも多いし、何よりも定員ギリギリの別曜日よりも、まだ半分しか埋まっていない余裕のある教室で指導して貰えることの方がありがたかった。月謝は変わらないのに少人数で手厚く指導して貰えるのはお得感もあるし。
あまり関わりたくないなと思い始めていたカズ君ママだったが、習い事までお揃いになるのかと少しウンザリした。でも曜日が違うからと、その時はそれほど気にはしていなかった。
が、その次の日曜の教室で、保護者用の観覧席には笑顔でこちらへと手を振るカズ君ママの姿があった。少人数のクラスだから見学している保護者も少なかったし、彼女がそこに居るのはすぐに分かった。観覧用のベンチに座りながら、私は訝し気に聞いた。
「土曜のコースにしたって言ってなかった?」
「昨日休んだから、今日は振替え。日曜は空いてるしいいね、うちも日曜にしよっかなー」
日曜に習い事は嫌だとかってLINEで軽くディスって来てたのは何だったのか……
並んでベンチに腰掛けながら、私は心の中にモヤが掛かっていくのを感じていた。そのモヤモヤは彼女と会う度にどんどん大きくなっていく気がした。
自宅マンションから近いこともあり、佑太の教室の付き添いは夏休みに入ってからは無くなった。一人で通える距離だったので、習い事でカズ君ママと顔を合わせることもなく、休み中はとにかく平和だった。
休みが明けてニ学期になった頃から、またカズ君ママから頻繁にLINEが届くようになった。
『宿題の算数プリントって、どんなの? カズ、持って帰ってくるの忘れたみたいだから、佑太君のをコピーさせて』
一学期とは違い、学校側も子供達へのチェックが甘くなったのか、カズ君の持ち帰り忘れが多くなった。学童に迎えに行き、夕飯を食べてから気付くことが多いらしく、いつもかなり遅い時間にLINEが来る。
私は思わずため息が漏れた。
佑太はとっくに宿題を終わらせているから、プリントにはすでに答えが書いてある。それでもよければ、と返信してから家にあるプリンターで宿題のコピーを取った。
ピンポーン、と玄関前のチャイムが鳴り、プリントのコピーを持って出てみるとパジャマ姿のカズ君が立っていた。
「はい。コピーしておいたから」
「……ありがとう」
こういうやり取りは何度もあったが、取りに来るのは必ずカズ君だった。忘れ物をした本人に取りに行かせるのは当然なのかもとは思ったが、巻き込まれている我が家への対応はそれで良いのかと、なんだかモヤモヤする。
プリント類の持ち帰り忘れだけではなく、佑太の話ではカズ君は学校への忘れ物も多いらしい。家で宿題をしたままランドセルに入れ忘れてしまうのか、筆箱の忘れ物が頻繁にあって忘れると隣の席の子にではなく、席の離れている佑太のところに借りに来るらしい。
「カズ君に貸してあげないといけないから、消しゴムも鉛筆もいっぱい持っていってるんだよ」
そう言って見せてくれた息子の筆箱は、消しゴムニ個と鉛筆が八本も入ってパンパンに膨れ上がっていた。
「ねえ、ママ。歯ブラシって家で洗ったらキレイになる?」
「え、どうしたの?」
「今日、カズ君が歯ブラシとコップ忘れたから貸してって言ってきたから、貸してあげたの」
不安げな顔の息子の言葉に、私は驚きというか衝撃というか、とにかく頭が混乱しそうだった。歯ブラシを貸し借りする?!
速攻、給食袋に入れていた佑太の歯ブラシを新しい物と交換して、連絡帳を使って担任の先生へ報告をすることにした。
翌日の佑太の話によると、担任の先生は終わりの会を使って、歯ブラシの貸し借りは衛生面で問題があるということを説明して、忘れた時は友達の物を借りずにうがいだけにしなさいと指導してくださったようだった。
私が書いた連絡帳の返事にも、「そんなことをやっているとは知らず、驚いております」と書かれていて、カズ君は忘れ物をしても先生にバレないように佑太を利用していたことが分かった。筆箱を忘れた時も隣の席の子に借りたら先生にバラされるから、こっそりと佑太のところへ来ていたのかもしれない。
このことでカズ君親子が学校から直接注意を受けたかどうかは分からない。けれど、一年生を受け持つくらいのベテランの先生のことだ、きっと電話連絡はされているだろうとは思う。そして当然、誰が告げ口したかもカズ君親子にはバレているはずだ。
このことがキッカケなのかは分からないが、佑太はカズ君と一緒に登校するのを嫌がるようになった。
「カズ君、いつも自慢話ばかりするし、叩いてないのに佑太が叩いたって嘘ついて先生に言いにいったりするし嫌だ」
涙目で訴えてくる佑太をソファーに座らせて、私は息子から詳しい話を聞き出した。自慢話のことは子供なりの些細な見栄の張り合いだろうし、無邪気な物だと笑い飛ばせる。
でも、やってもいない暴力をでっち上げるのはどうかと思う。佑太の話ではカズ君の虚言が出る度に先生は佑太本人にその事実確認をちゃんとしてくださり、周りの子達からも聞き取りをしてくださっていたようだった。
「こないだは、ドッヂして戻ってきただけなのに、佑太がハサミで友達を怪我させたって言われた。みんなで外で遊んでただけなのに……」
その時はカズ君だけでなく、便乗して騒ぐ子もいたらしく、思い出しただけで佑太の目から大粒の涙がこぼれ落ちていた。
さすがにこれは、しゃれにならない。そう思った私は、学校へと電話を掛けた。
「周りの子達に聞いても佑太君がハサミを振り回しているのを見た子はいませんでしたし、実際に怪我をしている子もいませんでしたから、あの時は私もバタバタしていまして、ゆっくりと話を聞いてあげることはできなかったんですが……」
担任の先生はちゃんとその時のことを覚えてくれていた。そして、佑太の無実の確認もしてくれてはいた。ただ、忙しくてカズ君達がなぜそいう虚言を吐いたのかの聞き取りまでは手が回らなかったということだった。
佑太が無実の罪を着せられて、いわれのない説教をされたという話ではないことが分かっただけで、私は十分だった。まだ幼さの残る一年生だから、度を越えた悪ふざけも仕方ないのかもしれないと。
「佑太君とカズ君は、少し距離を置かれた方が良いと思います」
「私もそう思うんですが、同じマンションに男の子が二人しかいないので、どうしても一緒に登校させることになってしまって――」
学年が上がって互いに一人で登校できるようになるのを待つしかないかと、先生と一緒に溜息をついた。カズ君の行動は先生達も相当手を焼いておられるようだった。
春になり佑太達がニ年生になったのを見計らって、私はカズ君ママにLINEを送った。
『ニ年生になったことだし、待ち合わせせずに時間が合えば一緒に行くくらいにしよう』
途中で合えば一緒に行く、その程度にしないかとの提案にカズ君ママから返って来たのは、
『そうだね、カズが佑太君いつも出てくるのが遅いから待たされてばかりだって言ってたし、新学期からは待ち合わせさせるのは止めようー』
このメッセージには目を疑った。私が息子からもご近所さんからも聞いていたこととは真逆のことが書いてあるのだから。
「カズ君、お母さんが仕事に行った後、もう一回寝ちゃうらしくて、寝坊したっていいながら遅い時間に降りてくる」
そう聞いたのは、カズ君ママが子供に鍵を持たせて先に出勤するようになった後のこと。
「朝のゴミ出しに行く時に、佑太君がお友達を待ってるのをよく見かけるわ」
子供達の登校時刻あたりにゴミを捨てに行くことが多いお隣さんからは、カズ君を待っている最中の佑太によく会うとも聞いていた。
――カズ君、家でも嘘ばかりついてるの?
けれど、そんなことを問い詰めても何にもならないと思った私は、あえて何も触れないような返信を送ることにした。
『一年間、ありがとう』
佑太がニ年生になる前、私は自分の年齢的なことも考えて産婦人科に通院するようになった。ずっと悩んでいたけれど、二人目を作ることを決めたからだ。
佑太ももうすぐ八歳になるし、私達夫婦もそこまで若くはない。妊活を決めたとなれば、少しでも早く結果を出したいと、自己流ではなく最初から医療を頼ることにした。
通院を始めたのは佑太を産んだ病院で、家から少し遠いので知り合いと遭遇することはないし、個人病院だけれど結構大きいところ。毎朝の基礎体温を計って、生理周期に合わせて薬を処方して貰ったり、注射を打ちに通ったりと月の半分が一気に慌ただしくなった。
検査や診察を繰り返し、注射の影響で両腕がパンパンに腫れて上がらなくなったりと、辛くないと言えば嘘にはなるが、佑太に兄弟を作ってあげたい一心で病院へと通い続けた。
お腹の大きな妊婦さんの横で、生理が来ましたと受付で報告しながら基礎体温表を出す虚しさ。それでも、不妊治療の助成金の対象年齢の内は頑張ってみようと決めていた。諦めなければ可能性はあるはずなのだから、と。
運が良かったのか、主治医の腕が良かったのか、妊娠検査薬が陽性を示してくれるまであまり時間はかからなかった。妊娠の確認に訪れた病院で、院長先生が「やったね!」と、とても良い笑顔を送ってくれたことは忘れない。
二人目の妊娠のことは家族以外にはしばらく知らせなかった。今回は高齢出産になってしまうこともあったし、八歳の歳の差はネタにされやすいと思ったからだ。
実際、お腹が目立つようになってから気付いたママ友達には、「また最初から子育てかぁ……」と同情を含んだ目を向けられた。小学生になって楽になったと思ったら、また一からかと、乳幼児を育てることの大変さを彼女達は良く分かってるから当然の反応だ。
元々、働いているカズ君ママとは生活パターンが違うこともあり、同じマンションに住んでいるにも関わらず妊娠中に出会うことはなかった。学年が変わってカズ君ともクラスが離れたから、学校に行っても見かけることもなかった。
カズ君と別のクラスになったのは、間違いなく一年生の時の担任の先生のご配慮だろう。
無事に年度末に二人目を出産した時、八歳になっていた佑太が感動のあまりに半べそになっていたのはいつ思い出しても胸にぐっとくる。もっと早くに兄弟を産んであげられたら良かったのかもしれないが、それは今言っても仕方がない。
産後しばらくは参観日も遠慮させて貰い、ニか月になった娘を抱っこして小学校に行ったのは三年生の春のこと。教室の前の廊下でカズ君ママと、とても久しぶりに会った。
二人目を産み、一人っ子の男の子ママという共通点が無くなったからか、私は彼女へと気楽に声を掛けることができた。
「わー、久しぶりだね」
「あ、うん……」
でも、保育関係の仕事をして誰よりも子供好きだと思っていたカズ君ママは、赤ちゃんを黙って見ているだけだった。その目がとても怖くて、私はあえて何も言わずに三年C組の教室の中に逃げるように入った。
私の妊娠と出産を知らなくて驚いたとかいう反応ではなかった。彼女の情報網の広さから、同じマンションに住む私の妊娠を知らない訳はない。
あのじっと見つめる暗い視線が何を物語っていたのかは、その時の私には推測すらできなかった。
そう、それの意味が分かったのは、それから八か月ほど経った後だった。
「カズ君のお母さんとさっき駐車場で会ったけど、お腹大きかったよ」
「カズ君も、お母さんのお腹に赤ちゃん居るって言ってたよ」
ほぼ同時に夫と子供から聞かされた言葉に、あの時のジト目の意味を思い知ってしまった。
勿論、八歳や九歳の歳の差兄弟なんて珍しいことじゃないのは分かってる。でも、あの参観日の数ヶ月後に二人目を妊娠した計算になり、私はさらにカズ君ママの存在が怖くなった。これまで何年も一人っ子を通してきたのに、どうして我が家に二人目が生まれたのを見たタイミングで? と。
――ただの私の被害妄想なら、それでいい。いや、被害妄想であって欲しい。
一人で抱え込んでいられず夫に考えを打ち明けてみると、彼は笑い飛ばして言ってくれた。缶酎ハイを片手に持って、反対の手で私の背中をトントンと優しく叩きながら。
「気にしない。いちいちライバル視してくる人を気にしても、いいことなんか何もないよ」
夫の言う通り気にしないようにして、我が家は我が家の生活を守り続けよう。そして、モンペと思われてもいいから、学年末には必ず学校へ相談の電話をして、カズ君とは同じクラスにならないように頼むことにしよう。
カズ君ママの暗い瞳を思い出し、私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
四年生の秋頃だったか、幼稚園からの友達に誘われたらしく佑太がスポ少のサッカーチームに入りたいと言い出した。
私設のサッカークラブとかではなく、学校主体のスポーツ少年団の方だから、コーチ陣はボランティアみたいなものだし、はっきり言って月謝は安い。その代わり、保護者の負担はめちゃくちゃ大きい。月一、ニで回ってくる当番もそうだし、試合などの遠征があれば車を出す送迎当番もある。学校のグラウンドを使わせて貰うから、外用トイレの掃除だって順番に回ってくる。
スポーツに取り組む意欲があるのは良いことだけれど、下の娘がまだ小さい我が家には頻繁に回ってくる当番をこなせるとは思えないし、高学年になれば試合シーズンは毎週末が朝から夕方までサッカーの予定で埋まってしまうと聞いて、私は佑太を宥めたりすかしたりしながら諦める方向に話を進めようとしていた。
「いいじゃん、佑太が本気でやりたいんなら、俺が全部やるよ」
前もって予定が分かるなら土日の仕事は休めるように調整できるから、と夫が佑太のスポ少加入に賛成する。
「でも、チーム内での連絡とかはマメにチェックできる自信ないし、それだけはお願いするわ」
主にグループLINEで連絡事項のやり取りしていると聞いていたので、それは私の受け持ちとなった。
佑太を誘ってくれた子のママと連絡を取ると、学年のリーダーをしてくれているママからすぐに電話があり、次の週末には体験入部させて貰えることになった。
今の時代は親の負担が少ないクラブチームの人気に押されて、昔ながらのスポ少はメンバーが集まりにくいらしく、佑太の加入は大歓迎された。入部を決めてからスポーツ用品店でボールやスパイク、練習着、バッグ等の一式を揃えると、佑太は部屋の片隅にサッカーコーナーという名の専用の置き場所を作り始めた。そのあまりにも嬉しそうな様子に、入部を勧めた夫はとても満足そうだった。
人数が少ないながらも、幼稚園からの知り合いも何人かいたし、子供同士の仲良い子も多く、グループLINEでの親同士の交流には割とすんなり溶け込めた気がする。
入部したのは年明けで、試合シーズンではなかったから思ったより親の出番はなかった。月一で救急箱と予備のお茶を持ってグラウンドの片隅で待機する当番くらいだ。
土日に半日ずつの練習をこなしている内に、佑太もそれなりに様になって来たかなと思った頃、いつものように練習着を泥だらけにして帰って来た息子から、この上なく嫌な報告を受けた。
「今日の練習、カズ君が見学に来てたよ」
――ああ、またか……
思わず溜息が漏れた。
まだ小さい次男君もいるし、旦那さんは土曜は必ず仕事だと聞いているから、我が家よりも入部へのハードルは高いはず。なのにそれでも一応は見に来るんだ。
どうしてそこまで我が家の動向が気になるのだろうか、不思議でしょうがない。カズ君ママは私よりも若いし、仕事してるから知り合いも多そうなのに。子供同士もタイプが全く違うし、比べられることなんて無いのに。
モヤモヤしながら夕食の準備をしていると、LINEにメッセージが届く音がした。ホーム画面に表示されていたのは、カズ君ママからのメッセージだった。
『どうしてスポ少にしたの? サッカークラブなら親がすることは少ないんじゃない? 下の子がまだ小さいのにスポ少は無理でしょう?』
とっくに入部を済ませているのに、無理だと言われてしまった。一緒にサッカークラブに変えない? とかならまだ分かる。いや、変える気はないけれど。
どうしてカズ君と何でもお揃いにしないといけないんだろう。同じに出来ないからと、逆ギレのようなメッセージを送りつけられてくる意味が分からない。
家族ぐるみで仲が良くて何でもお揃いにしたがるのなら理解できるが、そもそも私とカズ君ママは仲良しでも何でもない。どちらかと言えば、避け合ってる節があるくらいだ。
夫同士は互いの顔も知らないし、子供達もあまり気が合わないようだし、何なら佑太はカズ君のことを嫌がっている。
――なのに、なんで?
遠巻きに監視されている気分だった。何をやっても後から追いかけて来られる。関わりを持ちたくないのに、気付いた時にはお揃いにされてしまう。
――怖い。ううん、怖いというより、気持ち悪い。
『サッカーのことは夫に任せてるから、私は特に何もしないよ』
私がそう送った後、カズ君ママからの返信は無かった。
佑太も四年生になってからは、自分の意志で行動して新しい友達もどんどん増えていった。ずっと学童に通っていたカズ君も、さすがに高学年になると学童を嫌がるようになったらしく、放課後はみんなと一緒に下校して留守の家に帰る鍵っ子になっていた。
元々、あまり気は合わなかったようで、子供達が二人だけで遊ぶということはほとんど無かった。たまに他の友達を介して一緒になることがあった程度。
育休中のカズ君ママとはマンション内で偶然に会うことはあったが、こちらも下の子を連れて慌ただしくしていたので挨拶を交わすくらい。
下の子同士の性別が違ったおかげで、次男君が大きくなっても関わることはなさそうだ。そもそも学年も違うし。
ただ、相変わらず何かにつけて佑太とカズ君はまとめられることが多い。同じマンションの同い年の男子だからと、地域行事やマンション内のイベント事でも二人は必ずセットにされた。親同士も学校の立ち当番なども必ず前後にされて、嫌でも引き継ぎの為に連絡を取り合わないといけない。
関わりたくない、そう思うのに周りから常にセット扱いされることが、私には苦痛だった。私が佑太の為にと考えて決めたことが、片っ端からカズ君ママに真似されていっているような気がして、怖くて気持ち悪かった。
だから、もうすぐ四年生が終わろうとしている時、佑太に向かって提案してみた。
「佑太、中学受験してみない?」
学区内の中学校はとても荒れていることで有名だった。少し神経質な佑太には耐えられないだろうなとは思っていた。
「したい。不良の多い中学には行きたくないし」
日頃から、近所の中学に対しての悪評を吹き込み過ぎていたのか、私以上に佑太の地元中学への評価は低かったらしい。そう思っていたら、私が本当に言いたいことを息子が先に言ってきた。
「カズ君と一緒の学校には行きたくないし」
同じ中学に通うことになれば、また学校までの道を一緒に歩かないといけない。それが佑太はどうしても嫌みたいだ。
「なら、どこを受けるかとか、受験することも内緒にしないとね」
そして、私と佑太の秘密のお受験準備が始まった。家計への負担を考えて、私立ではなく公立の中高一貫校を第一志望にした。
私は娘を抱っこしながら、まずは近所の塾を巡ってパンフレットと料金表をかき集めた。佑太の性格を考えて個別塾を中心に相談に訪れたけれど、いろいろと話を聞いていく内に志望校への合格実績の高い集団塾に通わせることに決めた。
と同時に、これまで通っていた公文と体操教室の退会手続きを済ませ、塾以外の習い事は週末のサッカーだけに絞った。
着々と準備を進めていく私を夫は何も言わずに見守ってくれた。あまりにも何の口出しもしてこないから気になって聞いてみた時も、
「俺、そういうのよく分からないから、仕事を頑張って塾代を稼いでくるわ」
佑太の為になるなら全面的に任せるから、と缶酎ハイを片手にヘラヘラと笑っていた。
主な受験勉強は塾にお任せしつつ、家庭学習のスケジュールを立てていく。模試の結果が出る度に苦手分野の分析をして、次へ向けて対策を練る。
リビングの壁面収納には学習漫画がずらりと並ぶようになった。
佑太は特に漢字が全くダメで、二年生の漢字もあやふやだった。漢字検定の問題集を八級から買い集めて、毎日一単元ずつさせていく。受験前には五級合格を目指す計画だった。
中学受験は毎日の積み重ねだった。五年生になって始めた通塾と家庭学習のおかげで、佑太の学校のテストの点数もとてもよくなった。そもそも中学受験がそこまで盛んでない地域だったから、少し勉強しただけで簡単にクラストップが取れてしまう。
とは言え、佑太が息切れしないように毎日一時間以内のゲーム解禁時間を設定して、塾の無い日は友達との遊びを優先させるようにした。まだ十一歳の子供なのだから、無理させないようにすることに一番気を使った。
それでも、六年生になると何度か受験を辞めると言い出すことがあった。その度に話し合い、励まし、宥めた。途中でやめることになったとしても、それまで頑張った分は地元の中学でも活かせるだろうし無駄じゃない。
けれど、受験をやめるとなると、またカズ君ママとの付き合いが続くのだ。それが嫌で、私はつい佑太を受験を続ける方向へと誘導してしまう。子供の為と言いつつ、本当は私自身の為の中学受験みたいで少し後ろめたかった。
必死で隠して来たつもりだったが、同じ塾に通う友達にバラされ、六年生の秋頃には佑太が受験するつもりだということが学年中に知れ渡ってしまった。
当然、カズ君もそれを聞きつけて、登下校で一緒になる度に「どこの中学に行くの? 受験するの?」と佑太は質問攻めにあっているらしい。
「ごまかしても、カズ君がしつこく聞いて来て嫌なんだけど」
うんざりと言いつつも、受験する優越感からか佑太は嬉しそうだった。みんなが当たり前のように近所の学校に進学する中で別の選択肢があるというのは、少しばかり特別な気分なのだろう。
その佑太の優越感が気に食わなかったのか、しばらく後に学校から帰って来た息子から聞いたことに私はやっぱりかと呆れた。
「カズ君も中学受験するんだって。社会の偏差値で七十を取ったことがあるって自慢してたよ」
「へー、七十は凄いね」
カズ君の通っている集団塾は高校受験コースのみで、中学受験コースはない。中学受験コースのある教室に転校するのかと思ったが、そのまま同じところに通っているようだった。
他所様の家のことだから別に良いんだけれど、六年の秋から始めて間に合うんだろうかと心配にはなった。
その後、佑太は着々と受験勉強をこなして合格圏の偏差値をキープし、苦手だった漢字も秋の検定で五級を合格した。当日に見直しの時間をちゃんと確保できるなら問題ないだろうなという状態で、とても落ち着いて受験に臨めたようだった。
受験後に迎えに行った時の佑太の笑顔で合格を確信できたので、私は発表当日も娘を抱っこしながら不安なく掲示板を見上げることができた。
『さくらさく』
発表を見てすぐに夫へと送ったLINEは、とてもありきたりの言葉。けれど、この上なく嬉しい文言。自然と顔がニヤケてしまう。
私がカズ君ママの呪縛から解放された瞬間だった。
その後、佑太の話では私立一流大学の附属中ばかりを狙って受験したというカズ君は惨敗だったらしく、「ただの記念受験だから」と言って回っていたらしい。
「受験料だけで十万円払ったんだって」
「じゃあ、五つ受けたんだね」
記念にしては、なかなかガッツリ受けていることに感心した。
息子の頑張りのおかげで、晴れやかな気持ちで迎えることができた卒業式。校舎前で記念写真を撮っている時に、カズ君親子が前を歩いて行くのが目に入った。けれど少しも気にならなかった。