9 大切な物
事件から数日、私は一週間ほど休みを貰った。上からの気遣いだ。
仕事復帰の日、テイオの職場を訪ねた。
「あの、テイオは居ますか?」
「またあなたなの?」
対応してくれたのはまたもやエリナだ。
「テイオに話したいことがあるのですが」
「彼はしばらく休んでるわよ。腕が折れたんだから当たり前でしょう?」
言われてみれば確かにそうだ。私より長く仕事を休んでいて当然。思い至らなかった自分が恥ずかしい。
「そ、そうですよね、すみません」
「ねぇあなた。テイオの優しさに付け込んでいるようだけど、彼もいつまでもあなたに優しくする訳が無いって覚えておきなさいね」
偉そうに言われて少し腹は立つが、彼女の言う通りだ。彼の優しさに甘えすぎていたのかもしれない。
「あれ、そのペン」
エリナが持っているペンに見覚えがある。
「あぁ、これ?テイオの机に転がってたんだけど、彼には似合わないわよね」
捨てちゃおうかしら、とエリナはペンを摘んでいた。
「そのペン、テイオの大事なものなんです。彼に返してあげてください」
「大事なもの?何でそう思うのよ?」
「彼がそう言っていたので」
「はぁ?」
2人の間でバチバチと火花が散る。先に諦めたのはエリナの方だった。
「何よその生意気な目」
もう興味はない、とでも言うように彼女はペンを放り投げた。気付くと足が勝手に動いて、床に落ちる寸前のペンをキャッチした。勢い余って床に転げてしまったがペンが無事ならそれでいい。
エリナに文句を言おうと思ったが、彼女はすぐに執務室に戻っていってしまった。ペンに損傷がないことを確認してカバンに仕舞う。
結局王宮でテイオに会うことは出来なかった。街中に家を持っていてそこに住んでいるらしい。今すぐにでも向かいたかったが、それはケネスがやった事と同じになってしまうのではないか。私は一歩が踏み出せなくて躊躇していた。
「絶対に今すぐ行きなさい!!!」
相談したジーンに大声で怒られてしまった。
「アクランドさんがあなたの事を好きなのは変わらないんだから、会いに行って良く話し合いなさい」
「まだ、好きでいてくれてるのかな……」
「もう〜。話したいことがあるんでしょ?私の事が好きなの!?どうなの!?って、それを確認するためにも行ってきなさいよ」
「そう……だね、うん。行ってみる」
ジーンに文字通り背中を押され、テイオの家へ向かった。夜に出歩くのは流石にまだ怖いので、陽が高い内に早上がりさせてもらった。今度ジーンに美味しいスイーツを奢ることを前提に。
たどり着いたテイオの家は、小さいながらもしっかりとした一軒家だ。文官って儲かるんだな、とのんびり考えてしまう。
「スゥーハァー」
一度深呼吸をして扉をノックした。
「はい」
テイオの声だ。短く応えて扉が開かれた。
「あ、アラベラ……どうして」
「こんにちは。素敵なお家に入れてもらえる?」
テイオは困惑しながらも私を家に上げてくれた。居間に置かれている椅子に向かい合って座る。いつもより距離があるように感じるのは気のせいだろうか。
「アラベラ、何で来たんだ」
突き放されたように感じて、私は拳を強く握った。
「何でって……あんな別れ方したら気になるでしょう。怪我はどう?」
「……もう痛くない。すぐに治るよ」
腕の怪我もそうだが、軽率にした私の発言で彼の心を傷つけてしまったのだ。謝る機会ぐらい設けてほしい。
「アラベラはもう僕の正体に気づいてるんでしょ?」
テイオが悲しげに俯いた。
「もう僕と関わらない方が良い。君のためにも」
「私がその姿に気づいたら、私を殺さなきゃいけないの?」
「なっ、そんなことする訳ないだろ!」
テイオが左手を机に強く置いた。しかし、すぐにハッとして膝の上に戻し、私から見えないようにテーブルの下に手を隠した。
「もう、私の事、好きじゃないの?」
彼が顔を上げて私を見る。何も言わないが、その瞳には確かに私に対する愛情が灯っていた。
「僕の本当の姿が見えてるなら……僕の気持ちは迷惑だから」
彼の腕がギチギチと鳴る。折れている腕からも鳴っているようで、傷に響いてしまわないか不安になってしまう。
どう伝えたら、彼に私の気持ちを理解してもらえるのだろうか。
「私が学園で最初にあなたを見た時、正直、気持ち悪いと、思ってしまったわ」
テイオが驚いたように顔を上げた。
「君は、そんなに前から僕の本当の姿が見えていたんだね」
「そうよ。それなのに、あなたは私に何度も話しかけてきて、怖くて……」
「この姿だからね、当然だよ。ずっと、君を苦しめてたんだ……ごめん」
「違うのよ。あなたが悪いんじゃないの。テイオがずっと私に優しくしてくれてたのに、見た目でずっとあなたを避けてきた。あなたを受け入れられなかった私が悪いの。自分でも、あなたを拒否してしまう自分が嫌だった」
椅子から立ち上がり彼の方へ周る。
「ねぇ、触れても良い?……」
彼がコクリと静かに頷いた。緊張しているようだ。
首から布で吊られている左腕に触れる。もう痛くはないと言っていたがぴくりと震えたのがわかった。
「私、きちんとお礼を言ってなかった。助けてくれて、本当にありがとう。もしあなたが来なかったら……」
「良いんだよ本当に気にしなくて。僕が助けたくて助けたんだ。この事で僕に同情して、無理に仲良くしようとしないで」
テイオが体を少し引いて私から遠ざかる。
「お願い、逃げないで」
「アラベラ……自分でも分かってるんだ。僕のこの姿は容易に受け入れられるものじゃない。君から……好かれるのなんて無理な話だ」
あれだけ私に好きだと言っておきながら、今更私から離れていくのか。沸々と怒りが湧いてきた。
「私があなたの事を気にするのも、あなたのその姿に慣れようと頑張ったのも、あなたの気持ちに応えたいって思っちゃったのも、全部あなたが好き好き言ってきた所為なんだからね!」
テイオは目を点にして少し口が開いてしまっている。
「あなたに触れられる度に、鳥肌が立っちゃうし、一度なんて吐いちゃったけど......もうテイオの事ばっかり考えちゃうの。テイオの所為なんだから、責任取って」
一度嬉しそうに広げられたテイオの口がまた閉じる。何故か悲しそうに俯いてしまった。
「それは、きっと吊り橋効果だよ。僕が怖いのと好きだって思うドキドキを勘違いしてるんだ」
まだ彼は納得してくれそうにない。それなら行動に移すしかないだろう。
私はテイオの胸元に右手を置き、軽く体重をかけた。やはり虫の体のような硬さを感じるが、心臓が大きく脈打っているのが分かる。
そのまま体をテイオの方へ近づけた。
「ごめん、口はまだ閉じてて」
彼は素直に口をピシリと閉じる。まだあのウニョウニョには慣れないので、今出来る精一杯で私の気持ちを表現したい。
目を閉じ、彼の口に軽くキスを落とした。すぐに離れた方が良いのは分かっていたが、今は彼の反応が気になる。少し顔を離してテイオの反応を伺った。
「......テイオ?ちょっと、大丈夫?」
彼の体温がどんどん高くなっていくのが分かる。どうしよう、息をしていないみたいだ。
「テイオ!息しなさい!」
彼の頬をペシペシと叩くと、やっと意識が戻ってきたようで呼吸を始めた。彼の顔に初めて触れたが、意外とザラザラしていない。昔触ったワニの皮に似ている。
「はっ、い、今僕に何したの!?」
驚きながらもテイオの折れていない残り3本の腕で体をガシリと掴まれてしまった。
「きゃーーーーー!!!いや、待って、はな、離して!」
「君からキ、キスしてきたのにそれは無いだろ!」
「ま、まだその腕は無理なのよ!お願いだから離してぇ」
納得が行かない、と訝しげな顔をしつつテイオは大人しく手を下ろした。
「そのうち慣れると思うから、それまでは待ってちょうだい……」
「そのうちっていつ……」
「ずっと一緒に居れば自然と慣れるわよ」
「え、ずっとって……」
アラベラ!と抱きついてくるテイオをヒョイと避ける。あの腕に包まれるのは今の私ではまだ無理だ。
私は椅子に座り直し、テイオとまたゆっくりと話を始めた。彼が入れてくれたお茶を飲みながら。
ありがとうございました!
次回完結です。