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粟立つ恋  作者: 猫殿
8/10

8 代償


 「あれ、今日はアクランドさん来てないの?」

 「本当だ。残業かな」


 いつも彼が待っている椅子に姿が無い。


 「どうしよう」

 「アクランドさんが働いてるところまで行ってみたら?王宮内でしょ?」

 「そうね……」


 文官たちが働いている場所は知っていたが、いきなりお邪魔して大丈夫だろうか。


 「ほら、行ってきな。早く行かないと入れ違いになっちゃう」

 「う、うん。それじゃあお疲れ様。また明日ね」

 「うん!気をつけてね〜」


 ジーンに笑顔で見送られて文官が働く執務室に来たは良いが、何やらバタバタと皆んな忙しくしている。


 「あの〜……」

 「あら、いつぞやの」


 扉の前に現れたのはテイオとスイーツ店に来ていたエリナだ。部屋の中の様子が見えないように立ちはだかっている。


 「こんばんは。テイオいますか?」

 「おあいにく、見て分かる通りに今とっても忙しいのよ。お引き取り願える?」


 イライラと返されて仕舞えば何も言えない。


 「は、はい。失礼しました……」


 バタンと扉を鼻先で閉められてしまった。数分待ってみたが誰も部屋から出てくる様子はない。きっとこれは夜中までかかるやつだ。


 ここ数日は誰かにつけられている気配もない。今日だけは1人で帰ろう。


 私は少し物足りない家路についた。ほんの数日だが、帰り道に彼と話しながら歩くのは嫌ではなかった。学生の時の話をしたり、あの同級生が今はあんな仕事をしているとか。彼はいつも私を笑顔にしようと話題を振ってくれた。


 いつの間にかテイオの事ばかり考えてしまっていた私の耳に背後から近づいてくる足音が聞こえた。


 あの時聞いた足音と同じだ。テイオではない。彼は靴を履いていないのでこんな風に靴音が響くことはない。


 どうしよう。走ろうか。だがきっと追いつかれる。最初の日のように放っといてくれるだろうか。


 私は曲がり角を曲がった瞬間に全速力で走り出した。本気で走ったのなんて学生の時以来だ。すぐに肺が苦しくなる。


 「はぁっはぁっ!きゃあっ!!」


 普段運動をしていない人間の全速力なんてたかが知れている。私はあっという間に追いつかれてしまい、肩を掴まれ後ろへ引き倒された。男が私に馬乗りになる。


 「や、やめて……触らないで……」


 襲われたら大きい声を出してやろうと思っていたのに、体に力が入らなくて情けない声しか出ない。息が浅くしか吸えなくて苦しい。


 「怖がらないでよアラベラちゃん」

 

 私にまたがった男から聞き慣れた声がした。


 「え……ケネス、さん……?」


 うっすらと街頭に照らされた男はいつも書庫を利用しているケネスさんだった。普段の優しそうな笑顔ではなく、下卑た笑みを浮かべている。背中に嫌な汗が流れる。


 「どうして……」

 「どうしてだって?君が悪いんじゃないか……俺が誘って君も了承したのに、君は男と笑いながら美味しそうにスイーツを食べてたよなぁ?」


 もしかして、私がジーンとお店に行った日のことを言っているのか。一体どこから見ていたんだ。


 「あれは……たまたま……」

 「君は俺を怖がってあの男と帰り始めた!!俺が君を襲うとでも思ったのか!?なあ!?」


 今まさに襲っていることは頭にないらしい。


 「け、ケネスさん……落ち着いてください」

 「落ち着け?落ち着けだって!?俺は落ち着いてる!!!!」


 そう叫びながら彼の拳が高く掲げられる。


 あぁ、殴られる。骨が折れなければいいな、とどこか冷静な頭でぼんやりと考え目を瞑った。


 「アラベラ!!」


 馬乗りになっていたはずのケネスの体重が一気に無くなって肺に空気が流れ込んでくる。


 「っ……はぁっ……はっ……」


 新しい空気を求め大きく呼吸をしたいのに上手く息が吸えない。


 「アラベラ、ゆっくり呼吸して。もう大丈夫だから」


 私の背中を摩っているのはテイオだ。ケネスさんを蹴り飛ばしたのだろう。彼は少し離れたところで伸びてしまっている。


 「テイ、オ……」

 「大丈夫。息を吸って。そう、ゆっくり吐いて」


 彼の声に安心すると同時に、摩られている背中がゾワゾワする。彼の固い外殻が少し痛い。


 「も、もう大丈夫よ……」


 震える声で彼の手をやんわりと拒否する。近くで顔を覗き込まれていたので彼の口の中をはっきりと見てしまった。


 「でも、まだ震えてるよ」

 「だ、大丈夫だってば」


 私の手を握ろうとする彼の手を押し戻す。彼がすごく心配してくれているのは分かるのだがこれ以上は逆に気分が悪くなってしまいそうだ。


 「で、でも……」

 「触らないでって言ってるの!」


 つい大きい声で彼を拒否してしまった。普段なら彼を傷つけるようなこと、直接言わないのに。襲われた事の恐怖で今は彼を気遣う余裕が無くなっていた。


 「そ、そうだよね。俺に触られるのは嫌、だよね」

 「あっ、ち、違うのよ。その……今のは」


 テイオは何も悪くない。彼の姿を受け入れられない私が悪いのだ。彼の傷ついたような顔が、下がってしまった尻尾が見ていて苦しい。


 「テイオ、違うの私……テイオ!後ろ!」


 先ほどまで倒れていたケネスがいつの間にか立ち上がってテイオの背後に迫っていた。手にはどこで拾ったのか金属の棒を持っている。


 ケネスがテイオの頭目掛けて棒を振り下ろす。


 「っぐ!」


 寸前で防御したテイオだが、嫌な音がした。彼の右腕が曲がってはいけない方向に曲がっている。


 「テイオ!」


 テイオはすぐに立ち上がり、メチャクチャに暴れるケネス目掛けて姿勢を低くして体当たりした。ケネスは押し倒され、頭を打ったのか次こそ本当に昏倒しているようだ。


 「テイオ、大丈夫?う、腕、が……」

 「っつ、大丈夫。これぐらい」


 そう言いながらもテイオはケネスの横に座り込んでしまった。駆け寄ってなんとかしてあげたいが、私が下手に触ったところでどうすることもできない。座り込むテイオの横に私も膝をついた。


 「大丈夫じゃないわよ、すぐに医者を呼ばないと」

 「君を守れたんだから、腕が折れる程度で済んでよかった」

 「な、なんでそこまでして私を……」

 「なんでって、好きだからだよ」


 痛そうに右腕を庇っているのに彼の目は真っ直ぐに私を見つめている。縦に裂けた瞳孔が良く見える。私を本当に想ってくれている。真摯で、無償の愛に溢れている瞳だ。


 「なんで……なんでよ……私、あなたに酷い事をたくさんしたのに……」


 私が今まで彼の想いに誠心誠意答えたことがあっただろうか。気持ち悪いからと避け続け、自分の身が危険になれば利用する。最低だ。


 「アラベラ、泣かないで」


 彼に申し訳なくて、自分が嫌いで涙が止まらない。


 「ふっ、うぅ〜、ご、ごめん、本当っに、ごめんねぇ……私、あなたに酷いこと、沢山したっ」

 「酷いこと?」


 彼は何のことを言われているのかわからないようで首を傾げている。


 「特に思い当たることがないんだけど、アラベラは僕に酷いことしたの?」

 「い、いっぱいしたわよ!さっきだって、触らないでなんて……」

 「僕は酷いことをされたなんて一回も思ったこと無いよ。だから、泣かないで」


 テイオが私の涙を拭おうと折れていない方の腕を伸ばした。だが思い直してすぐに下ろしてしまう。


 「ごめん……触るなって言われたばっかりなのに……」


 彼の手が震えている。彼は勇気を出して私を助けてくれたのに、私は何で彼をこんなに苦しめてしまっているんだろう。


 「テイオ……」


 下ろされた彼の手にゆっくりと触れた。私の手も震えてしまっている。


 「私……あなたのことが、ずっと怖かったの……でも、私……もう少し頑張ってみる」


 彼の想いに応えたい。私から避けられても、怖がられても一途に私を想ってくれる彼の気持ちに。


 「アラベラ……ありがとう」


 目を潤ませたテイオが私の手を握り返す。手の平側は犬の肉球のような感触がする。手首に突起があるので、それがさっき私の背中に当たっていたのか。


 まだ彼の手の感覚になれないので鳥肌が立つのは止められないが、この手が私を守ってくれたのだ。もう振り払うことはしないようにしよう。


 彼の手を取り立ち上がらせる。早く医者に見せなくては。


 あれ、魔物は人間の医師に診せてもいいのかしら?


 見かけた人が警備を呼んでくれたのだろう、遠くから警備の人たちが駆けてくるのが見える。粗方事情を聞いた警備があっという間にケネスを縛り連行していった。


 とりあえず王宮にある医務室に行こうと2人は並んでゆっくり歩き出す。早く歩きたいのは山々なのだが、傷に響くのでゆっくりと歩くことしか出来ないのだ。


 彼は私の手を掴んだままで、離す気はないようだ。


 「ねぇ、テイオ。一度聞いたことがあると思うんだけど、何で私のこと、こんなに大事にしてくれるの?」

 「……言いたいけど、きっと言っても君は信じないよ」

 「腕を折られても言わないなんて、テイオって意外に頑固ね?」

 「君を守るためなら腕なんて何本折られても良いよ」


 明らかに強がっているのがいじらしくて、私のためにそこまで身を挺してくれるつもりなのが嬉しくてつい調子に乗ってしまった。


 「そうね、腕はまだ沢山残ってるものね」


 クスクスと笑いながら言って、すぐにしまったと思った。だが既に口から出てしまった言葉は戻ることはない。


 「あ、アラベラ……君、もしかして……」

 「あ、あの、テイオ」

 「いつから、いつから気づいてたんだ」


 彼の手から力が抜けて自然と繋いでいた手が解けた。驚愕に見開かれた目が私を見つめる。私はなんて軽率なんだ。先生にも言われたではないか。伝えるタイミングは慎重にと。


 「テイオ、私ね……」

 

 最初は怖くて、気持ち悪いと思ってしまったが、今は違う。もちろん怖くない訳じゃない。触れることに戸惑ってしまうのも事実だ。だけど、私はテイオの心に触れたい。もっと彼のことを知りたいのだ。そう伝えたいのに、言葉が詰まる。


 「アラベラ……ごめんね。今まで、本当にごめん」


 彼の目からポロリと一粒涙が溢れた。初めてみる彼の涙だ。


 「え、テイオ?」


 彼は私に背を向け歩いていってしまった。 


ありがとうございました!

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