4 病院
「それで、貴方はどうして婚約したなんて嘘をついたわけ?」
「その話はもうやめてってば……」
仕事終わりに寄ったカフェで私はジーンに尋問されていた。
「気になるでしょう!あんなにイケメンから言い寄られてたのに拒否し続けてたなんて!」
「事情があるのよ」
「納得できる事情を言ってみなさいよ」
気の強そうな顔つきのジーンに詰め寄られると更に迫力がある。洗いざらい話してしまいたかったが、話したところで彼女は信じてくれるだろうか。
「その……怖いのよ、あの人の見た目が……」
「……はぁ?あの見た目が?怖いって???あの町一番、いや、国一番と言っても良いほどの美貌の持ち主のことが怖いって言うの!?」
「ジーン、ちょっと声を落として」
怒りと驚愕にジーンの声が音量を増す。周りには他のお客さんも居るので私の異常性を大声で広めることはやめてほしい。
「だってっ……アラベラ、あなた何か病気かもしれないわ。病院、いいえ、精神科医に診てもらいましょう」
真剣な顔で言われてしまい、自分でも自分のことが心配になってきた。
やはり、これは病気の類なのだろうか。
テイオのことが魔物のように見えているのは私だけなのだ。私以外の全人類が、テイオは人間だ、と言うのならそれは事実なのかもしれない。
だが、彼と握手した日のことは忘れもしない。あの感触は確かに現実だった。寒気でブルリと体が震えた。
「ねぇ大丈夫?本当に怖いの?」
顔を覗き込まれ、ハッと意識を戻した。
「い、いえ大丈夫。そうね、今度病院に行ってこようかしら」
「私が言い出しておいて何なんだけど、無理に治そうとしなくても……」
「そうね、私が彼のことを怖がったままだったらジーンが彼に近づけるものね」
「もう!心配してるのに!」
何とか冗談で返して彼女を笑顔に出来たことにホッとする。
ジーンが本気で心配してくれていることは痛いほど分かる。だが今の状態を治せる医者がいるのだろうか。
「私の知り合いがね、良い精神科医を知ってるのよ。今度連絡先を聞いておくわね。もちろん、行くか行かないかは貴方が決めて」
「ジーン……」
彼女の優しさが沁みる。思わず視界が涙で滲んだ。
「ほら、食べちゃわないと」
「そ、そうね」
溶け始めていたアイスの乗ったパンケーキを急いで食べ終え、2人は店を後にした。
******
「カルテを見ましたが、ある特定の人が怪物のように見えると?」
「は、はい」
私はジーンが紹介してくれた精神科医の元へ来ていた。正直治るとは思っていないが、何か突破口は見つかるかもしれない。私が彼を気持ち悪いと思わなくなれば、多少は生活がマシになる。
「そうですね、そう言った症状はよくあることです」
「えっ、そうなんですか?」
灰色が混じった髪を後ろに撫で付けている医者はうんうんと笑顔で頷いた。
「過去のトラウマが関係していることが多いですが、何か思い当たることは?その人に酷いことをされたとか」
「いえ、特には」
学園で会ったのが初対面だったのだ。それに彼が誰かに酷いことをする所は見たこともない。
「ふむ、なるほど」
医者が何やらメモをとる。
「あの、触った感触までその、人間と違ったんですが、それも精神的な物でしょうか?」
「触った感触が?それはどんな感触でしたか?」
「虫の足のようで、細かい毛がびっしり生えてました……間接があって、ギシギシ言う音も、聞こえるんです……」
思い出しただけで手が震える。
「そこまではっきりと……薬なしでそんなに強い幻覚が?いや、だとしても1人だけが対象なのはおかしい……」
医師がぶつぶつと思案し始めた。
「あの、先生……?」
「ふぅー、あの、言い辛いのですが、貴方の症状は私の手には負えません。もう少し専門的な所に頼んだ方がよろしいでしょう」
専門的な所、と言われても私には見当もつかない。
「紹介状を出しますから、ご安心ください」
「は、はい。ありがとうございます」
大した収穫は得られずに私は王宮の外れに借りている自分の部屋へ戻った。
精神科医が紹介してくれたのは、聞いたこともない名前の病院だ。貰ったメモにはそこまでの地図と「魔術治療院」という名前。一般人が利用するような施設ではないことは分かる。だがこの状況が少しでも良くなるなら、と私はその病院に行く事に決めた。
******
「どうもどうも」
「こんにちは、今日はよろしくお願いします」
魔術治療院、と書かれた門をくぐり私は狭い部屋へ通されていた。物で溢れていて、診察室というより研究所のようだ。
「はいはいよろしくね」
目の前の小さい椅子に座っているのは40代ほどの女性。髪は短く切っており櫛も通していないように見えたが、顔つきが美しいので魅力は損なっていない。一応白衣は着ているが何やらわからない汚れで元の色がわからないほどに汚れていた。
「それで、今回はなんでいらっしゃったんだっけ?」
「あの、ある1人の人間だけ魔物のように見えるんです……」
カルテのような物はない。彼女は私の全身を頭からつま先まで繁々と眺めた。
「ほうほう、それで?見た目はどんな?」
「えぇと、下半身はトカゲみたいで、体表は乾いたナメクジみたいです。腕は4本あって、虫の足に見えます。関節が沢山ある……。頭に毛はありません。角が一本あって、あと、口のにこう、小さい職種のようなものがいっぱい……」
話して説明することでテイオの姿をまざまざと思い出してしまい、口の中が苦くなってきた。
「なるほどね〜随分とハッキリ見えてるんだね」
「あの、これは治る病気なのでしょうか?」
「病気?」
彼女がキョトンとする。そしてすぐに大きく口を開けて何がおかしいのか腹を抱えて笑い出した。
「あっはっはっはっはっは!!!お嬢ちゃんそれが病気だと思ってたのか!」
「えっ、あの、それってどう言う……」
「それは病気なんかじゃない。まぁ、あんただけがその症状なら自分が異常だと思うのは仕方がないことだがね。あんたのそれは病気じゃなくて魔法の一種だ」
「魔法……」
もしかして、魔法のせいでテイオが怪物のように見えているのか?それなら、その魔法を解いて仕舞えば私も彼と普通に話せるようになるのでは。
「その魔法、解くことは出来ないんですか!?」
「魔法を解く?」
「はい、そうしたら、私があの姿を見ることも……」
「何か勘違いしているようだけどね、魔法がかかってるのはその魔物に見えているやつの方だ」
「どういう、意味ですか?」
「そいつの魔法を解いちまえばその姿は全人類に見られることになる。魔物だとバレてしまうのさ」
「え、じゃああの姿が本当の姿だっていう事ですか?」
「そう言うこと。何か事情があって幻覚を見せる魔法を使っているんだろう」
「じゃ、じゃあ私はこのままあの姿を見続けなければいけないの……?」
そんなの嫌だ……。
「そいつは何か悪いことをしたのかい?それならうちらが対処することになるけど」
「えっ、対処って……?」
「話し合いをするつもりではあるが、それがダメなら秘密裏に討伐することになる」
「そ、それは……」
テイオが討伐される。彼はそんな事をされなければいけないほど悪いことをしただろうか。ただ、見た目が少し、いやかなり怖いだけだ。
「悪いことは、してません。むしろとても良い……人、です」
俯きながら言う。
「それなら何も問題はない。あんたが少し苦労するだろうけど、慣れるしかないね」
「無茶なこと言わないでください!」
「人間てのは単純なんだよ。何度も触れ合ってれば自然と慣れていく。感覚が鈍るとも言うけどね」
「う、うぅ……」
私が彼と触れ合うことは考えたくなかったが、書庫のカウンター越しくらいの距離なら慣れることができるだろうか。
「その魔物とあんたはどう言う関係なんだ?」
「学園で、同級生でした」
「なるほどねぇ。何であんたにだけ魔法が効いていないのかは分からないけど、そいつは悪い奴じゃないんだろ?ならあんまり毛嫌いしてやるんじゃないよ」
「は、はい。善処します……あの、先生は他の魔物、さんと会ったことがあるんですか?」
「ん、まぁね。皆んないい奴らだ。きっとあんたの知ってるやつもあんたに好意的だろう?」
「はい、それはもう……」
「それなら見た目に慣れるように少し歩み寄ってやっても良いかもね。相手はバレてることに気づいてるのか?」
「多分気づいていないと思います。伝えたら、どうなりますかね」
「うーん、どうだろう。パニックになるかもしれないな」
「ぱ、パニックって……」
「まぁあんたを傷つけることは無いと思うから安心しな。ただ、伝えるタイミングは慎重にね」
「わかりました……」
収穫があったにはあったのだが、結局はどうしようもない、との結論が出て私は先生にお礼を言い家路についた。
ありがとうございました!