3 卒業
クラスに魔物がいるという点以外は平和な学校生活が今日で終わる。
テイオと話すことがなくなって三年ほど、びっくりするほど何事も無く私は学校を卒業出来ることに舞い上がっていた。やっと、やっとテイオから離れられる。出来るだけ視界に入れないように生活していたが、同じ学校なので否が応でも彼を見る機会はある。
だが私は隣町の王宮書庫に就職が決まっている。そこに行ってしまえば私を待っているのは本当の平和平穏な生活だ。彼の姿に気分を悪くすることも、なぜ彼が人間の姿を装って人間と共に生活しているのかなど日々考えなくても良いのだ。
「アラベラ……」
今一番聞きたくない声が背後から聞こえる。
「……テイオ」
数年一緒のクラスにいても彼の容姿に慣れることは無かった。今見ても新鮮に鳥肌が立つ。
学園ともお別れか、と訪れていた中庭で私とテイオは向かい合って立っていた。
「アラベラ、僕、君に言いたいことがあるんだ」
「言いたい事……?」
「君も気づいてると思うけど、僕はずっと君のことを」
彼が何を言おうとしているのか、その先を聞きたくなくて私は慌てて声を張り上げた。
「私!婚約が決まったの……!」
テイオはギラギラした目を見開いた。驚愕で固まった虫のような手がギシギシと鳴っている。
「……婚約?誰と?」
「貴方の知らない人よ」
「……そう、そうか……」
彼が泣き出すのではないかと思ったが、そのぎらつく瞳から涙が溢れることはなかった。
「相手って、どんな人?」
寂しそうに聞かれ、私は思いついたことを次々口にした。
「や、優しい人よ。私なんかにも敬意を持って接してくれるわ」
「そうか……いい人なんだね。お幸せに。アラベラには、幸せでいてほしい」
じっと見つめられ、居心地が悪くなった。嘘をついている罪悪感で彼の目をまっすぐに見られない。なぜこんなに私を好いてくれるのか、それも結局分からずじまいだった。私を食べるための演技なのかもしれないが、私が真実を聞くことはもうない。
「貴方も……元気でね」
魔物が体調を崩すのかは分からなかったが、形式上そう返した。
******
「アラベラ、このリストの本取ってくれる?」
「はーい」
同僚のジーンからメモを受け取り本棚へ向かう。
この王宮書庫で働き始めてからあっという間に1年が経っていた。覚えることは膨大で、時間は飛ぶようにすぎた。テイオの事を思い出すのもごく稀だ。だが、そうやって思い出した時には書庫を探し回り、魔物について調べるのだった。
意外にも人間が魔物と諍いを起こした記録はない。御伽話のように描かれている本が大抵だったが、魔物と会話したという体験記なども数点見つけた。確かに彼らは存在しているのだ。人間に好意的かどうかは未だ分からないが。
見つけた体験記で彼らと話したと言う記述は、嘘をついているようには感じなかったが、特に深く魔物と話したという訳ではないようだ。一瞬相手の姿が魔物のように見えた。きっと彼は魔物なのだ、とか。魔物の世界から来たと言い張る人間と会話した、とか。
結局テイオがなぜ人間に紛れて暮らしているのかは分からずじまいだった。
「アラベラさん」
「あ、ケネスさん、こんにちは」
「今日もお願いするよ」
「はい、喜んで」
王宮書庫をいつも利用するケネスさんだ。30代くらいの男性で、私にも気安く話しかけてくれる。いつもニコニコとしているので私まで笑顔になる。無愛想に利用する人も多いのでこう言う人が居てくれるのは正直嬉しい。
「あそこ、街の噴水の近くにできた店には行った?」
「え、何のお店ですか?」
私がケネスさんに渡されたリストの本を探している間にジーンとケネスさんが話しているのが聞こえる。
「はい、お待たせしました」
集めた本を受付の机に置く。
「アラベラ、噴水の近くに新しいスイーツのお店ができたの知ってた?」
「そうなの?全然知らなかった」
「今度2人で行ってくると良いよ。とても美味しいらしい」
「はい、行ってみます。情報ありがとうございます」
「いえいえ、それじゃあまたね」
朗らかに去っていくケネスさんを私とジーンも笑顔でお見送りする。
「ケネスさんって素敵よね〜」
「え、ジーンあの人のこと……」
「いやねアラベラ、私たちだって良い歳よ?急ぐぐらいじゃなきゃあっという間にここの重鎮になっちゃうわ」
「それもそうねぇ……」
仕事で忙しくしていたのであまり考えなかったが、私もジーンももう結婚していてもおかしくない歳だ。学校ではすげに婚約者がいる生徒も数人いた。
かくいう私も婚約者が居る“設定”だったのだが。
「すみません」
受付の方で遠慮がちな声が聞こえる。受付の少し奥で話し込んでいた私たちは慌てて姿勢を正して仕事へ戻った。
「は、はい。こんにちは。初めてのご利用で……」
「か、かっこいい……」
隣でジーンがホウ、とため息を吐いているが、反対に私は息をするのを忘れるほどに驚いていた。
なんで彼がこんな所に。
「え、アラベラ!?君、ここで働いていたのか!久しぶりだね……」
久しぶり、と言う彼は何も変わっていない。相変わらずの虫のような2対の腕、トカゲのような下半身、口の中のウニョウニョは健在だ。変わったといえば服ぐらいか。王宮で働くものがつけている紋章が左肩に誇らしげに輝いていた。
「……っあ、ひさし、ぶり……テイオ」
何とか挨拶を返す。彼にはまだ、彼の本当の姿が見えていることはバレていないはずだ。
「もう学園を卒業して一年か、どうしてるのかなって思ってたんだ。きっと、今は婚約者の人と結婚して幸せだろうけど」
悲しげに言われて良心が痛んだ。
「え、えぇと」
なんと返そうかと頭を回転させていると、驚いて私たちの会話を聞いていたジーンがいても立っても居られず、と声をあげた。
「あの!お二人はお知り合いなんですか?」
頬を高揚させ私とテイオを見比べる。
「はい、同じ学園の同級生なんです。アラベラの同僚の方ですか?」
「ジーンと申します。今後ともよろしくお願いします」
ジーンがお気に入りの男性に向けるとびきりの笑顔だ。
「こちらこそよろしくお願いします。今年からここに配属されたので、頻繁にお世話になるかもしれません」
彼の制服を見ると、どうやら文官になったようだ。頭が良かったので納得は行くが、魔物が王宮に居て良いのだろうか。
「アラベラ」
呼ばれてテイオに意識を戻す。直視するのは久しぶりで、身体中から嫌な汗が吹き出した。
「改めて、ご結婚おめでとう」
ジーンの責めるような目線が痛い。だが何も言わないでいてくれているので今度何か奢ろう。
「えぇ、その……」
ありがとう、と言うのに躊躇いもじもじとしていると、テイオが私の手をチラリと見て動きを止めた。
「アラベラ、指輪をしてないの?」
「えっ、そう、あの……実は、婚約を破棄されてしまって……」
苦しい言い訳だ。ジーンの眉間にどんどん皺が刻まれていく。
「そ、そうだったのか……それは……残念だったね」
残念、と口では言っているが彼が嬉しそうに口の中を忙しなく動かしているのが分かる。頼むから口を閉じてくれ。
「じゃ、じゃあ僕は仕事に戻るよ、またね」
「あ、ありがとうございました」
「ありがとうございました!またお待ちしてますね」
私の消え入りそうな声と真逆にジーンは元気いっぱいだ。ぎこちなく礼をして何故かルンルンと帰っていく彼を見送る。
「アラベラ、詳しく聞かせてもらいますからね」
その日は仕事が終わってからもジーンからの追及が終わることはなかった。
ありがとうございました!