1 握手
私が通うサスキア学園には全校生徒が羨望の目を向ける男子生徒がいる。
眉目秀麗。聖人君子。才色兼備。文武両道。あげ始めたらキリがないほどに、彼の評価は止まることを知らない。
「今日もお美しいわ、テイオ様」
「また成績が学年トップだったらしいわね。一体どれだけ努力されているのかしら」
「まぁ、あのお方が努力されているのなんか想像できませんわ」
女学生たちの囁き合う声が教室に溢れている。当の本人は男子学生に取り囲まれて何やら談笑中だ。ここまで女の子たちに持て囃されていれば男子たちの反感を買うものかと思うのだが、意外にも彼らはテイオ・アクランドを好いているらしい。
そして私は、遠巻きにそれを横目で見ている。
あぁ、まずい。彼が近づいてきた。
男子生徒の群れから抜け出してきたテイオが私の机へ歩いてくる。
「アラベラ、今日はまっすぐ帰るの?」
「えっ……えぇ、どこにも寄るつもりはないわ」
「そうか、それなら僕と一緒に……」
「あっ、そういえば、両親に頼まれごとをされていたのを忘れていたわ、ごめんなさいね」
私はそそくさと席を立つ。テイオの側を通らないようにかなり距離を取って教室を出た。
「何よあの子の態度」
「テイオ様が声をかけてくださったのに」
「きっとテイオ様がカッコ良すぎて緊張してるのよ」
背中に同級生の笑い声を感じながら廊下を進む。自分が笑われているのはわかっていた。だがそんなの気にしていられない。しきりに自分の腕を摩り、気持ち悪さから立った鳥肌を収めることに努めた。
私がこの学園に入学してから半年ほどが経つ。入学式の時の私はとても挙動不審で、周りからはきっと奇異の目を向けられていただろう。だがそんなの気にならないほどに、私は1人の生徒を凝視していた。
テイオ・アクランド。先ほど話しかけてきた彼だ。
私と同じ年齢の生徒たちが並ぶ入学式の会場に、彼はポツンと立っていた。心配そうに周りを見渡し、目が合う生徒に笑顔を向けてはキャーキャーと騒がれていた。だが叫びたかったのは私の方だ。
私が見た彼の姿はどう見ても人間のそれではなかった。
身長は周りとそう変わらないのだが、下半身はトカゲのように鱗を纏っていて上半身には2対ある虫のような腕を持ち、頭にはゴツゴツした一つの角。口は横に線を引いたようで、開くと小さい触手のようなものが蠢いている。眉は無く、分厚い眉間の下にはギラギラと輝く縦に裂けた瞳が覗いていた。不格好に着ている制服が余計に恐怖を煽る。
どうにか声をあげて、そこに化け物がいる!と皆んなに伝えて回りたかった。危ないから今すぐ逃げろと。だが周りを見渡しても、彼のことを化け物だと思っているのは私1人のようだった。全く気にしない子もいれば好意の目を向けているものまで居た。
数日は私以外がおかしいのだと思っていたのだが、段々と理解した。おかしいのは私だ。
幻覚のようなものかと思い、彼に触れたことがある。きっと何か呪いのようなもので、私だけ彼の姿が化け物のように見えているのではと思ったのだ。
「あの、アクランド様」
「テイオでいいよ」
「テイオ様……あの、同じクラスになれて光栄ですわ」
そう言って手を差し出した。触った感触が人間のものなら、これは幻覚の一種だ。
「こちらこそ嬉しいよ!よろしくね」
口が僅かに開き、うねうねと動く触手が見える。震える手で握手をした瞬間、腕から全身に鳥肌が立った。触れた彼の手は、見た目の通りに虫の足のような感触だったのだ。外殻に沢山の細かい毛が生えている。
叫び出して逃げなかった自分を褒めてやりたい。もし彼の本当の姿が見えているとバレてしまったらどうなるのか。想像するのも怖かった。
その日から私は彼を避け続けている。彼の姿は幻覚でもなんでもない。私だけが彼の本当の姿を見ることができている。彼の姿が恐ろしくてたまらない。出来れば関わりたくない。
だがなぜか気に入られてしまったようで、彼の方から話しかけてくることが増えてしまった。最初は敬語で話していたのに、彼の気迫に押されて今ではタメ口で話すようになってしまっている。初めて敬語をやめた時の彼の表情は今でも夢に見る。もちろん悪夢だ。
「やあアラベラ、お昼は食堂で食べるの?」
「あ、いえ、お弁当があるの」
「僕もお弁当なんだ。一緒に食べない?」
「えっ……と、他のお友達があなたと食べたがっていると思うんだけど」
「僕が君と食べたいんだよ」
きっと他の女学生が言われれば卒倒ものだろう。だが私の目には化け物が人間を食べようと企んでいるようにしか見えない。
「ご、ごめんなさい、私お友達と食べる約束をしてしまって」
「そうか、それは邪魔する訳にはいかないね」
大人しく引き下がってくれたことにホッと息を吐く。何回か話をしていると彼が良い人、いや、良い魔物なのでは無いかと思い初めてしまうが、いかんせん見た目が怖すぎる。私は彼がいつ人間を襲い始めるのかとビクビクしながら生活していた。
「ちょっとお時間よろしいかしらアラベラ様?」
「え、は、はい」
同級生に声をかけられたのは初めてだ。確か、名前はタルラだったはず。赤髪が美しいご令嬢だ。呼ばれるままに校舎の人目のつかない場所へと着いていく。
「あなた、何か勘違いしていらっしゃらない?」
「勘違い、ですか?」
目の前にはタルラを筆頭に、3人のご令嬢がご立腹と言わんばかりに腕を組んでこちらを見下ろしている。
「アクランド様があなたに優しくされるのは、あなたのことをお可哀想だと思っているからなのよ?理解しているかしら?」
可哀想だと思われている。確かに、目の前の彼女たちは美しい。髪の毛はよく手入れされていて良い家の出なのだと分かる。対して私は少しパサついた焦茶の髪の毛を伸ばしたままにしていて見窄らしい。
「髪の毛を手入れしたら話しかけて来るのをやめてくれるでしょうか」
つい口に出してしまった。
「あ、あなた、私たちを馬鹿にしているの!?」
「い、いえ、決してそんなつもりは!」
今更訂正した所で遅い。そこからは予想がつく通り、私への嫌がらせが始まった。だが所詮良いお家の令嬢たちだ。いじめに対する解像度が低い。
私の物を隠したり、ノートに落書きがされていたり。痕跡を残すものばかりでお粗末と言えたが、私は特に反撃したりはしなかった。
「アラベラ、今度の休みなんだけど」
「アクランド様、私たちとお話し致しましょう?」
私に話しかけようとしたテイオをタルラたちが攫っていく。
「ありがとう……本当にありがとう……」
タルラがテイオと腕を組んでいる様に鳥肌が立ったが、彼女にはテイオがとてつもなく美形に見えているのだ。そして私の方へテイオが来るのを彼女が阻止してくれている。なんとありがたいことか。私は心の中で彼女へ感謝の祈りを捧げていた。
ありがとうございました!