第七話「四人目」
「野球部って、まだあるの?」
その声は、昼休みのざわめきの中、妙にくぐもって響いた。
香川雄大は、パンをかじろうとしていた口を止め、振り返った。そこに立っていたのは、一人の男子生徒。
制服の着崩し方も、髪型も地味だ。けれど、その目だけは妙に澄んでいて、何かを探しているようだった。
名前は、三枝航平。二年生。香川の一学年上。
だが、学年の違いを差し引いても――彼には、どこか近寄りがたい雰囲気があった。
「え……うん。あるよ、一応だけど」
香川が返すと、三枝は黙ってうなずいた。机のそばに近づき、廊下の方を軽く指さす。
「……今日、グラウンド、見に行ってもいい?」
「もちろん!」
香川は思わず声を弾ませた。年上だというのに、まるで同級生のような自然さがあった。
教室の後ろから数人のクラスメイトが、ひそひそと何かを話していたが、香川は気にしなかった。
むしろ、心の奥がじんわりと熱を帯びていた。
放課後、グラウンド。
いつものように、原口と篠山が黙々と準備を進めていた。
そこに、三枝が現れた。手には何も持っていない。ただ、迷いのない足取りで土の上に立つ。
「入部希望か?」
石田が聞くと、三枝は短くうなずいた。
「……その前に、一つ確認させてください」
「なんだ?」
「この野球部、本当に試合を目指してるんですか?」
原口と篠山が顔を見合わせた。
三枝は続ける。
「ふざけてるわけじゃない。でも……中学のとき、チームが崩れて、自分も自信をなくした。だから、またどこかで“崩れる”くらいなら、最初から関わりたくない。けど、もし本気なら……覚悟を決めたい」
香川が一歩前に出る。
「俺も最初、不安でした。でも練習してるうちに、何かが見えてきて……」
香川の言葉を、三枝はじっと聞いていた。
「それに、あなたが来てくれたら、人数は四人になります。試合はまだ無理だけど、野球部って胸張って言えるようにはなる。……それだけでも、俺は嬉しいです」
その言葉に、三枝の目が少しだけ揺れた。
「ポジションは?」
香川が聞くと、三枝は短く答えた。
「セカンドです。中学ではそこしかやってなかった。バッティングは……全然ダメですけど」
原口がうなずく。
「俺たちも、まだ全然完成してない。期待より、“試されてる”側。お前も俺らと同じだ」
石田が最後に言葉を重ねた。
「お前に必要なのは才能じゃない。“やるかやらないか”だけだ」
三枝はゆっくりと呼吸を整え、微笑みに似た表情を浮かべた。
「……じゃあ、やります。たぶん、野球をまたやりたいって思ってたのは、俺自身だったんで」
その言葉に、香川は心からの笑みを浮かべた。
四人目――ついに、あとひとり。チームがかたちになろうとしている。
「ようこそ。三枝先輩」
香川が自然に“先輩”とつけたその言葉に、三枝は少し照れくさそうに笑った。
石田は遠くからその様子を見て、空を仰ぐ。
「……五人目。次は、“火種”になるやつが欲しいな」
陽が沈みかけた空の下、明光高校野球部の再生は、また一歩だけ進んでいた。