第五話「3人目」
「……野球部、部員募集か」
昼休み、掲示板に貼られた一枚の紙を見つめながら、三年生の原口大地は静かに呟いた。
紙には黒字でこう書かれていた。
「野球部始動 部員募集中」
顧問:石田吉定
「石田……まさか、あの時の人か」
原口の頭に、過去の映像がよみがえる。
中学時代の市大会。審判を務めていた中年の男――寡黙で、正確で、そしてそのプレーを誰よりも深く見ていた人物。
その試合で、彼は原口に言ったのだ。
——「お前、キャッチャー向いてるよ」
あの一言が、今も残っている。
当時はピッチャー。正捕手の山縣聖也とバッテリーを組んでいたが、試合中に山縣が自打球で負傷。その代役として、原口は急きょマスクをかぶった。あの短い時間で、見抜かれた“何か”。
原口は胸ポケットから赤ペンをしまい、そっと掲示板を見上げる。
「……このタイミングで再会するとはな。なんというか、妙に意味を感じるよ」
そう呟くと、彼は迷いなく足をグラウンドへ向けて踏み出した。
⸻
放課後のグラウンド。整備され始めたばかりの土に、新しい靴跡がひとつ増えた。
香川雄大が最初に気づく。
「あっ……誰か来た!」
「三年生? でも知らねぇ顔だな」篠山陵人が少し警戒するように言う。
やってきたのは、姿勢のいい、がっしりした体格の男子生徒。歩き方にも無駄がない。
「こんにちは。野球部はこちらで間違いないかな?」
「はい! 僕たちだけですけど……」
原口はふっと笑みを浮かべ、掲示板を見てきたことを伝えると、静かに続けた。
「僕、原口大地。三年です。……今日から、入部させてもらおうと思って来ました」
香川と篠山が同時に驚く。
「えっ、いきなり入部……って、三年生なのにいいんですか?」
「もちろん。勉強との両立は、自分で責任を持つよ。部活に何を求めるかは人それぞれだけど……僕は、やるなら最後までやりたいタイプだから」
その時、奥から聞き慣れた声がした。
「……原口か。よく来たな」
煙草の煙とともに現れたのは石田吉定。スーツのまま、手にミットをぶら下げている。
原口はきちんと頭を下げる。
「ご無沙汰してます。先生、やっぱりあのときの……。『キャッチャー向いてる』って言われたの、覚えてますか?」
「……覚えてるとも。あの試合は、こっちの記憶にも残ってる」
石田は少し目を細めて、言葉を続ける。
「お前は本来ピッチャーだったな。山縣が怪我して、代わりに捕手をやって……その一瞬を、俺は見てた」
「それを、ずっと覚えてました。ずっと考えてたんです。……もし、あのままキャッチャーを続けていたらって」
香川が驚いたように声を上げた。
「じゃあ……経験者なんですね!?」
「中学までね。でも、忘れたことはないよ。いまでも、キャッチャーとしての技術は残ってるつもりだし、何より……野球はまだ、嫌いになれていない」
篠山が小声で香川に言う。
「……なんか、頼もしいな。頭良さそうだけど、体も動けそうだし」
原口はその言葉を聞いて笑った。
「それなりに体力管理もしてるよ。受験勉強もあるから、運動はルーチンの一部。だけど、この場所でなら、もう少し本気になれるかもしれない」
「じゃあ、改めてよろしくお願いします!」と香川が言うと、原口は頷いた。
「こちらこそ。チームに貢献できるよう、全力を尽くすよ。香川くん、キャッチャーやってるんだよね? 一緒に練習しよう」
石田は、それを黙って聞いていた。表情には出さないが、彼の目に確かに“光”があった。
——部員、三人。
——ようやく「チーム」と呼べる輪郭が見えてきた。
そして原口大地は、ただの経験者ではない。
自信と論理、そして過去の想いを抱えて、ここにやってきた。