第一話『封印されたグラウンド』
都内の進学校、明光高校。だがこの学校がかつて甲子園を沸かせた野球の名門だったことを、今の生徒の多くは知らない。
1986年の夏、練習中に倒れた選手が亡くなった。その悲劇ののち、野球部は封印された。スポーツ推薦も廃止され、学校は完全に学問へと舵を切った。
——それから四十年。
新校長の「学力だけで語られる学校ではなくしたい」という意志によって、野球部が復活することとなった。話を聞いたのは入学式の日。香川雄大、十五歳。中高一貫の明光学園中等部から進学してきた。
「……野球部、復活するんだ」
放課後、彼は校舎裏にある使われていない旧グラウンド跡に足を運んだ。草は刈られ、フェンスは直され、ベンチの木材も新しくなっていた。土の匂いだけは、昔のままだ。
胸が少し熱くなった。忘れたはずの感覚が、ふいに蘇る。
「……お前も、新入部員か?」
声がした。振り向くと、制服のネクタイをゆるめた同じ一年生が立っていた。鋭い目つきと、落ち着きすぎた声。けれどその奥に、熱のようなものがあった。
「篠山陵人。俺は高校から明光に入った。お前は?」
「香川雄大。中学から」
「野球、やってたのか?」
「小学生のときに。キャッチャーだった」
「俺はピッチャー。やっとマトモなやつに会えたわ」
香川は笑った。篠山は一見ぶっきらぼうだが、目をそらさない。人を見る目を持っている。
香川の心には、ずっと引っかかっていたものがあった。
——中学では野球部がなかった。代わりに入ったのはバスケ部。運動神経は悪くないと思っていたが、新人戦のディフェンスで立ち位置を間違え、試合を台無しにした。緊張で足が動かず、同じクラスのチームメイトに言われた。
「お前、マジで下手くそだな。やる気あんの?」
その一言が決定打だった。言い訳して辞めた。「受験に集中する」——そう言えば、誰も責めてこなかった。
でも本当は違った。逃げたのだ。恥ずかしくて、悔しくて、ずっと心の奥に引っかかっていた。
けれど、野球には違った思いがある。少年野球時代、キャッチャーとして味わった、あの白球の軌道。ストレートがミットに収まる瞬間。仲間と勝ったあとの、あの空気。
——もう一度、野球がしたい。
「……一緒にやろうぜ」と、香川は言った。
篠山はニヤッと笑った。「そのつもりだ」
こうして、誰にも期待されていない小さな“再出発”が始まった。