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7話



だから、時々、凄く怖くなってしまう。幸福な時間がいつまで続くのか。いずれ厄介者の鈴香は出て行かなければいけない。仕事を紹介してもらい、以前のように1人で生活し生きて行く。今が特別なだけだ。クリスは冗談で「ここにずっと居てくれて良いのよ?」と言ってくれるが鵜呑みにするほど馬鹿じゃない。


この時間はいずれ終わる。「そろそろ、ここを出て行って欲しい」といつ言われるのか、必ず来る終わりを恐れるようになった。夜、眠れなくなっていった。日々の生活が満たされていけばいくほど、鈴香の中の不安が大きくなっていく。


…終わりが来る前に、いっそ自分の手で終わらせて仕舞えば…。


「スズカ様!危ないです!」


(あ…)


ハッと気がつくとレイラが必死な形相で腰に巻きついている。鈴香は今、バルコニーの柵を乗り越えようとしていた。ほぼ、無意識だった。あの時の同じだ。躊躇いも恐怖も、何も感じなかった。無表情の鈴香をレイラがバルコニーの床に一旦座らせる。何故レイラがここにいるのかと言う疑問が口から出ることはなかった。魂が抜けたように鈴香は呆けている。


「この下、植え込みになってますけど2階ですし落ちたら怪我をしますよ?もし、怪我をされたらクリス様が大騒ぎして、腕は良いけどわざと激痛を伴う方法で治療する人間性が終わってる医者を呼びます。物凄く痛いですよ?痛いのはお嫌ですよね?」


「…(コクリ)」


「お分かりいただけたようで良かったです。()()()()()()()()とはいえ、危ない真似はお辞めくださいませ」


そう言うとレイラは鈴香を部屋の中まで連れて行って、ベランダに続くドアに鍵をかけた。後日、ベランダの柵が乗り越えられない高さに改修された。


また別の日、ベッドの飾り紐をクローゼットの上の棒に引っ掛けて首を吊ろうとするとバーン!と勢いよくドアが開かれる。そこにいたのは額に汗を滲ませたクリスだ。彼は一瞬でクローゼットに駆け寄って来る。


「スズカ〜飾り紐はこういう使い方はしないわよー?よーく覚えておきなさい」


圧のある笑顔で手早く飾り紐を回収すると、「もう!()()()から紐類は没収よ!」と怒りながら部屋中の紐類を全部探し出して持って行ってしまった。クリスは今日休みだが、彼の執務室から鈴香の部屋は距離がある。汗を掻いていたし急いで来たのだろう。レイラもだが、何故彼らは駆けつけて来られたのか。もしかしたら、鈴香に害が及ぼうとしたら察知する道具か何かが部屋の中にあるのかもしれない。()()()()()()()()()()()()()も、彼らに連絡が行くのか。しかし、詳しく聞くと今までの鈴香の()()にも触れることになる。クリスもレイラも、鈴香の()()をとっくに察しているはずなのに何も言わない。何事もなかったかのように振る舞うのだ。


死ぬのは駄目だとか、生きるべきとか、説教じみたことは口にしない。もしそんなことを言われたら彼らが駆けつける暇もなく、躊躇いなく命を絶っていたかもしれない。何も言われない状況が鈴香に一線を越えさせない、抑止力になっていた。


何も言わず、触れないことがクリス達の作戦なのかは分からないが、結果的に鈴香の()()は治っていった。クリスは鈴香の変化にホッとしていることが普段の言動から伝わってくる。鈴香の発作が起こり始めた頃、彼は一時的に在宅勤務に切り替えたと教えてくれて、入浴時間以外全て鈴香と過ごしているといっても過言ではないほど一緒に居てくれたと思い出す。決して自惚れではない。目を離したら鈴香が死ぬのでは?と不安なのが伝わって来て、心配させている罪悪感で押し潰されそうだった。しかし、これは鈴香自身にも制御出来ない領域だった。ふとした瞬間に、死にたくなるのだ。幸福を感じているのに、いつかやって来る終わりに怯え、その時が来る前に自らの手で幕を引きたくなる。


幸せを感じたことがあまりにも少なかっから、今の生活に心が適応出来ていないのだろう。今は奇跡的に治ってはいるが、いつ起こるか分からない。もし起きたとして、少なくとも部屋に入れば誰かしらが止めてくれるのだろうけれど。




********






鈴香が邸にやって来て数ヶ月が経とうとしている。相変わらず鈴香はタダ飯くらいの居候であった。邸の掃除など、何かしら手伝いたいと申し出ても「そんなことをさせるわけにはいかない」と全力で断られてしまう。美味しい食事を食べて読書をし、レイラやクリス、他の使用人と話して邸の広い庭を散歩したり外出したり。鈴香は居候の上、何をしでかすか分からない爆弾を抱えているお荷物だ。一応そろそろ仕事を…とクリスには頼んでいるがのらりくらりと躱されている。きっと鈴香に出来そうな仕事が無いのだろう。以前は事務職をしていたと伝えていたので、こちらでも似た仕事に就けると楽観的に考えていたが、どうやら甘かったらしい。こうなれば仕事にこだわらず何でも紹介してもらった方が良いのかもしれない。


迷いびとが自立する際、纏まった金が支払われると聞くので、今仕事に就いていなくとも邸を出て生活すること自体は可能だ。


そろそろ出て行く、とクリスに申し出るべきだと頭では理解してる。クリスは優しいから彼の方から出て行け、とは言わない。ならば鈴香の方から言うしかない。クリスから出て行くように宣告されることを恐れて、どうせ終わるなら自らの手で終わらせたほうがマシだと思っていた。だが、最近では心境の変化が訪れている。死んだら彼らに迷惑をかけてしまう。迷いびとを死なせたと、クリスや邸の皆が非難される可能性がある。だから少なくとも彼らと居る間は死のうとしてはいけない、と。鈴香の取れる選択肢は自らの意思で出て行くことだ。


かといって、何もしないまま出て行くなんて恩知らずも良いところ。何かしらのお礼をしなければ、と考えていた。しかし、何をしたら良いか分からない。実はお金もそれなりにもらっているけれど、クリスからもらったお金で何かしらを買って彼に贈っても意味が無いと思う。また、鈴香の素人に毛が生えた程度の微妙な料理を振る舞うという案も浮かんだが、プロの料理人の料理を毎日食べて舌が肥えているクリスに食べてもらう勇気がない。不味くても彼は食べてくれるだろうが、その優しさが居た堪れない。


うんうん頭を悩ませていた鈴香の脳裏に、色んな記憶が蘇ってきた。


『お前と付き合ってる理由?んなの、胸デカくて金持ってるからに決まってるだろ。それ以外に理由あると思ってんの?顔はまあまあマシだけどいっつもオドオドして、陰気だし正直イラついてたんだよなー。妹の方が良いわ、明るいしあっちの相性も良いし』


『なんていうか、鈴香ってわざとらしいんだよね。本当に俺のこと、好きなの?してる時も正直、大袈裟に喘ぐからAV女優みたいで萎える。それにさ、妹さんに聞いたんだけど俺のこと下手くそだって馬鹿にして愚痴ってたんだって?酷くない?そこまで嫌なら、別れようよ』


『鈴香、妹さんのこと虐めてるんだって?妹さん泣いてたよ。家族と仲が良くないって言ってたけどさ、鈴香の方に問題あるんじゃない?自分が家族に馴染めないからって妹さんに当たるの、最低だよ』


(…頭が割れそう…)


今まで付き合った彼氏から投げかけられた言葉という名の凶器が、胸を抉って来る。鈴香は大きく深呼吸をして、自分を落ち着かせた。


嫌な記憶も一緒に引き摺り出されてしまったが、皮肉にも鈴香は何もない自分にも出来るお礼の仕方を思いついた。鈴香は細身だが胸だけが大きい、出るところは出て引き締まるところは引き締まっている。元いた世界ではすれ違う男の視線が胸元に注がれることが不快だったし、母からは「ふしだらな身体」妹からは「男を誑かす淫乱女」と何もしてないのに散々罵られた原因となった。コンプレックスを通り越して大嫌いで、取れるものなら取ってしまいたかった。元彼にも鈴香は身体と金を持ってることしか取り柄がないときっぱりと言い切られたこともある。


しかし、鈴香は人生で初めて己の嫌な視線ばかり集める身体に感謝していた。変なところで思い切りの良い鈴香の長所であり短所は、この時存分に発揮されていたのだった。


今からしようとしてることはクリスの恋愛対象が女ではないと成り立たないが、彼本人が異性愛者だと教えてくれた。


『この口調だと誤解されやすいのよね。わたし野郎の裸見たところで一ミリも興奮しないわ!恋愛対象は女性よ』


何故か鈴香に意味深な視線を投げかけて来たことが解せないが、前提条件はクリアしている。そして今クリスに恋人や婚約者の類が居ないのはレイラが聞いてもないのに教えてくれた。彼の身分や容姿、年齢から婚約者が居ないのはとても珍しいらしいが曰く令嬢よりも美しく、美意識も高い。令嬢に必須な刺繍も上手くセンスも良い。そのため、交際しても令嬢の方が自分に自信に無くしてしまい誰とも長続きしないのだと。それでも見目麗しい容姿と高貴な血筋から令嬢達からの人気は大層高いらしい。しかし、周囲から結婚を急かされていても全部無視してるようだが。


今はいなくとも、いずれ彼と相性の合う女性が現れるだろう。その未来に、やはり鈴香は邪魔である。鈴香はケジメをつけるために、ある決意を固めクローゼットの扉を開け放った。



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