13話
クリスは困惑を露わにし始めた。鈴香も聞かされた当時は驚いたものだ。無性に懐かしい。
「実際祖母は殺されたんじゃないかって噂は流れてたんですけど、恨みを買い過ぎてて犯人候補が多過ぎて…そして医者も間違いなく病死だと判断したことで噂は収まりました。目の上のたんこぶだった祖母と大伯父がほぼ同時に亡くなったことで、両家ともかなり喜んだそうですよ」
「まあ、それだけ好き勝手やっていれば恨まれて当然よね。悲しまれなくても自業自得だわ」
人の死を喜ぶなんて最低だと思うが、あのタイミングで祖母と大伯父が亡くなって皆心底ホッとしただろう。捨て身で反抗した祖父達に生きていたら、彼らが何をしたか…会社を潰されるだけでは済まなかったかもしれない。
(けど、タイミングが良すぎるから本当に病死じゃないのかも。だとしても、証拠は何もないし犯人がいたとしても周囲が庇ったんだろうな)
祖父達が異常に鈴香を恐れ、憎んでいたことを考えると、もしかしたら…。いや、疑ったところで意味はない。全て終わったことだ。
「…普通ならここでハッピーエンドだったんですけど…祖母の葬式から日を置かずに母が妊娠しました。私です。すると両親はタイミング的に祖母の生まれ変わりじゃないかって怯え出しました」
荒唐無稽な話にクリスは首を傾げた。
「ただの偶然じゃない?生まれ変わりって、こっちならともかくニホンではあり得ないでしょ」
「そうですね、たまに自分は昔死んだ人の生まれ変わりだって主張する人いますけど全員偽物ですし。実際私は祖母と性格が全く似てませんし、祖母として生きた記憶もありません」
でも両親は信じ込んでしまった。やっと死んでくれたのに、また自分達を苦しめるつもりなのかと産まれてくる前の我が子を疎み堕ろそうとしたらしい。それを必死で止めたのは祖父だ。生まれ変わりなんてあり得ない、と力強く両親を説得した。祖母の残した呪縛は強く、また母は散々いびられたせいで祖母に対する恐怖心が根付いていたのだ。大勢の前で罵倒されるだけではなく、息子を誑かした下賎な女と平手打ちを喰らったこともあるらしい。ふしだらな女だと、事実無根の噂を流されたこともある。父は当然母を祖母の魔の手から必死で守ってはいたが、多分母は、いや父も祖父もゆるやかに病んでいったのだ。しかし誰もそれを気づかず、いや認めなかった。祖母が残していった、祖母の存在を感じさせるもの全てを受け入れなかった。
そして必死で産まれてくる孫を庇った祖父ですら、鈴香が産まれると掌を返した。
「産まれたばかりの私に若い頃の祖母の面影がある、やっぱり産まれ変わりだ、と祖父が言い出しまして。実際父にも母にも似てなかったらしいです。孫なんだから祖母に似て産まれてもおかしく無いんですけどね…その祖母に問題があり過ぎたんです」
鈴香は産まれたその日から両親、祖父の目から遠ざけられ使用人の手によって育てられた。家族が暮らす母屋に鈴香が来ることすら禁じられ、敷地の離れの小さな邸に押し込められ、高校卒業するまでそこで暮らすことになった。衣食住は保証されたが、家族と共に食事をすることも当然許されずずっと1人で食事を摂っていた。
「私が産まれてから数年後、母にそっくりな妹が産まれると両親と祖父の関心は妹にのみ注がれました。子供の頃、何故自分が1人なのか分からなくて寂しくて、こっそり家族が住む母屋に行ってしまったんです。すると母に見つかり、凄まじい勢いで罵倒されました。騒ぎを聞きつけた父と祖父も凄い剣幕で、引き摺られるように母屋から追い出されました」
『その顔を儂の前に晒すな!死んでからも儂らを苦しめるとは、本当に悪魔のような女だ!』
『なんで私からこんな悍ましい子が産まれるのよ!いや…その目をこっちに向けないで!』
『何故お前みたいな子供が産まれたんだ…あの人を思い出して気分が悪くなる…』
嫌悪、憎悪、忌避…この世にある負の感情を限界まで煮詰めたような昏く濁った6つの瞳が、齢5歳の鈴香に向けられた。あまりの恐怖に鈴香は気絶し、気づいたら離れの自室のベッドに寝かされていたのだ。
「目を覚ました私に祖母と両親達の因縁を教えてくれたのは、古参の使用人でした。祖母が嫁いでから伊集院で働き始めた人で、事細かに両親達の私に対する異常な態度の理由を話してくれたんです。私に付けられる使用人は必要最低限で、その全員が嫌われ者の私の世話なんて適当にしてたんですけど、その人だけは私に同情的だったんです」
『大奥様は確かに、問題のある方でしたが…鈴香お嬢様には全く関係のないことです。お嬢様この邸の空気に染まってはいけません。ご自分を強く持ち、生きるのですよ』
あの人は高齢を理由に鈴香が中学生になる前に辞めてしまった。それ以降は鈴香を見下す使用人しか付けられなかったが、構わなかった。周囲に迎合し鈴香を蔑み、妹に加担してせっせと嫌がらせを重ねる彼女達を軽蔑していたからだ。自分だけは、祖母に似ていて祖母の生まれ変わりだと信じて鈴香に憎悪を向ける家族と同じところに堕ちるまい、と強く心に誓ったのだ。
「あの人達は私を蔑んで、妹を溺愛することで家族としての形を保っていたんです。共通の敵がいることで一致団結するというやつです」
「はぁぁぁぁ。おばあさまは亡くなったんだから、全部忘れて前を見て生きろ、子供に当たるなと全員怒鳴りつけて往復ビンタかましてやりたいわね!」
ため息を吐いたクリスは怒りの篭った口調で吐き捨てた。
「きっと私を蔑み貶めることで祖母を貶めたかったんです。生きている時は一度しか反撃出来なかったから。それくらいじゃ祖母に対する恨みは全く晴らせない。私に向けた言葉や態度は本当は全部、祖母にぶつけたかったものなんですよ」
「おばあさまが憎いのは分かるけど…スズカにぶつけるのは許されないわよ。自分達がしてることは憎んでいたおばあさまの所業と何ら変わらないと、自分達の醜さを理解出来ない愚かな人達ね」
「クリス様のようにそう言ってくれる、私を庇ってくれる人が居てくれれば良かったんですけど」
「居なかったの…」
クリスの顔が悲しげに歪んだ。
「私は子供の頃から公の場に連れて行かれることがなく、しかも両親と妹が総出で『祖母に似て素行が悪く、機嫌が悪いと暴力を振るう』と風潮したんです。祖母の振る舞いは知る人は知ってましたから『あの悪女に似ているのか、恐ろしい、関わってはいけない』と私は学校に通うようになってから見知らぬ人から避けられ、悪評を信じた人からは嫌われてました。親戚は私の悪評が嘘だと、察してはいたと思いますが私が両親の憎しみを一身に受けていれば、万が一にも自分達に怒りの矛先が向かず平穏を保てるからと無関心でした。一応、『そんなどうしようもない娘でも面倒を見てやる慈悲深い親』の振りをしていた両親が高校までは妹と同じ学校に通わせてくれましたけど…」
学校生活は良いものとは言い難かった。「姉に虐げられる可哀想な妹」を演じる妹のせいで周囲からはゴミを見る目を向けられ、誰も近づかない。教師ですら面倒ごとに巻き込まれたくないと鈴香から距離を取っていた。妹のファンに呼び出され、罵詈雑言をぶつけられ水をかけられるといった嫌がらせも散々受けた。だから授業以外は図書室に篭って時間を潰していた。夜遅くに家に戻っても気が休まることはなく、本邸への出入りを禁止されていたのに妹の「お姉様と話したい」の鶴の一声で本邸に連れて行かれるのだ。勿論妹の目的は話すことではなく、鈴香がどれだけ周囲に嫌われている醜い存在か、そして自分は誰からも愛される素晴らしい存在なのだと、一方的に語るだけ。鈴香が少しでも面倒そうな素振りを見せると突然叫び出し、お姉様に怒鳴られたと騒ぎ出す。駆けつけた両親に、祖母に似て性根の腐った奴だと罵倒されるまでがセット。
(本当、茶番劇だったな。馬鹿らしい)