12話
「…これが、私がこの国に来た経緯です」
クリスは顰め面で相槌を打ちつつ、じっくりと鈴香の話に耳を傾けていた。はーー、と大きく息を吐く。
「聞けば聞くほど、嫌悪と軽蔑と怒りしか湧いてこない連中ね。地獄に落ちて永遠に炎で焼かれ続ければ良いと思うわ。というか、スズカがこっちに来たってことは向こうでは失踪したことになってるんじゃない?」
「…あ、確かに」
スマホも財布も通帳も、生活に必要なものは全て部屋に置きっ放しのままだ。恐らく連れ戻しに来た家の者が鈴香が居なくなったことに気づき、妹の為に何としてでも探し出そうとするだろう。だが鈴香はこっちの世界に来てしまい、帰る術はない。何も持ってない鈴香がそのまま数ヶ月、半年も見つからなければ生存してる確率はかなり低いと、判断される。
「遺書を残しているのに本人が行方不明。そもそもの原因は実の家族からの悍ましい仕打ち…スズカが家族に殺されて、その遺体を隠したって疑う人がいても不思議ではないわね」
クリスの指摘にスズカは思ってもみなかったと瞠目した。鈴香は日記に両親や妹、亡き祖父や使用人に至るまで家族から受けた仕打ちを赤裸々に綴っていた。誰もがあの家族が異常だったと、そんな人間達ならば理不尽な命令に逆らっただけ、死を選ぶほどに自分達が追い詰めた娘を衝動的に殺してもおかしくないと、そう思うだろう。遺書を残した鈴香の遺体が発見されず消息不明、そして暴露される伊集院家の深い闇。それらがもたらすものは。
「死に追いやったより、実の娘を殺した疑惑の方がセンセーショナルよ。それが権力者となればとんでもない醜聞になるのは間違いない。証拠が無いとはいえそんな疑惑のある一家と関わりたいになりたいと思う人間、いるかしら?例の好色家の老人だって醜聞に巻き込まれるのはごめんだと、手を引くでしょうね。元々傾いていた会社が立ち行かなくなるのはあっという間じゃないかしら」
理不尽かつ馬鹿げた理由で長年虐げ、そんな家族のために犠牲になることを拒否した娘を殺した鬼畜共と噂され、本人達が否定すればするほど疑惑は強まる。彼らの周囲から人が消えていき、最後には何も残らない。絵に描いたような転落人生だ。鈴香の口元に歪んだ笑みが浮かぶ。
「あらスズカ、嬉しそうね」
「あの人達が転落して行く様を想像したらつい…引きますよね。家族の不幸を願うなんて」
しかしクリスは首を振り、「引かないわよ〜」とにこやかに笑う。
「寧ろ、スズカにした仕打ちと比べたら不幸を願うくらい可愛いものよ。もう魔物と変わらないわよね、中身が。そもそも、そいつら何故スズカを虐げてきたの?わたしも親と折り合い悪いから、家族だから必ず仲良く出来るわけないことは分かるけど」
「…物凄く馬鹿げた理由ですよ」
「大丈夫、スズカの家族が性根の腐った馬鹿だって察してるから」
容赦なく鈴香の家族を罵倒するクリスに意外と毒舌だったんだな、と呑気に受け止める。
「私が、祖母の生まれ変わりだと信じ込まれていたことと、その祖母に似ているからです」
「おばあさま?おばあさまにスズカが似ている…もしかして」
クリスは鈴香の言わんとしてることを察し、不快げに眉を顰めた。
「…そうです。両親、祖父は祖母をとても憎んでいました。私が産まれる前に亡くなった祖母は傲慢が服を着て歩いているような人だったそうです。プライドが高く癇癪持ち、自分の思い通りにならないことは許せず立場の弱い者に当たる、そんな人だったと」
「あー。おばあさまの、性格よーく分かったわ。そういう令嬢、割といるのよね。親に甘やかされて育って、その上高位貴族の出身だからどんな我儘な振る舞いをしても咎められない。割を食うのは周囲や立場が下の者ばかり。問題を起こしても親が揉み消すだけで叱りもしないから助長するって悪循環」
「祖母もそうです。大金持ちの家に唯一の娘として産まれ、甘やかされて育てられた。でも苛烈な性格が周囲にバレつつあって結婚相手が見つからなかった。そんな祖母の生贄になったのが祖父です。生贄と言いますか、祖母が祖父を見初めたんですよ。伊集院も名家でしたが祖母の生家の方が遥かに格上で申し出を断ることが出来なかった。でも、望んで嫁いだにも関わらず祖母はすぐ祖父に飽きて遊び歩くようになりました」
「遊ぶって、そのままの意味じゃないわよね?」
「想像通りです。それなのに祖父に女性が近づこうものなら烈火の如く怒るんです。理不尽ですよね。下手に叱責すれば曽祖父に泣き付かれるから祖父は祖母の繁忙な振る舞いに我慢するしかなかったんです」
遊び歩く祖母を咎めず、祖母を引き止められない祖父が悪いのだ、と責めた曽祖父も凡そまともではなかったのだと思う。祖母は生まれた父にも関心を抱かず碌に顔を見せることもなかった。しかし学校に通うようになると成績や交友関係のことに口を出し、干渉するようになった。母親らしいことを何もしてないのに、「名家の跡取りである優秀な息子を持つ母親」の地位だけは欲し、祖母の要求する優秀な成績を取らないと体罰を伴う折檻をされたらしい。祖父は必死で父を庇ったが、曽祖父が「娘なりの躾だ、甘やかすことは孫のためにならない」と擁護したせいで祖母を止めることは叶わなかった。
祖父と父は長年祖母に支配されていた。だが父が小学生の時、曽祖父が亡くなった。曽祖父は祖母の強力な後ろ盾で、彼が亡くなれば祖母はこれまでのように好き勝手な振る舞いは出来ないはずだった。
「曽祖父が亡くなって、跡を継いだのが大伯父だったんですが…こっちも祖母を甘やかす人だったそうで状況は変わらなかったと」
「馬鹿な子ほど可愛いってやつかしらねぇ、本当巻き込まれる方はたまったもんじゃないわ」
クリスが呆れたように言った。曽祖父が死んだ後大伯父が社長の座についたことで祖母は何かあれば大伯父を頼った。祖母に甘い反面、祖父や父、自分の妻や子供には異常に厳しかった大伯父は祖母ほどではないにしろ疎まれていた。勿論態度に出そうものなら何をされるか分からないので、皆従順なふりをしていたらしい。人間性に問題のある権力者ほど厄介なものはない。
「大伯父が目を光らせていたせいで父は祖母の言いなりになるしかなかったらしいんですが…唯一我を通したのが母のことです。母は父の大学の同級生で、出会ってすぐ付き合いだしました。でも母は一般家庭の出だったので…」
「おばあさま、大反対しそうね」
「凄かったらしいですよ。母の家にまで押しかけて父と別れろって大金を押し付けて罵ったり、父に自分の親戚の娘と婚約するよう迫ったり…その辺りは両親に同情します。この時ばかりは祖母の暴走に祖父も真っ向から対抗していたので、無理矢理婚約させられることはなかったらしいですけど」
いくら生家が旧財閥とはいえ祖母はとっくに嫁いだ身。大伯父の権力を笠に着て、圧力をかけようと父の結婚に関しての最終決定権は祖父にあったからだ。うわ、とクリスがドン引きする。
「おばあさま、自分の家族も含めて周りの人間は自分の言う通りにして当然、っていう人だったのかしら。ある意味可哀想な人よね。誰かがちゃんと教えてあげていれば…たらればの話をしても意味ないけどね」
クリスは憐れみの篭った口調で祖母を語った。祖母は所謂優しい虐待の被害者だったのだろう。愛玩動物のように好きなものを与えられ望みを何でも叶えられ、叱られることもなければ…善悪の区別の付かない我儘な人間に育つ。そんな人間が社会に、周囲に馴染めるわけがない。旧財閥の流れを汲む権力を持つ家に生まれてしまったことは祖母にとって幸福だったのか、不幸だったのか。鈴香は意味のないことだと、考えるのを辞めた。
「父は大学を卒業しても母と別れることはなく、父と祖母の仲はどんどん険悪になっていきました。けど、今まで支配されていた鬱憤が爆発したのか父は絶対に折れず、それどころか祖母を罵倒したそうです。それが大伯父の耳にも入り、父は怒り狂った大伯父に殴られたそうですけど謝ることはせず、寧ろ非難したとか。祖母がここまで助長したのは大伯父達のせいだ、自分達は祖母の言いなりになる奴隷じゃないって」
「あら、やる時はやる男だったのね、スズカの父親。すっかりクズに成り下がっちゃったけど」
クリスによる父に対する評価に思わず吹き出しそうになった。鈴香自身も昔はかっこいいと言えなくもない父が何故ああなってしまったのか、残念で仕方がなかった。
「それからはまあ、修羅場ですよ。大伯父は激怒して伊集院に経済的制裁を加えました。父が祖母を侮辱したからという理由で、ですよ?周囲が反対するのを押し切って。呆れますよ」
「独善的な人間がトップに立つと周りが苦労するのよねぇ。その大伯父様、おばあさまが大事と言うより、皆から疎まれるおばあさまを大事にしている自分に酔ってたんじゃない?おばあさまを溺愛してたと言うより、そっちの方がしっくり来るわ」
「言われ見れば確かに。どっちにしろ迷惑であることに変わらないですよね」
当時周囲からの進言を無視しいつまでも、社長の椅子にしがみついていた大伯父。自分が地位を退けば祖母がどうなるか分かっていたのだろう。祖母を庇う自分に酔っていた部分があるとは言え、祖母に対する愛情はあったと思う。それが間違ったものであったとしても。
「祖母はそれをきっかけに実家に帰りましたけど、だからと言って干渉が無くなることもなく。伊集院は取引先をどんどん失い、追い詰められていきました。ギリギリのところで保っていたのは大伯父と敵対する派閥の人が手を貸していたからだそうですが、それも長続きするものではなかったそうです。祖母が実家に戻って2年後、父に自分の命令を聞くなら大伯父に便宜を図ってやると言い出しました」
「どうせ、碌でもないことでしょう」
「当たりです。母親である自分を罵倒し侮辱したことを土下座して謝罪し、母と別れ自分が認めた令嬢と結婚するように、と」
「え、罵倒されたこと根に持ってたの?親子で喧嘩くらいするでしょうに、したことすらなかったの…おばあさま、精神年齢が子供みたいね…」
哀れみを通り越してクリスは恐怖すら感じてるようで顔が引き攣っている。鈴香も祖母の所業を聞いた時は狂気を感じ、身の毛がよだったものだ。異常にプライドが高く、粘着質な祖母は自分の命令を聞くだけの存在である父が歯向かったことが許せなかった。自分の思い通りにならないことはあってはいけないのだと。父と、そして祖父を追い詰め自分に頭を下げざるを得ない状況を作り出し、雪辱を果たすタイミングを待っていたのだ。
「父も追い詰められていたみたいですけど、祖母の行動を予測していた祖父の独断で勝手に母と籍を入れていました。もう結婚してるから、と祖母の要求を突っぱねたそうです」
祖父もとっくに我慢の限界を超えていたのだろう。捨て身の反抗だった。
「そこだけ切り取るとロマンチックに聞こえるの、何か癪ね」
「自分の両親のことながら、恋愛小説のような波瀾万丈な人生過ぎて聞き入ってしまいました。それで祖母は父が自分の許可なく結婚したことに怒り狂い、部屋にあった高価な美術品を癇癪を起こして壊しまくったらしいですよ」
「元気ねぇーおばあさま。その漲る力を別のものに向ければ、もっと生きやすいでしょうに」
クリスは祖母に同情しているようだった。鈴香自身、己が周囲から疎まれる元凶たる祖母を恨んだ時期もあったが、段々と馬鹿らしくなったのだ。死んだ人間に対する恨みをずっと持ち続けても無駄であると気づいたからだ。寧ろ無駄な労力を使い続ける両親や祖父を、そんな両親に倣い鈴香を蔑む妹を憐れんだ。
「元気だったんですけどね、祖母はその日の夜心臓発作で急死しました。そして祖母は殺されたに違いないって激昂した大伯父も頭の血管が切れて急死しました」
「ちょっと待って急展開すぎるわ」