領主様は戻らない
襲撃事件のあとロランドは部屋に戻ることは叶わず、そのまま宮廷医の元に連れて行かれて様々な検査を受けながら、近衛からの要請で賊の取り調べに立ち合った。
陛下を襲った使節団は、衰退して窮鼠と化した東の騎馬民族が、英雄の去った今が好機と国王陛下の暗殺をはかり、その混乱に乗じての国境に攻め込む計画だったと判明した。
ロランドは騎士団に泊まり込んで、夜を徹して騎馬民族の結集地の特定に協力し部隊を向かわせた。
そしてまた宮廷医に連れて行かれ、近衛に呼ばれ、騎士団の報告を受け、数日ののちロランドがやっとこれらから解放されると、今度は陛下から呼び出された。
「ロランド・ベルナール、そなたに再び騎士団長の任を命ずる。そなたの申した通りダルメディアでの温泉治療により腕は間違いなく完治しているそうだ。そなたを彼の地へ遣ったのは運命だったのだと余は確信いたしたぞ。このまま王都にいておくれ」
吉報を伝えていると信じて疑わない嬉しそうな陛下にロランドは慌てた。
「お待ちください! 私はもうダルメディアの領主です!」
「もちろんダルメディアを返せなどと言わないから安心せい。そなたが所領にいなくとも問題ないであろう。領主のまま騎士として英雄として益々の活躍を期待する。そなたが剣を握る姿を再び目にできるとは、賊に感謝したいくらいであるぞ」
「お戯れでもその様なことをおっしゃられてはなりません。それに騎士団はもう新しい団長が立派に務めております。何の咎もない現団長を罷免するおつもりですか」
「まぁ、それは宰相が良きにはからうであろう。何より英雄のそなたが戻ってくるのだ。現団長も文句は言えまい」
ロランドが陛下の後ろに控えているモルガンの顔を睨みつけると、宰相は諦め顔で頷いた。
なんて傲慢な! と叫びたいのをグッと堪え、ロランドは黙って頭を下げ、御前を辞した。
「どういうつもりだ、モルガン!」
執務室に乗り込んできたロランドの剣幕に動じることなく宰相は
「どういうつもりも何も、あんな派手な大立ち回りをしたらさぁ、もう陛下なんて感激しちゃって大変だったんだぞ」
わざとらしい困り顔を作った。
「私は腕が治ったからといって騎士に戻るつもりはないし、現団長にしたら理不尽な話だ。お前だって腰が痛いって退職した前の宰相が、やっぱり体調が良くなったって戻って来たらどう思う」
「勘弁してくれ。考えただけで吐きそう」
「そういうことだ。宰相のお前が陛下をお諌めしなくてどうする!」
「残念だけど私はまだ陛下とのあいだに英雄殿ほどの信頼関係はないんでね。陛下にはご機嫌麗しくいていただかないと、他の色んなことが滞るんだよ。どうしても嫌なら自分で陛下を説得してくれ。ま、逆に陛下に説き伏せられそうな気もするが」
「私は絶対にダルメディアに帰るからなっ!」
そう言い放ってロランドは出て行った。遠ざかる足音を聞きながら
「やれやれ。若いのにジジイみたいな隠居生活がいいなんて、かわいい従者と戯れてるあいだにすっかり腑抜けになっちゃって」
宰相は独りごちてため息をついた。
半刻で戻る、とルルに言って領主様が出て行ってから音沙汰のないまま数日が過ぎた。
ロランドは騎士団の者や宮廷医の助手に
「私の従者に待っててくれと伝えてほしい」
と何度か伝言を頼んだのだが、皆その場では「かしこまりました」と言うものの、身のまわりの世話をする従者が仕事をしている主人の帰りを待つのは当たり前のことなので、それを律儀に伝えに行く者はいなかった。
王宮は、使節団を偽った賊に陛下が襲われそうになったのを英雄様が見事な剣捌きで救った、ダルメディアの奇跡で英雄様の腕が治った、という話で持ちきりだった。
きっとその騒ぎが収まるまで戻れないんだろうな。
そう思いながらルルはただ部屋で待つことしかできず、気の毒に思った侍従が気分転換に散歩でもと庭園の隅にある四阿に案内してくれた。それからルルは日中をその四阿で花や鳥、虫や空を眺めて過ごすことが多くなった。
領主様が部屋に戻らないまま10日目。ルルが四阿に一人座ってすっかり冷めたお茶を啜っていると
「英雄殿のかわいい従者はこんな所にいたのか」
庭木の間を縫ってやって来た人物に声を掛けられた。
「宰相様?」
「ずっと一人で退屈だったろう?」
「いえ。お気遣いありがとうございます。領主様はまだお戻りになれないのでしょうか」
「そのことで君に伝えたかったんだが、陛下を襲った賊を英雄殿が退治した話は聞いているよね? 再び剣が握れるようになった英雄殿に、騎士団長へ復帰するよう陛下が強く望まれて、彼はこのまま王都に残る。だから君はもう英雄殿を待たずにダルメディア領へ帰っていいことになったんだよ」
「領主様が騎士に戻る?」
英雄殿のかわいい従者の瞳が当惑に揺れた。
「あぁ、幸運なことにまた元通りに人生をやり直せる。それで今バタバタしていて、彼から君に直接伝えられれば良かったんだがそんなヒマもなくてね。君もただでさえ忙しい英雄殿を瑣末なことで煩わせたくはないだろう? 君は一人でダルメディアに帰ったと聞けば英雄殿も安心するだろうし。私が馬車を手配してあげるから心配はいらないよ」
「元通りに人生を。そうですか……あの、せめて帰る前に領主様にご挨拶を」
「うーん、申し訳ないけどその時間を取るのは難しいだろうなぁ。大丈夫、非礼と思われないように、君が挨拶したがってたこともちゃんと伝えておくから」
「……わかりました」
ルルはそう答える以外なく、肩を落として部屋へ戻り、自分の分だけ荷造りをした。
午後になって、下働きの者が使う通用口に立派な黒塗りの馬車が迎えにやって来て、ルルはぼんやりとしたまま乗り込むと、ひとり王宮をあとにした。
半刻で戻ると言ったのに、あれから何日も一人ぼっちにして可哀想なことをしてしまったと、ロランドは焦燥に駆られながら10日ぶりにルルの待つ部屋へと向かっていた。
しょんぼりしてるだろうか、不貞腐れてるだろうか。どんな顔でもいいから早く見たい。
自分の部屋より先に従者用の部屋のドアを開ける。
「ルル!」
その部屋は、ルルどころかルルの荷物も全てなくなって、もぬけの殻だった。
急いで自分用の部屋へ行ってみると、そこは特に変わらずロランドの荷物がきちんと整えられていた。しかしルルの姿はない。
ロランドは険しい顔で踵を返し、まっすぐにモルガンの元へ向かった。
「ルルをどこへやった!!」
勝手に執務室のドアを開け怒鳴り込んできたロランドに、周りの者たちは飛び上がった。
しかし宰相はロランドが来ることを知っていたかのように笑っている。
「落ち着け、大丈夫だ。あの子に英雄殿が騎士団長に戻ることになったと伝えたら、大人しく私が手配した馬車でダルメディアに帰ったよ」
「なぜそんな勝手なことを!」
「なんだよ、今夜あたり相手をさせようとでも思ってたのか? 勝手に帰して悪かったよ。私の伝手であの子に引けを取らない美麗な花街の男娼を連れてきてやるからそんなに怒るな」
「そんなんじゃない! あの子はな……あの子は、ルルは私の護衛だ!」
「ハァ?」
「なんとしても連れ戻す」
ロランドは猛然と飛び出して行って厩舎に向かうと、城の者たちが唖然として見送る中、芦毛の愛馬を駆ってあっという間に見えなくなってしまった。
馬車に揺られながら、ルルは領主様と過ごした日々を思い浮かべ、あれは本当に現実だったのだろうかと思えてきた。
本当はルルだってちゃんとわかっている。
もうすぐ冬が終わって二輪草の花が咲く頃に、また上級学校の試験がある。騎士科に行くには父さんと同じ位の背になっていないといけないのに、ルルの頭はまた父さんのアゴを超えていなかった。上級学校の受験資格は14歳まで。だからもう来年のチャンスはない。もう、騎士にはなれない。
そんなルルが跪いて騎士の誓いを捧げた人。
子どもの頃から絵本で読んでいた妖精の戴冠式を目の前で見せてくれた人。
初めての剣を与えてくれ、教えてくれた人。
領主様はルルの夢をいくつも叶えてくれた。
領主様を幸せにしたいって思ってたけど、僕の方が幸せにしてもらってたな。
そういえば、たしかに領主様はダルメディアに来て幸せだって言っていたけど、騎士でいたときより幸せだ、とは一度も言ってない。
「なぁんだ、そうだったのかぁ」
夢の日々は終わったんだ。次の試験では従者科を受けよう。領主様の護衛の務めがなくなっても、ちゃんと上級学校の学生になって、領主様に心配をかけないように。
ルルは座席の背もたれに頭を預けて目を閉じた。
ルル、ルルーッ
耳に残っているせいか、僕が何かやらかす度に慌てた様子で僕を呼ぶ領主様の声が、今も聞こえて来るようだ。
「ルルーッ!」
今度はやけにはっきり聞こえるなと思ったら、激しい蹄の音とともに突然馬車が止まり勢いよくドアが開いた。
「ルル!!」
「領主様!?」
腕を強く引かれたと思った次の瞬間、ルルは領主様の腕の中にいた。
「なぜ勝手にいなくなった!」
そう言われても領主様の胸にギュッと顔が押し付けられていてモゴモゴとしか話せない。
「モルガンが何を言ったか知らないが、私を置いて行かないでくれ、ルル!」
やっとの思いで隙間を作って顔を上げると、領主様が泣きそうな顔でルルを見つめていた。
「でも、領主様は騎士団長に戻ることになったって」
「そんなもの断った! もう新しい団長が職務を果たしてるのに、今さら私に戻られたって現場にとっちゃ迷惑なだけだ!」
「でも領主様は騎士に戻りたいんじゃ」
「なぜだ! そんなわけないだろう。何度も言ったじゃないか、私はダルメディアの領主になれて幸せだって」
「だって、騎士だったときより幸せだ、とは言ってないもん……」
その言葉にロランドは切なそうに目を細めて再びルルをギュッとした。
「それはな、騎士のときには幸せだと感じたことなどなかったからだ」
「そんな。僕てっきり……」
「ルルがいなくなったと知ったとき、胸が押し潰されそうに苦しくて世界の終わりのように感じた。ルルがいてくれないと私はどこにいようと幸せにはなれない」
ルルは思わずクスッと笑った。
「領主様、まるで愛の告白をしてるみたい」
「バカ。愛の告白をしているんだ」
そう言うとロランドはルルのアゴを掬いそっと唇を合わせた。
「愛している」