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湯治場のお屋敷

収穫祭を終え、落ち着きを取り戻した村に冬が駆け足でやって来る。

「今朝は急に冷え込んだなぁ」

擦り合わせた両手にハァーと息を吹きかけながらルルは釜戸に火を入れ、朝食の準備を始める。

そろそろ領主様を起こそうかと思ったところにロランドが調理場へやって来た。

「おはようございます! 昨夜は寒くありませんでしたか?」

「おはよう。ルルがベッドの毛布を増やしておいてくれたから暖かかったよ」

「よかった! 朝食の準備ができてますよ。今朝は冷えるので根菜のスープにしました」

「ありがとう。寒い朝にはなによりだ」

笑顔でテーブルに着いたロランドだったが、カシャーンという音が響いてスプーンを取り落としていた。

「失礼した。すまない」

領主様は何でもないように振る舞っているが、再びスプーンを持ったときわずかに顔を歪めたのをルルは見逃さなかった。

「領主様、もしかして腕が痛むのでは?」

「あぁ、大したことはないよ。実は寒くなって来てから少しね」

「領主様!」

ルルは立ち上がってロランドに駆け寄った。

「どうして言ってくれなかったんですか」

少し咎めるような口ぶりでそっとロランドの腕に手を添えた。そしてニコッと笑うと

「僕があーんしてあげます」

そう言っていそいそとロランドの隣に椅子を持って来て座った。


朝食後、二人は村の診療所を訪れた。

「呼んでいただいたらお城に伺いましたのに」と医師は恐縮したが

「どうせ役場にも行くんだから気にするな」

と、ロランドはその場に居た村人たちと世間話をしながら診察の順番を待った。

「痛みを和らげるお薬をお渡しすることはできますが、これは治療ではありませんので。腕が痛むときにはご無理をなさらないようにするしかないでしょう」

との診断だった。横で聞いていたルルがおずおずと遠慮がちに

「先生、古傷なら湯治はどうでしょうか」

と言うと

「ロゼールの温泉か。試して見る価値はあるな。少なくとも温めれば痛みは和らぐでしょうし、薬で誤魔化すよりはその方がよろしいかと」

医師もルルの提案に賛同してくれた。

「父さんに湯治場のお屋敷を使いたいって言ってきます!」

ルルは診療所を出ると村役場に向かって意気揚々と歩き出した。

「ロゼールの温泉とは村の北部にあるロゼール山のことか?」

「はい。ロゼール山に温泉が湧いてて、そこに領主様の湯治専用のお屋敷もあるんです」

役場を訪れて事情を話すとトビアスは

「それはいい。明日からでもお使いいただけるように、今日の午後ロゼール山の屋敷へ人をやって準備させましょう。冬が終わるまでゆっくり療養なさってください」

と言って、滞在中は食糧など物資も定期的に届けるよう手配すると請け負った。


翌日の朝、すでに必要な荷物は届けてもらっているので、ロランドは芦毛の愛馬にルルと二人で跨って身軽にロゼール山へと出発した。

村の集落を抜け、霜が降りてキラキラ輝く田園風景を進み、やがて枯れた木立ちの緩斜面をしばらく登って行くと、田舎家というには立派だが素朴な風情の屋敷に到着した。

「歴代の領主様はたいていお年寄りだったので、冬のあいだはこのお屋敷で過ごされていたそうです」

ルルが扉を開けて、ロランドが屋敷の中へ入ると、暖炉もないのにとても暖かい。

「お屋敷全体に温泉の湯をパイプで巡らせてあるので、どの部屋もいつでも暖かいんです。ここに居れば領主様の腕の痛みもきっと良くなりますよ」

嬉しそうにそう言いながら、ルルは馬を厩舎に連れて行くために出て行ったので、ロランドは一人で屋敷の中を見てまわる。

エントランスホールに設けられた3つのドアの先はそれぞれ居間、食堂、ラウンジだった。そして階段は二階と地下への二手に分かれており、下へ行ってみようかと思ったところにルルが戻って来た。

「領主様、さっそく温泉に入りますか?」

「温泉はこの地下に?」

「はい。ご案内します!」

階段を下り扉を開けると、建物の外観に似合わず瀟洒な内装のパウダールームだった。

「お風呂、広くて気持ちいいですよ!」

浴室へのガラス戸の先はモワモワと湯気が立ち込めている。

「僕は昼食の準備をしておきますので、領主様はゆっくり温泉に入っててくださいね」

10人以上は入れそうなタイル貼の広い浴槽に、ロランドが脚を伸ばして肩まで浸かると、なみなみと張られたお湯がザバッと波打って溢れ出た。まさに極楽とはこのこと、過去の領主たちが冬のあいだここから動きたくなくなったのも無理はない。

十分に温まって湯から上がり、薄いガウンを羽織って食堂へ行くと、ルルが冷えたグラスを用意して待っていた。

「お風呂上がりにはコレですよね!」

冷たいビールが注がれたグラスを受け取るとロランドは立ったまま喉を鳴らして一気に飲み干す。

「ふぅ、最高だな。腕の痛みに関係なく、ここに来てよかった」

「でしょう? お昼はチキンサンドとフライドポテトにピクルスです。ビールに合いますよ」

ロランドが席に着くとルルはビールのお代わりを注いだ。

昼食のあと、ロランドは二階の寝室で横になり本を読んでいるうちにウトウトしていたらしい。気がつくとルルが部屋でお茶の用意をしていた。

「うっかり寝てしまったようだ」

「温泉に浸かると眠くなるんですよ。湯治に来たんですからゆっくりしていてください」

「そうは言っても風呂に入って食べて寝るだけでは、さすがに体がなまってしまうぞ」

ロランドは伸びをしながら起き上がった。

「領主様! それなら二階の奥に稽古場があるので、僕に剣の稽古をつけてもらえませんか?」

「この屋敷に稽古場が?」

「はい! まぁ稽古場というか、体を動かすための運動部屋なんですが。そんなに広くはないですけど剣の稽古もできます」

「よし。それなら運動がてらルルに剣を教えるとしよう」


ロランドの湯治生活は、目覚めたらまず食事前に朝風呂を楽しみ、午前中は読書をしたり屋敷の周辺を散策したりしてのんびり過ごして昼食の前にもう一度湯に浸かり、午後はルルに剣の指導をたっぷりしたあと、再び温泉に入って、入浴後はパウダールームのカウチに寝そべってルルにマッサージをしてもらう、というのが日課だった。

この屋敷に来てからは、腕の痛みを感じたことはなく、心なしか動きもスムーズになったように思えた。

「なぁルル、少し打ち合ってみようか」

湯治を始めてひと月ほどしたある日、稽古場で領主様が突然そう言いだしたので、ルルは慌てて

「いけません! せっかく痛みが治まったのに、剣を持ったりしてぶり返したら大変です!」

と言って止めたが

「まぁ、そうなんだが……なんとなく自分では大丈夫な気がするんだ。決して無理はしないと約束するから、少しだけ試してみてはダメか?」

そんなことを言われたら、ルルだって剣を握る領主様を心から見てみたい。

「じゃあ、じゃあ、ほんとにゆっくりですよ。一番軽い剣をゆっくり持ってみて、途中で少しでも痛くなりそうだったら止めてくださいね」

そして、稽古用の刃を潰した剣が並べられている用具置き場にやって来た。

ロランドはその中の一本を手に取ると、いきなりシュシュシュッと目にも止まらぬ早さで振り回した。

「ちょっとぉ!! ゆっくりって言ったでしょーが!!」

ルルは思わず敬語も忘れて叫んでしまったが、ロランドの耳には入っていなかった。

「ルル、これはどういうことだ……まるで以前のように剣が振れるぞ!」

「領主様、痛くない?」

「大丈夫だ。ルル、打ち合ってみよう」

「ほんとに大丈夫なんですか? 絶対に無理しないでくださいね」

領主様と打ち合えるなんてルルは飛び上がりたいほど嬉しかったが、同時に死ぬほど心配でもあった。

二人は稽古場で対峙し、ルルが恐る恐る打ち込んだ剣をロランドは危なげなく受け止めて全くぶれることもない。

「なんだそのへっぴり腰は! 剣を下ろすときにしっかり足を踏み込むんだ!」

自ずと指導にも熱が入る。気づけばルルはヘトヘトになるまでロランドと打ち合っていた。


その日、風呂上がりのロランドをルルはいつもより念入りにマッサージした。

「領主様、腕の痛みはないですか?」

「問題ないよ。むしろいつもより調子がいいくらいだ。ルルも今日はだいぶ上達したな」

「はい! あんなふうに打ち合いをしたのは初めてです。まるで本当の騎士になったみたい」

「そうか。やっぱりルルは王都に行って騎士になりたいのか?」

「子どもの頃から騎士にずっと憧れてました。去年の上級学校の試験で家族や先生からは従者科を受けるように言われてたけど、当日になって、このまま従者科に行ってもう騎士にはなれないなんて嫌だって思っちゃって、騎士科の試験の受付に行ったんです。だけど、背が足りなくて……」

「うむ。まぁ、そうだな」

「でも受付の騎士の人に、来年までに背を伸ばして来てくれって言われたんです」

実際には「背が伸びたらまた来年おいで」と言われたのだが、ルルは自分に前向きな方向に少々記憶違いしていた。

ロランドは、入学試験まであと数カ月しかないがそんなに背は伸びるだろうかとは思ったものの、稽古を頑張っているルルを応援したかったので

「そうか、“備えよ常に” は騎士のモットーだからな」

と励ました。

「だけど僕、最近ちょっと考えてるんです。もう王都の上級学校に行かなくてもいいかなって」

カウチにうつ伏せていたロランドは顔を上げて振り向いた。

「どうしてだ。もしや、私のせいか?」

「違います! えっと、っていうか僕が、このまま領主様のお側でお仕えしてたいなって、思っちゃったから」

ロランドは起き上がってルルの肩に手を置いた。

「ルルの気持ちは嬉しい。だけどお前はまだ14だ。騎士科にせよ従者科にせよ、広い世界を知って色々なことを経験するべきだよ」

「でも上級学校に行ったら3年は帰って来られませんし」

「私はダルメディアの領主だ。ずっとここにいる。ルルの帰りを待っているよ」

「領主様……」

「湯治のお陰で腕の痛みも取れたし、護衛の者がしばらく不在でもなんとかやっていけるだろう」

笑顔でそう言いながらもロランドは、本当はルルがいない生活など考えられなかった。そして、そんな気持ちを自覚して動揺していた。

身長の条件がある騎士科はともかく、見目の良さと身元の確かさを重視する従者科ならルルは文句なく入学できるはずだ。

そうなったらルルは王都に行って学生寮から上級学校に通うのか。

ロランドの眉間にぎゅっとシワが寄った。


数日後、ロゼール山の屋敷に荷馬車で物資を運んできたマリウスは、ロランドにラウンジへ引っ張り込まれた。

「春からルルが王都の上級学校に通うことになったら、学生寮に入れるつもりか?」

「どうしました藪から棒に。うちは貴族のご令息のように王都に屋敷など持っていませんから、私もヨハネスも寮に入ってましたし、ルルもそうなるでしょうね」

「ダメだ! 学生寮の風紀の乱れ具合はお前も知っているだろう。騎士科の学生と同室になる可能性だってあるのに危険ではないか!」

「危険ってそんな、騎士科の生徒をなんだと思ってるんですか」

「騎士科にいた私が言うんだ。ルルみたいなのが寮に入ったら野獣の群れにエサを投げ込むようなものだぞ」

「そんな大袈裟な。風紀の乱れったってルルだって男なんですから多少のことはねぇ、若いんだし」

「マリウスは見目の良い者の苦労を知らないからそんなことが言えるのだ!」

「ちょっと領主様……ハァ、どうせ私は見目の良い者の苦労なんて一生知ることはないですよ」

「ヨハネスと一緒に住んだらどうなんだ」

「ヨハネスはあちこち飛び回っているし、そもそもアイツも商会の独身寮住まいですよ。王都の家賃は馬鹿にならないですからね」

「ではどうするのだ!」

「だから学生寮でいいでしょ」

「埒があかん!」

それはこっちのセリフだよ、と言いたいマリウスだったが

「まぁ、まだ入学が決まった訳でもないんですから」

と宥めてこれ以上絡まれたら面倒だとばかりそそくさと帰っていき、ロランドはルルに剣よりも護身術を熱心に教えるようになった。

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