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英雄様がやって来た

爽やかな初夏の風が吹き抜けるのどかな街道を、こんな田舎の風景にはどうにも溶け込めないほど見事な芦毛の馬と赤い髪のスラリとした美丈夫がのんびりとやって来た。

ロランド・ベルナールが数枚の着替えと水筒と少しの携帯食だけを携えて愛馬に跨り王都を発ったのは一昨日。

まさかこんなに早く騎士を引退することになるとは思ってもみなかったが、気落ちするどころか自分でも意外なほど気分は晴れ晴れとしている。


ロランドが利き腕に怪我を負ったのは1カ月前のことだった。王太子妃が幼い王子を伴って街に出る際、妃からの直々の指名で護衛の任務に着いたのだが、王子がどうしてもペットの仔猫も抱っこして連れて行くのだと言ってきかなかった。そして馬車が目的地に着いて扉を開けたとたん仔猫が王子の腕から逃げ出し、追いかけようと夢中で飛び出して行った王子が、反対側からやって来た馬車にあわや轢かれそうになり、そこに飛び込んで王子を庇ったロランドは車輪の下敷きとなった。

王子がかすり傷ひとつ負わずに無事だったのは幸いであったが、ロランドは肩の肉が裂け利き腕の腱を切る大怪我を負い、王宮の医師から完治は難しいと告げられた。

騎士団長を辞して騎士を引退することを報告に行くと、陛下はどうにかして引き止めようとしたが、ロランドの決意は固いとわかって

「そなたも私の元を去ってしまうのか」

と仰せになり涙をこぼされた。

ロランドの父もかつて陛下に忠誠を誓った騎士であり、騎士団長を務めていた。そしてロランドが10歳のとき、遠く東の騎馬民族討伐の際に命を落とした。

母子家庭となっても国からの十分な恩給のおかげで、ロランドはなに不自由なく王都の上級学校の騎士科を卒業し、騎士団に入団した。もともと体が弱く伏せがちだった母は、ロランドが騎士になったのを見届けると安心したのか、まもなく体調が悪化してあっけなく父のもとに旅立った。

それからのロランドは実家を処分して騎士の宿舎で生活し、ただ黙々と職務を全うする日々を送っていた。そうするうちに気がつけば若くして父と同じ騎士団長を拝命し、さらには英雄の称号まで与えられるようになっていた。

ただ国から受けた恩を返さなければという思いでやってきただけで、自分としては目標がある訳でもなく、出世したからといって喜んでくれる家族がいるわけでもない。騎士でいることに執着する理由はなかった。

とはいえ幼い頃から騎士以外の生きる道を考えたこともなかったから、一体これから何をすればよいのかと思案していたところに

「せめてもの償いに、我がダルメディア領をそなたに与えよう」

という陛下からの言葉が降ってきた。ダルメディアは王家の宝ともいわれるほど美しく豊かな土地で、領主として受け取る領民税は、騎士団長であったときの俸給をはるかに上回る額である。

「そなたは騎士の宿舎住まいで王都の実家はすでに手放したと聞いておる。宿舎を引き払ったらダルメディア城へ向かうとよい。まだ若いのだ、しばらくのんびりして先々のことはゆっくり考えればよかろう」

行くあてもなく何をしたらよいかもわからない身としては素直にありがたく

「身に余る光栄にございます」

と陛下に応えた瞬間から、畏れ多くもロランドは誉れ高き歴代のダルメディア領主に名を連ねることとなった。


ロランドはダルメディア出身の人物に1人だけ心当たりがあった。上級学校時代に同学年だったマリウス・クリューズ。騎士科と領主科で接点はなく言葉を交わす機会はなかったが、或る偶然からマリウスのことはロランドの記憶にしっかりと刻まれている。

それは入学してまもない頃だった。一人の生徒を数人で取り囲んでいるところに出くわし、何か揉めごとかとロランドはしばし様子を伺うことにして物陰で立ち止まった。

「マリウス・クリューズ! たかが田舎の村長の息子がなんで領主科にいるんだよ」

そんな会話が聞こえてきた。領主科に通うのは自領を持つ貴族の長男や次男がほとんどで、人数も少なく得てして気位の高い生徒が多い。

「たしかに田舎の村長だけど、僕の村は国王陛下からお預かりしている直轄地で、規模は違えどやることは領地運営とだいたい一緒なんだよね。だからここでは自分に必要なことを学ぶために領主科にいるんだよ」

マリウス・クリューズと呼ばれた彼は飄々として、悪意を隠そうともしない物言いの相手に、ただ質問されたから説明するといった感じで自然に答えていた。取り囲んでいた生徒たちはその態度に毒気を抜かれたようで

「そうかよ……」

などと決まり悪そうに言って散っていった。

田舎から出て来たばかりの10代の少年が貴族を前にしてなかなかあのような態度をとれるものではない。ロランドの中でマリウスは将来大物政治家にでも化けるかもしれない興味深い人物として印象に残った。

実際マリウスはかなり優秀だったらしく、卒業時には王宮の文官たちが随分熱心にスカウトしたと聞く。しかしそれを振り切って彼はさっさと故郷へ帰ってしまったそうだ。


彼とならいい友人になれるかもしれない。

騎士仲間以外に友人を持ったことのないロランドは、マリウスとの再会にそんな期待を抱きながら馬を進めるのだった。


陽が少し傾きかけたころ、森と草原だった景色の中にポツポツと田畑が混じりはじめ、視界の先に小さくダルメディア城と思われる石造りの建造物が見えてきた。

噂に違わずダルメディアは緑豊かな美しい土地で、どの畑も隅々まで手入れが行き届き、放牧されている家畜は毛並みが良く、道にはゴミひとつ落ちておらず、領民の勤勉さが伺えた。

ダルメディア城は王都の宮殿のような美麗さはないが、王家の直轄地だけあって堅牢な造りの本格的な領主の居城で、ぐるりと城を囲む深い堀に昔ながらの重厚な跳ね橋かかっており、橋を渡った先の分厚い城門は開け放たれていた。

中庭まで馬を進めると、ロランドの到着を待っていた数十人の人々がいっせいに膝をつき頭を垂れる。

「出迎えに感謝するクリューズ卿。今日からよろしく頼む」

ロランドは馬を降り中心の人物に言葉をかけた。

「もったいなきお言葉。我らダルメディアの領民一同領主様にお仕えできること、この上なき誉れにございます」

淀みなく口上を述べるトビアス・クリューズは、白い物が混じり始めた焦げ茶色の髪に鮮やかなブルーの瞳をしている。特別ハンサムというわけではないが田舎の村長とは思えぬ知的で洗練された印象の男だ。そして横に控えるマリウスと、とてもよく似ている。

「マリウスとは王都の上級学校で同学年だったな。あの頃は言葉を交わす機会がなかったが、これを機に貴殿と友となれたら嬉しく思う」

マリウスは一瞬驚いたようだったが

「もったいなきお言葉にございます」

とすぐに平静を取り戻した様子に、彼の考えを察したロランドは言い足した。

「今回のことで初めて同窓と知ったわけではない。本当に学生時代から貴殿のことは知っていた。いや、注目していたと言うべきかな」

今度こそマリウスは目を丸くしてロランドを見上げた。

「まさか私のような者を気に掛けていただいていたとは、領主様は変わった方でいらっしゃる」

相変わらず自然体のマリウスにロランドは嬉しくなった。

「皆も出迎えありがとう」

と言って他の者たちに目をやると、大人の後ろに隠れていた幼い子どもたちがおずおずと前に出て行儀よく一列に並んだ。

「えーゆーさま、ダルメディアのりょーしゅさまになってくださって、ありがとーございますっ!」

声を揃えてそう言うと、みんなで花冠を捧げ持ちながらロランドの方に歩み寄って来た。

頭上に載せられるようにロランドが跪いて頭を低くすると、子どもたちは周りを取り囲んで白い野花の花冠を鮮やかな赤毛の上にそっと載せた。その瞬間、ホゥっという大人たちの感極まったため息が漏れる。

「その昔、ダルメディアは独立した小さな国で、初代の王は妖精から花冠の王冠を授かってこの地を治めることになったという、領民なら誰もが知っている昔噺ですが、まるでこの光景はまさに妖精の戴冠式の場面そのもので……私どもは胸がいっぱいでございます」

子どもたちがロランドに捧げた花冠の特別な意味をトビアスが説明した。

すると幼子の1人が小さな顔をロランドの耳元に寄せてヒソヒソと何か囁いた。

ロランドは幼子に頷くと、跪いたまま居住まいを正す。

「妖精たちよ、私は誓う

未来永劫この国を愛し

我が民の喜びを我が喜びとすることを」

妖精の戴冠式で語られる初代の王の台詞がロランドの口から発せられダルメディアの城に朗々と響き渡った。


大役を果たした子どもたちはキャッキャとはしゃぎながら一人の少年の元へ駆けて行った。

「立派だったよ! 上手にできたね!」

少年に褒められ、子どもたちが嬉しそうに跳ねたり照れたりしている。

秋の小麦のような金色の髪に春の草原のような緑の瞳をしたその少年の美しさにロランドは目を奪われた。子どもたちと戯れる姿は、それこそ妖精の王の降臨と見まごうばかりで一幅の絵画のようだ。

ロランドの視線の先を追ったトビアスが

「あの者は我が三男のルルにございます。今日より領主様のおそば近くに控えさせていただきますので、なにとぞお見知り置きを」

と紹介したので、ルルは素早くロランドの前に進み出ると、片膝をつき右手を心臓にあて

「このルルが領主様の護衛を務めます。領主様を命に代えてもお守りいたします!」

と大真面目な顔で宣言した。命に代えてもなどと、のどかな田舎の村の生活にそぐわない大仰な表現に、トビアスをはじめ大人たちは笑いを必死で堪えている。

しかしロランドだけは笑わなかった。その言葉をルルが全身全霊の本気で言っていることが感じられ、心を打たれた。

「承知した。頼りにしているよ、ルル」

ロランドの言葉にルルは顔をほころばせ

「身に余る光栄にございます!」

と元気いっぱいに応えた。

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