#20 冷め
俺達の上で光る空が、ゆっくりとオレンジから藍色へと滲んでいく。
俺がいつも通る住宅街の空気はどこか寂しげで人の気配がない中で、長く伸びた影が二つ並ぶ。
アスファルトに残る陽のぬくもりが、もうすぐ夜になることを告げている一方で、その並んだ2つの影は向かい合っている
「⋯⋯何が分かるんだよ」
小さく、呟くように言う
会話を拒否しても無理矢理言うように忠告された内容、それが俺の耳に強く刺さった
その何気ない一言が胸に突き刺さった瞬間、胸の奥に静かに沈めていたはずの感情が、じわじわと溶けて浮かび上がってくる。
幸せを願って、身を引いた。
真海にとっては俺は邪魔者だろうと、そう考えていた故に感情を押し殺してた
しかし彼女はそんな事も露知らず、ズカズカと俺のテリトリーに踏み入り、しまいには俺の恋愛事情にまで口を出してきた
これ以上は彩華に関わるな、と⋯⋯
俺は真海を思って恋愛に首を突っ込まなかった。それが男として⋯⋯いや、幼馴染としてあるべき振る舞いのはずだから
「お前に⋯⋯お前に何がわかるんだよっ!!」
とうとう声を荒立てる
誰もいないはずの通りが、俺の怒鳴り声ひとつで異様な緊張感に包まれる
身を焦がす思いを耐え抜き、決心したそれを総じて無下にされ、遂に堪忍袋の緒が切れてしまった
普段からやられっぱなしの俺が怒り出すとは思っていなかったのか、途端にしどろもどろになる真海
「お前がそこの彼氏と笑い合いながら陰口言ってんのを、こっちは全部聞いてんだよ」
握りしめた拳に自分の怒りの重みがのしかかり、痛みとなって返ってくる
あえて明かしていなかった事実を突きつけると、真海は口を開いたまま硬直し、どんどんと青ざめていく
「万が一にも無い根暗な奴。そうだよ、俺は昔から魅力の無い男だった!」
横の電柱でスマホをいじる彼氏にも聞こえるよう、俺はスピーチの如く大きな声で喋る
「勿論、絶世の美女のお前と付き合う事がどれだけ烏滸がましい事かも分かってた!」
振られてから今まで真海にはぶつけていなかった感情、それをこれでもかと彼女に解き放つ
「お前が大好きで、一緒に過ごすにつれて思いはどんどんと膨れ上がってった⋯⋯!次第に抑え切れなくなって、思い切ってお前に告白したんだよ!あの時、お前は俺になんて言った?」
────受験期だから付き合えない、だったな?
「真海は頭も良いし、難関大学に入るには勉強するしかないって俺もその場は納得したよ!仕方ない⋯⋯って!」
見れば声を荒らげる俺に、真海の手が震えていた
何か言い訳を述べようとしているんだろうが、俺はかまわず彼女に畳み掛ける
「だけど実際に蓋を開けてみれば彼氏が居て、正直辛すぎて目を疑ったよ。受験を理由に断っておいてなぜ彼氏が居るんだってな⋯⋯」
怒りの感情が強まり、留まらない
それに比例して、どんどんと悲しみも募っていく
次第に俺の威勢は消え、声色が沈んでいく
「じゃ、じゃあ──」
それでも、彼女には喋る隙を与えない
「でもそれでお前が幸せならって思ったよ。陰口を言うほど邪魔な俺が身を引けば、彼氏との時間も増えるって⋯⋯だから、お前と距離を取ったんだ」
真海がハッと驚き、これまで俺が離れるように行動していた意味を全て理解したようだ
「今日みたいな思わせぶりな行動をお前に何度もされて俺はどうにかなりそうだった」
俺の頭に浮かぶ、大好きな彼女の笑み
「でも、その俺に救いの手を差し伸べてくれた子がいた」
俺からすれば、あの子は天使そのもの──
「お前がさっき関わるなって言った子──彩華が俺を地獄からすくい上げてくれたんだ」
彼女は、俺の沈んだ心を救い出してくれただけじゃない
何か悩み事があれば、彼女は真っ先に俺の相談に乗ってくれた⋯⋯今回で言えば、夏目さんの一件だってそうかもしれない
勉強も人間関係も、分類問わず全ての話を優しく真面目に聞いてくれた
────常に面倒くさそうだったお前とは違って
「お前と彩華に何があったのかは分からないし知りたくもないが、これだけは言っておく。お前と彩華の間にどんな事があろうと、俺は彩華につく」
お前がこれまで俺にやってきた行動の意味とか、本心なんてもはやどうでもいい
こんなに言われても、それでも俺をおもちゃのように弄びたいってんならもう好きにしてくれ
⋯⋯どうせお前はこんなこと言ったって何も学ばず、関わり続けて来るんだろうからな
「⋯⋯次、俺の彼女を悪く言いやがったら許さねぇからな」
「ま、待ってあんた達って──!!」
すれ違いざまに吐き捨てるように言い、もはや聞きたくもなかった真海の声は届かなかった
全てを吐き出した俺は、その場で立ち尽くしている真海の横を通る。
何やら真海が後ろで、しきりに質問責めしてきているようだが、その必死な声が俺の耳に届くことはない 。
今となっては彼女の言葉は聞く価値もない
全て無視をかます⋯⋯肩を掴まれても、気にせず振り払った
俺が先程吐き捨てた言葉は、真海が俺にした物と同じ、忠告の様なものだ
彼女が彩華に手出しができないよう、釘を刺す⋯⋯そんな意図を孕んでいる
やがて無視され拒絶され続けた真海は限界を迎えたのか身体を震わせ、膝から崩れ落ちた
抱えるように持っていたバッグを落とし、そして静まり返っていた寂しい住宅街の真ん中で彼女は泣き叫び、耳が痛くなるような金切り声が周囲に響き渡った
⋯⋯これじゃ俺が悪者みたいじゃねえか
こういう時こそ彼氏の出番だろと横の電柱によしかかる男に対して、心の中で突っ込みを入れてやると、彼はそれに反応したかのように動き出す
よりにもよって俺の方へ向かってきやがった
「てめぇ、俺の彼女泣かせるってどういうこったよ」
電柱から離れ、立ち去ろうとする俺の腕を痛みが走る程の強さで掴み、頑なに離そうとしない
圧を感じる低く鋭い声で怒りを見せ、俺を睨みつける男
「⋯⋯俺と真海の事情だ。口出ししてくんな」
男はその言葉に怒り、持っていたバッグを地面に捨て、腕を振り上げた
俺も負けじと怒気を含んだ声で対抗するが、コイツはバスケ部のため体格が良く、力もかなり強い
身長も170cmある俺の上を行く、180cm上⋯⋯
この体格差じゃ殴り合いとなれば負けは必至
特に身体能力は俺を遥かに凌ぐ物のはず、真っ向からやり合って勝てる相手でもない
「てめぇ、いい加減にしねぇとその口開かなくしてやんぞ」
怖気付かない俺の態度が相当気に食わない男は、遂には俺の前に拳をチラつかせ、牽制してくる
「⋯⋯行かなくていいのか?お前の大好きな彼女が泣いてるぞ」
前の俺なら否が応でも慰めに行っただろうが、不思議とそんな気は湧いてこない
今も尚、泣き続ける彼女を慰めに行かない男が彼氏とは言えないと言うこと、コイツもわかってるはず
それに加え、この男が俺を殴った所で結局は男側の鬱憤晴らしでしかない。彼女を思うなら⋯⋯俺を殴るより、慰めが先
俺が殴られれば、真海の奴も多少は気が晴れるだろうが、暴力沙汰となれば男は勿論、当事者の真海の立場も危うくなる
「⋯⋯チッ」
真海を放っておけないと感じたのか、不服そうな男の手が離れ、俺はようやく解放された
地面に座り込んだ真海の元に向かう時も、男はチラチラとこっちを見て俺を鋭い目付きで睨んでくる
幼馴染の彼氏とはいえ、俺は別の学校の生徒
俺が碧羽学園高校の人間ならまだしも、手を出せば無事で済まないのは向こうも同じ
「⋯⋯⋯」
ふと空を見上げると、日が沈み、空がほんのりと赤みを帯びている
真海に全てをぶつけている間にその色は消え、気づく頃には闇が徐々に広がり、街灯がいつの間にか星の輝きに取って代わっていた。
⋯⋯早く帰って、彩華と話そう
全てをぶち撒けた後は胸のつかえが取れたかのように身体が凄く軽い
恐らく、悩みの種がひとつ消えたことが大きいんだろう
────何回も告白するぐらいには大好きだったのに、冷める時はこうも一瞬なんだな
知らず知らずのうちに好きになっていた彩華の事を言われたのが、よほど心に来たんだろうか⋯⋯異常な冷め方だった
でも⋯⋯これで真海の目を気にすることなく、彩華と順風満帆な学園生活を送れる──
⋯⋯明日から始まる全く新しい人生
日が沈みゆく住宅街の中を、心を踊らせた軽い足取りで進む
後ろで肩を寄せ合い、傷を舐め合う獣のような2人の姿を後目に、俺はそれを気にも留めず、再びいつもの家路についた
〜〜〜
「裕介⋯⋯私、絶対諦めないから」
お読み頂きありがとうございました!
続きが気になる!面白い!など思ってくださればよろしければ評価、感想やブックマークをいただけますとすごく励みになります!




