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沼蛇の魔女と石の巨人  作者: おどぅ~ん
最終章 聖戦

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第61話 滅亡獣(その1)

「やっぱり。もうここにはいねぇようでゲす」

 誰が?シモーヌたちが。ゾルグが皆を案内したのは、シモーヌがケイミーを攫って閉じ込めていた、あの小部屋だった。

 オーリィは床を見つめる。

(そうだわ、この木の床……間違いない)

 鼠たちとの戦いの間。姿だけオーリィの側にいるように見えたシモーヌの、その足元の床はそこだけ周りと違って見えていた。テバス古城由来の木の板を貼ったこの部屋の床が、ゲゲリの術で映されていたのだ。

「『てっぺん』とやらに行っちまったんでしょうな、魔女様」

 オーリィは人間とは違う魔女の鋭敏な感覚で、その部屋にごくうっすらと、しかし確かに残るケイミーの気配を嗅ぎ取る。そして深い溜息を一つ。そう、その懐かしいケイミーはもうここにはいない。

(シモーヌ……いいえ、ゲゲリ……!!)

 大切な恩人を攫っていったあの神を名乗る賊に、魔女は憤りを滾らせる。

「さぁて……皆さん、わっしが無事に道案内出来るのはここまでで」

 シモーヌの配下となっていた時。ゾルグは魔城の構造と通路をほぼ全て把握できていた。その記憶を使い、槍のあった大広間からここまで、安全なルートを選んで来たのだという。だが、どうやって?

「ここから上は、鼠どもがおりやせんのだそうで。【主】の奴がそう()()()やしたよ、上には子分がいない、どうなってるかわからねぇって」

 シモーヌから与えられた、あの不死怪物を操る「冠」の力。それを用いてゾルグは【穴の主】と言葉なき感覚で情報交()していた。そしてその【主】は、場内に蔓延る全ての鼠達と、鼠同士だけの交感力で繋がっていた……それらの目を耳を借りれば、魔城内のすべての出来事が指呼の中だったのだという。小さな魔獣達を用いた、それは恐るべき監視網。

 そしてもちろんそれは、魔城の女主人マダムたるシモーヌにも使えた。いや、ゾルグは妖魔のその力を貸し与えられたに過ぎない。シモーヌはまず鼠たちの注進から最初の情報を取り、その上鏡の魔術を併せて用い侵入者たちの様子を伺っていたのである。

「ただまぁ、今は【主】のやつがおりやせんし。たとえ子分のネズ公がいたところで関係ねぇ、もう役立たずでゲす。御覧なせぇ、鏡もああして捨てて行っちまった。これからはもうお偉い女主人マダム様にも、わっしらがどこでどうしてるか、今までみてぇにゃ探れねぇんで。

 ……上手く裏がかけりゃいいんでゲすがねぇ、殿下」

「そうはいかねぇだろ」

 即座に否定はしたものの、メネフは油断を嗜めたわけではない。言ったゾルグ自身が、そんなことはとっくにわかっていようから。

 逆だ、ここからが本当の地獄。

 何が待ち受けているか、まったくわからない。気休めの一つもこぼしたくなる気持ちは彼にも痛い程わかる。

「ま、この部屋は他よりちょいと居心地がいい、カビ臭ぇけどな!

 ……一休みしながら最後の準備をしようぜ。婆さん頼むな」

 決戦に備え、ここで再び皆の武器を聖別し直す。メネフの指図にオーリィが答えて。

「殿下、それならわたし()外で見張るわ」

 そう、巨体のテツジはこの部屋には入れなかった。彼は今ただ一人、部屋の入口に佇み固く守っている。そして実はオーリィも全身は部屋に入っていない。長い蛇体の半分以上は、その室外のテツジの足元でとぐろを巻いている。

「武器を聖別していただくなら、テツジにもシャベルを部屋に入れさせないと……わたし邪魔よ、入口につかえているのだもの」

 そう言って顔は室内を見ながら、後ろにスルスルと滑り出ていく魔女の体。人の形を残した上半身も、たちまち戸口をくぐって部屋の外に。

「器用なモンだな」「まったくで」「お、おもしろいや」

 とぼけた感心の仕方の男たちに対して、一人アグネスがこっそりと小声で。

「あの姿になる、あの姿でいるというのは……どんな気持ちなのでしょうね?」

 言い出してから、急にアグネスの口はもぐもぐとくぐもる。実に微妙デリケートなことを言い出してしまったのだから。だが中途で止めるわけにもいかない。

「オーリィ殿は、その……今でもかなり美しい。あれで蛇の姿形が無ければ、さぞや……大師様?高位の魔女には変身の力もあると聞いています。人の姿には戻れるのでしょうか?」

 それはアグネスの、少女らしい疑問。同じ女として惜しいのだ、あれでは、せっかくの己が美をあたら毀損しているではないか。

「元々は出来たのだけれど……オーリィはね、魔女になってからすぐに、変身の力は捨ててしまったの」

 コナマもそっと小声で答えて。

「だからもう、あの子は人の姿には戻れない。戻らないって、あの子は自分で決めたのよ……ただどうかアグネス、そのことはあまり触れないであげてね」

「……はい。申し訳ありません大師様、余計な口でした」

 アグネスはしゅんと萎れる。人の姿を完全に捨てる、おそらく余程のわけがあったのだろう。自分の詮索は不躾だったと素直に反省した風情。

(アグネス、お前は《《らしく》》なったけどな……)

 メネフはもちろん、それを口には出さなかった。一方ゾルグは、こんなタイミングを逃す男ではない。

「いやいやアグネス様、そう気の毒がることでもございやせんや!魔女様にはねぇ……『あれだからいい、あれでなきゃ困る!』って、そういうお人がね?ちゃあんといらっしゃるんだから……」

「……え?」

「チッ、バカヤロウ!」

 きょとんとするばかりのアグネスに代わって、ゾルグの肩を軽くどやすメネフ。もちろん、男たち二人の口元には同じにやけ笑いがあった。


(まったく……ゾルグったら)

 わたしの魔女の耳を侮っているのか、或いは。

(いいえ、わざとでしょうね)

 こんな時なのにまるで口の減らない男ねと、オーリィは軽くため息。いや彼はあれでいい、頼もしい。

(それにあの子もね……)

 アグネスの同情も、決して不愉快ではなかった。ただ不思議だ、奇妙だ。高慢な自分の胸に、それを侮辱と思う気持ちがまるで湧いてこないことが。

(どうしたのかしらねわたし、いつもだったら、前みたいに……)

 リンデルの妖花と人に言われ、その人目を嘲笑うようにしたい放題を尽くしながら、自分の気に入らぬ誹りに対しては真っ向から噛みついた。その極みが、叔父ギュスターヴへのあの最後の仕打ち。

 だがそれが、世に大きな禍いをもたらした……

(そうね、わたしにはもう……)

 誇るべきものが無い、否、誇りというものを()()()()()()()

「テツジ。コナマさんから聖別していただけるわ、シャベルを部屋に入れなさい。わたしも一緒に見張るから大丈夫よ」

 魔女は自分の思いを一度断ち切るように、僕たる巨人に声をかける。まさかの時に備えて、巨人は背のベルトからシャベルを降ろし、腕に構えていたのである。

「はい、オーリィ様」

 主人の言葉に頷き、テツジはヘラ先からシャベルを室内に差し入れる。だが決して奥には入れない。戸口からすぐに手が届くところで得物を置く。そして窮屈に屈み顔だけを室内に見せて。

「コナマさんお願いします、申し訳ありませんがこれは、ここで」

「よっしゃわかった、婆さんに伝えとく!」

 すでに室内の男たちの武器の聖別に忙しいコナマに代わってメネフが答える。その息のあった様子に。

「随分殿下と仲良くなったのね」

「不思議な男です。俺は人間にここまで心を許すことはないと思っていましたよ。それがどうしたことか……オーリィ様」

「なぁに?」

「俺はオーリィ様にお詫びをしなければなりません」

 侯爵の間で初めて、メネフ達がテバス古城への奇襲を企てていると知った時。

「俺はオーリィ様を残して一人で戦に加わると言いました。あれは実は」

「わたしを怒らせて一緒に戦に連れていくため、そういうお芝居。でしょう?」

「……はい」

 どうやらすでにそこはお見通し。だがテツジは続ける。

「俺は勝手に忖度したのです、決めつけたのです。もしこの戦に行かなければ、オーリィ様はきっと後悔なされると。まずその勝手をお詫びしなければなりません。

 そしてもう一つ。もしオーリィ様が俺一人で征くことをお許しになったとしても、俺は止む無しと思っておりました。コナマ様ケイミー様をお守りする使命がありますから。ただその名分はさりながら、やはり俺は……殿下という男にも力を貸したかったのです、大恩あるオーリィ様を差し置いて。何よりそれを……」

「まず一つ目」オーリィは即座に切り返す。その口調の不自然な軽薄さ。

「テツジ、お前は本当に気の利く僕ね。わたしの気持ちがよくわかってる、わたしよりも!褒めてあげるわ。

 二つ目。いいわ、今なら許してあげる。メネフ殿下は……ふふ、素敵な殿方だもの!昔のわたしだったら、きっととっくに誘いをかけていたでしょうね。

 お前が殿下に浮気したくなった気持ちは、わたしにもわかるわ。殿下は立派な方よ、強い方、心がとっても強くて、みんなを守れる人。負けるもんかってずっと思っていたけれど、わたし、全然敵わなかった……

 テツジ、お前は……いいえ、貴方は」

 オーリィの声にまつわる吐息が、すとんと虚しくなる。

「どうしてわたしなんかに、そんなに尽くしてくれるの?わたしみたいな、世の中に害を振り撒くばかりの、誰も救えない女に……」

「馬鹿!!この大バカもの!!」


 小部屋の壁がズドンと揺れる。またもや炸裂した巨人の咆哮が、大気の爆発を巻き起こしたのだ。すわ何事と戸口から飛び出そうとしたメネフとゾルグだったが、

「おっと、待て待て……!」

 一歩先にいたメネフが、何かを察して小声でゾルグを戸口の際で制する。戸口の右に左に分かれて張り付く二人、それを知ってか知らずか、巨人はいよいよ猛る。

「『誰も救えない女』だと!誰のことだそれは!オーリィ、お前がお前自身のことを言っているなら、そうゆうお前を俺は許さん!!

 オーリィ、たとえお前がどれだけ罪深い女だろうと、どれだけ人を殺めたのだろうと!そんなものは俺には関係ない!沼蛇の魔女オーリィは!

 ……俺を救ったぞ!!

 それも、石化の仮死からただ救ったのではない。まず一度そうして蘇らせた後に!この世にたった一人の石巨人となってしまったこの俺を、お前はその孤独からも救った……俺は救われたのだ、あの夜のお前の抱擁に!!

 思い出せ、覚えておけ、二度と戯言を吐くな!

 オーリィ!お前はこの世でただ一人、俺を救った女だ!だから護るのだ!!」

 従順な巨人の突然の赫怒に、両の瞳を丸く開いて愕然とした魔女。その体がやがて、小刻みに震え出す。その唇は何か語ろうとして、しかし声という形にならない。

 ようやく。

「ならわたし……これからは貴方に護って貰うために生きる。それでいいのね?」

「……そうです。それこそが俺の望みです、オーリィ様」

 声あくまで大きなままで、テツジの返事は海の大波のような穏やかさに戻っていた。再び魔女の唇は声を失い、代わってさやさやと啜り泣く音に変わっていく。


「やぁれやれ!」戸口の脇で貼り付いて様子を伺っていたメネフがニヤリと微笑む。そして室外に向かって大袈裟に。

「何事かと思えばテツのやつ、驚かせやがって!女を口説くのにこんな馬鹿デカぇ声出すヤツ、見たこたぁねぇや。立ち聞きしたくなくたって聞こえちまうぜ!

 ……なぁゾルグ?」

「いや~まったくで」と、反対側の戸口脇のゾルグがこれまたおちゃらかす。

「お惚気もたまにはいいがこうコッテリじゃ、聞かされる方は胸が焼けてなりやせんや!こんなことならもう主従なんて野暮はいい加減によして、とっとと夫婦めおとになっちまぇばいい。なぁに、かかあ天下も味なモンでゲす。

 そうだ、ねぇ殿下?帰ったら、式でも上げてやっちゃあ如何で?お城でパーっと!」

「ハハ、そいつはいい!考えとく、豪勢なヤツをな!」

 途端、ドシンと壁を小突く音。堅物の巨人が、この冷やかしには流石に照れたに違いない。大きなイタズラ坊主二人が退散退散と肩をすくめて部屋の奥に引っ込むと、奥には。

「あ、あのあの、殿下もゾルグ殿も!いいい、いけません、あんな、その……ふざけては!はしたないです!」

 それこそ乙女らしい恥じらいで顔を真っ赤にした、アグネスが待ち受けていた。

 そしてコナマは皆の武器に聖別を施しながら、その様子に黙って耳を傾けている。

 彼らのつかの間の、そして最後になるかも知れない、平和な会話に。


(ギュゲゲゲ、ギュゲーーーーーイ!!)

(ええい、うるさいうるさい!!)

 ケイミーに取り憑きその肉体を乗っ取った、大樹霊ゲゲリ。だが実は、頭の中で響くその鳴き声にすっかり閉口していた。すぐ隣に立つシモーヌには気取れないよう、必死に肉体の口では黙っているが、心の中は大騒ぎ。

(お黙りったら!!ハルピュイアもたまにはよかろうと思ったけどね、大間違いだ!うるさいったらありゃしない!!)

 もちろん、そうと言われて大人しく黙るようなケイミーではない。いやどうやら、自分の心の叫びには敵も大分弱っているようではないか?もしかしてコレ、ちょっと効いてる?ならばとケイミーはここぞとばかりに。

(ギュゲッ!黙るもんですか、このドロボウよだか!あたしの中から出ていって!!ギュゲゲゲゲゲゲゲーーーーーーーーーイ!!)

(あああああ、だから今まで、喋る知恵のあるヤツには宿りたくなかったんだよ!

 ……体は自由に使えても、心は、命は消せないからね)

(へえ……)とこれは、ケイミーはグッと飲み込む。それなら自分にも何か出来ることがきっとある、何よりまずは、騒いでゲゲリの頭の中を掻き回してやること!

(ギュゲーイ!ギュゲーイ!ギュゲギュゲギュギュギュギュ、ギュゲゲゲ、ゲゲゲーーーーーーイ!!)

(ああちくしょうめ!!お前がいくら騒いだって無駄だよ!

 お前も見てるだろ?シモーヌの作ったこの怪物!こいつが暴れりゃ、あいつらも全員ペチャンコさ!!)

(ギュ……!)

 ケイミーがギクリとして鳴くのが止まる。そう、体の自由を奪われた彼女の眼にもその巨体は映る。まるで小さな丘のようなそれは、しかし四つ脚で歩く獣。

 それにしても。

(……ケック、一体なんのドーブツなのアレ?)

 まるで見当がつかない。途轍もなく大きいのはともかくとして、見たことのないシルエットだ。全身は長い毛で覆われている。体型は牛や馬よりずんぐりとして、脚も太く短い。そして頭も大きく、これまたごく短くしかし太い首で胴体に繋がっている。

(猪かな?うーん、でも?)

 どうも違う。まず大きく反った長い牙が一対。まるで口の中から細い腕が生えているよう。猪にあんなに長い牙はないだろう。そしてさらに奇妙なのは、鼻先から伸びる長いもの……

(じゃないか、あれが鼻なんだ!さっき白い息を吐いたっけ。でもあんなにくねくね曲がる鼻って……?)

 ケイミーが持ち前の好奇心で思わず騒ぐのを忘れた隙に、ゲゲリは嘴を挟む。

(面白いだろう?なんて動物かって?さて、どう言ったもんかねぇ……あいつは大昔に、知恵のある種族が名前をつける前に滅んでいなくなっちまった生き物だからね。名前なんぞないのさ。あたしも決めなかった、決める前に滅んじまった。

 で、今の人間の誰も近寄れない、氷の原の地の底でずっと氷漬けになってたそれの死骸をね?あたしが拾ってきてシモーヌにくれてやったんだよ。

 懐かしいねぇ……あいつがああして動いてる所を見るのは、本当に久しぶりさ。あたしゃあれは気に入ってたんだよ……もうあれは不死怪物、動く死骸、あいつの形が残ってるだけだけども。

 命ってのは、儚いもんだね。あたしや他の神がどれだけ生み出してやっても、生き残れる奴らはほんの少し。何かが変わっただけですぐ滅びちまう。今度こそと思ってずいぶん新しいのを拵えたけど、このあたしにもね、何度やっても上手くいかない……だから大切なんだ、命ってのは。

 それを人間どもときたら!人間、ありゃあ大失敗!ベネトリテに任せたあたしが馬鹿だったよ。

 滅びた命の恨み。それをまずこの城に入り込んだあいつらに、そしてベネトリテに思い知らせる。それがあの滅びた獣の仕事だよ!わかったかいひよっこ!!)

 シモーヌの指図で、再び嘶く滅亡の獣。その畏容の前に、ケイミーはついに声なき声をすっかり失った……

(続)

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