第57話 リンデルの魔女たち・業火
「なぁ魔女よ?私は一つ不思議なのだ。それほどの力を持ちながら、お前はなぜ捕われた家族を放っておいたのだ?なぜすぐに救いに行かなかった?」
シモーヌのその問いは、オーリィの胸を鋭くえぐる。
(ギュスターヴに呪いをかけて屋敷を去ったあと、何もかもが終わったと思ったわたしは、グロクスに抱かれて淫らな肉の悦びにふけっていた……時の過ぎるのも忘れて、その間に地上では何日も過ぎていて!そして知らなかった、気が付かなかった、あの魔女がそうと教えに来てくれるまで……
父も母も、ああ、お兄様も!
教会に魔女の濡れ衣をきせられて、みんな処刑されていたなんて!)
頬は恥辱に燃え、後悔が胃の腑を潰す。己の愚かさうかつさに、オーリィは大きく肩を震わせる。シモーヌはその顔に姿に、自分の言葉の威力を確信し、舌鋒にさらに毒を含めて。
「まぁよい、それはささいなことだ。お前にも何やら事情があったのだろうよ……それはよい、続きだ。むざむざ家族を殺されたまま、呑気にどこかに姿を消していたお前は……今更のように!
リンデル国の都にほど近い処刑場に、晒し者になっていた家族の亡骸をのこのこと取り返しに行って、そこで!
待ち伏せていたリンデル兵と教会の僧兵団、そやつらと戦いになった……」
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(ただ魔女の存在と伯爵家の事件だけを隠蔽したければ、伯爵家の人々を黙ってこっそり皆殺しにしてしまうことも、教会には出来た。それでよかったはずだ)
侯爵はふと筆を止め、資料に残っていない事実を推測する。
(それをなぜ、教会はわざわざ公開処刑を行い、亡骸を晒したのか?)
暗いため息を一つ、侯爵はペンにインクを吸わせた。彼が思う、合理的説明。
「……『ギュスターヴの死に際の有り様を、教会は完全に隠蔽出来なかった。もう魔女の噂の広がりを止めることは出来なかったのだ。
この上教会の無力さを誤魔化すためには、民に見える形で魔女そのものを滅ぼすしかない。教会はそう判断を迫られた』
……だから!魔女殿の家族の亡骸を、いわば餌にした、魔女をおびき出そうと考えた!そしてさらに……ああ愚かな!!」
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「刑場は都のやや南にあった。そして待ち伏せていた兵どもはお前を北に、都に向けて追い込もうとした。都に大勢を置いて、挟み撃ちを狙ったのだ。
しかしなぜ、わざわざお前を都に?それはな……教会は、民の目の前でお前を始末したかった、お前も公開処刑にしたかったからだ……
驕り高ぶる教会は、ただ自分たちの面目を守るために!相手の力も、都の民の被る災厄も顧みなかったのだ!ああ愚かなものよなぁ!!」
侯爵とシモーヌの、それは奇妙な意見の一致。
「追いすがる兵どもを振り払うため、お前は刑場から北を指して逃げようとした。そうしてお前は教会の目論見どおり、かえって都に追い込まれて!待ち受けていた兵と戦う羽目になった、そうだな?そして結局、お前に立ち向かった兵はすべて倒れ、リンデルの都はその戦いで半分が灰燼に帰した。もちろん、その間に!
……大勢の無関係の民も巻き添えになった、焼け死んだ!
魔女よ、お前のしでかしたことはそれだ!違うか?!」
シモーヌの言葉はすべて真実、まるで見てきたよう。オーリィの舌は強張り、何も言い返せない。
八年前、家族の死に動揺し、悲しみに暮れていた魔女オーリィ。彼女は兵たちの思いもよらぬ襲撃を受けいよいよ逆上し、たちまち悪鬼と化したのだった。そして都を焼き払った……
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「『ただしこの際、特に記しておくべきことが一つ。
魔女はそれでも、戦いを避けようとしていた、逃げようとしていたのだ。残された被害の記録によっても、魔女は都を南から北へ、一直線に通り過ぎただけ。それも西の片側をかすめるように。都の中心は避けて通ったことがわかる。魔女はあくまで立ち塞がるリンデル兵を排除するだけのために、彼女としてはおそらく最低限の反撃を試みたに過ぎなかったのだろう。
ただこれは推測だが、おそらく。魔女の力を得たばかりの彼女には、加減がわからず出来なかったのに違いない。それで被害は甚大となった。だがそれはひとえに、都に魔女を追い立てていったリンデル兵の、否、教会の策に責めがある。
そして一つ幸いだったこと。これは誰にも周知の通りであるが、リンデルの都エルリンデルが、実は領土の中心よりはずっと北、わがノーデル領との国境寄りに位置していたことだ。
古の戦いでノーデルに破れ国境線だけを後退させたまま、しかしリンデルは、それ以後も都を南に移さなかった。これはおそらく、いつの日にかと反転攻勢を期したためであろうが、それよりも。
リンデルの南部諸地方がこの時すでに教会の実質支配にあったことを考え合わせれば。実は教会が遷都させなかったと考えるのが妥当だろう。エルリンデルは首都でありながら、対ノーデル戦の前線都市に位置付けられていたのだ、教会に。
そう、エルリンデルはノーデルとの国境の都市。だから北に逃れた魔女はすぐに国境を越えノーデル領に入ることが出来た。よってリンデル兵はそれ以上魔女を追撃出来なかった。
かくして、被害はエルリンデル市の半分の消失だけで済んだのだと言える』……」
侯爵はしかし、ここでペンを止めやや難しい眉を結ぶ。
(いやそれははたして、ただ不幸中の幸いだったというべきなのか?
災禍は本当にそれで済んだのか……?)
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「お前は逃げた。ノーデルへの国境を越えて追手を振り切り、そのまま姿を消した。ただ逃げ去ったのだ。それはくだらぬ、まるで無駄な争いだった……
無辜の民をただ踏みにじっただけの!なぁ?実にむごいな、お前のしたことは!ハハハハハハハ!
なぁ……魔女よ!!」
過去の過ちに苦悶するオーリィに、嘲笑を浴びせるシモーヌ。だがここで突如妖魔は激昂する。
「魔女よ私にはな、もう一つ!お前にもっと聞きたいことがあるのだ!!
リンデル兵?教会の僧兵?そんな雑魚どもは元より、お前の力を持ってすれば!
……私は見た、よく覚えているぞ!平原に降り注ぐ炎の雨、数千の不死怪物をことごとく灰と化した、あの夜のお前のあの美しい花火……
お前の力をもってすれば!いっそリンデルを国ごと全て灰にも出来たはず!!
なぜだ?それなのになぜお前は、ただ逃げた?……なぜ逃げてしまったのだ?!
お前があの時、リンデルを丸ごと滅ぼしてくれさえしたら!いやせめて、都エルリンデルだけでもすべて焼き尽くしていてくれたら!
私は……私も死んで、娘と死んで……一緒に安らかに死んだままでいられたはずだったのに!!
よいか魔女よ、お前の最大の過ちは、罪は、あの時!
私と娘、私たち母娘を殺してくれなかったことだ!!」
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「さて……?」侯爵は首を一つ捻る。
「教会のような卑怯な頬かむりは、わしには出来ぬ。真実はすべて記されなければならない。ただ少し配慮が必要であろうな。わしのこの記録は、あくまで魔女殿の我が国に対する大功績に報いるためのもの。
……こちらは別に記しておくとしよう。そしてさらに厳に秘しておく。ずっと後世、ノーデルの民の悲しみが和らいだ時始めて明らかにされるように。そうでなければ、読む力の無い者はこれを見て、魔女殿に対してあらぬ逆恨みを抱くかも知れぬからな」
侯爵はここで書いていた書類をまとめ傍らに寄せ、あらたな用紙を手元に取る。
「表題は……こうだ。
『リンデルの魔女裁判・不死怪物シモーヌ出現の背景』。
さてそして……
『リンデルの都エルリンデルが、伯爵家の魔女・沼蛇のオーリィとの交戦によってそのおよそ半分を焼き払われた、かの事件によって。リンデル国内では魔女の存在とその力を民に隠すことは出来なくなった。いや、そのままでは噂は国外にまで及ぶおそれがあった。そこでついに教会は、最後の手段に訴えた。
それは、リンデル国の完全支配。
都に起こった大災害の責任をリンデル公になすりつけ、身柄を捕らえて教皇庁に送った。公爵はその数年後獄死したと伝えられている。こうして教会はリンデル公家を廃し、リンデル公国を教会直轄領に定め、リンデル聖教国と名を改めた。
そして。その後教会はリンデルで大々的に民を弾圧し始めた。教会の権威に服さない者、教会にとって都合の悪い者に次々と魔女の汚名を着せて、宗教裁判で処刑していった。
そう、すべてはただ、民の口を封じるために。いったいどれほどの無辜の民が刑場の露と消えたのか?今後も数えきることは出来ないであろう。
さて。そうした犠牲者の中で、とくに記しておかなければならない者が二人ある。
エルリンデルの外れで商家を営んでいたミラ家、その一人娘クロエ・ミラ。十二歳、いたましくも彼女は狂人であった。そしてその母、シモーヌ・ミラ』……
おおお……シモーヌ!ここにいたのだ、悪魔はここに、ここから誕生した……!」
侯爵のペンは震える。大妖魔シモーヌの、そのおぞましき運命に。
(続)




