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沼蛇の魔女と石の巨人  作者: おどぅ~ん
第四章 魔女相剋編・混沌

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第56話 リンデルの魔女たち・煉獄

「ぐっ、くそぉ……チキショウ!【主】、【主】ィ!」

 アグネスから受けた腹への痛打。ゾルグは苦しげに、それでもすばやく床を転がり逃げて呼びかけたが。

「チキショウ……こんなバカな……!」

 魔の者同士のその伝心は、完全に消えた。ベンのクロスボウ、その射撃の絶技によって【穴の主】は倒されたのである。未だ床中に蠢く鼠たちに埋もれて、虚しい死骸をこの床のどこかに横たえているに違いない。そしてその鼠たちは統率役を失って、ただ慌てふためき縦横に走り回るばかり。

「ネズ公どもてめぇら!おれの言うことを聞かねぇか!」

 いやゾルグにもわかっている、それは悪あがき。元より知恵なき吸血鼠たち、【穴の主】の持っていた鼠由来の魔力がなければ、それらを従えることは出来ない。

 やがて槍の神威を恐れたのか、端から鼠の群れは床を薄く広がっていく。この場を散り、逃げ去っているのである。

「……ちっ!」

 万事休す、とゾルグも同じく逃げ出そうとするが。

「お前は逃さぬ、今度は私の番だ!」

 振り下ろされたのは槍斧の穂先。ゾルグの落としたそれをアグネスはすばやく取り上げていた、そして彼の喉元に突きつける。

「認めよう。お前の技は見事であった。だが槍ならば、私には及ばぬ!」

 腰に下げていた小剣を抜き、かろうじて防御の構えを見せるゾルグ。無論隙あらば逃れる態勢、だがすぐに絶望する。対峙するアグネスには隙など一切無い。逃れようとする先に先に、聖騎士の槍斧は翻り退路を塞ぐ。まったくこの場に釘付けだ。

 それは先程までの光景と、攻守立場を代えた鏡合わせ。

「チキショォォォォォォォォ!!」


「……私、少し時間をかけ過ぎたわね」

「婆さん?」

 薄く目を開いたコナマ、口元には微笑みが。

「みんなのこと、全部心の目で見ていたわ。すばらしい腕前ねベン!ごめんなさい坊や、もったいぶったのに、結局私の出る幕はなかったみたい」

 少しおどけたその声に、メネフも今はあの不敵な笑みをすっかり取り戻して。

「いや婆さん違うぜ、あんたには仕上げをしてもらわねぇと。そら、あそこにまだいるだろ?()()()()が!」

「そうね坊や。せっかく溜めた力ですもの、ちゃんと使いましょう。きれいにここのお掃除もしたいし……」

「そうそう!ヤツの()()()も止めちまってくれ!」

 こくと頷き一つ、コナマはコツンと錫杖で床を突くと、その柄に笛を吹くように唇をつける。

 たちまち。錫杖の柄を伝い流れ降りるのは緑の光の奔流、それは床中に広がって大渦となる。逃げ遅れた鼠たちは、それに触れるとパタパタと倒れ動きを止めてゆき……程なくアグネスとゾルグの足元まで!

「よし最後だ!」「……ぐがぁ!」

 空振りでゾルグの退路だけを絶ち、その場できりきり舞いさせていたアグネスだったが、ついに槍斧を逆さに持ち替え、石突で胸に強烈な一撃!床の輝きの中にゾルグを突き飛ばした。

「悪いがあばらはもらったぞ!だが案ずるな」

 口元に、アグネスには珍しい笑み。どうやらその一撃で一つ溜飲を下げたらしい。

「大師様の御力に身を委ねよ。すぐに治る……肋骨も、心もな」

 倒れたゾルグの体が、緑の光に包まれる。そして彼の禿頭に巻かれたあの呪いの紐冠が、肌を焼かない温かな炎で、しかしパリパリと音を立てながら燃え朽ちた。


 同時に。

「ぬぬぬ、おのれェェェ!」

 額を押さえ苦しむシモーヌ、見ればその額の白い産毛にうっすらと焦げ目が。ゾルグにかけた魅了チャームの呪いを破られた反動だ。だが床に膝を突いたのは苦痛のせいのみではない。耐えがたい敗北の屈辱のゆえ。

 一方、仲間たちの際どい勝利に、しかしオーリィは平静だ。それは自分でも驚くほど。安堵と喜びは無論の事、だがそれを己の不甲斐なさが打ち消す。見ていただけ、またもや自分は誰も救えていなかったのだから。

「終わったわシモーヌ、この場はね。次はみんなでお前を倒して、本当に全部終わりにする。きっとよ。

 ……話ももう終り、もう行くわ。行きましょうケイミーさん」

 吹き抜ける風のような虚しい声で、オーリィは言い捨てその場を離れようとした。

 しかし。

「……待て魔女よ!私にはお前に、まだ言って聞かせることがある!お前は聞かなければならぬ!!……逃げるな沼蛇の魔女オーリィ、()()()()!」

「……?!」

 シモーヌのその一言に、去りかけたオーリィの歩みが止まる。ぎくりと振り返った魔女の顔にシモーヌは更に畳み掛けるように。

「元の名は!リンデルの妖花、伯爵家の魔女、クロエ!そうだな、違うか?!」

「何故それを……ゲゲリから?」

「誰に聞くまでもない……お前が火の雨を降らせたあの夜、私には既にお前の素性はわかっていた。魔女よ、私は元リンデル人なのだ」

「リンデル人?お前が?そうだったの?!」

 ノーデルに突如現れた蝙蝠の白魔・高位吸血鬼シモーヌ。それが元人間であったことは、もちろんオーリィも理屈ではわかっていた。だがこれまで、その来歴など意識したことが無い。あまりにも恐るべき忌むべき憎むべき、人間離れした異様な存在であったから。そこは考えても意味がない、いや思い浮かべたこともなかった。

 そして今のシモーヌには、リンデル人の面影が無い。リンデル人は多くが黒髪で、言葉はノーデルのものに近いがより柔らかで繊細な響きを持つ。普段の装いも民族独特の風がある。しかしシモーヌは、髪は氷のように真白く、声は嗄れて、そして身には一糸もまとっていない。だからわからなかったのだ。

 だが確かに。彼女が元リンデル人であるならば……伯爵家の魔女である自分を知らないはずがないのだ。

 オーリィの胸を刺すのは、忌まわしい自らの過去の所業。

 リンデル人ならば、()()を知らないはずがない!

 はたと胸を突かれたような魔女に、妖魔はさらに畳み掛ける。

「そうだな、お前は知るまい……お前のせいとは私は言わぬ、だが聞け!私の娘が教会に囚われたことには、お前も関係しているのだ!」

「……わたしが?」

 オーリィの顔色がさらに険しく変わったのを噛み締めると、シモーヌは食いしばった歯の間から絞り出すような声で。

「魔女よ、わかっているはずだ。リンデルという国を、()()()一度滅ぼした。リンデル公国が教会直轄領・リンデル聖教国となったのは、お前が魔女となって起こした騒動のため……」


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


 戦場から南へ遠く。ノーデルの都、グラン・ノーザン城中で、今もまた。

 モレノ侯爵はその記録書類の束を手に取り、初めから紐解いていた。

(伯爵家令嬢、クロエ・ドゥ・アルケーニュ。人々の呼んで曰く、『リンデル社交界の妖花』、か……)

 これで幾度目になるのか。だがこの時は、あるところまで紙をめくると。

(こうしてばかりではおられぬ)

 何かを思い切ったかのような顔で、机上の小さな呼び鈴を鳴らした。側周りの者が一人、恭しく現れると。

「ペンを。()()()

 長年侯爵の身の回りの用を務めるその召使は、また恭しく会釈を返し、その場を下がっていく。そして程なく戻った召使が揃えてきたもの、それは真新しい鵞ペンとインク、その他筆記のための細々とした用具と、用紙。

 書物を友として過ごす侯爵は、読むのみならず、しばしば読んだ書をそのまま書写しあるいは抜き書きに書き残す。そのための用具は常にかの召使が侯爵の使いやすいように手入れし、一揃えに整えてあった。多めに、とはインクと用紙のこと、それだけで伝わるのだ。

「よろしい」

 加えて、孤独な思索を愛する主人の性も召使はすべて心得ている。その一言でまたすぐに部屋を下がった。

(少なくともわしがこの世を去るまでは、公には全て秘しておくしか無かろう。

 だが我が息子たちにそして後世に、真相は伝えておかねばならぬ。

 ……そしていつの日か。沼蛇の魔女の大罪のえんすすがれねばならぬ……たとえ、彼女自身がそれを望まぬとしても……!)

 侯爵は傷まし気な視線を書類に落としながらペンをとり、そしてその秘密の覚書を、リンデルの魔女の物語を綴っていく。

「『そもそも教会が伯爵家の魔女を由々しき脅威と見做したきっかけは』、むむ……」

 だが筆が重い、進まない。モレノ侯爵は悩む。

「そうだな、これはもっと平易に書こう。平易直截に……事実そのままを、子供のような言葉で」

 いや、でなければとても自分が書き進められない。陰惨が過ぎて。

 ペンを取り上げ、ほんのしばし思いめぐらして。

「よしこうだ……『教会が魔女クロエを目の敵にしたのは。彼女が叔父ギュスターヴに最後にかけていった、石化の呪いのため。クロエが去った朝から、彼の体は手足の先からじわじわと石になっていったのだった。

 ギュスターヴは教会に命乞いし、自らの罪を全て告白した。もちろんそうさせる事がクロエの狙いだったのだ。他の家族に罪が及ばぬように、と。

 そして確かにギュスターヴの告白は一度は記録に残された。だが後にそれはリンデルでは教会が握りつぶした。

 教会は、クロエすなわち魔女オーリィの石化の呪いを解呪できなかったからだ。

 ギュスターヴは死の恐怖に怯え苦しみながら、三日後に生き絶え、四日後にその死体は完全に石となった、完全に。そしてその間、教会は数多の聖職者を集め祈祷礼拝を続けたが、全く為す術がなかったのだ』

 ……ああ魔女殿よ、貴女はやはりやり過ぎた!」

 インクの撥ねるのも構わず、侯爵はペンをガラリと机上に投げ出した。大きくため息を一つ、瞑目し天井を仰ぎ、下唇を噛み締めて。

「この男のその末路は自業自得、何ら同情すべき点も無いがしかし、後の始末を考えれば……魔女殿、貴女はもう少し手心を加えてやるべきだった。

 そう、貴女はこの一件で、教会の面目をすっかり丸潰しにしてしまったのだ。

 魔女の力の前には教会の神の恩寵など無力、そんな事実がもし広まってしまったら?教会にとってこれほどの不面目不都合は無い。

 だから!教会は、この事件が大きく表沙汰になる前に隠蔽しようとした。

 ……伯爵家の人々()()()()魔女であったと濡れ衣を着せ、そして即座に全員刑場に引き立て、火炙りの刑に処した!

 ……ああ魔女殿よ、あなたは……誰も救えなかった……その身を魔女に堕としてまでも守りたかったあなたの家族を、結局誰も……」

 侯爵は嘆き、だがやおら頭を左右に振って心の重みを振り落とす。

「筆を止めるな、この老いぼれめ!魔女殿の我が国への大恩に報いるすべは、お前にはこれしかなかろうが!」

 自らを叱咤し、再びペンを取った侯爵の顔は蒼白、しかし双眸は決意に燃えていた。これが彼にとってのいくさ、老いた彼に今出来る戦い。

 侯爵のペンは、紙の上できりきりと軋む。

「……『一度()()()()()姿を消した魔女クロエはしかし、()()()()()()()()()()()家族の無惨な刑死を知った。彼女は再びリンデルに現れて』……」


 × × × × × × × × × × × × × × × × × × 


 時を遡り八年前、大蛇竜グロクスの地底の宮。

「ああ困ったわ」「大変大変」「どうしましょう」

 灼熱の溶岩の沼のほとりに集っている数多くの女たち、全てラミアの魔女だ。色好みの神グロクスの寵愛を受けた彼女たちは、そのほとんどが地上の生活を捨て、こうして地底宮で神と共に暮らしているのである。

 炎燃えたぎる火山の地底の光景は、人間なら地獄と見紛うばかり。だが彼女たちにとってはそこは実に平穏な安息の地。グロクスの永遠の加護の元、あるいは溶岩に湯浴みしあるいは地下の無尽蔵なる宝石の珠で双六に興じ、そして時に神竜に呼ばわれ床を共にして。いつもは至極のんびりと日々を過ごす魔女たち。

 だがしかし、その時は。

大御神おおみかみ様はまだ、あの()()()()をお放しになられないのかしら?」

「まだのようね。いつものことだけれど……」

「でも随分長いわ」

「大御神様、今度の妹のこと大層お気に入りのようでしたものね」

 ギュスターヴと猫の悪魔を断罪し、燃える池に消えたクロエ。彼女は地底宮で待ち受けていたグロクスに捕われ、溶岩の海の底で情を交わしていたのである。そしてそれは人の世の時間ですでに十数日に及んでいた。慣れっこのはずの他の魔女たちにとっても、これは少々長過ぎる。そう、此度の竜と魔女の痴の戯れは、あまりにも深く深く、長く長く……

 そしてそれゆえ。グロクスも、クロエすなわち魔女たちの新しい「妹」オーリィも、地上で起きたそのゆゆしき事件を知り得なかったのだった。

「ああ、でも困ったわ!大御神様にお伝えしなければ、あの妹にも!」

「本当になんてことでしょう!あんな酷いこと!」

「だから地上の人間は嫌なのよ!妹だって、せっかく大御神様にお目をかけられて、これからここで私たちとも楽しく暮らしていけるというのに……」

「かわいそう……」

「何て言って伝えたらいいのかしら?」

「そうね」

 と、物憂い顔を揃えてかしましく言い合う中で、一人の魔女がずいと高く伸び上がり、皆をなだめるように。

「いいわ、ここは私から。任せて頂戴」

大姉おおあねさま!」

 グロクスの魔女たちは皆等しく見た目は若く美しい、だが「大姉」と呼ばれたその魔女は威風格別。魔女たちの中でも特に古くからここに住まう者であるらしい。

「事が事。これ以上ぐずぐずしてはいられない。今すぐ私が行って大御神様に申し上げましょう」

 場がざわめく。

「おしとねでお戯れ中の大御神様に?」「大姉さまそれは……」「どんなお叱りをこうむるか……」

「仕方がありません」

 タブーは承知と、その魔女はきっぱりと言い残して溶岩の池に潜り消えた。

(続)

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