第51話 穴の主(その1)
「ちょいと見違えたな」
メネフがアグネスに声をかける、冷やかすような調子の言葉。
清き亡骸に帰った騎士団たち、彼らは上物の武具で完全武装であった。アグネスはその具足を剥ぎ、自分に合ったものを選んで身につけたのだった。雑に麻布で覆われていただけの彼女の姿が、にわかに威風凛然としたのをメネフは口では囃したのである。
だがそれが上辺だけなのは、今はアグネスにもわかる。彼の瞳の奥には慰めといたわりの色。
「これからいよいよ戦も厳しくなるでしょう、ここは皆に借ります。侯子殿貴方も、もし具合よき物があれば使って下さい……皆も喜んでくれるはずです」
姿のみならず、言葉遣いもガラリと変わったアグネスの申し出。メネフは少し小首を傾げ、そしてやおら一人の騎士の亡骸の側に腰を落として。
「そうだな。せっかくだ、右の小手だけ……いいなアンタ、ここからはオレが代わるぜ」
アグネスの共は、と。そう言ってメネフは、ここまでの激戦で傷んだ自分の右の小手を捨て、騎士のものと替えた。二度三度拳を固めては開き、着け心地を確かめて。
「よし。行くかアグネス、みんな!」
頷き合ってその場を去ろうとする一同。だがベンだけがキョトンとして、その場にまごつきながら。
「あ、アグネス?やりは?もってかないの?」
そう、メネフとテツジが与えたアグネスの槍は、先程の戦いで折れてしまった。だがまだダンダレルの使っていた槍が無傷でその場に残されているではないか。アグネスは横たわる彼の亡骸の胸に、その槍をそっと抱かせていたのである。
なぜ?という顔のベンに、コナマが穏やかに首を振る。そしてテツジが答えた。
「ベン、いいんだ。あの槍は、あそこに眠っている彼らのためのお守りなのだ」
あるいは、墓標。
「槍ならば、また俺が掘り出す……いや、まずその前にベン、お前が見つけてやってくれ。どうだ?」
噛んで含めるような巨人の深い響きの声は、アグネスの耳にも染み透る……心にも。ベンはまかせてと目をぱちくり。
「さぁてと!待たせたなテツ、オーリィちゃんを迎えに行くとしようぜ。その歌ってのが聞こえたところはわかるか?」
「うむ、大体の方向だけだが。あの落とし穴の場所から見て、そうだな……ついて来てくれ」
「ベン、お前もテツと一緒に前だ。一緒に先をよく探ってくれ。アグネスは婆さんを守る、後ろはオレが引き受けた」
指図に隊列を改めるのも、今はテキパキと滞りない。かつての仲間を失い、しかし自分はここに新たな友を得た。アグネスの胸に迫るその実感。微笑みを浮かべようとしながらも、しかしその時、アグネスの頬には僅かな硬さもあった。
(伯爵家の魔女オーリィ……かつて私の祖国リンデルを、仮初にも一度滅ぼした者……一体どのような……?)
そして。
(む?)(何だ?)
列の前と後ろで、微かな違和感に捉われた二人。どこかでチリンと音がした……テツジとメネフは共にハッとして、しかしこの時はすぐに忘れた。その呼び声のことを。
「渡れりゃ話が早いんだが……?」
ゾルグがテツジを騙し足止めするために仕掛けた落とし穴。「歌」はその先から聞こえてきたのだと巨人は言う。穴の下の階から、彼はそれを見上げながら聴いたのだから。だがそれは穴というより裂け目。通路の幅いっぱいに床が崩落していて、左右の壁に張り付いても到底足場がない。
「回り道になるが、一旦穴の下に降りて、もう一度どこかで登るか?」
「いや、ここで登りなおせばいい。俺が降りてもう少し山を大きくする、それで向こう側に渡れるはずだ。下手に迷うよりはその方が早かろう。なに、大した仕事ではない、すぐに済ませる」
そう、穴の下にはテツジが築いた瓦礫の山がある。その頂上は今ちょうど、一行の足元近く。テツジは先程、こちら側に戻るために山の形をそう整えたのだ。だからもう一度下で新たな瓦礫を作り、さらに山に積み足して、頂上が向こう側にも届くようにすれば。
「頼む」二つ返事のメネフだが、もちろん呆れ声だ。そりゃごもっとも、クソ力持ちのお前が言うからだけどな、と。
「侯子殿、ならば我々全員で一度下に降りましょう。わずかの間といっても、離れ離れになるのは危険です」
と、今度はアグネスからこれまたもっともな意見。
(おやおや、なんだか急に楽になっちまったな)
これまで自分がうんうん頭を悩ませて考えていた行軍方針が、手放しで決まる。メネフはホッと一つ肩を撫で下ろして、穴の下に向かって指をさす。
「……んじゃ、そういうこって!」
瓦礫の山は急ごしらえに積まれたものだったが、巨人坑夫テツジの仕事は確実。足元の不安はいささかもなく、程なく全員が下の階に。
「壁を壊しに行ってくる。そんなに遠くではないし、側にいると危険だ。ここは一人で……皆はここにいてくれ」
おそらくテツジが転落したばかりの時は、その空間はもっと狭かったに違いない。だが四方の壁が見事に打ち壊され、今は大広間。
「見通しはきくな。何かあったらお互い騒ぎゃいい。テツ、始めてくれ。気を付けてな」
大きく頷きを一つ、さらなる拡張工事のために、巨人は一人のしのしと奥に。残りの一同は山のふもとで待機。無論敵の襲撃に備え、見張りは全員怠りない。ことにベンはリスのようにくるくると走り回って、あらゆる方向を警戒していたが。
「……あれ?」
何を目に留めたのか、急にじっとある一方向に釘付け。
「どうした?」
「で、でんかさま?あっちのずっと奥の壁なんだけど……変だな?なんか他の壁と違う感じ?」
ベンの指すその方向は、テツジが破壊した壁がもともと別の大広間との境だったらしい。より大きく空間が開かれていて、彼方の壁もずっと遠い。その遠くの突き当りの壁が何やら奇妙だと、ベンは言うのだ。
凄腕の射手であるベンは、その目の良さも一同の中でずばぬけている。遠目だけならケイミーには劣るが、彼女は鳥目だ。薄暗がりが広がるこの魔城内ではベンは誰よりも目が利く。そしてその言葉をメネフは軽く扱わない。何がどう変なのかは、ベンの拙い言葉ではよくわからないが、あるいは敵の気配が?と。自分もキッとそちらに目を向けると、途端に!
「お、おおお?……何だこりゃ?」
左手の義手から、チリチリカチカチと音がする。いやそれは。
「これはあの時、爺さんがつけた……」
鍛冶屋のグノー親方が、メネフの義手の指に付けた指輪のような金具。薄い金属のそれが、今なぜかひとりでに細かく震え、そして金属の指と擦れてその音を立てているのだ。まさかと思いながら、メネフはベンの指し示す遠くの壁にその左手の指を差し向けると。
金属片はいよいよ激しく震えだす!
「そうだ、テツのシャベルにも?……」
老人はあの時、自分では容易には運べないあのシャベルを、巨人に命じて工房にわざわざ運び込ませたではないか、その細工を施すだけのために。そしてメネフは見て、そして聞いた。シャベルの持ち手に細い鎖でしっかり取り付けられたその小さなプレートと、「邪魔にはならねぇはずだ」という老人の言葉を。
(そうだ、それから爺さんは確か……)
「役に立つかどうかは、役に立ってみなけりゃわからねぇ。守り札が何かだと思っとけ、今はな。だがわしの覚えてる通りなら……あそこには確か……」
そう言った。
(『あそこには確か』……爺さんは、テバスの城について何か知ってたんだな?そんで、この細工が『役に立つ』かもって……)
すると、彼の傍らで今や、同じく興味深げな顔をしている二人がささやきあう。
「ねぇアグネス……わかる?」「はい大師様!確かに」
「婆さん、アグネス!何だ、何かわかるのか?」
「感じるの。大きな力、いいえ邪悪な力じゃないわ、反対よ!何かとっても大きな、聖なる力!それが、ベンが言う壁の方に……」
「……テーーーーーーーーーツ!!」
たちまち呼び叫ぶメネフ。何事かはまだまるでわからない、だがどうやらこれは、すぐにはっきりさせなくてはならない事だ。そして実は、その大声は必要がなかったらしい。巨人はすでに彼らのすぐ側に戻って来る途中だったのだ。
そう。
「殿下これか?これのことだな?!」
シャベルの柄の中ほどを掴んだ巨人は、持ち手をぐいとメネフに突き出して来る。そこには、まるで鎖の縛めから逃れんとばかり暴れ回る金属片が。
「さっき急にこうなった。殿下これは何だ?」
「わからねぇ、だがあっちだ!」
メネフはサッと左手の指をテツジにかざして見せ、すぐにベンの言う方向を指す。その向きになると、金属片がいっそう大きく忙しなく動くのが巨人にもわかる。自分もシャベルの柄で突いてみる、同じだ!もう考える余地はない、あちらに何かある、そしてどうやら、自分たちを呼んでいる!
だが一同が目を見交わし、その謎に向かって歩み寄ろうとした、その時。
ベンがたちまち今度は、天井の穴を見上げて。
「みんな!なにかくる、たくさん!たいへん!」
「上からか?!」
そして見上げた皆に見えた。何かがドサドサと、天井の穴から流れ落ちて来る!
「ハハハハハァ!殿下、旦那、大師様、それに……小娘ェ!!」
そしてその流れと共にヒョイヒョイと瓦礫の山の坂を跳ね降りてくる男、魔将軍ゾルグ。
「わっしゃ戻ってまいりやしたよ!そんでアンタ方ァ、ここで全員おしまいだ!!なぁに相手はわっしじゃねぇ、この可愛い奴らと、【穴の主】でゲさァ!!」
流れ落ちて来たそのもの、すなわち、吸血鼠の群れ。人間殲滅のためシモーヌが魔城で蓄えていた莫大な数の鼠を、ゾルグは先程一匹の鼠に命じて全て吸血鼠に変えたのだ。
「【穴の主】は、シモーヌ様が高位吸血鬼におなりになった七年前に、初めて血を吸ったネズ公でね!それからこっち、女主人の穢れをたっぷり溜め込みまくった、女主人の大のお気に入り……ネズ公どもの将軍様だ!そんでわっしゃあダチになりやしたよ、コイツとね。なぁ【穴の主】?
……頼むぜ?お前の子分どもと一緒に、アイツらを片付けてくれ!」
さらに嘲笑うゾルグの哄笑は、もう一同の耳には入らない。皆本能でわかる、その小さな獣の群れが持つ脅威!彼らはたちまち踵を返して走り逃れていく。
——あの壁に、吸い寄せられるように。
(続)




