第50話 鼠の女皇(その1)
魔城のあちらとこちら、まるで違う場所にいながら、さながらお互い目前にいるかのようなオーリィとシモーヌ。二人の視線が真正面から絡み噛み合い、微動だにしないまま、今。
〈ちょいとお待ちよ、シモーヌ!〉
鳥を魔女に返せというシモーヌの思いも寄らぬ発言に、ゲゲリが慌てて割って入る。
〈せっかちだねお前は。まずあたしの話を聞きな……〉
ゲゲリは魔女勧誘という自分の目論見を言って聞かせる。そう、ゲゲリとしてはこの話をまとめたいのだ。ならばこの際ケイミーがシモーヌの手元にいれば、万一またオーリィが渋り出した時に人質に使えるではないか。この手駒をただ手放すのはいかにももったいない。
〈……というわけさ。オーリィがあたし達の仲間になったら、なにもその鳥を返すことはないじゃないか?お前達二人で一緒に側に置いときゃ……〉
だが、シモーヌは断固として神の言葉を遮る。
「よだかよ!ならばなおさらだ、先に鳥を返してやれ!私は人質の負い目を、この鳥に負わせなどせぬ!
私の話が聞きたいと?よい!魔女よ、ならばこれもまた戦いだ。理に於いて決意に於いて、お前と私、どちらが強く高くあるか?論をもって争おうではないか。この場のみは、正々堂々とな。
……よだか、いやゲゲリ!魔女に鳥を返してやれ!!」
〈やれやれシモーヌ……この頑固ものめ!戦い?ならこうしようじゃないか。鳥はね、あたしが預かるよ。お前がオーリィを言い負かして、仲間入りとなったら鳥はオーリィに返す。二人で飼ったらいいんだから。仲間になるのを断ったら鳥はやっぱりお前のものに……〉
「見くびらないでゲゲリ」今度はオーリィが神を遮る。
「わたしは何があっても、ケイミーさんは自分の力で取り戻すだけ。シモーヌにも、お前にもそれは止められないわ。わたしはただシモーヌの話を聞きたいと思った、それだけよ!ケイミーさんを駆け引きの道具に使わないで……いいえ、わたしが使わせない!」
「魔女よ、その点だけは私も同感だな。ゲゲリ?このままでは話が進まんぞ?」
〈ええい、お前たち揃いも揃って!このあたしを、大樹霊ゲゲリ様を何だと思ってるんだい!まったく……ああ、わかったわかった、そら!〉
「ケック!暑い?なんで?」
ケイミーの言葉に、オーリィが何事かに気づく。
「ケイミーさん!こちらにいらして!さぁ!」
その時、目で見る景色にもケイミーの姿にも、まるで変化はなかった。だがゲゲリの一声で、すでに鳥の体は魔女の側の空間に送られていたのである。鳥の感じたその暑さとは、先程まで魔女がその場で巻き起こしていた炎の舞の余韻。
あまりにこともなげ。ゲゲリの自在な神力に魔女はまたも軽く戦慄を覚えたが。
「ケックケック!オーリィ!!」
「ああ本当に……ケイミーさんがここに!」
自分の胸めがけて飛び込んできたケイミーの、その勢いと体の重さ!再会の喜びに、魔女はたちまち不安を忘れた。翼ごとすっかり胸に抱き、ケイミーの顔に自ら頬を寄せる、鳥の嘴に残る鼠の血の汚れもまるで厭わずに。そして。
「シモーヌ。私達は敵同士、お前には借りを作りたくないわ。だから今だけ、一言だけは言っておく。ありがとう」
「礼には及ばぬ。私も良いものを見せてもらった……鳥のその笑顔、その笑顔。二度と見られると思っていなかったし、これからもな。
……では開戦だ。魔女よ、まずは見ておけ」
ほろ苦い笑みをさっと収め、氷のような顔に戻ったシモーヌ。そして奇妙なことを始めた。手にしていたあの麻袋から、もう一匹大きな鼠を取り出して。
その背筋に唇をつけ、おもむろに噛みついたのだ。
「シモーヌ?」その姿にオーリィは目を剥いて驚く。高慢冷酷、傲岸不遜。余の全ての者を芥のように扱う蝙蝠の白魔シモーヌ、闇の女皇と自ら名乗っても、およそ不釣り合いではあるまい。だがその誇り高い彼女が、先程までどぶを走り回っていたような薄汚ならしいその鼠に、ためらうこと無く口をつけるとは。
血を吸われることしばし。シモーヌの手の中で一瞬ジタバタと暴れた鼠は、すぐに大人しくなって妖魔の掌に収まったままになる。やがてゆっくりと妖魔は口を離し。
「これがな?私の覚悟だよ。私は蝙蝠で、そして鼠だ。鼠の女皇なのだ、私は!」
そしてものも言えない顔の魔女に、妖魔は。
「そんなに驚くな。人間を超えるために、私は蝙蝠になった、鼠にもなった……どちらも!人間どもよりはるかに、はるかに清く気高いから!!
高位吸血鬼……魔女よ、お前も私をそう呼ぶな?そうだ、私は吸血鬼。鼠、それに犬猫に牛馬。私はためらいなく血を吸う、吸ってきた。だが私はな?魔の者となってから一度も、一匹たりとも!
……人間の血を吸ったことはない!おお穢らわしい、人間の血だと?誰が口などつけるものか!!」
シモーヌの口ぶりは、まさにその汚れた血を吐き捨てるかのよう。そして。
「それに魔女よ、鼠は役に立つのだ、実にな。魔女よ知りたくはないか?私がどうやって人間どもをクズ怪物に変えているのか?これほど多く、早く!」
問われてオーリィははたと目を見開き、そして思わずケイミーと目が合う。それはこの旅に出る前からずっと、彼女たち討伐隊の皆で疑問に思っていたこと。侯爵の間で見せられた鏡の術、無論あれも恐るべきものであった。だがあれがあの場だけの単なる示威に過ぎないことは皆わかっていた。ああやってシモーヌ自身が一人づつ怪物を造るのは、いかにも手間が過ぎる。
そう、シモーヌは言ったではないか、「手品の種は他にある」と……
「鼠を使うのだよ、鼠をな。そら!」
妖魔は自慢げに指をパチンと一つ弾く。陽炎のゆらめきとともに現れた、一体の不死怪物。
「これはもう出来上がっているが……仮に私に魅了された人間と思うがよい。こう呼び寄せて……」
シモーヌの手招きでのろのろと近づいて行く怪物。
「そしてこうだ、行け!」
やおら、シモーヌは手にした鼠を放す。見よ、鼠は怪物の体に飛びつき、そこに埋まりこんで一体化する!
「こうしてな?血の代わりに鼠の体に与えた私の吸血鬼の穢れを、人間に植え付ける!これで怪物が一つ出来上がる……なにもこの私が汚い人間を咬まずとも、な」
蛇竜の眷属・魔女オーリィが、しかしこの光景にはたまらず怖気を振るう。その顔を満足げに見返して、白魔はいっそう声高らかに滔々と。
「おお、そして鼠には!いっそう便利な使い方がもう一つ。フフフ……
私の穢れを直に受けた鼠は、体は小さいが小さいだけに穢れが濃く、不死怪物としては位が高い。咬むことで、私の穢れを他に伝え同じく吸血鬼に変えることが出来る!……まぁ数代程度だが……だが十分。そして鼠というものは、条件さえ整えてやれば、どんどん増える生き物だ。生簀で鼠を養い、程のよいところで私が吸血鼠を一匹群れに戻す。互いに咬み合い群れが全て怪物となったところで、今度はそれらを人間の村に、街に放す。鼠どもはあるいはそこで野良の鼠を咬んで仲間を増やしながら、犬を咬み、羊を咬み、牛馬を咬み……人間を咬む!
小さな鼠を鼠とあなどり、それが魔の牙を身につけていることに気づかぬ、愚かな人間どもをなぁ!そして彼奴らは皆、鼠の奴隷に、クズ怪物に成り下がる!!」
「鼠の……女皇……」「そうだ!!」
オーリィの唇から漏れたわななきに、シモーヌは我が意を得たりと声を重ねて。
「私は、このシモーヌは!鼠を養い鼠を率い鼠に傅かれる、鼠の偉大な女皇だ!
……アハハハハハハハハハ!」
遠く空間を隔てているはずの妖魔の哄笑が、今魔女の耳に間近に迫り突き刺さる。
(続)




