第49話 凶馬討伐・決戦
閃く槍と槍、魔城の薄暗がりに散らした火花、その数も知れず。アグネスとダンダレル、かつての師弟の一騎打ちはいつ果てるともない。
(互角だ……まずいな……)
胸に湧き上がる不安を、メネフはギリリと奥歯で噛み殺す。確かにここまでは互角、だが。
(いくらなんでも、もう息切れしちまうぞ)
不死怪物というものは、人間と違って疲れを知らない。しかし対するアグネスは、どこまで今の調子で動き続けることが出来るのだろう?長引けば長引くほど、こちらの不利になる。
そしてもう一つ。
(狙いも読まれちまってる)
痛みを知らない不死怪物には、中途半端な攻撃は無効だ。それどころか、アグネスが仮に敵の胸や腹のど真ん中に一差し決めても、何の意味もない……こちらがそれを受ければひとたまりもないというのに!たとえ技量は同等でも、そもそも初めからこの勝負はアグネスにおそろしく不利なのだ。
そう、槍であっても剣であっても、不死怪物を倒すなら必殺の攻め方は同じ。頭部を破壊するか、断首。しかしそれを敵も当然承知している。対決の最初から、ダンダレルの首から上の守りはおそろしく堅い。
いやあるいは。腕を斬り落として武器を取り落とさせるか、脚を断って動きを止めるか……しかしもちろんそれも読まれている!達人同士のせめぎあい、なのに今、アグネスには攻め手が少なすぎるのだ。
(すまねぇアグネス)
メネフは再び剣の柄に手をかける。かつての仲間たちとせめて尋常の勝負がしたい、そしてその最後を聖騎士として遇してやりたい。アグネスの思いは彼には痛いほど伝わった。しかし。
(最初に言ったな?文句ならいくらでも聞いてやる、だがそりゃ、コウモリ女をぶっ倒してからだ!オレは今、ここでお前を死なせるわけにはいかねぇ!)
少しでも押される気配が見えたら。
(恨まれても構わねぇ。オレが奴をやる……!)
「シモーヌ!」「魔女!なぜここに!」
〈シモーヌ!オーリィ!落ち着きな、どっちもそこにゃいないよ!!あたしが側にいるみたいに見せてるだけさ。お前たちのいる場所は、ホントはうんと離れてる〉
「何だと……?」
自室に戻ってきたシモーヌ、部屋の中央に忽然と立ち、火球を放とうと片手を差し上げた魔女の姿に一度はひるんだものの。ゲゲリの言葉にたちまち驚きを治め、ずいと一歩近寄って。
「むむ、ただの幻ではないな。そうか、空間を歪めて姿だけをお互いに……
魔女よ。そういうことだ、そこからではお前の術は私には届かぬ。無論それは私も同じこと……無駄だ、その手を下ろせ」
一方。声なきケイミーの姿の側に、さらに突然立ち現れた宿敵!オーリィから見ると、まるで二人は、魔女のいるその通路のまん中に立っているようだ。とっさに攻撃しようとした魔女も、ゲゲリの声に思いとどまる。そして気づく。
(シモーヌの足元の床が……!)
そこだけ、魔城の通路の石畳とは違う板張りだ。そしてそれが、シモーヌの歩みにつれてうつろう。オーリィは思い出す。
(グロクスに初めて呼ばれた時の、あの池の中の景色と同じ……器用なことねゲゲリ!)
ようやく悠然と手を下ろし、唇に不敵な笑いすら浮かべるオーリィ。
シモーヌはいまだやや訝しげに、しかしこちらも態度に余裕を含んで。
「何のつもりだ、よだか?……まぁよい。それは後で聞こう……魔女よ、何の用かは知らぬがしばし待て。私はこれから鳥に食事を与えるのだから。
……鳥よ鳥よ、ほら、見てみよ?お前の体は鷲や鷹のよう。どうだ?これは好みではないか?」
オーリィはぞくりと背筋を震わせる。思いもよらぬシモーヌの、その甘ったるい猫撫で声!
シモーヌは片手に膨らんだ麻袋を下げていた。そして巾着のようなその口の紐を少し緩め、妖魔が手を差し込んで取り出したものは、一匹の大きな鼠だった。シモーヌの掌の中でジタバタと動くそれは、灰色とも茶ともつかぬ毛皮に包まれ、そしておそろしく太っている。
(でも、鼠ですって……!)
オーリィは知っている。それはケイミーの大好物なのだ。人里で暮らすようになり、人間が火で調理した肉も食するようになったケイミーだが、野の鼠や兎を狩ることは変わらなかった。生きた小動物をその場で食いちぎって食べるのはやはり格別なのだという。無論オーリィはそれを野蛮だとも卑しいとも思っていない。自ら罠をかけて鼠を捕え、目の前でケイミーに捧げたこともある。一時野生に帰り、嘴も足の爪も血塗れにして夢中で肉を啄ばむ鳥のその姿に、魔女はむしろ愛おしい眼差しを投げていたものだったが……そして見よ。
「クワック、ネズミ!クルルル、クケックク……」
たちまちケイミーの目が物欲しげに輝くではないか。そして喉からも玉を転がすような鳴き声が漏れてくる。
「やはりか?おお、よしよし!さ、鳥よこれを……」
「よしてシモーヌ!ケイミーさん駄目、その女から施しを受けては……!」
ケイミーの元にしゃがみこみ、手にした鼠を与えようとするシモーヌ。オーリィは裏返った悲鳴で制しようとする。高位吸血鬼であるシモーヌから与えられる食物、それを摂ったら何が起こるか……
だがシモーヌは魔女のその意を汲んで。
「案ずるな魔女よ。これは正真正銘、ただの鼠だ。私はそんな小細工はせぬ……出来ぬよ、この鳥には、な」
ケイミーの足元に手をすっと伸ばし、鼠を放す妖魔。ケイミーはそれをはしと爪で捕らえる。ちらりとやましい目でオーリィを見返したが、理性を保てたのはその瞬間まで。鳥はたちまちその嘴で鼠の腹を引き裂きはじめた。
「おおよしよし、たんとお食べ鳥よ、たんとなぁ……」
はらはらと動揺しながら、なすすべもなくその光景を見つめるオーリィ。だがややしばし見て、ケイミーに特に異常が無いことを見てとった。そしてようやく気づく。やはりケイミーを見つめているシモーヌの、甘く蕩けるような笑顔。薄気味悪さに魔女は背筋を震わせる。
そしてほどなくして、鼠は頭と大きな骨だけの残骸に。一時急に高まった野生の衝動に負けたケイミーも、ようやく我に帰ったものか。
「クルルルル……ケック、ごめんオーリィ……」
申し訳無さげに首を下に曲げて、魔女に謝るその姿に、シモーヌは今度はほろ苦い微笑みを投げた後。
「まだ鼠はあるが、その顔ではもういらぬようだな……よい。
……よだかよ!」
そして妖魔は決然と立ち上がり、その場に遍く充満しているはずの古き神の姿を見定めるように、天の一点を貫くような眼差しで。
「もうよい、私は決めた!鳥を……魔女の元に戻せ!!」
「テツ、耳を貸せ」「む?」
腿を叩かれた巨人は、膝を落としてメネフの顔に耳を寄せる。
「オレが合図したら。構わねぇ、あの敵をとっ捕まえろ……ただし殺すな。とどめはオレが指す」
「何?しかしそれは……」
テツジも最前からすでに潮時だと思っていた。アグネスは騎士たちに礼も思いやりも充分尽くした、これ以上の勝負は無用。いつ加勢すべきかと手ぐすね引いていたのである。だが捕えろとは?それならいっそ自分が一息に倒してしまうのが一番簡単ではないか?
「いいんだ!」メネフは巨人の問いを断固遮る。
「初めに決めたぞ?この戦を頭になって仕切るのはオレだ。だからお前はオレに言われた通りにしただけ、あいつにはそう言え!
……ベン!お前は婆さんを守れ、こっちには手出しするな、よく見張ってろ!」
(殿下め、全て被るつもりか!)
無論テツジは大いに不服だ。だがすぐに悟る、今は言い争う暇はない。やむなく無言で頷き身構える。
(……ここまでか)
そしてアグネスもまた、険しく寄せた眉間の内で思う。
槍が重い。腕は痺れ、脚も萎えてきた。
(私の槍技を全て尽くしたが、やはり先生には及ばぬ。無念だ……ならば!)
途端。アグネスがざっと後ろに飛び退いた。
「テツ!!」
メネフが再び、今度はドンと強く巨人の腿を叩く。合図だ。自身の剣技には遥かに及ばぬものの、メネフにも槍の心得は皆無ではない。だからわかる、槍の間合いで測れば、アグネスのその回避は回避になっていない!
テツジもまた迷いなく突進する。
(捕まえる暇など、無い!)
「アグネス様、お覚悟を!」
ダンダレルの、これをとどめと意を決した、腹への一突き。しかしそれをアグネスは、胴体を横に苦しくくの字に曲げて際どくかわし、そして。
「ダンダレル先生!」
アグネスの返す槍は、ダンダレルの胸板を貫いた。
(ダメだ!)駆け寄るメネフの胃が凍る。それは不死怪物には無効の技。そして刺してしまったら却って動きが取れなくなる。あるいは槍を奪われれば万事は休する!
(届くか?!)巌の剛拳を引き絞るテツジ。いや、あと二歩足りない!
だが。
「おお……オオオオオ!」
アグネスの槍を受けたダンダレルの動きが止まった。
「カァァァァァ!」
そして、その場に轟き時を支配するかの如き、アグネスの渾身の気合い。途端、メネフもテツジも驚き前につまづき倒される。それほどの威神力!
見よ。まるで稲光を纏っているかのように、全身金色に輝く少女の姿。
(黄金色、破邪のための神聖力。それもこれほどまでに高まって……これなら、頭だけを狙う必要はない……ああでも、アグネスあなたは……)
見守るコナマが、そっと一つため息をついた。
「先生、ダンダレル先生!私の負けです!不肖の弟子をお許し下さい!私には、これがある……先生、そうと知りながら貴方は!最初から不利な戦いを受けて下さっていた!!」
(この戦いで、それを使いたく無かったのね。あなたはあなたの先生と、槍だけで最後の勝負がしたかった……)
ダンダレルの胸に刺さったアグネスの槍の穂先、しかしそこから走る光は今や彼の全身を覆いつくす。やがてガクリと首が折れ、膝から崩れ落ちた。
無念の勝利。束の間、コクリと師の亡骸に瞑目したアグネスであったが、たちまちそれの接近に振り返る……亡霊の騎士たちと戦いを始めてから、抜け殻となって立ち尽くしていたあの凶馬が、猛然と襲いかかって来た。そう、それは抜け殻ではなかった!
「ラゴット!さぁ参れ、お前とも私は戦う!」
頭越しに上から飛びかかって来た凶馬の腹に刺さるアグネスの槍。だがそれまでの激戦の故か、あるいは彼女自身の先程の神力のほとばしりに槍が耐えかねたのか、それは脆くも折れた。下をすり抜けながらアグネスは腰の剣を抜く。一方、凶馬は着地してその勢いで彼方に、そこで刺さった槍を振り落として再び踵を返してアグネスに突進して来る。
静かに構えて待ち構えるアグネス。狙いすまし、さっと身をかわしてすれ違いざまに狙うのはやはり、凶馬の腹。敵の勢いも利用したその一撃が、敵を大きく引き裂くと。
男の生首が一つ、馬の腹からゴロリと転がり落ちた。
「アグネス……よくもダンダレル様を!」
呻くその首。「許せ」と一言、アグネスはその首の眉間を剣で刺し貫く。ついに倒れ、動きを止めた凶馬の体。
「ラゴットは」アグネスがつぶやく。
「ダンダレル先生の古くからの忠義なる従者で、騎士団の荷運びであった。蝙蝠の妖魔との危うき戦にも、怖けずついて来て……そしてこのような姿になってもなお、皆の魂を馬の腹の中で大切に運び続けていた……」
「そっか、だからパチンコ効かなかったんだ。頭のところには誰もいなかったんだね?」
アグネスはベンに小さく頷いてから。
「ラゴットよ。私は卑怯者であった。お前には詫びる言葉を持たぬ。この責めは、天の神の元にて改めて受けよう。だがしばし待て……私に時を貸して欲しい……かの蝙蝠の悪魔を討ち滅ぼすまでは!!」
その一言が、少女の切なき心の耐えうる最後であったのだろう。あとははらはらと頬を涙がこぼれ落ちるのみ。
かくして。アグネスと騎士団の決闘はここに決着したのである。
「さぁて。どうだ【穴の主】?お前、もう満足だろう、こんだけ吸いまくればなぁ……もうこんな穴に引き篭ってるこたぁねぇ、俺と一緒に奴らを片付けに行こうや……手下も大勢出来て景気がいいぜ!!」
いまや魔将軍ゾルグの胸の高さまで埋め尽くして蠢くもの。それは鼠の群れ。そして彼の頭の上に乗った、一際大きく太った一匹の鼠……
【穴の主】である。




