第46話 凶馬討伐(その1)
「まったくもって……面目ねぇ。奴らのやり口はわかってたはずなのに、二度も引っかかるなんて……ホントに済まねぇ、みんなこの通りだ!!」
(侯子殿)アグネスは思う。
(貴方はその様に頭を下げることが出来るのだな)
大陸の北の果て、辺境にしかし、国威燦々と輝くノーデル侯国。メネフはまさしくその領主侯爵の息子だ。だが彼は自らのその身分に拘りをまるで持たないようだ。石畳に膝を突き、皆に深く頭を下げて失態を詫びる彼の声はなんの衒いもなく、ただ誠実そのもの。
アグネスはひしと胸を打たれる。
(同じだ。私にこの槍を取れと、差し出したあの時の声と……!)
すると。
「待て待て、殿下ばかりに頭を下げさせるわけにはいかん。この俺も!」
たちまち巨人の両膝が、その場にドンと地響きを起こす。そして彼もまた、その巨体を小さく屈めて。
「この通りだ、みんな済まぬ。あんな小細工に引っかかって……大師様を危険に晒したのは、断じて殿下一人のせいではない。迂闊な俺がいけなかったのだ。まったく済まない、大師様申し訳ありません!
……そしてアグネスよ、俺には他に言葉もない。ありがとう」
(この巨人は……)
ただ武骨、そしてただ純朴。岩石の様ないかめしい顔に浮かぶ微笑みは、穏やかで、にこやかで、偽りのない感謝に満ちている。
(だが私には今までまるで見えていなかった。彼を醜いと、賤しいと、粗暴なる化物と……そうとしか……)
答えなくてはならない。だが喉から声が出ない。
(この期に及んでか?私はまだ……)
天を仰いで呼吸を一つ二つ、
「よい……私はなすべきことを……したまで……」
違う。今発したいのはこんな言葉ではない、もっと皆の様に。アグネスは強く頭を振って何かを払いのけようとする。神の使徒・聖騎士としての誇りが、今はまるで縛めの様に感じるのだ。きっと眉間を苦悶に結びながら。
「……私は槍、一本の槍なのだ。そう思ってもらいたい。私はただ……槍の務めを果たすのみ……これからも、いやこれからは!」
そう言って彼女はようやく首を一つ垂れた。それが精一杯。
「固ぇなアグネス。でもまぁ無理すんな、あんたはそれでいいんだよ。ありがとうな、これから頼むぜ。
……さぁて!」
メネフはピョンと飛び跳ね立ち上がり、膝小僧を手で払って。皆に向き直った顔はキリリと緊張している。
「反省会はお終いだ……みんな、どっちに行く?」
そう、今彼らには行手の方針は二つある。
テツジが聞いたという、オーリィの歌を追うか。
あるいは、一度反転しあの凶馬と戦うか。
テツジが即座に返した。
「後ろに中途半端に憂いを残せば、またさっきの二の舞になるおそれがある。
殿下!ここは一つづつ、確実に片付けるべきだ。まずあの馬を倒そう」
この場で誰よりもオーリィを案じているはずの巨人が、断固としてそう言うのである。皆はその心意気に感じいる。
「よし決まりだ。まず奴らを倒す、他はそれから。
……ベンいいな?ゾルグは必ずとっ捕まえて正気に戻す、きっとだ。
テツ、オーリィちゃんにももう少し待ってもらってくれ。頼む。
それからもちろんケイミーも絶対取り返す!」
皆の覚悟を確かめる様にぐるりと仲間の顔を見回すメネフ、最後に。
「いけるかアグネス?」
「断じて征く!彼らは……騎士団は!私が戦わなければいけない敵だ。
……侯子殿、策がある。貴方の協力が必要だ」
頼もしく様変わりしたアグネスの顔と言葉、メネフはヒュウと感嘆の口笛を一つ。
「策?なんか良い手か?なんでもやるぜ?オレはさっきのドジの穴埋めをしなきゃならねぇ。言ってくれ、どうするんだ?」
まずはこうこう、と。メネフと皆を近くに手招きし、アグネスは声を潜めて囁いた。
「むむ?あの男、【大穴】に向かっただと?まさか【穴の主】を使うつもりか??それは……」
シモーヌとケイミーのいるあの小部屋で、白魔は忙しく鏡を操る。挑戦者たちが各所に散り散りになったからであろう、この部屋に初めからあった姿見と手鏡の他に、シモーヌはどこからか大小様々な鏡を集めていたのである。ゾルグがアグネスに思わぬ敗北を喫し、引き下がった一部始終も見て承知であった。
だがそのゾルグが次に向かった先を見て顔色を変える。この妖魔には珍しい動揺の色だ。魔の者とはいえ元は人間、はたと顎に手を当て考えるその形はシモーヌも同じだ。
「それはまずい、私はまだ【主】を失うわけにはいかん……止まれ魔将軍!」
ケイミーからは、その卓上鏡の映像は見えない。だがはっきりと聞こえて来た。
「女主人?この期に及んで出し惜しみはよしましょうや。あんたらしくありやせんぜ?」
ゾルグの声はふてぶてしい。
「わっしはあんたにこの冠をさずけて頂きやしたよ。これを使えば、この城の怪物はあんた以外は全部わっしが指図出来る、指図していい!そういうお話じゃありやせんでしたかい?だったらあの【主】に限る、ヤツなら間違いなく!奴らをまとめて始末出来まさぁ……ただし!ヤツの天敵は魔女だ。あの女がいたら【主】は役に立たねえ、返り討ちになっちまう。
お分かりですかい女主人?ヤツを使うなら!魔女が連中から迷子になってる今しかねぇんでさ!!」
(むむむ……)
シモーヌは心中で唸る。確かにゾルグにかけた術は軽いものだった。とはいえ、魅了されたはずの人間がこうまで自分に傲岸不遜に言いつのることが出来るとは。
(この男、なんたる自我の強さよ。こんな人間もいるものなのか……)
そして、先にケイミーに言った自分の言葉を思い出す。あの男のようにならねばならない、手本にするのだ、と。
「よかろう、許す」
シモーヌは束の間考えたのち、重苦しい声でゾルグに命じた。
「もし【穴の主】を失えば、私にとっては大きな損失だ。だが二度と取り返しがつかぬわけでもない。今後の見通しが……そうだな、ほんの三年ばかり遅れるに過ぎぬ。だがここであやつらを始末出来なければ、おそらくもっと……許す、存分にやれ魔将軍!」
「ハハ!そう来なくちゃねぇ、流石は女主人。どうかお任せ下せぇ」
「ケック!ゾルグさん!」
不安と恐怖に思わず叫んだケイミーであったが。
「無駄だ。鳥よ、お前の声は鏡の向こうには届かぬ」
シモーヌの言葉は固い。だが冷たいというのとは違う。聞かせたくないことをうっかり聞かせてしまった、そんな気まずい強張った調子。だがもちろん、ケイミーは問わずにはいられない。
「【穴の主】って?!」
「鳥よ、お前は知らなくてもいいことだ……いや」
口籠もりながら遮って、すぐに。
「せめて何が起こるのかを教えておくもよいか。鳥よ、お前は……今、腹が減ってはおらぬか?」
「ケック??」
「私は少し口に入れておきたい気分だ。あの男が【大穴】をすっかり荒らしてしまう前に、調達して来よう。
鳥よ、待っておれ」
食事とは?思いも寄らぬどころではない、その突拍子もない言葉を残して、シモーヌはまた陽炎の揺らめきの中に姿を消す。
ケイミーは叫んだ。
「……よだかーーーー!!」
ズルズルと重い物を引き摺る音。それを聞きつけて、闇で囁く声。
「おお来たぞ」「あの案山子が」「戻って来た」「アグネス様を」「我らの元に連れて来た!」
虚ろな眼差しとよろつく足取りで、騎士団に近づくのはメネフ。彼が下げた両手で掴んでいる物、それはアグネスの両足首。彼女の体を背後に引き摺っているのである。騎士団もまた悠々とメネフに近づく。やがて両者が十分近づくと、メネフは持っていたアグネスの足をドサリと落とした。床に大の字に横たわるアグネスの体。
「よし」「もうお前に用は無い」「下がれ、そして」「今一度奴らの残りと」「戦いに向かえ」
騎士団の言葉に、フラフラと下がっていくメネフ。騎士団はもはや彼に目もくれない。奇怪なその首をそろそろと、床のアグネスの体に傾けて。
「アグネス様」「アグネス様」「アグネス様」「アグネス様」「ようやく我らと共にまた、おおアグネス様!
……むむ?!」
アグネスの両足蹴りの一撃!騎士団の首を蹴り上げそのまま後転、ザッと立ち上がる!
「まだ生きて?!」「当然だ!!」「取れアグネス!!」
すかさず飛ぶような速さで床を滑って来たのは、アグネスの槍。投げたのはテツジ、そしてベンとコナマを抱きその場に駆けつける。一度下がったかと思われたメネフも踵を返して。
「かかったなテメェら。アグネスをお前らに近づけるのに、一芝居打たせてもらったぜ。で、どうするお前ら?また逃げるのか?」
ここは賭け、そしていつも通り分は良くない、というより敵はこんな勝負に乗る必要はない。逃げてまたの機会をうかがう方が明らかに有利だ。もしメネフたちが騎士団をこの場で必殺としたいなら、こんな問答は無用。総掛かりで一気に倒せばいいし、やろうと思えば出来た。
だが。ここに来る前にアグネスは言ったのだ、騎士団とは、自分だけで戦わせて欲しいと。だからメネフたちは見守ることにしたのだ。
「皆の者よ、私はもう下がらぬ!決着をつけようぞ、いざ参れ!!」
アグネスのそれは、覚悟の獅子吼。
すると。
「おお嬉しや」「アグネス様が」「自ら我らの元に」「冥府に参られると」
「……されば我ら穢霊騎士団、全霊を持ってアグネス様、御身を葬らん!!」
(マジかよ?乗って来やがった!どうなってんだ?!)
まさかと思う。しかしメネフのその驚きをよそに、騎士団の周囲はにわかに陽炎に包まれる。だが彼らは逃げようとしているのではない、呼び寄せたのである。現れたのは、新たな五体の不死怪物。低級の怪物のようだが、しかしいずれも武器具足整った完全武装。そして騎士団の鈴なりになった五つの顔の、その口からたちまち溢れるモヤモヤとした白い気体。それが新たに現れた五体のそれぞれに吸い込まれて。
「しからばアグネス様、貴方がお相手ならば、我らは手抜きは致しませぬ、一度に全員で!」「おお!!」
新たな五体がはっきりとした声で言葉を発し、互いに号したのだった。
「……婆さん?」
「今の白いあれは幽体。乗り移ったのよ、馬の体から、一体に一人づつ!」
「なるほど、あの馬の体のままじゃ戦えねぇからか。だがテメェら五対一かよ!汚ねぇぞ!!」
コナマの言葉にサッと身構えるメネフ。テツジもズイと肩から前のめりに、ベンはパチンコをつがえるが。
「かまわぬ!大師様侯子殿それにみんな、ここは一切手出し無用に願う!
……さぁ者ども、いざ参れ!!」
不死怪物の円陣の中から、若き雌獅子が再び吠えた。
(続)




