第44話 大師は祈る(その2)
吠える、ただ吠える。巨人の怒りは止まるところを知らない。崩れた床(そして今は天井)の瓦礫に埋もれながら、なおもうねうねと蠕動する数珠繋がりの不死怪物、ゾルグの拵えたあの出来損ないのラミアを、彼はひたすらに踏みにじり続ける。巨体の持つ猛威は無論さりながら、しかしその姿は、だだをこねる子供のようにも見える。彼の打ち鳴らすその地響き、それ自体が彼を駆り立てているようだ……
だが。
「……あれは?」
突然彼は棒立ちに立ち止まる。
「おお、あれは?あの音は?!」
聞こえる。トントンと軽やかな音だ。ある瞬間は細やかに、次の瞬間はゆるやかに。心地よい律動を伴うそのリズム。
そのさやかな音は、どうやって巨人の咆哮と地団駄の地響きをすり抜けて巨人の耳に届いたのか?不可思議、しかしそれは当の巨人にとっては考えるも愚かなこと。
彼の耳がそれを聞き逃すはずはない。
「オーリィ様、おおあれは、オーリィ様の歌だ!!」
「おっと、俺としたことが……」
ひとしきりコナマに高笑いを浴びせたゾルグであったが、パタリと嘘のように静まる。一気に氷点下に高まるその殺気!
「芝居見物してる場合じゃねぇや。仕事は……サッとなぁ!」
一閃、ついに。コナマの首元にゾルグの小剣が風を切った!
だが。
「……ちぃ!!このアマ!!」
その刃は弾かれた。
コナマを守って、鋭く差し出されたのは、アグネスの槍の穂先だった。
(なぜ?どうして私は今?どうして突けたのだ?)
アグネスには、自分で自分がわからない。
「どうして立てた?オレと戦るってのか小娘ぇぇぇ!!」
かたや、戦力外と高をくくっていた少女の思わぬ抵抗に、ゾルグは激昂する。
(そうだ、なぜ私は……立てるのだ?)
アグネスのその当惑に、コナマが楔を打つように。
「そうよアグネス、戦いなさい。ただし傷つけては駄目、命を奪ってはいけないわ。打ちのめすか、追い払いなさい」
よろよろと立ち上がったアグネス。その脚はガクガクと震え、膝も恐怖で笑っているまま。だが彼女は槍をさっと逆さに持ち替え、石突をゾルグに向けて構えた。
「黙れババア!!手加減しろだと?この俺と戦るのに、その小娘がか?ふざけンな!!」
いまや悪の配下の顔をはっきり顕にしたゾルグ、なるほどその形相は、魔将軍の名に敵う猛々しさ、凄まじさ。
(怖い……)
恐怖に震えながら、しかしアグネスは怪人と対峙する。恐ろしい。だがなぜ自分は逃げないのか、退かないのか?当惑するその耳に流れ込んでくるその声。
「アグネス。恐怖はあなたの心の表面にある。だからそこにとらわれては駄目。もっと心の奥、あなたの魂の芯と語らうのよ。そこに今まで厳しい修行を積み上げたもう一人の、いいえ、本当のあなたがいる……語らいなさい、一つになりなさい、たった一人の本当のあなたに戻りなさい……」
コナマの言葉は低く静かに、縷々と続く。それはまるで祈り。
「そうか……ババア、テメェの術だな?その小娘に妙な力でも吹き込んで……」
「アグネス」コナマは、ゾルグの問いには答えない。
「あなたには私の助けは要らない。あなたは聖なる騎士、神に使える者に相応しい聖なる力を、自分の修行で手に入れた。わたしにはそれがわかる。あなたにもわかるはず。
目覚めなさい、アグネス」
槍を突いた。
「……ぐおっ!!」
それはしたたかにゾルグの胸板を撃つ。無論ゾルグとて、ただ棒立ちになって見ていたわけではない。反撃には十分警戒していたのだ。だがかわせなかった、見えなかった。
アグネスのその一撃、まさに電光。
(どうして?体が動く……槍が走る……そうだ、槍……槍は私の……!)
二撃目。ゾルグの脾腹に食い込んだのは水平の一振り。
(違う!私が槍なのだ、神の使う槍、槍になると……私は、かつて、神に誓ったではないか!!)
三撃目。槍はゾルグの肩口を叩きつける。そしてここまでが実に一瞬。アグネスの槍捌きはまさに神速の閃きだ。
「チキショウ!」
うめきながら飛び退くゾルグ。シモーヌに【魅了】された彼はしかし、更になんらかの超人力を妖魔に与えられたわけではない。アグネスのこれほどの連撃を受けて彼が即座にその場に倒れなかったのは、むしろ彼が元から強者である証左。したたかに打たれながらも、戦士としての修練と経験と本能で体をずらし、急所はかろうじて外していたのだろう。
そして強者ほど知っている、引き際の見極めを。
「舐めてたぜ。だがわかった!ババア、小娘、次はねぇぞ!」
「待て!」
闇に去って行く怪人にそう叫び、しかしアグネスは自分の言葉に驚く。自分はいつの間にか、これ程の戦意に満ちている!そして気がつけば、あの悪病にかかったような体の震えがすっかり消えている……
「よくやったわアグネス。あなたが叩きのめしたのはゾルグじゃない、あの馬に仕掛けられた【恐怖】の魔術。私はね?あなたなら自分で出来る、自分で自分を祓い浄めることが出来る、そう信じていた、待っていた。
……アグネス、あなたは本物の聖騎士、神に選ばれた戦士。今それを、自分で証明したのよ」
コナマの言葉が、願いが。風のようにアグネスの耳に、魂に染み込んでいく。
「違う……違います」
聖騎士アグネスは小さなコナマの前に身を屈め、跪いた。
「全ては、あなたのお導きのおかげです……大師様。
仲間を助けに参りましょう!まずはどちらを?」
「テツジさんはきっと大丈夫。危ないのは坊やの方だわ。アグネス、戦える?」
あの馬と、という意味だ。アグネスは答える。
「戦えます!いいえ、今わかりました!私が戦わなければならないのです、彼らと!行きましょう大師様!」
片手でコナマを胸に抱き、もう一方の小脇に槍を携え、アグネスの足は石畳を蹴った。
撃つ、撃つ。人間の三歩ほどしか離れていない魔城の壁に、オーリィはあの爆熱光弾を次々と撃ちつける。無論、魔女自身がすでに知っていた通り、魔城の壁にはいささかの損傷もない。それでいいのだ。彼女が破壊したいのは、魔城を包む薄気味悪い静寂。オーリィの目的は音を立てること、爆発音で皆に自分の居場所を伝えること。
至近距離での連続爆破。地獄もかくやという炎熱と爆風は、魔女の顔に体に、容赦なくそのまま返ってくる。だが魔女は怯まない。
いや、魔女オーリィは、微笑んでいる。
(この熱と光、風……ああ!)
思い出す。
(舞踏会の夜……)
懐かしいかの日の、輝きとときめき。失ってしまったはずの両足が、ステップを踏む。
(一、二、三、回ってもう一度!)
光弾の爆裂が刻むそのリズム。奏でるのは魔女か、いやリズムが魔女を誘うのか。ただの通信手段だったはずのその行為に、オーリィはいつしか酔っていく。
(一、二、三、そしてもう一度!間違いない、これはオーリィ様が……)
ごく上機嫌の時にだけ思わず漏らしていた鼻歌の、そのリズム。テツジはそれをよく憶えていた。その記憶が彼を怒りから覚醒させたのだった。
そしてたちまち我に返る。こうしてはいられない、さてしかしどうすべきか?無論、聞こえてきた「歌」の元に今すぐ駆けつけていきたい。だがその想いをテツジは厳しく振り切る。
(オーリィ様は俺に命じられた。たとえ自分を見放しても、と。そうだ、今はコナマさんの元に行かねば!)
もう一度、彼はオーリィの歌が聞こえる方向を睨み、胸に刻む。
「必ずお迎えにあがります。少しの間お待ちを!」
そして巨人は今度は天を向く。自分の落とされた大穴が見える。
「飛びつくには高過ぎるか。登るには……うむ、この手だ、よし!」
巨人は、背にしたシャベルを握り締めた。
「頼むぞ、俺のシャベルよ!!」
(続)




