第43話 大師は祈る(その1)
「テツジさん?坊や?」
前を守っていたはずのテツジの姿は、突然階下に落ちて消えた。殿をとっていたはずのメネフは、不死怪物の群れに釣られてどんどん後方に離れていく。敵の同時奇襲によって今や味方はバラバラ、さしものコナマも焦りを隠せない。
自分の側にいるのはベンとアグネス。だがこのままここに止まるのは愚だ。いつ別の敵が襲ってくるかわからない。
(坊や……!)
無論彼も心配だ。低級怪物だけならともかく、相手にはあの馬がいる。また人を惑わすあの術を仕掛けられたら?
しかし。
「前よ、行きましょうみんな!」
コナマは皆に前進を促した。あの馬がいる後方へは、そもそもアグネスが到底進めないだろう。ならばまずはテツジの安否を確かめ、彼と合流出来れば……だがその時。
「やや大師様、ここにいらしたんで!ご無事でしたかい?!」
すかさずその場に現れた男、すなわちゾルグ。
「兄貴!!」
ピョコと一跳ね叫ぶベン。慣れた主人に尻尾を振る姿はやはり犬と同じだ。
「ゾルグ……あなた、オーリィは?」
「魔女様もすぐそこ……と言いてぇが、旦那と一緒に落とし穴で下に落ちちまいやして。わっしはすんでのところで落ちずに済みやしたが。
なぁに、二人とも多分ご無事でゲすよ、何しろ旦那が側にいらっしゃる。さ、大師様、まずはお二人のところに。
……ベン!お前は先に殿下をお助けしに行け!」
「わかった!」
通路の後方に飛び跳ねて去っていくベン。その場に残されたのは、コナマ、アグネス、そしてゾルグ。
「ささ大師様……おや?」
道を促すゾルグ、だがコナマは動かない。
「……どうなさいやした?」
「ゾルグあなた……坊やが後ろに行ってしまったのをどうして知っているの?」
ジリリと僅かに後退り。コナマのその構えに。
「……へへ……こいつはたまげたぜ、もうバレたかい!やっぱり大したモンだなあんたは。でも!
……だったら何故今ベンを止めなかったんですかい?そいつは……命取りでしたぜ大師様?」
魔将軍はニヤリと歯を剥いた。
(駄目だわ……道がわからない!)
オーリィがそう嘆くのは、これで幾度目か。魔城の薄暗い通路は、彼女の目にはどこもまるで同じ風景。道の手がかりどころか、方向感覚すら消え失せる。忍びよる焦りと絶望に冷たく胃が冷える、だがオーリィはなおも己を鼓舞して。
「正しく……迷いなさい、考えなさい!そうよ!!」
一つ思いついた。思い出したのである。
ゾルグがシモーヌに捕われてしまう前に、二人で聞いたあの頼もしい音。
(テツジが壁を壊した音!あれが聞こえたのだから、もうわたしはみんなの近くにいる。だったら……わたしのいるこの場所を、みんなに伝えることは……出来るかも知れない!)
魔城の石壁、いやそれは石なのだろうか?オーリィはここまで幾度か試したことがある、自分の炎熱の魔力でそれを溶かし破ることは出来ないか、と。溶岩の湖を泳ぐ神、グロクスの眷属である彼女になら、普段ならそれは十分に可能な技だ。だが魔城の壁はどれだけ熱を加えても、その表面は冷えたまま。ほんのりと温まることすらなかったのだ。すなわちこの壁は石にあらず、ゲゲリという神に創造された未知の物体、否、物体ですらないかも知れない何か。
(何度もがっかりさせられた、でも……溶かせない壁なら、使い道があるじゃないの!!)
オーリィはギリと一つ、歯を食い縛る。
(音よ!この壁は、太鼓にするならうってつけ!そうよ!)
オーリィは、眼前の石壁に向かって蛇の目を見張る。そこに、未だ知らぬもう一人の敵の姿を捉えるように。
(これがグロクスの魔女の奏でる音楽!ゲゲリ!お前もとくと聞くといいわ!!)
いや、ゾルグのその言葉を聞かずとも。コナマは一目見た瞬間に、ゾルグが放つ凶々しい殺気は感じとっていたのだ。彼がシモーヌの傀儡と化したのは明白。サッと指を伸ばしあの光の矢をゾルグの眉間に向かって放つ。
だが。
「おっと、無駄ですぜ大師様」
光はパチンと僅かな音と共に額で弾かれた。
「わっしにゃ女主人が下さったこの冠がありやすんでね……あんたのその術は効かねぇよ」
(冠?あの紐ね……!)
シモーヌの与えた呪物。どうやらコナマの覚醒の術に対抗する特別なもの。無論、コナマならばもっと大きな、ゾルグを体丸ごと浄めるような術もかけられる……力を練る少しの時間さえあれば。だが、それを許す相手ではない。
「ま、油断は禁物だ。こういう仕事はとっととかかるに限る、邪魔の来ないうちに、ちょちょいと手早くなぁ!
……お覚悟を、大師様?」
背負った矢筒からゾルグが抜き放つ小剣。魔城の薄暗がりの中でも、その刃は鈍く輝いているように見える。
すると、コナマは静かに命じたのである。
「アグネス。立ちなさい、この男と戦いなさい。今それが出来るのはあなただけ。戦いなさい」
たちまち!ゾルグの哄笑が通路に響く。
「ハハハハハ!オイオイオイ?大師様あんた、そいつは往生際が悪すぎるぜ!まさかその小娘を頼りにするとはなぁ?
それに……見損なったでゲすよ。あんたにそんな汚えとこがあるとは思わなかったぜ。自分の命惜しさに……見てみろそいつを!馬どもの術にかかって、怖くて怖くて、そんなにガタガタ震えてやがるんですぜ?それなのに?わっしと戦えって?出来るわけがねぇでゲしょう?あんた、かわいそうとは思わないんですかい?ええ?」
「ゾルグ。私のことはなんとでも言いなさい。今のあなたに、いいえ、誰にわかってもらおうととも思わないわ。今私が言うべきことはただ一つ。
……アグネス、立って戦いなさい」
覆い被さるゾルグの更なる冷笑。しかしコナマはいささかも怯まない。躊躇しない。そしてその一言をただ繰り返す。
(アグネス。今この場で、私もあなたと一緒に命をかける。私はそのためにベンを行かせたの。アグネスどうか……)
神裁大師コナマ、どうやら彼女には何か、アグネスに対して心に期するものがある……
そしてまた、ただ静かに命ずる。
「立ちなさいアグネス。戦うのよ」
(続)




