第42話 魔軍暗躍
(むむ……どうにも進まぬか)
テツジは少し焦れる。意識していなければ、先頭の自分だけが進み過ぎてしまう。まるで犬の様に首輪と引き綱で後ろから引っ張られているかのようだ。
あの「騎士団」との遭遇以来、メネフたちの一行は行軍の隊形を改めざるを得なかった。テツジが再び先頭に立ち、ベンがコナマのそばにピタリと寄り添って守る。
そして最後列では、メネフがアグネスを守っている。今やアグネスは戦意を完全に喪失、ただ怯えながらかろうじてついてくるばかりなのだ。テツジが拾って与えたあの鋭利な槍も、もはやただの杖代わり。
(いや、無理もない……)
かつて自分が率いていた仲間たちは全滅、そして不死怪物に変えられた。しかもその姿は、あのおぞましい「人間の馬」。アグネスのような年若い可憐な娘があれに会わされて、まだ正気を保っていることがむしろテツジには不思議なくらいだ。
(許せぬ……あの蝙蝠め)
巨人は大きな顎でガリガリと歯軋りをする。
敵の仕打ちによって、変わり果てた仲間の死に様を見せつけられる。その悲しみ苦しみはテツジにとっては我が事と同じだ。シモーヌの残忍卑劣にあらためて腹が煮える。
(だが……それにしても?)
背後をチラリチラリと伺いながら、巨人はこうも思う。
(コナマさんが妙だ……らしくないが?)
「へへへ……さぁて!手筈を決めようぜ、馬の旦那方。あんた方はどこから攻めるつもりですかい?」
魔城の片隅で密談する、二つの影。すなわち魔将軍ゾルグと穢霊騎士団。
「我らはただ」「女主人の御命に従うのみ」「我らに女主人が命じしは」「ただアグネス様を」「お迎えせよと」
おやおや、と。ゾルグは鼻で一つ笑う。
(同じことしか言わねえ。女主人のおっしゃる通り、他の死骸共よりゃいくらかマシだが、所詮コイツらも鸚鵡返しで喋るだけの馬の案山子だ。たいした使い途はねぇが……)
馬鹿の一つ覚えなら、そう思って使うだけ。
「それで結構でゲす、あれはあんた方の獲物、あんた方にお任せだ。
あの小娘を脅かして、巨人の旦那と大師様から引き離して下せぇ。で、あとはお好きに。ま、メネフ殿下もついてくるだろうが……それもあんた方で適当にあしらってもらって。わっしがあんた方にそのための兵隊もいくらかお貸しいたしやすんで」
「心得た」「心得た」「心得た」「心得た」「心得た」
五つの頭が同じ答えを残して、騎士団の姿は陽炎の揺らめきの向こうに消える。
「さっき覗いて見たとこじゃ、あの小娘はオレにとっちゃ敵の数に入らねぇ。あんなモンはオマケ。ちょいの間、アイツらが邪魔な殿下だけ引き離してくれりゃ上出来だ。
魔女様はまだまだ迷子、こっちに来る心配はねぇ。となりゃぁあとはデカブツの旦那だけどうにかすりゃあ……へへ……それもいま、手は思いついた。へへへへへ……
ゾクゾクするぜ!どっちに転んでも、この戦はやっぱりこたえられねぇや!
……お聞きですかい女主人!『大将首』は、このオレがあんたに捧げてみせやすぜ!!」
「ふん……なるほど、面白い!あの男をこちらの手下に引き入れたのは当たりだったようだ。見ていてやるぞ、存分にな魔将軍!」
「ケケケ、ケック……シモーヌ、ゾルグさんに何をさせるつもりなの?」
ゾルグを魅了の魔術で操り人形に変えた後、シモーヌはまたケイミーのいる古城の小部屋に戻っていた。姿見でゾルグの様子を覗き見しほくそ笑むシモーヌに、ケイミーが不安な声で問うと。
「……鳥よ。私はあの男には『好きにしろ』としか命じてはおらぬ。死骸共と違って己の頭を使えるのが奴の値打ちだからな。あの男がこれからどれだけ狡い手段を用い、どれだけ非道を働こうとも、それはあの男の元からの業だ。いや鳥よ」
シモーヌはケイミーと目を合わせない。だがケイミーにかける言葉からは陰険な響きがサッと消える。返答はむしろ、丁寧で真摯。
「私はな?あの男が他の者と比べて殊更に悪辣だとは思わぬ。逆だ。あの男は誠実だ。己の意思に、欲に正直だ。何より偽りの善で自分を取り繕わぬ……他の人間共と違ってな。たまたま見出しただけであったが、私が用いるに相応しい男だ、いやむしろ、私があの男のようにならねばならぬのだ。
……手本にさせてもらう」
(お手本?)、その言葉は引っ掛かる。ケイミーは思う。感じるのだ、すぐ側で聞かなければわからない、シモーヌの声にのる深い憂いと、迷いの色。
(シモーヌ……なんだか……もしかして無理してる……?)
(婆さん、あんたいったいどうしちまったんだ?)
ひしと槍にすがり、震える脚でかろうじて立つアグネス。おこりのように震え続ける彼女の肩を背後から抱き支えて、とどこおる歩みをどうにか促しているメネフにも、コナマの態度は不可解。
(あんただったら……出来るだろうに?)
テバス古城の城壁の前では、猛り立つテツジをサッとなだめた。先程は、騎士団の魔術で錯乱した自分をあっという間に正気に戻した。だがコナマはその人の心を癒す術を、何故か恐怖に囚われたアグネスにだけは頑なに用いない。いやそれどころか。
(それになんだってあんな……?)
騎士団が姿を消したその時、魔城の通路にくずおれたアグネスと皆に対して、コナマは言ったのだ。
「行きましょうみんな。あの敵はまたそのうち現れるでしょう。でも慌てなければ大丈夫。今まで通り、みんなで一つになって先に進むのよ」
「いや、婆さんちょっと待ってくれ、すぐには無理だ、こいつが……」
「坊や。その子に構い過ぎるのはやめなさい。その子は自分で進める。
……立ちなさい聖騎士アグネス!立って歩くのよ、自分の足で!!」
その激しい喝破。例えるならば雷鳴か地鳴り、およそ人のものではない。神をも裁くと言われる者の、神にもまごう号令。自分も、巨人戦士テツジですら震え慄いた。ベンにいたっては仔犬のようにキャンと一鳴き、頭を抱えて床に伏せてしまう有様。
そしてアグネスは。あの騎士団の与えた恐怖よりも、そのコナマの声にさらに強く脅かされたのであろう、慌てふためきながら、立たない腰を上げようと床をのたうち始めた。見るに堪えずメネフが抱き起こすと。
「立てたわねアグネス。だったら歩くことも出来るはず。さあ、みんな行きましょう!」
その断固たる調子に、誰も二の句が告げない。こうして一行は再び行軍を始めたのであった……
(逆にもっとビビらせるなんて!まったくどうなってんだ、婆さん!……まさか?)
メネフの胸中に湧く不安と疑念。
(アグネスは『教会の人間』だ。だから……でもまさか?)
メネフが幼い頃から知るコナマ。その人柄はただ一言で言える、すなわち慈母。その愛はあまねく全ての者に注がれる、彼はこれまでそう思って来た。だが彼が知るそれは、教会の力が弱いノーデルの中でのこと。
今メネフの脳裏にまざまざと思い出されるもの。この旅の始まりに出会った、あの「困った男」の姿、言葉。
(婆さんにしてみりゃ、そりゃ人間の教会は小面憎いだろうな……だから)
流石に「見捨てろ」とは言わないが、アグネスの面倒まで見てはいられない、そう思っても不思議ではない。
(いや、違うよな婆さん……?)
メネフは幻滅しそうになる自分に抗う。コナマの今の仕打ちには何か訳はある、あって欲しいのだ。
そして重ねて思う。アグネスの肩を抱き、頬と頬を間近にし、彼女の慄きと悲しみを感じながら、
(婆さん、親父、兄貴……オレはやっぱり甘ぇ、オレには……こいつは見捨てられねぇ!)
その時。
(むむ?)
前方を歩むテツジの耳に、何か聞こえた気がする。通路のまだ遠く、微かに聞こえて来たそれは、どうやら。
(……女?)
巨人の胸は俄かにざわめく。女の声、そしてその声は!
(俺を……呼んでいる?)
「ツ……テツ……ツジ」
(まさか!)
いや、ベンの道案内はここまで確かだった。どこまで彼女が先行していたのか、テツジには知る由もない。だが近づいていたはず……
「オーリィ様?!」
たまらず叫びが喉を突く。
「おお見えたぞ」
メネフはその声に、サッと緊張する。
(……ヤツらだ!!)
「アグネス様」「アグネス様」「アグネス様」
「来やがった、あの馬野郎ども!みんな後ろだ!!」
ひぃと小さな悲鳴を一つ、たちまち激しく怯え出すアグネスを自分の背後に隠し、剣を抜き放つメネフ。
「今度こそ、お迎えに上がりましたぞ、アグネス様!」
「黙れェ!!」
メネフが怒号でその声を遮る。すぐに薄暗い通路の先に敵の姿も見えた。二十歩ほど先。
「アグネス下がれ!ベン、テツ、アグネスと婆さんを頼む!!」
だがメネフのその叫びは、巨人の耳には入らなかった。彼にもまた、別の姿が見えてしまったのだ。通路の薄暗がりの先にぼんやりと浮かぶシルエット。明瞭ではない、だが他にあんな姿があり得るだろうか?長い髪の女、ただしその体は長く長く伸び上がり床に尾を曳いて……
「オーリィ様!!」
もう間違いない、ずっと探し求めていた己の主、それがもう目の前にいる!
巨人がたまらず、その大きな足をダンと一歩踏み込んだ時。
「……テツジ……!」
はっきりと聞こえたその声の主は、しかし突然消え失せた、下に!
ガラガラと何かが崩れる音、そう、床が崩れ、その姿は床の下に落ちたのだ!!
「オーリィ様!!」
もはや巨人には他にも何も見えない、聞こえない。崩落した穴に向かって一散に駆け出すと、たちまち。
「……うおおお?!」
彼の足元の床も崩れた。
やがてメネフに飛びかかって来た数多の敵。あの馬ではない、それは低級の怪物たち。
「かかれ者共」「不埒者を」「片付けよ」「我らが求めしは」「アグネス様のみ!」
「テメェ、今度は手下を連れて来たのか!上等だ!!」
こんな奴らなら、どれだけいても自分の敵ではない、と。
メネフは気づかない。そう思わせる事こそ、騎士団の術。いつの間にか彼はまた、あの戦闘の狂熱に理性を奪われていく……
「うむむむ……」
迷宮の床、一階分。覚悟して飛び込んだのならその高さは、この巨人にとっては踏み台一つ降りる程度に過ぎなかったはず。だが不意に落とされ、強かに背中を打った。痛みにうめくこと呼吸にして五つ。そしておもむろにかっと目を見開き跳ね起きる。
「むむ、オーリィ様、オーリィ様!!」
慌てて周りを見渡す。そして突然。
「おのれ!おのれおのれおのれ、よくもオーリィ様にこんな侮辱を……許さん、許さんぞぉぉオオオオオ!!」
激怒する。その後はもはや言葉にならない。獣の如くただ吠える、吠え続ける。
テツジが瓦礫だらけのその広間に見出したもの。
瓦礫に埋まった不死怪物。先頭は髪の長い女、そしてその脚を別の怪物が抱えて繋がり、また別の怪物が次々に。それは死骸を連ねてでっち上げられた、偽のラミア。
巨人はなおも怒りに吠え続けた。
そしてテツジの落ちた穴をそっと覗き込むのは、魔将軍ゾルグ。
「へへへ、流石に女主人の拵えたあの馬ほどの出来栄えじゃねえが、遠目で騙すくらいならあんなもんで十分。あとはオレがチョイと女の声色で、テツジ、テツジってね。
……旦那、わっしの策に見事にハマりやしたね?残念残念!力はあっても旦那は頭の固い猪武者、それに魔女様にゾッコンだ。そこまで分かってりゃちょろいもんよ!へへ、ハハハハハ!!
……これで邪魔者は消えた、さぁてこの隙に!オレは大将首をいただくだけだ!!」
魔将軍の狙う大将首。そう、それすなわち神裁大師コナマ。
(続)




