第41話 雨の葬儀
通路をすし詰めに塞いでいた不死怪物の大群を、オーリィは全て焼き尽くし、仮初の静寂がその場に戻っていた。だが魔女はその場に長い蛇体のとぐろを巻いて、ただ座り込むのみ。
敗北が、彼女の胸を締め付け、立ち上がる力を奪う。
(ああ、ゾルグが……)
シモーヌに連れ去られた。
白い蝙蝠の狙いは最初から彼、この場にあった一見馬鹿げた仕掛けは全てそのため、オーリィの注意を奪いその手を塞ぐため。魔女の胸を押しつぶす後悔。
(ゾルグ……わたしについて来たせいで……わたしを守るために……ああ、それなのに!)
魔女の肩が震える。
(わたしはいつも、誰も守れない……誰も救えない……今も、あの時も!どうして……!!)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
八年前、小雨の降り続く、ノーデルとリンデルの国境の山道。
白いしゃれこうべを三つ胸に抱え、雨に打たれながら放心したようにうなだれていた半人半蛇のその魔女。
「そう……お気の毒だったわね。あなたも」
彼女の驚くべき打ち明け話を聞いたコナマは、一言一言嚙みしめるように、傷ましい声でそう答えた。ことに最後のその一言にぐっと力を込めて。
「……わたしのことなど!」
たちまち、濡れそぼった長い髪を振り乱して魔女が叫ぶと。
「いいえ!あなたも、よ!どうでもよくなんかない!」
コナマは素早くきっぱりと強く、そして厳かに言い切った。
「お聞きなさい!あなたのその顔、その声!あなたは、全部自分のせいだと思っている。わたしにもそう言いたいのでしょう?でも!そんなはずがあるわけないわ!
あなたのしたことには、確かに間違いや行き過ぎもあったでしょう。わたしもそれはそう思う。でもすべて仕方のなかったこと。あなたには他に方法が無かった……
だったら教会には、あなたのご家族にも、そしてあなたにも!これ程の罰を与える権利も資格もなかったわ、あってたまるものですか!!
そうよあなたも!虐げられたのよ、あなたも!!
あなたはすでにそのお亡骸を取り返すために、リンデルの都で暴虐の力を揮ったわ。そして今、自分の心にそれを向けようとしている。それは駄目。でも!正しく怒る心は残しておきなさい。
……それはね?何より、あなたが。この世の全てに心くじけてしまわないように、膝をつかず立って生きていけるように、よ?」
魔女は驚きに目を見張る。
教会の威光が深く浸透したリンデルでは、異種族は迫害され、この時代においては全ていなくなっていた。その多くは周辺国、ことにノーデルに逃げ延びたのだったが。
そう、リンデルに生まれたこの魔女は、ノームというものを今日初めて見たのである。その姿は確かに奇怪。だがその小さな体から溢れ出るのは、今まで魔女が誰からも感じたことのない、清冽にして重厚な威徳だ。その厳かさは、あのグロクスにさえおさおさ劣らないではないか。
「……あなたは、一体……?」
コナマの言葉と佇まいにただ圧倒された魔女。しばし息を飲み、ようやく小さな声でそう問うと、ケイミーがエッヘンと咳払いして自分事の様に誇らしげに。
「ケックケック!あのね魔女さん、このコナマさんはね?普段はこうやってお薬の行商なんかしてるんだけど、ホントはね?ノーム族のすっっっっごく偉い聖職者なんだよ!ノーデルではね、侯爵様だって教会にナイショで、この人にムニャムニャってお祈りを捧げちゃうくらいなんだから!」
「聖職者?ノーデル候が?そんな……」
まさか、と口から出かけてすぐに引っ込む。いや不思議ではない、これほどの人物ならば。ケイミーの大げさな紹介に少し照れくさそうに、それでもしっかりと魔女に頷きを返すコナマ。
「……そうだ!ねぇコナマさん、魔女さんの家族のみんなを、これからここにいるみんなでお弔いしませんか?魔女さんどう?」
「そうね。ここであなたと私たちが出会ったのが、きっと神々のお導き。人間の教会が勝手に悪魔と決めつけたあなたのご家族、その魂を安んじるのは、ノームの私の役目だと神々がお命じなのだわ。
……多分、あなたにご加護を授けられたグロクス様もね」
「グロクスが、神……?」
魔女のいぶかしげな顔を、コナマはじっと覗き込んで。
「お聞きなさい。あなたは魔女になって、人間の教会の教えと掟を捨てた、いいえ乗り越えたのよ。あなたは世界の真の姿を知っておくべきだわ。教えてあげましょう」
コナマは縷々と語る。人間以外の知恵ある種族が共有する世界の起源、大小強弱様々な精霊の存在と、彼らと数多の種族との関係。
「例えば私たちノームは。大地の湿りと潤いを司る大精霊ノトールオ様を始祖とするの。ここにいるケイミーのような鳥たちの始祖は、高き空から世をみそなわす大翼鳥ギクゥイーク様。そしてあなたたち人間の、本当の始祖は……偉大な女神よ。ただそのお名前は隠されている。彼女がご自分でそう望まれたの。人間たちに、自分という存在から自由に生きてもらいたい、そう望まれて。
でもそれで……人間たちはかの偉大な女神様そのものを忘れてしまった。そして自分達で勝手な神を拵えて、教会を使って広めた。世にある他の偉大な大精霊を、神々たちを悪魔と呼んで貶め始めた……
教会の教えは、今人間の信じている神は……はっきり言うわ、紛い物よ。
そして例えば、あなたに新たに加護を授けた大蛇竜グロクスは。何かの生き物の始祖ではないけれど、全ての知恵ある種族に崇められるべき偉大な大精霊、本物の神。火山の地熱を司り、地下の鉱物の恵みを皆に遍くもたらして下さる方。
……確かに少し色好みな方だけれど、お手をつけた女は永遠に見捨てず篤いご加護を下さると言うわ。優しい方よ。だからあなたを助けようとした……結果は悲しいことになってしまったけれど、それは彼のせいじゃない。
全ては、今の人間たちの間違った生き方、考え方のせい。
そしてあなたはその人間を乗り越えた。だからこれからは。偉大な神グロクスの眷属、グロクスの魔女として心正しく、誇り高く生きて行けばいい。それがね、亡くなった方々への、一番のお弔いになると私は思うの。
さ、お説教はこのぐらいにして。みなさんのお弔いを始めましょう」
「ここで?こんな……?」
「ふふ……あなたはとても知りたがりなのね。それはとてもいいことよ。まだあなたには「知りたい」という心がある。
お弔いには本来、立派なお寺も大袈裟な儀式も必要ないの。ここは静かな山の峠道、天からは恵みの雨、とても清らかな場所と時。お弔いに相応しいわ」
「ケーーーック、クワック!」
ケイミーがハタハタと羽ばたき高らかに鳴いて。
「コナマさん、魔女さん!あたしにもハルピュイアのお弔いの踊りをさせて!あたし、お弔い、大好き!」
ギョッとする魔女、コナマがすぐさま鳥を嗜める。
「こらこらケイミー、前にも言ったでしょう?はしゃいでは駄目よ。魔女さんはあなたたち鳥とは違うのだから。
あのね、あなた。ハルピュイアはね、とてもとても信心深いの。死んだらギクゥイークのいる高い天に登れる、それを心の底から信じている……だからお弔いはね?鳥達にとっては天国への門出。『おめでたくて楽しいこと』なのですって。
魔女さん、これも覚えておいて。この世の知恵ある種族達は、それぞれに生き方も考え方も違う。あなたとは全然違うこともたくさんあるでしょう。びっくりするわね。でもそういう時は一度、しっかり相手の話を聞いてあげて。
そしてあなたも。自分の生き方を丁寧に説明していくの。みんなわかってくれるわ……人間以外なら」
最後の一言に潜む、寂しげな響き。魔女には否応なく心に染みる。
「いいわケイミー。まずハルピュイアのにぎやかで楽しいお弔いの歌と踊りで、この場を浄めてちょうだい!」
「ケック!!
……クルクルクルル、クケックケック、ココケケクック!」
羽ばたく羽が雨粒を切る。
「キューイキュケキュケ、ギェイギギギェイ!」
跳ねる足が、水溜りを蹴る。
「ヒュイヒュイヒュイ、ビピビピビューッピ!」
一心不乱。冷たい雨に濡れたその羽毛から立ち上る白い湯気は、鳥がその場に放つ熱の証。その声は次第に高く、踊る体はさらにどこまでも速く高く強く。そして。
「チチチチィ、チィチィ……ケック!ギィ!ギクゥイーーーーク!!」
天に喉を突き、鳥の神の名を高らかに鳴いて、ケイミーは石化したかの如くピタリと全ての動きを止めた。
息一つ、二つ、三つ。
「……プハ!お終いですコナマさん、魔女さん!ギクゥ様によぉくお願いしましたよ、魔女さんの家族のみんなが、今度もし鳥に生まれ変わったら、とっても幸せになれますようにって!クワック!」
「ああ……みんなが、鳥に……なったら……」
魔女は雨雲の彼方を見上げる。
「ケイミー、とても素敵なお弔いだったわ、ありがとう。私も負けていられないわね……ならば私は、もし皆さんがこの地上に生まれ変わったら。その時のために祈りましょう!」
コナマは魔女に向き合う。その小さな体の背筋をいっぱいに伸ばし、魔女が胸に抱く三つの亡骸に両手を捧げる。
「……」
コナマの唇から漏れるノームの祈りの言葉は、魔女には一つも分からない。聞いたこともない言葉、音の区切りすら定かではない。だが思う、感じる。
その穏やかで柔らかで暖かな、赤子を抱く母の子守唄のような響きは、命の安らぎそのものだ。魔女の胸に込み上げるものが、やがて涙となって頬を流れ落ち始める。
そしてその潤む目に滲む、翡翠を陽に透かしたような緑の輝き。魔女の胸に抱かれた三つのしゃれこうべが、光を放っている。コナマが死者の魂の安撫のために、亡骸に神聖力を捧げているのだ。
暖かな光に包まれたそれらは、魔女の目にはこう映る。
(ああ、笑っている、微笑んで……)
やがて、コナマの祈祷の声が長いデクレッシェンドを持って静まると、骸に灯った光も静かに消えて。
(すっかり軽くなったわ……)
魂の昇天。魔女となった女には、理屈ではない、そのことが肌で感じられる。唇が震え、その間からとめどない嗚咽が漏れ出す。
「いいのよ、お泣きなさい。あなたの涙がご家族への何よりの供物。
……もう我慢しなくていいのよ?」
止みつつある雨と雨音に代わって、魔女の溢れる涙と悲しみの泣き声が、その場を潤していく……
「コナマ様、ケイミー様」
ひとしきり涙をしぼり、ようやく落ち着いた魔女は二人に恭しく向き合って。
「父と、母と、兄。三人の亡骸を、魂を、お二人にお浄めいただきました。わたしはお二人に、この命を三つ捧げてもまだ足りないご恩を受けたのです。
どうかこれからこのわたしを、お二人の婢女に……」
と言いかけた魔女を、ケイミーがサッと遮って。
「ケック、ダメダメ!固いなぁ、そういうのダメだよ魔女さん!つまんないじゃない、ご主人様とか召使とかさ?お友達でいいよ!ね、コナマさん?」
「そうね。あなたのその気持ちだけ受け取っておくわ。だけど私もそういう堅苦しいのは嫌いよ。ケイミーの言う通り、これからはあなたと私達はお友達。よろしいかしら?」
「……はい」
魔女は己の中で二人に永遠の忠誠と服従を誓いながらも、言葉では敢えて逆らわない。この方達はこういう方々なのだ、と。
「これからどうなされるの?」
コナマの問いに、魔女は。
「一度グロクスの地底の宮に戻ります。グロクスに家族を預かってもらって……私の家族に、人間がもう二度と手出し出来ないように。それとグロクスに一つ頼みたいこともあるのです。それから……」
魔女は少し言い淀む。まだそれ以上の身の振り方を決めかねているようだ。
「ねぇあなた、もしまた地上で暮らすつもりがあるのなら、ノーデルにいらっしゃい。私もケイミーもノーデルで暮らしているし、魔女のあなたでも、ノーデルでならそんなにひどく嫌われはしないわ。もしあなたがその気なら、私からモレノに、ノーデル侯に紹介してあげてもよいのだけれど……」
「いえ、それは!」魔女は即座に首を振る。
「わたしはたとえ地上で暮らすとしても。これからはなるべく誰とも会わず一人で暮らしていきたいのです。侯爵様にお目通りなど、とても出来ません。
けれど、お言葉は承っておきます。ノーデルのどこかで、再びお会い出来ることもあるでしょう」
「わかったわ。それじゃ……」
「クワッククワック!待ってコナマさん、魔女さん!すごく大切なこと聞くの忘れてたよ!!
……ねぇ魔女さん、あなたのお名前って?」
ああそう言えば、とコナマも魔女も顔を見合わせて。
「これは申し遅れましたわ。ごめん下さいまし。
人間であった時の名前は……申し上げないことにいたしましょう。それはもうわたしには縁の無くなった名。
今のわたしは『沼蛇の魔女オーリィ』。お二人はわたしのことはただオーリィと、一言でお呼び下さいませ」
「ケックケック、オーリィね?キレイな名前!それじゃ、元気でね!」
「また会いましょう、オーリィ」
峠道を連れ立って去っていく二人、その姿が目で追えなくなるまで見送った後。オーリィは長い体を折り曲げ地に伏せる。片腕に三つの骸を抱えながら、もう一方の手のひらを地面に突いて。
「グロクスよ、宮にお招きあれ」
たちまち魔女の足元に地割れが口を開けて、彼女はその中に忽然と消えていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
自分はこれから如何にすべきか?
オーリィの中の激情は、彼女を一人でゾルグの跡を追わせようとしている。彼を取り返せぬままに、何の面目あってメネフ達にまみえようか?
ゾルグの去っていったと思われる先に一歩を進めようとして、だが彼女はこの時、血の味を感じるほどに唇を噛みしめて自分に抗う。
(それが……いけないのよ!わたしはいつも自分の気持ちに負けてしまう!正しく怒るのよ……正しく考えなさい!!)
敵になったゾルグ。彼は必ずメネフたちを狙うだろう。仲間たちはまだ彼の変心を知らない、一方オーリィは知っている、ゾルグは元から一面、冷酷で狡猾。あの悪知恵をもってすれば、心が隙だらけの仲間たちにどんな罠でも仕掛けられる……!
(そうよ、みんなに知らせなければ!)
魔女は意を決し、再び踵を返して、怪物達の詰まっていた大広間を横切り始めた。
来た道を戻る、そう一言で言えば簡単なようだがしかし、この魔城は仕掛けだらけの迷路だ。案内をゾルグに任せていた魔女には覚束ない思い。
自分は正しく、メネフたちのもとに戻れるのか?
しかし。
(同じ迷うなら、今度こそ!正しく迷いなさい、オーリィ!!)
自らを叱咤して、魔女は魔城の薄暗がりを滑っていく……
(続)




