1 ハリエットside
就職したハリエットは、表向きは第五王子のドミニク付きとなった。
実際には侍女長の直属の部下として、研修として短期間で転々として顔と名前を覚えつつ、不審な人物や情報を上司に伝える役目をしている。なお皆の顔を覚えた後は、脱走の常習犯である王子の汚名を利用して、王子探しを口実に王宮のあちこちを歩き回る予定だ。
王宮を辞めたとしても王妃の友人などとして定期的に散歩に来て(密偵を探して)も構わないとまで言われたのは流石に冗談だろうとは思っている。
そんな毎日を過ごし始めて半年ほど経ったある日、ハリエットは侍女長に呼ばれた。合流すると、侍女長は苦虫を噛みつぶしきったような顔をして、場所を移動する。
侍女長の後ろについて入ったその部屋の面子を見て、ハリエットは緊張で身体が強張った。王太子とドミニク、机を挟んで何故かマイルズが居る。ご機嫌なのはドミニクだけで、後の二人は侍女長と同じ顔をしていた。
ハリエットは侍女の定位置である部屋の端に向かうべきか悩んだが、侍女長の「お連れしました」という言葉に、どうやら侍女として連れてこられた訳ではないと察した。
挨拶を済ませ、言われるがままマイルズの隣に座ると、王太子が口を開いた。
「他言無用としてほしいんだが…ドミニクに隣国から王女との縁談が来ている」
ドミニクは第八子でハリエットと同い年だが、兄姉が国内外の有力な所と概ね結婚したので派閥などを考えると縁談先が難しく、本人の意向もあって婚約者が決まっていなかった。
一方、王女の方はハリエットの2つ下だが、寵愛した側妃の娘で王が溺愛しすぎて縁談がまとめられず、この歳に至ったらしいという噂だった。
この国の王家にとって隣国の今代の王は積極的に近づきたい対象でもないらしく、ドミニクの姉は隣国の公爵家に嫁いでいる。
「ただ、その王女の噂が問題でな。替え玉が公務をこなしているという」
ハリエットは首を傾げた。
「陛下や王太子殿下もご利用になった事がおありですよね?」
その一言に皆の顔が一瞬強張ったが、すぐに諦めたような空気になる。
「…本当に有能だよね。この話にうってつけの人材だ」
ドミニクが今まで見つけられたお忍びを思い返しているのか、辟易とした顔で呟いた。王太子が頷いて話を続ける。
「うちが替え玉を使うのは、直系となる人間が、遠くからの顔見せをする時か顔見せを目的としない時、かつ想定される危険性に対し十分な護衛が付けられない場合だけだ。
だが、縁談の来た隣国の王女は第三子だし、そこまで危険の生じる公務は無いはずだ。それに、ごく最近まで王が尋常ではない程度に溺愛してほとんど外に出すのを許さなかったぐらいなのに、少し前から頻繁に夜会に出るようになった。その上、他国との縁談など不審過ぎる。
ドミニクに目を鍛えられた妹は以前から疑っていたようだがな。曰く、『姿形は似ているけれど、細かい所作や話し方の違いが見える。同じ人に師事したら似る程度で、似せようとする意気込みすら見えない辺りが本職らしくない』そうだ。容姿からは王女の母方従妹、フェリシア嬢の可能性があるらしい」
ドミニクが溜息をついた。
「結婚するのが本物ならいいんだけれど、有能な替え玉を王女として寄越されると困るでしょう?ひどい侮辱行為だし、いつ露見しても問題になるだろうから。
で、調べに行こうと思って。僕には適任の部下も居るし」
ドミニクはハリエットを見てニヤリと笑った。
侍女長が最初の苦い顔に戻って補足する。
「貴女は元々単なる侍女として雇われる事を希望していた普通の御令嬢です。諜報としての仕事は危険性の低いものに限ろうと考えていました。
しかしこのお話を受ければ、隣国で貴女の能力を知られて、身の危険が増す可能性があります。ですから断っても構いません。両陛下からお許しは頂いています」
聖剣の持ち主は神のお気に入りで、持ち主とその周囲を害すれば神の嫌がらせに遭う。知らずに傷つける事を防ぐ為に入国時に相手国には通知するが、本人以外は軟禁程度であれば嫌がらせされないだろうと思われていて、ハリエットの身の保証がされた訳ではない。
一応の隣国に行く場合の建前としては、ドミニクから王女への贈り物を持っていく使者として行く事になるそうだ。使者選定の理由は、ドミニクからマイルズへ、日頃の感謝に婚前旅行のプレゼントを兼ねた、という事になるらしい。
王太子が説明を引き継ぐ。
「なるべくハリエット嬢は目立たないようにするし、危険な行動をさせるつもりはない。しかし、ドミニクの発案ではあるけれど、私達も王女を見極める必要はあると思っている。
先に知る方が有利ではあるが、分からなければ輿入れでここに来た際に契約の確認として数日は婚姻を延ばせる。この旅行中には完全に私的な時間も設けさせるつもりもある」
ハリエットはおずおずと、一番の懸念を伝えた。
「私は王女様のお顔を存じ上げませんので、お役に立てないかと…」
王太子は首を振った。
「以前の王女が外に出る機会が少なかったのだから、それは期待していない。密偵も送っているし、別方向の情報が得られれば良いという程度で気楽に考えてほしい。
君に頼みたいのは、今王女とされている人物が他の格好をする時、あるいは本物の王女を疑うような人物を見つけたら報告してほしいという事だ。向こうも警戒するから、見つからないのが当然だと私も考えている。もし本人が他の格好をするなら…ある意味お似合いだろうが…。ゴホン、とりあえず今回の費用の一部はドミニクの個人資産からも出すし、逢瀬を十回も台無しにした詫びだと思って行ってくれないだろうか?」
ハリエットはマイルズと顔を見合わせた。侍女長は心配してくれているが、安全性はそれなりに配慮されている。正直なところ、ドミニクから特別手当が出ているとはいえ、捜索する人達はドミニクの休みに合わせて事前に当番を組んで待機しているのに、マイルズが毎回急に休みを潰され報告書まで書く羽目になるのはハリエットも流石に次回進言しようと思っていた所でもあった。その次の機会がしばらく無いまま今日に至っていたのだが。
結局二人は了承し、ドミニクと荷物とともに隣国へ発つ事となったのだった。
その準備中、ドミニクがハリエットに訊いた。
「ちなみにハリエット嬢は、僕の替え玉をするとしたら誰がふさわしいと思う?」
「それは…顔と体型なら、ブライアン・アップルビー子爵令息かと思います。髪が灰色がかった紫でいらっしゃるので金髪の殿下とは印象がかなり変わりますけれど…」
「髪は癖が強いけど、押さえれば鬘で何とかなるか…色は明るいから染めやすいだろうね。じゃあ眉は落とせるもので染めてもらって、僕もしばらく替え玉やってもらおうっと」
その会話を聞いたマイルズは親友を慮って遠い目になった。
***
「ここが聖槍の国の王宮…」
白く丸っこい建物を見て馬車の中で呟いたハリエットは、苦笑したマイルズに半開きの口を押さえられた。
「この口も大層可愛らしいが。俺はゆっくり降りるから、表情を作ってからおいで」
甘い顔でそう囁かれて赤らんだ顔を必死で整えてから、ハリエットはエスコートされながら馬車から降り、使者としての挨拶に臨んだ。
この大陸では、国名はその国がもつ聖なる武器の種類の事が多い。国境の多くは聖域となる山や大河で区切られており、その昔、軍が通ろうとすると落雷で先へ進めなかったが、街道や橋を通すのは問題なく出来た。結果聖域を挟んで同盟を組むことになり、交易とともに聖域周囲の交通は発達した。
聖剣の国の建国は、そうして辺境に交易で強くなった国がいくつか出来て、それぞれが今の王都近辺となる魔物素材の取れる森へ向かって領地を拡大し、中央に都を置いて一つの国となった。その頃残ったいずれの国にも聖剣の持ち主がいて、どこの国も攻め入れなかった為だ。どの国でも似たような事が起きたせいで、交通網はやけに発達している。
この交通網と魔物素材で居心地が良く軽い王族御用達の馬車のおかげで、ハリエット達は片道6日程度で到着した。
今回ハリエット達は、ドミニクの姉、ガブリエラが嫁いだウェイクマン公爵邸に泊まる。表向きの予定は初日のお茶会、その後は一日王都観光、復路でも観光しながら帰る事になっている。
本来の仕事では、パーティーで荷物を渡した際に王女とされる人物の顔を覚え、一応パーティーに出ている中で顔の似た人を探す予定だ。実際の動きについては往路の馬車の中で散々打ち合わせてはいるが、果たして上手くいくかどうか。ハリエットは緊張しながらパーティーに向かった。
***
歓迎の為のお茶会で、マイルズが、侍女から目録を受け取り王女・グウェンドリンとされる人物に手渡し、挨拶を済ませる。お茶会には予想外にも王も参加しており、王、王妃、王女とマイルズ、ハリエットが同じ卓に座った。その時点で侍女に何かあったらしく、マイルズに小声で退出許可を問うて、そっと下がっていった。
「申し訳ございません。連れてきた者が体調不良のようで、少しそちらの侍女をお借りして休憩させていただくかもしれません」
「勿論構わない。長旅の後に他国の王宮で気を張った疲れもあるだろう。ゆっくり休ませたまえ」
王女の実母の第二側妃も体調不良により離宮で療養しているため欠席したらしい。王がマイルズに話しかけた。
「贈り物を持ってきた事、まことに大義であった。
其方にはドミニク王子がどのような人物か聞きたく思っている。…父親にとって一番の不幸は娘と結婚出来ない事だと言うだろう?それほど愛してきた娘が幸せになれるかどうか、いくら心配しても足りないぐらいでな。適齢期の間に結婚をと婚約期間もずっと短くしてしまったし」
「それは…確かに心配でしょう。…王子殿下は聡明で人格も優れておられますが、四角四面な訳ではなくちょっとした茶目っ気も持ち合わせていらっしゃる素敵な方です。きっと王女殿下と結婚されれば楽しい家庭を築こうと努力なさると思います」
「そうか、部下にそう言われるぐらいなのだから、きっと娘を任せても大丈夫だろう。そちらからは何か訊いておきたい事などあるか?」
ハリエットがおずおずと切り出した。
「陛下、このような事を訊くのは不躾かもしれませんが、結婚生活の秘訣などございますか?王子殿下も、素敵な未来にしたいとよく周囲に訊いていらっしゃいますの。私自身ももうすぐ結婚するのでとても聞きたい質問でもあるのですけれど」
「そうだな、挙げるとすれば、思いやりと話し合いだろうか。中々難しいのだがな」
「なるほど…ありがとうございます。つい結婚前で不安にもなってしまって…結婚式で証人として署名いただく方すら決まらなくて…」
婚姻契約書の証人はその結婚を認め歓迎する事を示すだけなので、基本的に誰であっても問題はない。契約書は両家と神殿に保存されるだけで裁判などでもない限り見られることもない。逆にどんなに有名な人でも大した影響があるものでもなく、ただ人間関係と体面の問題である。
「こら、そんな話をこんな所で…申し訳ございません」
謝るマイルズを陛下は鷹揚に許した。
「いや、結婚前に不安定になるのはどの国でも同じだろう。紙があれば私も証人欄に名を連ねたのだが」
その言葉にハリエットの顔が一瞬輝いてすぐに萎れた。と、マイルズが胸元から婚姻契約書を出す。
「実は…その、散々この話をしているせいで、持ってはいるのですが…」
それを見てハリエットの目は再び期待に輝き、思わず王は笑った。
「ははは、これは一本取られたな。いいだろう、私が自ら言った事だ。書こうじゃないか」
「ありがとうございます!」
契約の内容は夫婦ごとに異なる為、他の夫婦に流用する事も出来ない。式に出席する人物はその場で書く事が基本なので空欄があって当然で、出席出来ない有力者が先に名を書いておく事もザラにある。王は予備も含め4枚にさらさらと署名して時計を見た。
「申し訳ない、もうそろそろ執務に戻らねばならん。其方らも滞在中、この国を楽しんでくれ」
王が側近を数人残してお茶会から去り、王妃も王の中座を謝罪した。ハリエット側も王に署名をもらった事の感謝を再び述べ、話を変える。
「それにしても王妃殿下も王女殿下も美しくいらっしゃって羨ましいですわ。お二人とも髪や肌も勿論綺麗なのですけれど、王女殿下の瞳がキラキラしていて特に素敵だと思っておりましたの。瞳の色は陛下譲りでいらっしゃいますか?少し赤みが強いですけれど」
「え、えぇ、その通りですわ。ありがとうございます、こんなに褒めていただくなんて少し気恥ずかしくなりますわね」
それからいくらか王妃と王女に美容の話などを聞いてから、共に他の卓を回って他の貴族に挨拶し、一周した辺りで長旅の疲れを理由に王宮を辞した。
***
公爵家に泊まって翌日、ハリエットとマイルズは王都観光に来ていた。朝から土産探しに歩き回った後、カフェで少し遅めの異国の昼食を摂って食後のお茶を飲んでいる所である。
「やっぱりこの国の伝統柄は素敵ね!いいお土産を沢山選べたわ」
行きの荷物が無くなった分土産の量は気にする必要はなかったが、ハリエットは親しい人達に何を買うか選ぶ時間の方が足りるかどうか心配だった。しかし、伝統柄のものはやはり土産に人気らしく、程よいものが種類多く揃っていたので楽しく選べたのだった。
マイルズはそんなハリエットを見ながら、微笑ましいといった表情でお茶を飲む。
「そうだな。ハリエットに言われてリストを書き出しておいて本当に良かったよ。おかげで効率よく回れたし、とても楽しかった。ありがとう」
マイルズは、クレイトン伯爵家に居た時は、領地に帰った際に領民に特産物の果物を乾燥させたものを分けてもらい、それを使って家で料理長に作ってもらったお菓子を数人の友人に渡すだけだった。こんな旅行も、自分で土産を選ぶのも初めてで何も考えていなかったのだ。
行きの馬車の中でハリエットが紙とペンを出してきて、土産を贈りたい人と贈りたいものをリストにするように言ってきた時に、マイルズは今の家族に何を贈れば喜んでくれるか分からない事に気が付いた。
『恐らく貴方が考えて選んだものなら何でもお喜びになるとは思うけれど』と言いながら、ハリエットは調べてくれていたらしい定番の土産の例を挙げるなどしてマイルズと一緒に悩んでくれた。今日もハリエットは自分の友人や親への土産も見繕いながらマイルズの相談に乗っていて、おかげでマイルズは渡す人の顔を思い浮かべながら土産を選ぶ事を純粋に楽しめたのだった。
「この後は、俺達のお土産だな。旅の思い出を選びに行こうか」
マイルズが会計を済ませた後、二人は揃いのグラスを一組、便箋やペン、小物入れなどを買って公爵家に戻った。
そして翌日、荷物やドミニク達とともに帰途についたのだった。