5 マイルズside
翌日から王宮に向かい、事務作業を学んだ。騎士服を早めに仕上げてもらえたおかげで浮く事は無いが、やはり見た事のない顔だからか、かなり注目は浴びる。と思って先輩に聞いたら、皆変身前の顔を覚えようとしているのだそうだ。もしかして、養父の肩には思った以上に圧力がかかっていたのかもしれない。
マイルズは茶色のふわふわの髪で、しかも長いので、皆かなり楽しみにしているらしいと聞いて、早速半年後にしたのを後悔し始めたのだった。
それから数日後、歓迎会があった。一旦家に戻り、皆と同じように私服で向かう。同期には親友のブライアンもいたので、卒業後初めて酒を酌み交わすのをとても楽しみにしていた。
宴もたけなわになった頃、ブライアンがそっと酒を持って隣にやってきた。お互いそれなりに酔ってはいるが、更に乾杯する。
「本当いい家に動けて良かったよなぁ…俺本当嬉しい…」
どうやらブライアンは泣き上戸だったらしく、そこに次兄と他の先輩まで加わって、ブライアンによるマイルズの過去の暴露が始まった。マイルズも話されて困る事はないが、悲しいだけの話で盛り下がるのは避けたかったから、時々楽しかった話や笑える失敗を付け足した。
するとそれが余計涙を誘ってしまったのか、次兄と先輩が大号泣で去っていった。
「これで中々お前の親だって言いにくくなるし、お前を追っかけにくいと思うぞ。ニコラスとも縁付いたんじゃ、そっちに巻き込まれてこっち手出してる暇無いと思うがな…」
ブライアンが泣き笑いしているのを見てマイルズも苦笑した。
「ありがとう。こっちでも少しは広めてたんだけどな」
「…にしても、よくもまぁニコラスと1年だっけ?飯食えたよなぁ」
「その甲斐無く元妹は毒牙にかかった訳だがな」
「あの時は本当、マイルズの将来も相当心配したなぁ。巻き込まれて損する未来しか見えなかったからな。本当離れられてよかったなぁ…」
またブライアンの涙がやってきて、ひと波越えたところで、ちらりと伺われた。
「でもやっぱニコラスと1年も飯食ってたのおかしくね?途中で妹の事は諦めてただろ、お前?…俺の中の勘が、もう一人居たんじゃないかって囁いてるんだが?」
「食事していた所を見かけただけだろう?…そうだな、あんまり楽しい話でもないが」
「えっ聞く聞くぅ!」
ブライアンがこんなに人の話に食いつくとは。まぁいいか、と思うぐらいにはマイルズも酔ってしまっていた。
「そもそも、妹の友人がニコラスの顔を気に入って、妹はニコラスと友人を引き合わせるはずが、自分がニコラスと恋仲になった」
「うへぇ修羅場!」
そこから、今までの経緯をかいつまんで話した。
「ひでぇ!マイルズにも友人にもひでぇよ!」
「そんな計画に俺だって乗りたくなかった。まぁ成功する余地なんかなかったが、計画について伝えてこの話は終わりだ」
「えっじゃあお前告白とかしてねぇの?好きだったんだろその子の事?」
「んー?周囲の状況からして俺自身がどうだとしても無理だったし、伝えたって変に気を遣わせるだけだろう。しかも俺と結婚したらあの二人との縁が出来てたんだぞ?好きな人ほど離れてほしくないか?」
「えっ切ない!…未練は?」
「未練だらけに決まってるだろ。最後に会ったのすら半年前の妹の結婚式なのにな」
「じゃあマイルズもニコラス達との縁切れてるしもっかいアタックしてもいいんじゃないのか?」
「…養子縁組したって絶縁したって前の家族がうるさいからな。あれだけ煩わされた彼女が縁を切れるよう遠くから祈ってるよ」
話し終わって酒を飲もうとグラスを手に取ると、後ろからすすり泣きが聞こえた。振り返ると、次兄だった。その時ようやく周囲がひどく静かで、妙に皆視線を逸らしている事に気がついた。
「…ブライアン、謀ったな?」
「いや、ここまでのつもりじゃなかった、ごめん!団長一家のうちの誰か一人知ってれば、と思ったのは本当だけど、それだけ!」
「はぁ…もう仕方ない。聖剣の注目度を甘く見てた俺も悪いかな…酒飲んだら忘れられると思うか?」
「おう、入れる!」
そこから次兄が「すまん」と謝りながら酒をついでくれた。その後何故か入れ替わり立ち替わり、沢山の人が酒をほんの少しずつ注ぎに来た。多分、話を聞いてしまった人達だったと思う。侍女や文官らしき人達まで注いでは肩をバシバシ叩いて行くが、時々水も含まれていたのか倒れる事は無かった。
それでもかなりの酒量を飲んで、結局養父におぶわれて帰った。養母が養父と次兄を叱っているのを聞きながら、マイルズの意識は落ちた。
どうやら酒はかなり薄い水割りになっていたようで、起きて何度もトイレに行く羽目にはなったが、翌日に酒が残る事なく仕事に行けた。ただ周囲の視線が生温いものに変わった気がした。それに加えて侍女から身だしなみ用のクリームだの、文官から美味しい店のリストだの、目を逸らしつつ渡された。
入団式前日には初めて自分の家で誕生日パーティーを開いてもらって招かれたブライアンが泣き、マイルズの周りは皆涙脆いなぁと笑った。
そして翌日、正式な入団を果たし、その後基礎訓練の半年を過ごした。
***
聖剣に関わる休暇は念の為1週間、しかし早めに切り上げて消化していない日を別の日に回しても構わないということだった。
聖剣の正式な持ち主になるには、鑑定の時の水晶を直接触り、その後聖剣に触れるだけで良かった。帰宅して入浴し、夕食を皆で取った。
「この脱毛剤を飲めば、朝には全部抜けてるはずだ。朝食は部屋前に置いておく。食事を摂ったら育毛剤を飲むといい」
薬を飲んで部屋に戻り、服を全て脱いで動ける寝袋のようなものに入って寝た。朝起きると、顔からポロポロと何かが落ちて、体中が気持ち悪くて寝袋で風呂の近くまで歩いてから入浴した。
眉やまつ毛もなく、頭もツルツルで、瞳が薄い青緑に変わった自分の顔は衝撃的だったが、あの家にいた自分に別れを告げるのだと思えば、滅入った気分は少し楽になった。
入浴中に部屋を掃除してくれていたようで、顔を合わさぬよう細やかに配慮してもらえて嬉しかった。朝食は机の上に薬とともに用意され、養母の字で『何かあってもなくてもすぐ呼ぶように、扉越しでも構わないから』とメモが置いてあって心が温かくなった。
育毛剤のせいか頭が特に痒くて、読書は集中出来なかった。だが、家族や使用人が扉越しに交代で話しかけてくれたおかげでほとんど苦痛を感じず、養母が勧めてくれた刺繍だと手を動かしている分あまり痒みを意識せずにすんだ。騎士団では繕う程度は基礎教養になるらしいが、マイルズは昔からやっていたので然程苦でもなかった。
夕方になって鏡を見ると、青みがかった銀色の髪が指の太さ1本分ほど、同色の眉とまつ毛は普通ぐらいに生えてきていた。いつかはこの状態で会わねばならないのだ、先送りしても仕方がない。かなり緊張したが、夕食を一緒に摂ると伝え食堂に入ると、家族はかなり驚きながらも、笑顔で似合う、格好いいねと沢山褒めてくれてホッとした。
翌日、侍女に軽く髪を整えてもらって出勤した。その日は騎士団全体で集まる訓練で、皆マイルズが他の部隊の人間だと思っていたらしく、訓練が終わってマイルズ個人の席に座った瞬間「マイルズか!?」と叫ばれ大騒ぎが始まった。騒ぎを静める為、マイルズは自ら志願し王宮内を歩き回った。
お陰で翌日からはいつも通りの日々が戻った。以前と少し違ったのは、たまに侍女などから告白されるような事があったが、「好きな人がいる」と断り続けるうち告白も無くなっていった。
***
家の周りを元家族がうろちょろし始め、マイルズ本人に会わせろとうるさかったので、徐々に証拠を積み上げて、接近禁止令を出せるようになったのは春だった。それまでにマイルズ本人も何度か門番の振りをして追い払ったのだが、一度たりとも気付かれる事はなかった。マイルズに向かって本人に会わせろと怒鳴るものだから、他の門番もマイルズも、毎回表情を保つのが大変だった。
ある日、ブライアンが書類を持ってマイルズのもとへやってきた。
「マイルズ、ハリエット嬢が見学に来るぞ!」
マイルズはブライアンを睨んだ。
「おい、俺は愚痴は吐いても一度も名前を教えた覚えはないぞ。どこで知った?」
ブライアンは抵抗していたが、やがてテヘッとした顔で白状した。
「皆で協力して調べちゃった…ごめん!」
「皆って誰だ?」
マイルズがブライアンに凄んだ瞬間、周囲から謝罪の嵐が来た。話を聞けば、一部の侍女や文官も巻き込んで人脈を駆使し、ハリエットを突き止めたらしい。能力の無駄遣いである。
「ごめん!でもチャンスじゃないか。家族と縁が切れて、見た目は良くなったし、今ならお前自身を見てもらえるんだぞ?」
「そうだが…もう覚えてないかもしれないし、俺が誰かもきっと分からないだろう?」
「俺ら皆で応援するから!新しく出会うのと一緒なら過去なんて考えなくていいじゃん!」
「娯楽として消費されているだけの気もするが…消費された分だけこちらも利用させてもらえばいい事にするか」
それから周囲の動きは迅速だった。ハリエットに恋人も婚約者もいなさそうだと調べてきたり、見学の日に開いている人気店やイベントなどを教えてくれた。
騎士団の当日の責任者達が何か企んでいるようだったが、マイルズには教えてくれなかったので、気にしないことにした。
元々見学の1日目は、それまでの打ち合わせで騎士・侍女・文官が知り合い、当日に学生と知り合うという出会いの場になっている面が大いにあり、王宮側の人間も未婚の男女ばかりで、見学中に連絡先を交換したりなどはむしろ奨励されるぐらいである。
案内役が集められ、案内する順番は決まっているが、決められた場所ではあるものの交代は何度も出来るというかなり流動性の高いシステムを説明された。
***
家族には次兄を通して伝わっていたのか、前日に侍女に身だしなみを徹底的に整えられた。
最後に会ったのは1年半も前で、騎士団でも初見で分かる奴はいなかった。放置されていたとはいえ、元家族ですら分からなかったのだから、当日はまず見知らぬ人のふりをして様子を見ようと思っていた。
まさか、遠目で見て分かるとは。
マイルズからは、ハリエットはすぐに見つけた。最後に見た時より更に大人びて綺麗になっていた。ハリエットばかり見ていると不審に思われるだろうからと、仲間と喋りながら近づいていった。
ハリエットが思ったより早くからこちらを見て、訝しげな顔をして、その後顎が外れそうに口を開けて目を丸くして驚いていた。淑女がする顔じゃないだろうと思わず笑うと、口が一旦閉じられた後半開き程度に開く。どうしても閉められないのか。思わず苦笑していると、周りから共感の声が聞こえてきた。
「分かるなぁ、半年前は本当別人過ぎて自分の目が信じられなかったからな」
「俺は耳を疑ったな」
「俺は腹話術やってるはずだと思って周囲探したもん」
ブライアンが唾をゴクリと飲んで言った。
「…なぁ、ハリエット嬢さ、すごくね?」
「え、顔がか?」
「違う!…確かに貴族にあるまじき百面相してるが。この距離だと、マイルズの声さえ聞こえないんだぞ?それで見た瞬間から疑えるほど、顔を覚えてたって事だろ?」
その事実を指摘され、マイルズは顔が火照った。
「…確かに…」
「その相貌認識能力、マイルズ以外にも発揮されるとしたら文官でも侍女でも欲しいレベルだよな…」
「でも、少なくともマイルズをそれだけ覚えてたって事だろ、しかも1年半前なのに。脈有りじゃねぇか!」
肩をバシンと叩かれる。
「プランWで」
「フフ、まさかこのプランを使えるとはな…」
「いい意味で予想外だった。いいものを見せてもらってるなぁ俺ら。その分きっちりお返ししないとな」
後ろでもからかわれている雰囲気で段々恥ずかしさが増してくる。しかしついにハリエット達の前に着いてしまった。
説明の間、ハリエットは恐らくほとんど話を聞いていないのではないかというぐらいこちらを凝視していた。表情に気を遣う余裕はまだ無いらしく、生温い視線が注がれている。
班分けはかなり不自然な形で二人きりにされた。プランWとはこの事かと思わず天を仰いだ。一体いくつプランを作ったのか。
しかし、そのおかげでマイルズは二人の時間を堪能出来たし、もらった事前情報でハリエットはかなり楽しんでくれたと思う。王宮の外で周りからの視線は感じなかったから、恐らく皆、程度を弁えようとしてくれたのだと思う。
ハリエットにはかなり凝視されていたので緊張し、その瞳に、ニコラスに会った当初のものを思い出した。しかし、あの時よりずっと長い時間で、前とは違って表情を取り繕う余裕もない様子である事に、勝手に優越感を抱いた。
彼女が便箋を悩んでいる時に、買ってやりたいと思う気持ちになり、しかも自分が相手になれば彼女から手紙が貰えると邪な気持ちになったのは確かだ。ハリエットの方からやり取りを望んでもらえて、思わず期待がよぎる。
別れ際に、ずっと見てくれていた事を指摘した時の赤い顔は誰にも見せたくないと同時にまた見たいと思った。
別れたその足でギネス夫人の元を訪れ、恥をしのんで経緯を説明し、名前を借りたいとお願いした。
夫人は恋愛話が大好きで、名前を借りる対価は話、内容によっては金が追加されるという事だったが、教えてくれた人は、多分夫人が応援したくならないものと危ないものはお金をふっかけるのだろうと予測していた。
夫人はニッコリ笑って言った。
「確かに、家格に合わないものを見ればあげつらう方もいらっしゃいますものね。久しぶりに素敵なお話を拝聴したので、私の名前をそのまま使って頂いて結構ですよ。金銭も要りません。
ただし、文通を始める前にお相手の父君に簡単な経緯を説明して文通の許可を得る事が条件です。黙って交流して悪印象を与え、後で痛くもない腹を探られるよりは、羞恥もあるでしょうが最初に高いハードルを越えておきなさいな。
あぁ、それから最初の手紙で、王宮の皆に知れ渡っている事も謝っておく事ね。注目される事は貴方の責任では無いけれど、今後も貴方と付き合うのならそれは免れない事でしょうし」
夫人の言う事ももっともだったので、帰って養母に相談すると、当主から縁談を申し込むと同時に文通の許可を得る事になった。
養母の監修を受けて許可を得る手紙を書いて、縁談の申し込みとともに送ると、『縁談は本人の考えを大事にしたいので、マイルズが直接ハリエットに許可を得る事を条件とする。その前段階で文通する事は構わない』と返事が来たのだった。
 




