3 マイルズside
マイルズは次男だったが、次期当主のスペアではなかった。
というのも、マイルズが生まれた時、兄は10歳、従兄は8歳と6歳、祖父が年若い後妻に産ませたとされる叔父が5歳。しかも父が異常にこの叔父を可愛がっていたから、事情は皆何となく察していた。
母が蔑ろにされたくなかったのかどうかは分からないが、とにかく生まれたのがマイルズで、2年後に生まれたのがメアリーだった。
メアリーが生まれると、皆初めての女の子で蝶よ花よと育て、マイルズは家族に見向きもされなくなった。
唯一乳母が二人を平等に育ててくれたが、マイルズが5歳になる頃にはメアリーの癇癪がひどくなり、乳母はメアリーの専属になった。父の指示で叔父の乳母が兼任となったが、住む場所すら違うのにどうやって一緒に育てるというのか。元々叔父の立場を脅かすのではないかと敵視されていた事もあって、世話をされる事はなかった。
その上、義祖母が思い出したかのようにマイルズに嫌がらせを始めた。兄は父が、妹は母が守っていたから、放置されたマイルズは鬱憤を晴らすのにいい標的だったようだった。そして父母は他の子どもが被害を受けずに義祖母の気がすむのならと積極的に放置した。
父は義祖母のもとへ通い、兄は当主教育に忙しく、母は父の興味を引けるメアリーしか見なくなった。マイルズがスペアとして当主教育を施されるはずの年頃には、従兄達と叔父が既にかなりを学んでいて、マイルズにはおざなりにしか教えられない。
マイルズが10歳になった頃には兄に子どもが生まれ、更にスペアとしての意味は薄れた。誰も自分に目を向けてくれないので、門番に教えを乞うて剣を学び、他は図書室にこもって本を読んだ。
家に居場所が無い代わりに、友人には恵まれた。特に三男以降に生まれた者と境遇が似ていて友人になる事が多かった。しかし、自分より更に放置され虐められていたマイルズを見て、皆同情してよく家に招いてくれたし、友人の乳母や親達は肝っ玉タイプの方ばかりで、よく友人共々一緒に叱ってくれた。マイルズが腐る事もなく真っ直ぐ育ったのはほとんどこの人達と、料理長など一部の使用人のおかげだと思っている。
***
学校に入学すると楽しく日々を過ごしていたが、父母に忘れられたマイルズは婚約者をあてがわれる事もなかった。三男以降の友人達と同様に、家から爵位がもらえずとも、卒業後に家を出て生きていけるよう準備していた。
同じクラスだったニコラスは、最初はその顔と人当たりの良さに人が集まっていた。しかし、他人の感情を重視しない行動が多く、徐々にトラブルが目立って人が去っていった。
あの日、メアリーがやってきた時も、偶々後ろにニコラスが居ただけで、友人でも何でもなかった。
その後ニコラスに妹を紹介するようお願いされたが拒否した。念のため父母にもニコラスが要注意人物である事を伝えたが、ウォーディントン伯爵家との繋がりは魅力的らしく、マイルズの言葉はあまり重視されなかった。
メアリーにもニコラスを友人に紹介したいと言われ、断ったし、教室にも来ないよう釘を刺した。にも関わらずメアリーはマイルズの教室にやってきて、ニコラスが割って入ってあれよという間に昼食の約束が出来ていた。メアリーを見張る為に自分を滑り込ませるだけでマイルズは精一杯だった。
その日帰ってから、マイルズはメアリーに釘を刺しに行った。
「お前、友人にニコラスを紹介したいと言ったが、ニコラスは人格に問題があるから、友情にヒビが入るぞ」
「そうは見えなかったわ。とてもいい人じゃないの。それに紹介するだけで、その後は二人次第よ」
「酷い奴だと前情報があるのだからせめて紹介する前に調べろ、大事な友人じゃないのか。
…それから、もしお前がニコラスに惹かれる事があり得ると思うなら、友人に紹介するのはやめておけよ。ニコラスがどうであろうと男を取りあえば友情は消えるぞ」
「私は自分の目を信じているの。それに大丈夫よ、絶対そんな事にならないわ」
メアリーはマイルズの言う事に取り合う事なく去っていった。
初めてハリエットに会った時、大人しく目立たないようにしているが可愛らしく、柔らかい雰囲気を持った子だと思った。しかしハリエットがニコラスの容姿に惹かれていたのは一目瞭然だった。
喋ると楽しく、素敵な女性だと感じた。何故メアリーと友達に…と思ったが、メアリーに振り回されているのは彼女の生活に程々の刺激を与えている面もあったようだった。
四人で昼に食事をする毎日の中で、マイルズの嫌な予想通り、メアリーは徐々にニコラスに絆されつつあった。マイルズはその様子を見て、何度かメアリーに、ニコラスを好きになったのならそうハリエットに言っておくべきだと諫言したが無視された。そのうちメアリーはニコラスと休日に出掛けるようになり、秘密の関係を楽しむようになっていた。
どうやらニコラスに勝手にハリエットの想いを告げて相談した挙句、婚約まで至れば『家の都合で仕方なく』という理由で誤魔化せると言われたらしい。あんなに目の前でイチャイチャして、分からないとでも思っているのだろうか。
ハリエットが隠し切れずわずかに見せる切ない顔に、こんな顔をさせたくないと思いながらも、既にこの時にはマイルズもまたハリエットに会いたくなっていて、メアリーの裏切りで更に傷つくのが分かっていたのに伝える事が出来なかった。
父母に、夕食の際にメアリーが婚約する予定だと聞いた時、とうとうその報いが来たと思った。婚約も結婚も時期が早いのは、二人が寝たからだろう。しかし、父母は家同士の繋がりをこちらに有利な形で繋げられる事を喜んでいた。
翌日、最後の昼食会だろうと思ったら、ニコラスがウェストウィック公爵令嬢の話を出して昼食会を続けさせた。ハリエット達が帰った後にマイルズはニコラスを問いただした。
「公爵令嬢の話は嘘だろう?何が目的だ?」
「うーん、全くの嘘って訳じゃないよ。噂レベルはあるからね」
恐らく噂は少なくともニコラスに関しての部分は自分で言いふらしたんだろう。目的を話さないニコラスを睨んだら、ニコラスはため息をついて話し始めた。
「…メアリーが、僕がハリエット嬢に靡かないかという事と、四人の関係が壊れる事を心配してるんだよね。だから、この1ヶ月でメアリーと仲が良いことを見せつけて、ハリエット嬢には諦めてもらったら、皆仲良い状況に戻れるかなって」
ニコラスの言い草に唖然とした。
「お前はメアリーに振られたとして、目の前でメアリーとその男が仲睦まじくしていて、その二人と仲良く出来るのか?」
「いや、出来ないなぁ…でも、ハリエット嬢なら呑み込んでくれるでしょ。あの子大人しそうだし、多少嫌でも表面は楽しく過ごしてくれるさ。メアリーはそれで十分だと思うよ」
ニコラスはきっと人の気持ちを慮る事が出来ない人間なのではないだろうか。そんな関係は長続きしないだろうに。
一番最初にハリエットにもニコラスがこんな奴だと教えていれば。あるいはメアリーの裏切りをどうにか伝えていれば、ハリエットはここまで傷つかなかったかもしれない。マイルズは1ヶ月、ハリエットが辛そうにしているのを横で見続け、ここに至らせた己の不甲斐なさを嫌というほど痛感させられた。
***
数日後、婚約の細部を詰める為に、ニコラスとメアリー、両家の親が屋敷で話し合いをしていた。
いきなり父親の怒鳴り声が聞こえてきて、そこから言い争う、いやこちら側のみ一方的に興奮した声が聞こえた。
マイルズが扉に近づくと、議論の内容がよく聞こえた。
「メアリーを卒業後、社交シーズン中は基本的に領地に留めおくと書面で取り交わすだなんて…!嫁いびりにも程があるでしょう!」
マイルズの母が、ニコラスの父に噛みついているようだ。
「ニコラスのエスコート無しに一人で参加し、その事による悪評を跳ね除けた上、何事もなくこなせると判断出来ましたら出しても構いません。こちらは結婚せず慰謝料でも構いませんと申し上げました」
「そんな事を言ったって…。メアリーの将来の選択肢を無くしたくせに、せめて責任を取らせるならメアリーの自由を狭めるべきではないでしょう!」
「何と言われようとも、ニコラスを外に出すつもりはないのです。社交が致命的なほど出来ませんし、利がないだけでなく害をもたらしますから。
メアリー嬢はシーズンオフにはこちらに来ても構いませんし、シーズン中に友人の方に個人的に会ったり里帰りする分は構いません」
そこに、マイルズの父が割り込んだ。
「そうは仰いますが、私達にはニコラス殿が社交が出来ないというのが信じられないのです」
「それがまた厄介な所でもあるのですが…短期的には分からずとも、必ず問題を引き起こすのです」
「では短期間なら社交させても…」
マイルズは父親の言葉を遮るように扉をノックした。中に入るとニコラスが顔を曇らせた。
「不躾とは分かっておりましたが、部屋の外まで声が聞こえていたものですから思わず…。ニコラスが問題を起こすのは実際の話の方がよろしいでしょう。私の知る限りですが、校内でニコラスが起こした話をしてもいいでしょうか?」
そうして、ニコラスが失敗を自分より高位の令息になすりつけたという噂や、言い寄ってきた令嬢を騙してテストの不正に加担させ、バレそうになったら令嬢だけ切り捨てた、などの噂をした。尻尾を出さずとも噂は流れ、された本人は忘れるはずがない。
「ニコラスは短期間で問題を起こさないのではなく、短期間で露見しないようにするだけなのです。実際露見はしませんが、その為に利用する人はその時点で一番計画を成功させそうな人という選び方で、その後の事を考えず恨みを買って噂を流されています。ニコラスは自分の望みを叶えようとする際に、家や他の人を慮る事はありません。社交に出せば誰彼構わず恨みを買って、後々家に損害を与える事が分かっているのだから、私はウォーディントン家の皆様の選択を支持しますよ。
それから、もし婚約するならメアリーが在学中に妊娠した場合の取り決めもしておいた方がいいですよ。ニコラスが今一番欲しいのはメアリーですから、自分が領地に行くならメアリーも連れて行きたいと妊娠させて休学、続けて妊娠させて退学、というのが一番あり得るでしょうか。卒業していないとなると社交どころではないでしょう?
後は、犯罪行為を働けばメアリーと離縁させる条項を足しておくとか。メアリーがニコラスの給料で買えないものをねだった時、バレなければ良いと詐欺などに手を出す可能性もないわけではないですから。強制労働でもメアリーが一緒ならニコラスは幸せでしょうから、メアリーと離れる事を罰にした方がまだ抑止力になるでしょう」
父母やメアリーが、ようやくとんでもないハズレに引っかかったと気付いて青ざめる一方、ニコラスはマイルズを睨みつけていた。ニコラスの両親はなるべく隠蔽したにも関わらず噂が流れ、息子の異常性を理解されている事に何とも複雑な表情をしていた。
「証拠もない噂や架空の話で私を貶めて将来の義父母の心証を悪くした上、必要のない条項など増やすのか?どれほど失礼な事をしているのか分かっているのか?」
ニコラスが怒ったところで、マイルズには痛くも痒くもない。
「事実かどうかはそちらの当主に聞けば分かるし、契約については両家の当主が決める事だ。それに、普通の人なら自分の疑いを晴らすのにこれぐらい簡単に同意出来ると思うが?」
ウォーディントン伯爵が溜息をついた。
「…マイルズ殿が仰った噂は本当です。ニコラス、私は既にお前が迷惑をかけて縁戚となるかもしれぬ方々に隠すつもりはないし、マイルズ殿のご提案は全て呑むつもりだ。
婚約しない場合は、生涯お前を領地から出さない。メアリー嬢の悪評をいくらでも流すだろうからな」
マイルズはメアリーを見つめた。
「だが、メアリーもニコラスに言われて周囲の友人にニコラスとの仲を仄めかした後だろう?…恐らくニコラスも散々話して見せつけているはずだ。メアリーに次の縁談は難しいと思うよ」
マイルズは言いたい事を言い終えたので、後は当主が決める事と早々に立ち去った。
結局、慰謝料と家同士の繋がり、メアリーの今後を天秤にかけた結果、ニコラスとメアリーは婚約する事になったようだった。ニコラスの言われるがままにする程度にはメアリーも短期的な考えしか出来ない事が分かったので、二人まとめて領地に引きこもらせた方が両家にとって最善だという判断もあったらしい。
ニコラスは卒業すれば領地で過ごし、メアリーの卒業までは、シーズンオフのみ王都でメアリーに会える。メアリーが妊娠した場合、1年休学するが王都で義父母と乳母と子育てしながら卒業する。出産後卒業までニコラスはメアリーと会えず、子どものみ会えるとした。
家族からは、何故ニコラスを紹介したと詰られた。マイルズが会わせないように努力して、やめた方がいいと忠告した事は忘れ去られたらしかった。
メアリーがハリエットとの友情を諦めきれない様子だった事は気になっていたが、婚約のお披露目で、昼食会は終わりだと念を押した。そもそも友情などハリエットからすれば既に終わっているだろう。
ニコラスに、どうしてもメアリーの事で聞きたい事があると呼び出されたのは四人で食べていたあのテラスで、嫌な予感がしたと思ったら、やはりメアリーとハリエットが来たのだった。
思わずニコラスを睨んだが、ニコラスはどこ吹く風だった。
「だって君とハリエット嬢がくっつけば、メアリーとハリエット嬢は親戚として付き合い続けられるじゃないか」
相変わらず自分勝手で周囲の事など微塵も考えていない。この二人は領地でも幽閉しておかねば何かやらかしてマイルズは巻き込まれるのではないか。暗い未来が予想されて辟易とした。
ニコラスは、何故か妹の為にマイルズが協力すると信じているのか、メアリーとの話に夢中だった。
その間に二人の計画を伝えた紙を渡すと、ハリエットは混乱していたようだったが、こちらを見た瞬間、被害者が自分だけではないと気付いたらしかった。共感だとしても、彼女が苦笑でも笑いかけてくれた事は嬉しかった。
自分ごと拒否されて、ハリエットはもうメアリーとニコラスからは更に距離を取るだろうと安心した。マイルズは、彼女に幸せを運んでくれる人が見つかるようにと祈った。