2 ブライアンside
夜会で成長したジャスミンを見た後、二度と会わなければ、この恋の始まりのようなものは始まりのまま終わってくれただろう。しかしドミニクが帰国した後、セルカーク侯爵含む文官達がにわかに忙しくなり、侍女の配置もわずかに変わったらしい。騎士団に書類を持ってくる侍女の一人にジャスミンが混じるようになっていた。
侯爵令嬢なら侍女として働く必要もないだろうに、本人の希望だったのだろうか…とブライアンは思いながらいつの間にか勝手に目が追いかけるようになった。しかし、婚約者がいるだろう彼女に声を掛けられる訳もなく、今更こんな歳で自覚してしまった初恋を持て余しながら、見るだけで三ヶ月が終わった。
ブライアンは替え玉として関わった事もあり、事情を知らされ結婚式に参列するうちの一人になった。ただでさえ他人の結婚式でも感涙ものなのに、花嫁達の事情を知った時点でブライアンはハンカチの束を新調した。ちなみに王都に複数ある孤児院のハンカチの売れ行きは騎士団長とその次男、ブライアンでほぼ七割を占めている。
結婚式で同じようにジャスミンがすぐ前の席に参列していて、普段とも夜会の時とも違った装いに目を奪われた。しかし、隣の男性と仲がよさそうに歓談している様子を見て、すぐに夢から覚めた心地になった。おかげで式に集中してしまい、嗚咽や鼻をすするのをこらえるのに必死だった。
式後すぐに魔物の討伐があって、その一週間後の飲み会でマイルズが声を掛けてきた。
「なぁブライアン、俺はお前に復讐しても許されると思うんだ。そして今がその時だと考えている」
「え、復讐!?何、どれの事?」
「…まぁ酒でも飲みながら、ブライアンの心当たりを聞こうか」
ウォーリー侯爵家の人々やハリエットに学生時代の馬鹿をやった話などを勝手に話した事だろうか。それともこの前、半分にした菓子が奇数だったので内緒で一個多く食べた事だろうか。しかしその次の機会で一個譲ったはずだが。
心当たりを聞いた所であまりにもどうでも良すぎて、マイルズは呆れて種明かしした。
「就職前の歓迎会で恋愛話を俺に披露させただろ。その次の飲み会でブライアンにも暴露してもらおうと思ったら、まともな話が一つも無かったじゃないか」
いいなと思った次の瞬間には婚約者との恋愛の悩み相談を受けた話を二つ聞いた時点で全員がブライアンの恋愛経験を察し、慰める会になった。
その後仲間が一人紹介してくれてお茶会をする事になったが、途中から相手の気がそぞろになっていると思ったら、夜には断りの連絡があり、三日後にはその隣に新しい男性がいた。会話は楽しかったが、同じように話が楽しくて出自と見目がより良い人が身近にいる事に気付いたらしい。
その後、同じ事を三回繰り返してブライアンの心の傷と三組のカップルが増えた時点で、ブライアンは自分の幸せを諦めた。その後更に二組のカップル誕生に協力したのだから、ある意味恋愛の達人を名乗っても良いのではないかと思っている。
「…今回もまともな話じゃないんだよな…」
「じゃあ酒飲みながら聞こう。辛いなら話してみないか?」
マイルズの言葉に酒を飲み、愚痴をこぼす。
「…幼馴染の子がさ、この前久しぶりに見かけたらすごく綺麗になってたんだよ。でも、彼女にはいい人がいたから、幸せを祈ってこの話はおしまい。はぁ…」
「そうか、とりあえず飲め飲め…ところでどこで見かけたんだ?」
「…この前の、知り合いの結婚式…」
多少の情報を伏せても調べられれば無駄だろう事は分かっている。が、この人の良い友人はきっと自分とは違って深く詮索するまい。
「あぁ、アレな…結婚式は参列者も綺麗だもんな。…それにしても、幼馴染の存在なんて聞いた事なかったが…」
「向こうの婚約が決まった時点で外聞が悪いからって音信不通になってた。でも、そうでなくとも俺と彼女じゃ色んな意味で不釣り合いだったんじゃねぇかなぁ。
…いや、俺も彼女もきっとそれぞれ自分なりに幸せになるんだ。飲むぞー!」
「…そういうところ、本当長所だと思うよ」
笑いながらマイルズが酒を注いだ。ブライアンは基本的に幸せな涙を流したいのだ。凹んでいるのは自分に似合わない。
その後はマイルズやくっついたカップルの幸せな惚気を聞きながら食べたおかげで、ご飯が大変美味しかったのだった。
***
グウェンドリンが聖剣の持ち主となりドミニクと結婚したという話が公表され好意的に受け止められると、侍女達も通常の配置に戻ったのか、ジャスミンを見かける事は無くなった。
寂しいけれども元気そうだと分かった事だし、忘れるにはちょうどいい…と思っていたら、ある日ブライアンはマイルズとともに団長室に呼び出され、入ると郵便係のギネス夫人がいた。
「この前違法薬物の栽培を検挙した際に城の便箋を使った手紙を見つけてな。ただ、封筒も違うし城の郵便係ではなく街の郵便を経由して送られていた上、送り主も書いていなかった。
中の解読をギネス夫人に頼んだ結果、捜査情報提供の報酬を催促していたらしい。捕まえた奴らに聞けば、人の多い所でやり取りしていたらしいから、こちらで指定した場所を書いて送らせた。受取人から更に追いかけているが、介在人数が多い上、相手に知られないように調査する為難航している。
報酬は中抜きを防ぐため自分で取りにくる可能性が高く張り込む予定だが、念の為に、顔を見れば分かる人を配置したい。
マイルズとブライアンはハリエット嬢と、彼女の能力を隠す為に同じ任務につく人物を警護して欲しい。それぞれ逢瀬の振りで頼む」
マイルズの復讐はこれか。明らかに部屋の全員がニヤニヤしているのを見て、ブライアンは顔が引き攣った。団長は続けた。
「ブライアンの警護対象はジャスミン・セルカーク嬢だ。明日の準備の為にマイルズとともに今日午後から早退して、うちに泊まって行きなさい」
一緒に早退する段になって、マイルズに声をかけられた。
「持ってくるのは下着の替えだけでいいから。馬車乗り場に集合な」
「え、伺うのは夕食前じゃないのか?」
「早退するのはうちで準備しろって事だって聞いてるぞ。じゃあ先行ってるからな」
ブライアンは急いで寮の自室から着替えを取ってきて、合流して馬車でウォーリー侯爵邸に向かった。
マイルズに案内され客間に入ると、目の前に侍女姿のジャスミンがいた。ブライアンは呆然として思わずマイルズに確認した。
「…え、作戦て明日だよな?ここ、ウォーリー侯爵邸だよな?」
マイルズは苦笑しつつ答えた。
「あぁ、間違ってないよ。彼女はお前の明日の準備を手伝ってくれるそうだ」
それを聞いたジャスミンが首を傾げつつ挨拶した。
「ご無沙汰しております、ブライアン様。…明日隣にいてくださるブライアン様の外見を、私好みに変えていいと伺ったのですけれど…?」
ブライアンは固まった後に理解が追いつくと、もはや取り繕えず、「ちょっと待っててください」とマイルズを連れて一旦廊下に出た。扉を閉めて、しゃがみこんで顔を伏せる。
「…倍返しってレベルじゃねぇよ…」
マイルズは苦笑した。
「はは、悪い悪い。ここまでするつもりじゃなかったんだが、ジャスミン嬢の申し出があってな。で、どうする?」
「…戻るよ。色々びっくりしただけで、嫌なわけじゃないから」
むしろ好きな子が自分の好みを教えてくれた上、それに近づけてくれるというのだから、喜んでお願いするぐらいだ。
「ちなみに、ジャスミン嬢は婚約者も恋人もいないらしいぞ」
「…っお前なぁ!」
扉を開ける寸前の情報提供に、思わずブライアンはマイルズを睨んだ。
「お待たせしました。やや齟齬が生じていたようですが、問題ありません。ジャスミン嬢の好きにしてくださって構いませんので」
戻ったブライアンの言葉でジャスミンは満面の笑みを浮かべて、ブライアンを椅子に座らせた。マイルズはいつの間にか居なくなっていてブライアンは嫌な予感がしたが、どうやら前言撤回出来そうな雰囲気ではなかった。
ケープをかけられ、鋏を取り出されて初めて、ブライアンはわざわざ前日に早退させられた意味を思い知った。
***
髪を切る間、会話をしても緊張は取れなかった。
しかもその後眉を整える時、目の前で好きな子の真剣な顔があるのに見る方向を指定され、ペタペタと触られるのに何も身体を動かせず、ブライアンの精神の強さを試される時間となった。
「切った髪を流す為に入浴していただいた方がよろしいかと思いますので、私はここで失礼いたしますね。明日はどうぞよろしくお願いいたします」
侯爵家の侍女と協力して手早く後片付けすると、ジャスミンはさっさと帰っていった。
「…嵐みたいな一日だったなぁ…」
「まだ夕食も食べてないだろ。まぁ色々と大変だったみた…い…だが…」
苦笑しながら入ってきたマイルズは、ブライアンを見た瞬間目を見開いて固まり、再び苦笑の顔に戻った。
「…随分印象が変わるもんだな。よく似合ってるよ。あの時何で俺を分からないのかって責めて悪かった。今のブライアンを見ても、一度は俺も素通りしてしまいそうだ」
髪の色も変わっていないのに、流石に言い過ぎだろう…とは思ったが、風呂に向かうと鏡があり、そこに映った自分は確かにあまりに見慣れなかった。爆発したキノコ頭はそこにはなく、側面や後ろを刈り上げているのはマイルズと似たようなものだが、そのおかげで頭頂部を長めに残していてもボリュームが抑えられている。前髪はアシンメトリーで、自然と斜めに流れるようになっていた。
何より、モジャモジャとした下がり眉が凛々しく短めにすっきりと整えられているだけで、印象が随分と違って見える気がした。
いつもよりずっと楽に頭を洗って出ると、侯爵家の侍女が髪の手入れを熱心にしてきた。曰く、ジャスミンの腕前が素晴らしかったので、ウォーリー侯爵家の侍女も他の出来る所があると見せつけたかったそうだ。お陰で艶が出て、灰色よりの薄紫だったのが紫っぽさが強調された気がする。
夕食でも騎士団長と次男の先輩が一瞬固まったが、皆誉めてくれた。途中から長男の部下だったオースティンが参加してきて、マイルズとブライアンは驚いた。オースティン自身も『驚かせようと思ったらブライアンに驚かされた』と笑っていて、久しぶりに三人揃って同じ部屋で喋って寝た。
***
翌朝、オースティンが仕事へ向かった後、マイルズとブライアンは身だしなみを徹底的に整えられた。ブライアンに用意された服は普段着よりややフォーマルだがシンプルで帯剣しても違和感がなく、かつ、いつもなら着ない色でまとめられていた。
待ち合わせの王宮まで迎えに行くと、鬘で髪の色は変えているものの、シンプルなワンピースで装った可愛らしい姿のジャスミンがいた。
「ジャスミン嬢、おはようございます。侍女姿も凛々しい美しさですが、今日の装いもまた一段と貴女の可愛らしさを引き出していますね。一日よろしくお願いします」
「こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。ブライアン様も素敵ですわ」
ジャスミンの言葉にブライアンは照れつつもホッとした。
「貴女の好みに近づけたようで良かったです」
ブライアンのその言葉に、唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
「…より皆様に分かりやすくブライアン様の良さを伝える為に昨日はあのように申し上げましたけど、本当は、前のお姿も好みでしたわ。…子どもの頃から私はブライアン様をお慕いしていましたので」
驚いてジャスミンを見ると、照れて俯いていた。
「ありがとうございます。先に言わせちゃってごめん。その、俺も、ジャスミン嬢の事は以前から好きでした」
ブライアンは思わず嬉しい気持ちと勢いで自分も告白してしまったが、すぐに現実を思い出した。
「…好意を寄せてくださった事は素直に嬉しいですし、幸せな夢を見られて今日はいい思い出になりそうです」
侯爵令嬢にほぼ平民の生活も厳しいだろうし、ブライアンも侯爵家レベルの社交は出来ない。そもそもジャスミンには二人兄が居るのでブライアンが婿に入れもしないが。
微笑んだジャスミンに手を差し出してエスコートする。今日だけは恋人として彼女を守れる喜びに浸りながら、ブライアンは共に歩き始めた。
 




