1 ブライアンside
番外編2です。
(全く、動けない…)
好きな人の手が、自分の髪に触れている。シャキシャキと小気味いい音が耳元で響くのが、落ち着く音のはずなのにブライアンの心拍数を高めていく。しかも、あまりに音が耳に近い。ふと下に落ちた髪を見てかなりバッサリと切られているようだと気付いて、さらに不安で鼓動が高まる。
出来ることなら今すぐ手で顔を覆って逃げ出して、布団の中に隠れてしまいたいぐらいの衝動を堪えていると、声が掛けられた。
「これで髪を切るのは終わりです」
満足そうな顔に、どうやら出来栄えは彼女の思い通りになったようでホッとする。
ようやく終わった、と安堵したブライアンはしかし、「次は眉を整えますね」という言葉で再び身体を固まらせるのだった。
***
ブライアン・アップルビーは子爵の三男坊だ。いくら子爵の割にそこそこ裕福だと言っても、娘二人を含む六人兄弟を養うためには節約が必要だった。服はもちろん全てお下がり、乳母は母と二人で全員の面倒を見て、勉強は教師の代わりに父や兄が教えてくれた。
幸いにも家族の仲は良くて貧乏生活でも楽しく、ブライアンは割と幸せな生活を送れた。
セルカーク侯爵とは領地が隣同士で、毎回帰ると一度は招かれ一週間ほど滞在した。家族ぐるみで付き合っていた頃が一番楽しかったように思う。
ただ、一歳下の侯爵の娘、ジャスミンを連れ回して元気いっぱい遊んでいたのが駄目だったのか、ジャスミンが年頃になったからなのかはよく分からないが、ブライアンが十三歳になった年から招待状の宛先が父母と姉達の名前になった。結果、ブライアンは兄弟達と領地で留守番する事になった。
それから手紙も出してみたが、侯爵から『ジャスミンが婚約し、外聞が悪い為控えてほしい』と返事が来て、それ以上は出せなくなった。また会えると思っていたのが急に連絡も取れなくなった存在は妙に心に残ったまま、学園に入学した。
入学してからマイルズと知り合い、境遇を知って家に呼べば乳母や家族は七人目の子どもと扱った。
宿泊を誘ってもマイルズが申し訳ないと遠慮したので、夕食を一品持ってきてもらう事と家事を手伝う事で手を打った。しかしマイルズは更に、二つあるからと学校で使う鞄などをくれたので、ブライアンが使った後のボロボロの状態のお下がりばかりだった弟に綺麗なものを使わせてやる事が出来たのだった。
その後、裕福な家庭の第二夫人の息子で、家庭内の空気が最悪というオースティンとも友人になった(乳母いわく八人目の子ども)。三人で馬鹿やったり、服を繕うのを乳母に習ったり(オースティンは必要がないのに付き合ってくれた)、一緒に勉強したりと楽しく学生生活を送った。
流石に二日続けてだとか、領地に帰る時だとか、家で何か行事がある時に泊まらせる訳にはいかず、しかしそれらの後に会う最初の日の朝、ブライアンを見つけるまでの二人の表情があまりに虚ろで、ブライアンは先に彼らを見つけるたびに無力感を感じていた。しかし、ブライアン達がこれ以上できない事も分かっていたので、せめて楽しい話題を毎回考えていた。
だから、マイルズが最終学年に聖剣の持ち主になった時、ブライアンは大いに喜んだ。吉報は続くもので、オースティンの家も代替わりして、オースティンを疎んでいた第一夫人は第二夫人・父親とともに領地に行き、同じく彼を疎んでいた異母姉も嫁いでいったおかげで、家庭内には異母兄と二人になりオースティンは異母兄に謝られ、居心地が随分とよくなったらしい。
親友達が幸せになって嬉しい一方で、頻繁に泊まっていた二人が居なくなってブライアンは少し夜に寂しさを覚えるようになった。気掛かりがなくなると、入学前に気になっていた存在を今更身勝手にも思い出した。が、そもそもどのように成長しているだろうか…などと考えてみたところで、相手は婚約者もいる異性で学年も違うのでまず会う事もないし、手紙すら断られる状況では会いに行くなど以ての外だろう。
結局、お互い結婚すれば、偶然会って昔を懐かしみ笑い話をすることもあるだろうと結論を出して、ブライアンはそれ以上その事を考えるのをやめて、奨学金の為の勉強に集中した。
最終学年も半ばになった頃、ジャスミンと伯爵令息マイケルの婚約が解消されていた噂が校内を賑わせた。二人とも円満解消を主張していたが、ジャスミンが卒業まで後一年半という時期で、幼い頃からの婚約を解消するという事、二人とも解消のまともな理由を話していなかった事が余計憶測を呼んだ。
ジャスミンは侯爵令嬢だし、次の相手も程なく見つかるだろう。どうせ嘘ばかりだろう噂にジャスミンが傷つかなければいいが…と思いながら、ブライアンは結局詳細を知る事も無いまま卒業した。
***
功績が分かりやすく爵位を得やすいからと騎士団で働き始めて三年目のある日、団長に行くように言われた部屋に入ると、王太子とドミニク王子がいた。
ドミニクが挨拶も省略させ、話し始めた。
「一日だけ僕の替え玉になってほしい。この通り兄上も承知だよ。…あぁ、目的は脱走じゃなくて、ちょっとしたお嫁探しだ。知られれば娘を嫁に…って企む貴族に邪魔されるかもしれないから、内密に頼むね」
日頃の行いから脱走しか思いつかなかったブライアンがジト目になっていたらしく、ドミニクは少し細かな事情を告げた。
ブライアンは了承したが、首を傾げた。
「何故私だったのでしょうか?体つきは似ていますが、髪の色などを合わせるべきではないのですか?」
「程々に近い所で見られるから、いくら前髪を分厚くして隠すにしても、顔立ちが似る方を優先するよ。この鬘を被ってもらえばいいし…」
前髪がいやに長くて厚みがある鬘をかぶって目を半分隠し、更に念の為眉は水で落とせる染粉で染めれば、王族二人の満足する出来になったらしい。
「君には王宮で行われる夜会でニコニコ笑ってて欲しいんだ。なるべく公務は入れないか動かしたんだけど、どうしてもこれだけは動かせなくてね。…何でそんなに嫌そうなの?」
夜会と聞いてブライアンが眉を顰めたのが分かったらしい…分厚い前髪は意味があるのかブライアンは疑問を覚えたが、とりあえず聞かれた事に答える。
「ただでさえ緊張するのに人目が多過ぎます。それに、私は夜会が苦手なのです…」
夜会とはおよそ婚活、領地の営業、情報収集の場だろう。王宮の夜会など基本的に上位貴族の社交であり、子爵家三男のブライアンはいずれの相手にもなれない。
自身は気軽に友人と会う為に貴族でいたいが、配偶者は平民でも、むしろ居なくても全く構わない。だから社交に出る気は元から無かったのに、以前王宮の夜会で鎧を身につけた警備中に声を掛けられたが、子爵家三男の時点で失望され、嘲笑された事がトラウマになっていた。
ブライアンは続けた。
「しかも、着飾った綺麗で素敵な女性が沢山いらっしゃって王子への好意の視線を私にぶつけるのでしょう?その状況で一目惚れしたり勘違いしたりすれば、どうにもならない思いを抱える羽目になるのですよ。嫌に決まっているでしょう」
ブライアンは爵位が保証されない立場である上、見た目は髪も母の薄い桃色に父の紺色が少し混ざったのか、良く言えばごく薄い紫だが、ほとんど白髪に近い灰色に見えて老人のようだ。しかも癖もかなり強く、子爵家の乳母が切る頻度と普段の手入れの面倒さを天秤にかけた結果というだけの髪型は爆発したきのこ頭で、うねうねの前髪は眉より上で歪んだぱっつんである。親により幼い頃に色々と試した結果がこれか坊主頭と聞けば、ブライアンもどうしようもないと諦めた。結果貴族にも平民にもモテない。
あまりにモテないので、コロッと美人局に落ちる可能性が高いだろうと家族に警戒を頼むぐらいである。
ちなみに他の兄弟達は父の遺伝が強く出たのか紺色で、癖も程々にウェーブがかった程度で前髪は後ろに流せたので、平民女性からはモテていた。
話を聞いた王族二人のブライアンを見る目は大いに憐憫を含み、ブライアンは全力で王家の縁談を遠慮したのだった。
***
それから七日間、通常の業務を全て王子の動きを練習する時間に振り替えられた。王子自身がなぜか自分の癖をきっちり把握して教えてくれたおかげで、付け焼き刃でも少しは形になった。
その王子は昨日マイルズ達とともに隣国へ出発した。おかげでブライアンが今、王族の椅子に座って、王が他の貴族の挨拶を受けるのを後ろから見る事になっているのだ。
(やっぱり、夜会なんか出るもんじゃなかった。)
今王に挨拶をしているセルカーク侯爵親子を懐かしく見ていると、話の途中でちらりと三人の視線がこちらに向いて、すぐに戻る。
(大きくなったなぁ…随分と綺麗に、大人っぽくなった)
苦しくなりそうな胸の内を学んだ微笑みで隠しつつ、気付かれない程度に娘の方を見る。何を思ったとて叶う事はないのだから、何も思ってはいけないのに。やはり二度と会うべきではなかった。
早く終わってほしいと思いながら、ブライアンは微笑みを張り付け続けて何とか夜会を乗り切ったのだった。
 




