2 グウェンドリンside
グウェンドリンは、伯爵令嬢だった第二側妃の産んだ唯一の子だった。王は母を寵愛していて、母に似たグウェンドリンもまた溺愛されていた。
『社交も結婚もしなくていい』と言う父の溺愛はグウェンドリンを駄目にする方だったらしく、外に出る事もほとんどなく、教育を受け始めるのも母に強く言われてようやく許可されたぐらいだった。
初めての授業の日、何故か母方従妹のフェリシアが来ていた。髪や瞳が似た色で背格好も似ていたので、人目に触れる機会を減らす為だけに父が替え玉候補として打診し、受け入れられたらしい。
父は今も昔も怯えを隠して機嫌を損ねないよう媚びるだけの対象だが、母と引き離さなかった事と、フェリシアという親友と出会って一緒にいられた事だけは感謝している。
フェリシアと会う前に、母には『よそはよそ、うちはうち』の概念をきっちり教え込まれた。おかげでフェリシアを羨ましいと思った事はあったが、そんな気持ちをぶつける事はなかった。
そもそもフェリシアだって結婚相手は彼女の父が決める事になるし、替え玉をする事からは逃れられなかったように出来ないことは沢山あるし、フェリシア以上に自由のある人だっているのだ。なのに、フェリシアは持たなくてもいい罪悪感まで持って、それでいてグウェンドリンとも対等な友人でいようとしてくれた。そんな素敵な子の初恋に協力するのはグウェンドリンにとって当たり前だったし、フェリシアが自由に動くことが自分の事のように嬉しくなっていた。
箱入りで育てられたまま17歳になったグウェンドリンの公務は最低限で、それも半分はフェリシアに替えさせられていた。王妃も第一側妃も二人の兄も王を諌めてようやくこの状況だったが、グウェンドリン達が関わりさえしなければ父の政治手腕はそれなりにこなせる程度にはあった為、王太子が成人して政務をこなせるようになるまでは、とグウェンドリンは各方面から散々謝られていた。
***
ある日、母とグウェンドリンは父に呼び出された。
「グウェンドリン、聖剣の国の第五王子との縁談はどうだ?」
「…素敵なお話だと思いますが…」
母が父を問い詰める。
「何の魂胆がおありですか?早めに仰った方が傷が少ないと思います」
「なっ…!私も親だからな、グウェンドリンの幸せと国益を考えただけだぞ?」
日頃の行いとは本当に大事だと感じながら、母はじっとりと父を見つめた。これが王妃など他の人物からなら素直に喜べたのに、あまりに怪しい。
「それが夫に向ける目か!?…いや、私も改心したのだ。しかし、本人が嫌ならばやめておこう」
「いいえ、そのような事は申しておりませんわ。お話は進めてくださいな」
そもそも縁談自体は良い話ではあるし、隣国も巻き込んでいるならまともな理由もなく話を止める訳にもいかない。
泳がせつつ情報を集めようと母と頷いた所で、父が見たことの無い程の笑顔で言った。
「では、隣国との縁談を好ましく思わない人達に狙われるかもしれないから、今すぐ離宮に籠るように。その間の公務は私達がやっておくから心配するな」
準備されていたのか、契約書の署名だけ書かされた後は、そのままあれよと言う間に母と共に馬車に押し込まれ、離宮に連れて行かれた。
何とか人を通して王妃達と連絡を取り調べてもらった結果、明らかな危険人物は見つからない事、第五王子との縁談はまだ打診すらされていない事、グウェンドリンの代わりにフェリシアが出ている事を知った。手紙はまだ続いており、母は新しい便箋を読み始めるとあからさまに顔を歪めた。
「うぅ…あのバカ旦那…バカ兄と組んだら今までで一番酷いわ。お義姉様にも黙っていたなんて、バカ兄にも悪い事をしていると自覚はあるんでしょうね。バカなんだから最初から何もしなければいいのに」
母の悪態が聞いた事が無い程酷い。しかし、母の次の言葉を聞いて、平静な気分が吹き飛んだ。
「貴女の父親、フェリシアと貴女を入れ替えて、フェリシアとして貴女と結婚する気よ」
理解した瞬間、思わず顔も声も引きつった。
「ひぃっ…気ン持ち悪ぅっ…」
「本当にね。私、解決したら離縁して働くわ…あぁでもバカ兄の元にも行きたくないから修道院かしら…。多分、貴女を嫁に出したくないけれど外聞も気にした結果、あまりに変な結論に至ったんでしょうけれど…もう無理だわ…。
バカ兄も娘は王子と結婚出来る上、恩は売れるし王家との繋がりも強まるなんて考えたんでしょうね…。二代続けて王族と結婚するのは難しいけれど、もうすぐ譲位する王の第三側妃なら私以上に政治にも社交にも関わらないから外野からは影響力もさほど変わらないと思われるでしょうし」
母も遠い目をしている。しばらく二人で現実逃避した後、状況を整理して対応を考え始めた。
目標はグウェンドリンとフェリシアの入れ替わりを戻して、フェリシアと父との縁談を取り消す事。グウェンドリンが隣国に嫁ぎ、父が新たに何か画策する前に譲位させられればなお良い。
これを隣国にバレずに済ませなければならない。バレれば大きな外交問題になるからだ。つまり敵は父と伯父。場合によっては隣国である。
離宮で静養させるだけでグウェンドリン達の動きを封じたと思われているのはあまりに舐められているが、その分グウェンドリンは王の監視も今までで一番減って動きやすくなった。その代わり、フェリシアの監視が厳しくなっているらしい為、土壇場までフェリシアに演じてもらってその間に警備の穴を探し、隣国に行く直前で入れ替わるのが最善だと判断した。
王宮に残った侍女に警備の穴を探してもらいつつ、グウェンドリンが離宮で侍女の振る舞いを学んだ。しかし王宮からの報告は芳しくなく、予想以上に警備が固い。ごくわずかな隙に入れ替わるか、少なくともフェリシアを連れ出す必要があるが、全く動かない状況に母が焦れた。
「私達の侍女の顔は知られているから、変装した貴女ならまだ隙を見つけられるかもしれないわね。及第点は得ているのでしょう?グウェンドリン、貴女行ってきなさいな」
こうしてグウェンドリンは第一側妃付きの侍女の紹介としてマリアという名で入り込んだが、驚くほどバレなかった。最初はむしろ今までの箱入り生活から解放されて、喜びすら感じていた。
ある日の夜会で料理を運んでいると、王族が入場してきた。自分の名前を呼ばれたと思ったら、そこにはフェリシアが微笑んでいた。自分の普段とは大きくかけ離れているフェリシアがグウェンドリンとして振舞っていて、表面上は誰も疑問にも思わず父や兄でさえ朗らかに笑っている。
―――その人は私じゃないわ、私はここにいるのに!
急にせり上がってきた気持ちに自分でも驚く。まるで悪夢を見ているような気分だった。グウェンドリンだって侍女としての生活も楽しんでいたのに、自分の存在を奪われたような錯覚に陥る。別人が自分として扱われるとはこういう事か。父の思惑を知った時とは異なる気持ち悪さが込み上げた。
入れ替わるということは、フェリシアにも同じ思いをさせる事になるのだ。何としても入れ替わりを解消しなければならない。しかし、フェリシアの周りはきっちり固められていて、どうしても接触出来ない。何も進まない焦りと他の人物として過ごす慣れない生活にどんどん疲れが蓄積して、バレるようなミスを犯さないようにする事で精一杯になっていった。
***
そんな折、ついに父が隣国に縁談を打診して、使者が来るらしいと知った。使者にはフェリシアが直接会わねばならない。歓迎の為に王妃がお茶会を開き、しかも少しでも隙を作らせる為かそれなりに規模を大きくするらしい。
フェリシアの母であるアバークロンビー伯爵夫人まで呼んだのは隣国に対して警戒がやや甘いかもしれないが、今まで何度も同じ夜会に居て他の貴族達にはバレていない事を考えると、フェリシアと接触できる可能性を少しでも上げる方を優先したのだろうと思われた。
グウェンドリンはお茶会に侍女として出るかは悩んだが、結局一旦出席して、フェリシアと接触する機会を窺う事にした。難しそうなら早々に中座してフェリシアが使っている部屋に何か置けないか探る予定である。
そうして開かれたお茶会に、まさか父が来るとは思わなかった。恐らくフェリシアへの接触に関して王妃達に圧力をかけるつもりだったのだろう。実際父は側近を数人フェリシアの元に残して去った。
接触は難しかろうと考えて中座しようとした所で、グウェンドリンは声を掛けられた。
「申し訳ございませんが、少し身だしなみを整える必要が出来まして、休憩室までご案内いただけませんか?」
振り返ると、首の半分まで詰まった服を着た侍女だった。恐らく寒い気候の隣国の使者一行のうちの一人だろうと思われたので、客用の休憩室まで案内する。服を整えるにしても体調不良にしても中に一緒に入った方が良いだろうと思ったら止められた。
「ありがとうございます。…その、少々お待ちくださいませね」
他国での失態がよほど恥ずかしいのか一人で入った侍女を待つ段になってはじめて、グウェンドリンはようやく失敗を悟った。他国の人間に一人で王宮内を歩かせる訳にはいかない。部屋を探索するならば、声を掛けられた時点で他の人に引き継ぐべきだったのだ。しかし引き継ぐにも他の侍女に不審に思われない理由をつけねばならず、更に余計な失敗を生むかもしれなかったと思えば、次善の策だったかもしれない。部屋に行くのはまた次の機会もあるだろう…と考えた所で、休憩室から落ち込んだ様子の隣国の侍女が出て来た。
「この場ではどうにもなりませんでした。戻れないなら馬車で待つよう主人にも言われておりますので、馬車の方へご案内いただけますか?」
特に不審にも思わず、馬車乗り場に案内した。侍女だからか、一行の馬車のうちかなり門から遠い馬車まで話しながら歩く。ここだと示された馬車までたどり着いて、別れの挨拶をしようとした瞬間、侍女が一歩近付いて顔が耳元に寄る。首に固く冷たいものが触れた。
「ねぇ殿下、この馬車に一緒にお乗りになってくださる?私もっと貴女とお話ししたいですわ」




