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「では、誓いの口付けを」
ハリエットは主役の二人を見るふりをしながら、斜め前の人の頭をじっと見ていた。ただ、何も考えない事に集中する。
「ここに二人の結婚は成りました!どうか祝福の拍手で新たな門出を迎える二人をお送りください!」
祝福をする気持ちはある。だが、それが全てではない。
この半年間、すっかり慣れた作り笑顔で拍手する。新婦はきっと私を見ると幸せな気持ちが翳るだろう。それは私の本意ではない。彼女の視界になるべく映らないよう、人の後ろに隠れるように拍手していた。
***
私、ハリエット・ガーフィールドは子爵令嬢である。15歳から4年間貴族が通う王立学校の2年生だ。
入学式の会場へ行く途中、迷子になっていたのを一緒に向かったのが縁で友人になったのがメアリー・クレイトン伯爵令嬢。すぐに気が合い、敬語でなくとも許されるようになった。お互いの家にも行き来する事もあり、楽しく過ごしていたのだ。
ある日、私達は初めて移動する教室の場所が分からず迷子になっていた。時間も差し迫る中、二人の男子生徒が現れた。
「お兄さま!丁度良かったですわ、ここの場所をお教えになって!」
メアリーの呼び掛けで、茶色の長髪の男性はメアリーの兄だと分かった。しかし、私の視線はその隣の短い金髪、碧眼の美青年に注がれていた。
「反対方向じゃないか。途中まで一緒に連れて行ってやるよ」
「ありがとうございます、お兄さま!」
兄妹の掛け合いを聞きながら、何も言えずにただメアリーの隣を歩いた。あの人が誰かも分からないまま別れたが、メアリーの兄の指示が分かりやすかったおかげで私達は授業に間に合ったのだった。
それからしばらく、私がボーッとしている事が増えたのでメアリーにニヤニヤした顔で問い詰められた。
「誰です?恋しているんでしょう?白状なさいな」
「その…メアリーのお兄さまのご友人の方よ…。あの金髪の方…」
「まぁ!じゃあ私が協力出来るじゃないの!これは腕が鳴るわね!」
メアリーのおねだりにより、翌々日には兄妹を含んだ四人で昼休みにご飯を一緒に食べる事になっていた。名目上はお礼を言いたいという事になっていたので、メアリーと一緒に二人分のプレゼントを買った。
***
2つ上のメアリーの兄はマイルズで、金髪の男性はニコラス・ウォーディントン伯爵令息だった。二人とも次男らしい。
お互いに自己紹介して話し始めると、どきどきして話せないかと思いきや、他の三人が聞き上手かつ話題も豊富だったから、すらすら話せた。プレゼントを渡し、楽しかった時間を過ごして、またご飯を一緒にする約束をした。
教室に戻って、メアリーと反省会をして、彼が素敵だった話と次の対策を話し合って、次の機会がやってきて、楽しく過ごす。それを何度か繰り返して、いつの間にか四人で食べる事が当たり前になっていき、反省会などはしなくなった。
それが2ヶ月ほど続いた頃、私は何となく最初と何かが違っている事に気付いた。しばらく『何か』が分からなかったが、私がニコラスに投げた話題を、ニコラスがメアリーと楽しむ事が多いと気が付いた。そのうちニコラスがメアリーに話しかける回数が増え、私の隣だったニコラスの席がメアリーの隣になり、四人の会話が二人ずつの会話になり、私はマイルズとばかり話すようになっていた。
それでも私が希望を持っていられたのは、メアリーが困惑して私を気にかけてくれているのが分かっていたからだった。メアリーを諦めて、妥協でいいからこちらを見てくれないか…とずっと思っていた。
メアリーはきっと私の為に、好きになってはいけないと思い込もうとしていたのだと思う。だが会ってから半年もすると、メアリーもまたニコラスに惹かれている事に私は気が付いてしまった。
私はただ、二人の邪魔をしているに過ぎない。それでも彼が好きで、どうしようもなく諦められなかった。毎日二人が惹かれあっていくのを横で止められもせずに見ている。ずっと苦しくて、どんどん辛くなっていくのに、ニコラスに気持ちを伝える勇気も、メアリーの気持ちを確かめる勇気もなかった。
早く諦めた方がいいと分かっていても、やっぱりニコラスに会いたくて、ずるずると日々が続いていく。
***
そんな日々が終わりを告げたのは、1年生もほぼ終わりの日だった。授業前にメアリーが私を人目のつかない所へ連れ出した。その言いづらそうで、幸せと申し訳なさが入り混じった顔に何となく予想がついた。
「えっとね…その…私、ニコラスと、婚約、する事になったの…」
一瞬、今まで必死で抑え込んでいたドス黒くて汚い気持ちが噴出しかける。少しでも気を抜けば泣くかメアリーを詰ってしまいそうだ。
泣き喚く方がみじめだ、そんな事したってニコラスに振り向いてもらえるわけじゃない。
ただそれだけを思って、私は私を抑え込んで完璧な笑顔を作って見せた。
「おめでとう、メアリー!祝福するわ!」
「でも、あの…」
何か言いたげなメアリーに早口に被せる。
「やだ、もしかして謝らないでよね!余計みじめになるでしょう?…それから、貴女は何も私に対して引け目に思う必要もないし、私に何か遠慮して自分の幸せ諦めるなんて事しないでね。私は貴女と楽しい友達のままでいたいわ」
他人の不幸を願っても、私が幸せになれる訳じゃない。自分に誇れる自分でいたい。八つ当たりなどしたって、見苦しくて自分を惨めにするだけ。
言い聞かせなければ、口からあふれてきそうだった。
「ありがとう、ハリエット…」
謝罪を封じられたメアリーはそれしか言えなかっただろう。
二人で教室に戻り、午前の授業を受けながら必死で気持ちに鎧を被せる。ニコラスに笑いながら祝福し、今日で共に摂る食事を終わりにしなくてはいけない。
「おめでとうニコラス様!お聞きしましたよ」
大体、先手を打つ方が心の準備が出来るはず。私は会うなりお祝いの言葉をかけた。
「ありがとう、ハリエット嬢。もうメアリーから聞いたんだね」
ニコラスは呼び方も変えて、愛おしそうに見つめている。作戦失敗。それでも私はなんとか作り笑顔のまま表情を固めた。
「あら、私達お邪魔ですわね。そう思いませんこと、マイルズ様?」
「あぁ。二人で会っても外聞を気にする事もないだろう?邪魔者は明日から退散させてもらうよ」
マイルズの言葉にホッとした私と裏腹に、ニコラスが焦った。
「いや、その…二人には、出来れば婚約のお披露目まで今まで通りに過ごしてほしい」
「どういう事だ?」
マイルズの疑問にニコラスは気まずそうに答えた。
「実は、その…私がウェストウィック公爵令嬢に目をつけられたらしくて…」
令嬢もその父の公爵も苛烈な性格で、しかも令嬢はいつも他に意中の相手がいる男性に惚れっぽい。今は二、三人ほどを令嬢が物色している所だそうだ。公爵は家格が合わずとも娘が幸せなら、と無理やり話を横入りしようとするような方らしい。
その為、両家の親を交え相談し、なるべく内密に進めて、1ヶ月後に婚約のお披露目、半年後に結婚と急ぐ事になった。メアリーは結婚してもそのまま学校には通い続けるとの事だ。
「だが公爵なら婚約してたって横入りは出来るだろう?それならメアリーと仲睦まじい様子を見せつけて令嬢を諦めさせた方が手っ取り早いんじゃないのか?」
マイルズの疑問にニコラスは首を横に振った。
「令嬢は婚約もしてない男なら恋愛は自由だからいくらでも迫るが、婚約者がいる男には外聞を重視してか諦めるそうだ。何故かいつも意中の相手がいる婚約直前の男に限って狙われるらしい。
しかも過去には婚約予定の相手に圧力をかけた事もあったらしい。前の奴は横入りされかけて慌てて婚約していた事にしたから、色々な事が出来なかったそうだ」
だから、ニコラスは時期は急ぐけれどもなるべく内密に進めて、かつ婚約者候補が誰か分からないようにしたいのだと言った。
「ハリエット嬢も友達の為に協力してくれないかい?」
あぁ、退路を断たれた。チラッとメアリーを見ても、おろおろとはしてもこの話を止める気もなさそうだった。気がつけば、私は言っていた。
「えぇ、もちろんですわ」
こうして私は地獄に足を踏み入れた。
そこからの1ヶ月は本当にキツかった。毎日愛しそうにメアリーを見つめるニコラスと、なるべく普通を心がけつつもどこか気を遣って私に接するメアリー。マイルズはなるべく万遍なく話題を振っていたが、それもメアリーと私に対するニコラスの態度の違いをはっきりさせただけだった。しかもメアリーは私に遠慮する婚約の話題を、ニコラスが幸せそうに話すのだ。楽しかったはずの食事は毎日砂を噛むようで、上辺だけの会話がするすると流れていく。
家に帰れば私は枕に怨嗟と泣き声と涙を押しつけた。
私の為に紹介したくせに。私の気持ちを知ってたくせに。どうして婚約まで何も言ってくれなかったの。メアリーが選ばれたと、私が選ばれなかったと見せつけないで。
どうすればこんな地獄を味わわなくて済んだのか。それでもせめて、ズタズタの自尊心を隠すために、選ばれなかった事なんて大した事ないって虚勢を張っていたかった。
***
婚約を伝えられたその日に婚約のお披露目と結婚式の招待状をニコラスから手渡されたから、翌日に両方出席の返事を返していた。元々同派閥で家格が下なので断るのは余程の理由がなければ難しいし、私にはその理由もない。
そして、待ち遠しかったお披露目のパーティーの日がやってきた。もう、恋心なんてとうに擦り切れてなくなっていたが、選ばれなかったと思い知らされ自尊心をゴリゴリと削られる日々から早く解放されたかった。
メアリーはふんわりとした亜麻色の艶のある髪で顔も可愛らしい。しかも、伯爵家が全力を出してメアリーを仕上げてくるのだろう。
私はまっすぐな黒髪でごく人並みの顔だ。どんなに着飾ったって見返したい人の隣には私よりずっと綺麗な人がいて、きっと心のどこにも私は残らない。お洒落をするほど惨めな気持ちになりそうで、場に相応しい程度に見目を整えた。
「婚約おめでとうございます、ニコラス様、メアリー様。心から祝福します」
嘘。心からなんて無理。でも今日の笑顔は完璧な自信がある。昨日必死で練習したのだから。
そして、やっぱりメアリーは綺麗だった。
「ありがとう、とても嬉しいよ」
三人で歓談していると、頭の上から声が降ってきた。
「ハリエット嬢も来てくれてありがとう。そして二人とも、本当におめでとう。これでもう妹のイチャイチャを見なくて済むと思うと清々するよ。視線のやり場に困ってたんだからな」
振り返ればやはりマイルズだった。
「あぁ、それはとても済まない事をした。ハリエット嬢も」
「いいえ…と言いたい所ですけれど、時々は困りましたわねぇ。今後は二人で思う存分どうぞ?」
苦笑した顔を作ると、二人は照れた顔をしていた。
「勿論そうしよう。だが、たまにはまた四人で食べるのもいいだろう?」
「えぇ、まぁそうですわね…」
ニコラスの一言は気になりつつも、他の人に挨拶の場を譲りパーティー会場に移動した。立食なので後はほぼ普通のパーティーと変わらず、ただ当たり前の事だが話題が二人の話ばかりだった。
唯一事実と異なったのは、馴れ初めがニコラスに会いたがったのはメアリーで、私は一人では緊張するメアリーについて行った事になっていた。二人の物語に私は要らないからこれで良かったのだろう。
メアリーの両親に会った際に、母親の方から、結婚式は是非前方で見てやってほしいと頼まれたが、マイルズの婚約者だと勘違いされても困るからと断った。恐らく母親にもその意図があったのだろうが、私が正面からはっきり断ると残念そうではあったがあっさり引き下がってくれた。メアリーの友人として初めて会った時から、どこか夢見がちな感じの人だったから、四人でご飯を食べていた事をメアリーからでも聞いて何か勘違いしたのかもしれない。
***
翌日からは昼食を別の友達と摂ったり、あるいは一人で食べたりした。メアリーは昼食はニコラスと摂っていたが、私とは休み時間を時々一緒に過ごして、一見穏やかな日々を過ごしていた。私はこのまま徐々にメアリーから離れるつもりだった。
1ヶ月ほど経った頃、メアリーが困った様子で相談してきた。
「あの…ニコラス、様が、また四人で楽しく食べたいって仰っているのだけれど…。その、いつでもいいからどこかの昼休みに。どうしても可能な日を聞いてきて欲しいって…」
私はため息を吐いた。こんな聞かれ方をすれば、すべての昼休みを忙しいと断る事も出来ない。家の関係から、それなりに表面的な付き合いは仕方がない。
「…いいわよ。でも他の方とも交流したいから、ほとんどご一緒出来る日はないけれど」
メアリーは目を丸くした後、破顔した。
「…ありがとう!十分よ!」
メアリーは少しでも前と同じように過ごせる事が嬉しいのだろうか。残念ながら、私の内心はすっかり変わってしまった。
他の人とも交流して、私の中でどうでも良くなったのだ。私の気持ちを軽んじる人なら、私もその人を軽んじたっていいはずだ。
「ただ、婚約や結婚についての話題は、恥ずかしながら私は婚約者もいない状況で焦っていて、あまり聞きたくないの」
「えぇ、そうね、もちろん分かったわ。絶対にその話はしない」
別に特別焦っているわけではないので完全に口実だとメアリーも恐らく分かってはいるが、これでニコラスにも伝えてくれるだろう。
数日後、いつも一緒に過ごしていた席まで行くと、先にニコラスとマイルズが居た。マイルズはこちらを見て驚いた顔をしていたから、どうやら知らされていなかったようだ。ニコラスを睨んでいた。
メアリーがきちんとニコラスにも伝えていたのか、話題は無難なものが選ばれていたけれど、ニコラスとメアリーが二人の世界を作って、マイルズと私で話をするのは以前と変わらなかった。
一体私は何をさせられているんだろう。何を見せられているんだろう。
隣のマイルズも時々呆れた目で二人を見ていたので、恐らくもう開催される事はないな、と思いながら食事を手早く済ませた。
『すまない。メアリーが貴女との友情を失うのを心配して、それを解決しようと私と貴女をくっつけようとニコラスとともに計画したようだ』
二人に分からないよう小さなペンとともに渡された紙にはこうあった。
そもそもこうなると分かった上でメアリーはニコラスを選んだのではないのか。友情を失う理由は私の恋しかないが、私の気持ちをマイルズは知っていたのか。ではニコラスは。
驚きと混乱と怒りでマイルズを見ると、彼はどこか諦めたような辛そうな、乾いた笑みを浮かべていた。
あぁ、この人も私と同じ被害者なのか。今までこんな風に沢山メアリーに振り回されてきたのだろう。
『教えてくださりありがとうございます。その計画にどうしても乗りたくありません。貴方に良き出会いがありますよう』
紙に返事を書いて渡すと、マイルズは苦笑した。
「俺が貴女でもそう思うだろう。ありがとう、貴女にも良き出会いがありますよう」
小声のやり取りを終えると、私は前の二人に声をかけた。
「私次の授業の予習が終わっていないのを思い出しまして、本当に申し訳ございませんが、先に失礼いたしますわね」
「それはいけない、頑張ってくれ。では次の機会をメアリーと…」
私の言葉に慌てたニコラスが言うのを笑みで制した。
「私しばらく予定が詰まっておりまして、予定が空きましたらこちらからご連絡いたしますわね。ではごきげんよう」
ニコラスを私に紹介しておいて、私に何も言わずに自分がくっついたメアリーに、縁談なんて世話されたくないし、親戚にもなりたくない。マイルズ本人に告白された訳でもなんでもないのに、そういう理由で私はマイルズを拒絶した。
メアリーにこれからも振り回されるだろうマイルズに心底同情し、彼が少しでも安らげる人と巡り会えるよう祈った。